文字数 2,983文字

 この乾燥した空気、凍えるような寒さ、妙に忙しない外の雰囲気。

 以上のような感覚を感じるようになれば、お札や人間の子供にとって、大きな意味を持つあの時期の到来を意識する。

 正月である。

 正月というのは、言わずもがな、一年の始まりという重要な節目である。

 人間たちは特にこの正月を特別視する傾向が強く、除夜の鐘に御節料理、門松に初詣や年賀状など付随する風習は山のようにある。

 しかしながら、どんな格式を持った風習も、お年玉の習慣に比べてしまえばその存在感は吹いて消えてしまうものである。

 大人でも手に入れば小躍りしてしまうような大金を、結果的に親に預けることになるとはいえ、感受性の強い子供の時期に手に入れるというのはさぞ印象的であろう。

 このようにして、正月は大金が動く季節であるということを、彼ら人間は身を持って知るのである。

 このお年玉という習慣は、主役といってもいい私達お札にとっても一大イベントである。この季節ほど私達お札が脚光を浴びる機会はない。

 確かにあのお札を入れる袋の構造上、無視できない折り目を付けられることにはなるが、私達はこの折り目に限っては名誉の負傷として受け入れている。

 お札の生涯一の晴れ舞台は、結果として私達の寿命を縮める最大の要因といっても過言ではないだろう。

 あの男は我が物顔で安藤の車を乗り回し続けた。キャバクラへ行ったあの日から、安藤に会うどころか連絡を取ろうとする素振りも見せない。

 今日も、先ほどから車を走らせる音が外から聞こえていた。

 やがて、男は車を止めて外に出ると、続いてがらがらと引き戸を開いた。

「じゃまするぜ。」
 例の男が声を張り上げて言った。

「いらっしゃ……おう、お前いったい何しにきやがった?」
 奥から嗄れた男の声が聞こえた。

「せっかく息子が帰って来たってのになんだはねぇだろう。帰省だよ帰省。子供だったら誰だってたまには親に顔を見せるもんだろ。つまりそういうこった。あー腹が減った。今年もなんか作ってるんだろ? 最近ろくなもの食ってねーんだ。ご馳走してくれよ。」

「ふん。ふざけやがって。お前の顔なんざ見たくもねえ。どうせろくな生き方してねぇんだろうが、この馬鹿息子が。」

 どうやらこの家が男の実家らしかった。

「おうおう、そんな興奮なさるなって。身体、良くないんだってなぁ、聞いたぜ? ゆくゆくはこの家も俺のものか。なにせ俺は長男だからな。血は水より濃いって何かでも言うだろ?」

 軽薄な男は父親と思しき男の拒絶をまるで気にする様子もなくまくし立てた。

「あら……あんた。」
 今度は女の声が聞こえた。

「おう、おふくろ。しばらくぶりだな、帰ったぜ。今年の刺身はどこの買ったんだ? ちゃんとしたところで買ったろうな? スーパーのはだめだぜ。ありゃあ水っぽくてかなわん。こういう祝い時には変にけちってるとバチが当たるぞ。」

「バチあたりなのはお前のほうだ。よくのこのこと戻ってこれるな? この恥さらしが。お前みたいな奴に残すようなものなんて一つもありゃしねえんだ!」

「まあまあ、お父さん。せっかく帰ってきたんだから。今、お茶でも持っていくから居間で待っていなさい。」

 男が家の敷居を跨いでから流れていた穏やかでない雰囲気も、彼の母親らしき女によりひとまず落ち着いた。


 正月ということもあり、しばらくすると彼らの親戚らしき人々が続々とやってきた。私の主である男は何の気兼ねもなく次々に現れる人々に声をかけていた。

 彼らの反応は、腫れ物をさわるように対応する人もいれば、敵意をあらわにするような人もおり三者三様であったが、誰一人として歓迎している様子は無かった。

「酒飲んだり、煙草吸ったり、運動しねえことが健康に良くねえって言うがな。ありゃあ全部嘘っぱちだぜ。世の中には慎み深い生活を送ってても、病気で死ぬ奴はごまんといやがる。」

「そうねぇ。ほんとに病気っていやよ。」

「要は自分のしたいようにするのが一番良いんだよな。これが。結局ストレスってやつが一番身体に悪ぃんだ。」

「ストレスは万病の元っていうからねぇ……。」

「お前の顔を見ないで済むんなら、それが一番健康に良さそうだがな。」

 新年の席は、口に物を入れながら、何やらべらべらと話し続ける男と、その相手をする母親、時折息子に向かって悪態をつく父親以外は皆、だんまりを決め込んでいた。

 かちゃかちゃといくつもの食器を扱う音がしなければ、そこに三人以外の誰かがいるとは思えないような有様だった。

「さて、そろそろお暇させてもらおうかな。俺はこう見えて色々と忙しいんだ。新年から仕事が山積みだからなー。」

 満足げに息をついてからそう言うと、男はついに席を立った。張り詰めていた場の空気が緩むのを感じた。

 男は食事をしていた部屋を出ると、まっすぐ玄関には向かわず、途中でまた別の部屋に入った。

「よう、嬢ちゃん。こんなところに一人でいないで、あいつらと一緒にいりゃあいーじゃねーか。」

「……大人ばっかりでつまらないからいい。」
 部屋に一人でいるらしい女の子はか細い声で答えた。

「そうだよなー! 大人ってのは小難しい話ばっかして全然面白くねーよな。わかるぜその気持ち。俺もそうだったからよ。どうやらこの一家は子供お前だけみたいだな。いい大人が四人も揃って子供は嬢ちゃんだけなんて情けねえ。これだから少子化ってのは嫌になるよな。」

「……難しい話はよくわからない。」

「まあ、そのうち分かるようになるぜ。遺産も親の投資も一人にがっぽりで……。まあとにかくだ。」

 男は話を区切ると、ポケットから財布を取り出した。大量のレシートの間から私を手際よく抜き取ると女の子に差し出した。

「お年玉だ。」

 生臭い財布から抜け出した私の目に飛び込んできたのは、必要最低限の家具しか置いていない殺風景な洋室と、ゲーム機を片手に持ち男のほうを見る幼い女の子だった。

「……知らない人からは何も貰っちゃいけないってお父さんが言ってた。」
 女の子は私を受け取らずにそう言った。しっかりしたお子さんである。

「知らない人とは随分じゃねえか。もう知り合いだろ。それどころか、俺は嬢ちゃんの親父の兄貴だから立派な叔父さんだぜ? この金はありがたく貰っときな。お年玉なんか貰う額よりくれてやる額のほうが多くなるんだから、貰えるうちに貰えるだけ貰っとけ。お金は大事だぜ?」
 
男がそう言うと女の子は観念したのか、恐る恐る手を伸ばして私を受け取った。

「よし。それでいい。そのお札は少しいわく付きだからな。持ってると何かあるかもしれねえぜ? いい意味でも悪い意味でもな……。じゃあ俺は行くぜ。あんまりゲームばっかすんなよ? 目悪くなると人生損するぜ? 金もかかるしな。」
 男は言いたいだけ言うと、部屋を出て行った。

 女の子は、しばらくぽかんと呆けていたが、やがて、私を折りたたんでポケットに収めた。

 一度はゲームを再開したが、飽きたのか、数分後にはゲーム機を脇に置きパタンと寝転がると、しばらくしてから寝息を立て始めた。
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