第3楽章 第2節

文字数 4,475文字

 市民オーケストラの定期公演が終わった後にしてもらったから、十二月の最初の土曜日になった。幸い、姉の友人の家から何駅も離れていないところにレンタルスペースがあって、そこを借りた。写真で見る限り、部屋にあるテーブルも候補の中で一番目か二番目に大きかった。
「ペットどこですか!」
「おまえマジでトランペットのことしか考えてねえな」
「金管楽器はね……ごめんね、自分でしまったわけじゃないから」
 作者の娘が風呂敷包みを解くと、中から箱が幾つか出てきた。洋菓子の箱だったり、和菓子の箱だったり、百円ショップかどこかでわざわざ買ったらしい賑やかな模様の箱だったりした。一番下だけは段ボール箱で、カラーガムテープで飾りつけてある。文化館のときにも使っていたものだろう。風呂敷包みとも鞄とも別に小さな紙袋が一つあるのは、まだ専用の箱を調達していない新作でも入っているのだろうか。
 企画担当の良大と知果に加えて、力と、話を聞きつけた愛も参加していた。レンタル料金は人数に依存しないから、五人いれば三人よりも一人頭の負担は小さくなる。作者本人は来ていなかった。営業は遥の役だから、と姉が言っていた通りだ。幾分、残念ではあったけれども——来ていたとしても、会話に花を咲かせられたとは到底思えない。
 どのみち取り出すのだから全部の箱の(ふた)を開けて、テーブルの上は使うのだから椅子の上に移動しているうちに、愛が自ら金管楽器を引き当て、嬉々として中身を机に並べた。濃い黄緑のチューバ、黄色のホルン、薄黄色のトロンボーン、そして赤みがかったオレンジに近い黄色のトランペット。
「ちょっと見てピストン動くよ!?
「見えねえよ。見せろし」
「そっちのを見ろよ」
「あんまりいじらないの」
 感激する愛の手元を良大がどうにかして覗き込もうとし、力が机にまだ二つあるトランペットを示して、知果が叱る。作者の娘は嬉しげというより微笑ましげにみつめていた。高校生扱いされていそうだ。
「今日はいいわよ。工夫したところは、やっぱり見てほしいもの」
 許可を得た愛は喜び勇んで、緑色のピストンを上下させ始めた。青葉はチューバを取り上げてみる。レバーがドロップ型のビーズでできていて、本物よりも丸っこいからデフォルメされたような可愛らしさがある——というのはいささか麻痺した感想だったかもしれない、これらの楽器群は全体的に大分デフォルメされているはずなので。
「やべえ、トロンボーンがシンプルに見える」
「ビーズの色が違うじゃん」
「ほら知果ホルンホルン」
 トロンボーンにはスライド管がスライドするようなギミックが特にないのだ。その代わりでもないが、支柱になっている竹ビーズは、一台が赤、一台が青、一台が緑と色違いである。ホルンは四台になっていた。マウスピースが緑のビーズのものと、黄色のビーズのものが二台ずつ。
「あれ……」
「結局、新しいのを二つ作ったの。近所の手芸屋さんに、同じビーズがなくて」
 微かな呟きを拾って、察しよく、解説が来る。よく見ればなるほど、チューバと同じくビーズでできたレバーが、少し、違った。
 ……それでは、先に作ってあった三台のうちの一台が、余ってしまったことになる。申し訳ない結果に、なってしまったような。
「パート決まってます?」
「緑のビーズの方が第一パートね。先に作った方」
 真面目な顔つきになって良大が尋ね、スイッチ入ったな、とその友人は唇の端を少しばかり上げた。
「っていうか、金管見てる場合じゃなくね」
「始めるべきね」
 知果が号令をかけた。

 最前列は弦楽器だ。左から右へ、第一バイオリン、第二バイオリン、ビオラ、チェロ。チェロの後ろにコントラバスが位置する。
 その次が木管楽器になる。前列は左にフルートとピッコロ、右にオーボエ。後列の左はクラリネット、右はファゴットだ。
 それから金管楽器。左から右へ、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバという順番で。
 最後列に打楽器が並ぶ。()()、シンバル、ドラム、ティンパニ、トライアングル、タンバリン、鈴——というラインナップはフェルト側の都合だが、本物のオーケストラとてここは曲側の都合である。
 ピアノとハープが加わるときは、第一バイオリンの後ろに来ることが多い。
 OBオーケストラでも高校の管弦楽部でも、市民オーケストラでも採用されている一般的な配置はそのようなものだ。会場の広さなどの事情によって変動することもあるし、実は割と最近に成立した配置だから、作曲当時を再現しようとすれば異なる並びになるのだけれど。
「入らなかないけど、ぎりぎりすぎんな」
 良大がメジャーを机のあちこちに当てながら、目印に箱の蓋を置いていく。
「借りれる机がこのサイズなのよ。二個並べたとして、こう」
「奥行きが心許ないわね。そばを通ったときに落としそうだわ」
「木管、横一列にするか? 横は余裕あるだろ」
 六人目がいることを忘れたわけではないが、五人はすっかり普段の調子で喋り始めていた。他人がいることに緊張を覚えていたとしたら青葉と知果ぐらいで、後の三人は最初から平気だったのだろうけれど。
「ここにピアノ二台はやっぱちょっとあれだな」
「前に持ってくるか? 机もう一列増やして」
「あのロビーに三列置くの?」
「スペースがないなら、無理に入れなくてもいいんじゃないかしら」
 作者の娘が口を挟んだ。青葉は半ば驚いて、半ば心外なような気持ちで振り返る。
「えーどうせなら全部置きたい」
「まあ最悪どうにもならなかったら外しますけど」
「だったら、別枠でこっちに置くのはどうだ?」
 力がピアノをオーケストラから離して、机の端で向き合わせた。ああ、と良大が口元へ手をやる。
「前に置くより、そっちのがいいかもな。前に置くとピアノが目立ちすぎんじゃん」
「これはこれで目立つけどな、特別扱いみたいな感じで」
「いや、指揮台が死ぬのがヤなのよ」
 指揮台には一番手前の中央に陣取っていてほしい、ということらしい。さらに手前にピアノを並べれば、確かに幾分食われてしまいそうだ。
「どう思います? この感じ」
 オーケストラとピアノの連弾へ、力は両手を広げた。
「……うん、ピアノが主役になっちゃいそうだねっていう話は母ともしていたの。この方が、ちゃんとオーケストラを見てもらえそう」
 答えてから、作者の娘は両手で自分の頬を挟み、次いで口を覆った。
「嫌だ、にやけちゃう」
 見ていて安心するような笑みだった。こちら側だけが盛り上がっているのではないかという心配が、霧散していくという意味で。
 作者本人も、きっと喜んでくれるだろう。ほとんど顔を合わせたこともない相手でも、これは確信できる。
「決定な」
 良大が宣言し、知果がスマートフォンを横にして、記録をつけるように全体を写した。覚えておけないような複雑なアレンジでもないが、知果らしいことである。
「じゃ、俺のターンでいい?」
 リュックを(あさ)り始めた力に、おー、と良大はおざなりに許可を出したが、知果は不審げに眉を寄せた。話はそこまで届いていなかったらしい。企画担当でもないのに、レンタル料金の一部を請け負ってまでついてきたのは。
「がっつり撮らせてもらってもいいですか」
 デジタルカメラを掲げて、写真愛好家は尋ねた。

 第一バイオリン、第二バイオリン、ビオラ、チェロ。バイオリン、ビオラ、チェロ。バイオリン、チェロ、ピアノ。ピアノと、バイオリン。
 組み合わせを変えながらシャッターを切っていく力は、すっかりカメラマンの顔になっている。
「過剰評価されてるみたい」
 わたしが言うことじゃないけど、と作者本人ではない娘は呟いた。
「あいつ、すぐ撮りたがるんですよ。本気のときは一眼レフ出してきます」
「それはデジカメより荷が重いわね」
 テーブルの半分は力のための撮影会場と化していて、後の半分では後の三人が観賞会に戻っている。四十台に上るバイオリン属の大方はスタンド(とも)(ども)箱の中に片づいていて、だからスペースにゆとりができたわけだった。愛もようやく、トランペット以外にも興味を向け始めたらしい。
「仲がいいの?」
「あ、はい、同学年で——同学年は他にもいるけど、ここは仲良くて」
「楽器は違うのよね? あの子がトランペットで……」
「ペットと、ホルンと、あいつがストバイで、あいつと俺がセコバイです」
 一人一人を指して教えてから、反応が(はか)(ばか)しくないことに気づいて付け加える。
「ファーストバイオリンとセカンドバイオリンです」
「ああ、なるほど」
 ファーストバイオリンを「ファーバイ」と略す学校もあると高校時代に聞いたが、青葉たちの高校は「ストバイ」派だった。
 友人たちの間にいた方が気を張らずに済むものの、青葉は一歩下がるようにして姉の友人の隣りにいた。話し相手を務める義務を感じたわけではない、自分がことさらここに立たなければ、良大が適宜声をかけただろう。敢えて苦手な位置に出ていったのは、その母親——ここには来なかった作者のことを、何か、聞きたかったからだ。
「……あの……今って何か作ってるんですか」
「母のこと? 最近はね、和菓子。お団子とか、鯛焼きとか、羊(かん)とか」
 主語を飛ばしてしまったが、支障はなかったらしい。
 家に帰るとしばしば、食卓に新作の和菓子がちょこんと置いてあって、夕食前だというのに甘いものが食べたくなって困る、と笑う。それは困りますね、と青葉もさほどの無理もせずに微笑み返すことができた。
「——バイオリン、使ってくれてありがとね」
 ふと、半ば(ささや)くような、静かな声になった。
「男の子が貰っても困るかなって、母がちょっと気にしてたの。空が喜んでくれるから、すっかりそのつもりでいたけどって」
 ——ああ、やはり。作った本人でも、一度はそう思うのか。
 救われるようだった。抵抗を覚えてもよいのだと、許してもらえたようで。
「今時古いよって言ったんだけどね」
「いえ、わかります。……あいつらにはウケると思ったんで」
 青葉は友人たちへ目をやった。
 男の子が貰っても困るかな、と。姉も恐らく、訊かれたのだろう。そうと明け透けには伝えず、使わないようなら自分が引き取る、と代わりに予防線を張った。
 使うし、とその手から取り上げたのだ。自分のものにしたのだ。そうすることを、望んだのだ。
「あたしこれ好きかも」
「マリンバの(ばち)ね」
「撥なら俺は小太鼓のが好きかな。綿棒なところが」
「撥に見えるんだからすごいよねえ」
 写真に忙しい力を除いた三人が、普段はあまり参戦しない知果も含めて、話し込んでいる。短く切った綿棒を黄色に塗って、それで撥に見立ててあるのだ。あれもなかなか、おもしろかった。
 こうした反応を期待できる仲間がいたから、ストラップの処遇に困らなかった。感動すら覚えた贈り物を披露できた。胸を張って。
 それはきっと、かつての体験を補って余りあるほどの。
「姉ちゃんに横領されなくてよかったです」
 この口から冗談を聞くとは思わなかったのか、一瞬目を(みは)ってから、姉の友人は白い歯を見せた。
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