第二幕 諸仙惠《チェ・ソニェ》

文字数 844文字

「――世子嬪(セジャビン)様。貰冊店(セチェクチョム)の娘が参りました」
「通すがよい」

 世子嬪宮の中、お決まりのやり取りが済むのを、スリョンは世子嬪の私室の前で待った。やがて、女官の手で開けられた扉の内へ歩を進める。
 携えてきた包みを一旦足下へ下ろすと、肘を上げて右手を上に両手を重ねる。しかし、当然の義務として拝礼(チョル)をしようとしたスリョンを、世子嬪――諸仙惠(チェ・ソニェ)が「挨拶はよい」と止めた。
「座りなさい」
「……はい、世子嬪様」
 小さく頷いて、スリョンは下座に腰を下ろす。それを見届けると、ソニェは顔を上げ、スリョンの背後にいた尚宮(サングン)〔最高位の女官〕に声を掛けた。
(チュ)尚宮」
「はい、世子嬪様」
「しばらく、この娘と二人で話したい。悪いが、人払いを頼む」
「かしこまりました」
 チュ尚宮、と呼ばれた女官が、一礼し、静々と退出していく。タン、と軽い音がして扉が閉じられ、室内が一瞬の静けさに包まれた。
「……さ、これでゆっくり話せるわ」
 ソニェは、世子嬪らしからぬ口調に言葉を崩し、スリョンに向き直る。
「今日は、何を持ってきてくれたの?」
「あ、……はい。先日お持ちしたものの続きを……」
 スリョンは、包みを捧げ持つと、ソニェの文机(ふづくえ)の前へ膝行(いざ)り寄った。手早く(ほど)いた包みから、数冊の書物を取り出し、文机に置く。
「やっと筆写が終わったので」
「まあ、ありがとう。ゆっくり読ませていただくわ」
 一番上の一冊を手に取り、最初は嬉しそうに微笑していたソニェは、ふとその表情を(かげ)らせた。
「ところで、スリョン」
「はい、世子嬪様」
「あなた、その……最近、『あの方』にお会いした?」
 手に取った書物を元通りに置きながら、ソニェが口を開く。
「えっ……あ、は、はい……その」
 ソニェが言う『あの方』を瞬時に思い浮かべたスリョンは、先刻性懲りもなくまた求婚されたのを思い出す。
「……ええ、訓錬院(フルリョヌォン)で」
「そう……」
 伏せた目の下で、ソニェは寂しげに笑った。
「あなたが、羨ましいわ」
 彼女の白い指先が、書物の表紙をそっと撫でる。
「誰憚ることなく、あの方に会えるんだから――」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

安樹鈴《アン・スリョン》(16)


(一応)主人公。性別・女。血液型・A。身長・155cm、体重43kg。

貰冊店《セチェクチョム》〔貸本屋〕を営む家の娘。趣味は読書。好奇心旺盛で、何にでも興味を示す。

いずれ、作家兼貰冊店を営んで、生涯独身で過ごすのが望み(想う人と結ばれないのが分かってるから)。

その為、武術も身に着けるべく男装して訓錬院《フルリョヌォン》に潜り込み、ずっと見取り稽古をしていた。彩雲君《チェウングン》とは、ここで出会った。以来親しくしており、彩雲君の伝で訓錬院へ堂々と出入りができるようになった。

そのまた伝で、最近は訓錬院や捕盗庁《ポドチョン》で茶母《タモ》の仕事もしている。

スリョンのほうは、彩雲君を友人としてしか見ていない。

近所に住んでいるヒョヌとは幼馴染みで、ずっと片想いしている。

柳亨雨《リュ・ヒョヌ》(19)


スリョンが想いを寄せる男性。血液型・A。身長・170cm、体重70kg。

中流両班で、近々書堂《ソダン》の講師になる。

当代世子《セジャ》・李水環《イ・スファン》(19)とは学友。揀擇《カンテク》前の下見的な、王室の交流会で出会った世子嬪《セジャビン》候補のソニェに一目惚れし、今も想い続けている。

スファンには、いずれ自分の片腕として出仕して欲しいと言われているが……。

諸仙惠《チェ・ソニェ》(17)


ヒョヌが想いを寄せる女性。血液型・O。身長・160cm、体重・50kg。

当代世子嬪。

当代王・李天環《イ・チョンファン》の王子・彩雲君に片想いしていたが、その異母兄である世子・スファンの正妃揀擇に出ることになってしまい、世子嬪に冊封されてしまう。

彩雲君《チェウングン》(18)


本名・李影環《イ・ヨンファン》。字《あざな》は埼潭《キダム》。

血液型・B。身長・165cm、体重・55kg。

当代王の第三王子。母は宋嬪《ソンビン》・全潤瑛《チョン・ユニョン》(38)。

ある時、フラリと顔を出した訓錬院で出会ったスリョンと親しくなる。最初は男だと思っていたのが少女だと分かり、やがて想いを寄せるようになる。

けれど、片想いであることも承知している。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み