第1話

文字数 3,127文字

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僕は医学部を卒業すると

しばらく大学病院で研修を受けたあと

教授の指示に従って

脳神経の難病専門病院に出向させられた。

今までは自宅の近くだったが

今度は自宅から一時間かかる。

その病院で僕が担当していた患者数は

それほど多くはなかったが

それには理由があった。

神経領域で世界に数例しかない珍しい疾患。

病名は伏せるが、

そんな疾患を抱えた患者を

担当していたからだ。

その疾患自体は死に至る病ではなかったが

たまたま数年前に癌になって

僕が赴任したころは

余命いくばくもなかった。

ナースに言われた。

「あの患者さん、もう長くはないですよ。

なんとなく鼻のあたりが尖ってきたから」

長年ナースという仕事をして

多くの難病患者を看取っていると

死期が近いことを感じるらしい。

或る日の夕方、彼は急変した。

僕はナースから連絡を受けると

すぐに集中治療室に行って

彼のバイタルサインをチェックした。

ほとんど末期的症状を呈していた。

意識はすでになく血圧が急降下しており

心電図モニターも死を示唆していた。

急いでナースに指示を出し続けた。

「昇圧剤1アンプル」

「カウンターショックの準備」

「家族をすぐに呼ぶように」

集中治療室のナースたちは優秀だ。

医者の手足の延長のように

的確に素早く仕事をこなす。

当時は、延命治療を施すことが当たり前で

たとえ一時間の延命であったとしても

延命治療をしなければならなかった。

僕は、定石通りカウンターショックをした。

電流が流れる瞬間、患者は跳ね上がる。

そのあとボキボキと肋骨の折れる音を

両手に感じながら心マッサージ。

そしてモニターを見る。

改善してない。

「昇圧剤を1アンプル追加」

そしてまた同じことを無意味に繰り返す。

そのようなことを何回か繰り返したあと

するべき儀式はしたと判断して

モニターをじっと見た。

波形はフラットのままで戻らない。

脈拍、呼吸、瞳孔を確認して

「午後九時三十二分、死亡確認」

そうぽつりと言い両手を合わせた。

すぐに家族を室内に呼び入れた。

「お気の毒ですが…」

「いいえ。先生にはほんとうに

よくしてもらってこの子も本望でしょう」

しばらくして

その患者を病理解剖室に

運んでもらってから同僚に

「ゼク(病理解剖)があるんだけど

ちょっと手伝ってもらえるかなあ」

同僚は快く引き受けてくれた。

ふたりで遺体をたんねんに切り分けていった。

たとえ珍しい病気でなくても

死後の病理解剖は

あらかじめ本人と家族との同意を

とっておくのが常識で、

病理解剖は主治医の義務だった。

病理解剖が医学の発展にどれだけ寄与したか

そしてそのおかげで

どれだけの人の命が助かったことか。

とくに今回は、

脳疾患領域では世界に数例しかない症例

だったので、脳の周辺を慎重に行った。

解剖がひととおり終えると

すでに午前零時をまわっていた。

その時だった。

解剖室にどやどやと大勢の人間が入ってきた。

彼らは大学病院や関連の研究所から来た

脳疾患関連の様々な専門医や研究者だった。

病理の専門医がまず言った。

「わたしには、

その部分を一センチ角切り取ってください」

「わたしには、ここのところを数センチ角」

僕は二十人近い専門医や研究者たちに

彼らが欲しがっている部分を

丁寧に切り分け厳かな気持ちで渡すのだった。

彼らはもらった大切な宝物を

クーラーボックスに入れて

大事そうに抱えて帰って行った。

皆が消えたあと

僕は手伝ってくれた同僚にお礼を言った。

「遅くまで申し訳ない」

「いや、お互い様だよ」

そのあとナースは手慣れた手つきで

遺体をきれいに拭いて服を着せた。

医局に行く途中に霊安室がある。

その前の長椅子には詰めかけてきた家族が

ぐったりとして座っていた。

彼らの前に行き、深々と頭を下げた


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ここからは、パソコン向けです

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僕は医学部を卒業すると、しばらく大学病院で研修を受けたあと

教授の指示に従って脳神経の難病専門病院に出向させられた。

今までは自宅近くの病院だったが今度は自宅から一時間かかる。

その病院で僕が担当していた患者数はそれほど多くはなかったが

それには理由があった。

神経領域で世界に数例しかない珍しい疾患。病名は伏せるが

そんな疾患を抱えた患者を担当していたからだ。

その疾患自体は死に至る病ではなかったが

たまたま数年前に癌になって、僕が赴任したころは余命いくばくもなかった。

ナースに言われた。

「あの患者さん、もう長くはないですよ。なんとなく鼻のあたりが尖ってきたから」

長年ナースという仕事をして多くの難病患者を看取っていると

死期が近いことを感じるらしい。

或る日の夕方、彼は急変した。

ナースから連絡を受けると、すぐに集中治療室に行って

彼のバイタルサインを見た。

ほとんど末期的症状を呈していた。

意識はすでになく血圧が急降下しており心電図モニターも

死を示唆していた。急いでナースに指示を出し続けた。

「昇圧剤1アンプル」

「カウンターショックの準備」

「家族をすぐに呼ぶように」

集中治療室のナースたちは優秀だ。医者の手足の延長のように

的確に素早く仕事をこなす。

当時は、どの患者にも延命治療を施すことが当たり前で

たとえ一時間の延命であったとしても延命治療をしなければならなかった。

僕は、定石通りカウンターショックをした。

電流が流れる瞬間、患者は跳ね上がる。

そのあとボキボキと肋骨の折れる音を両手に感じながら心マッサージ。

そしてモニターを見る。改善してない。

「昇圧剤を1アンプル追加」

そしてまた同じことを無意味に繰り返す。

そのようなことを何回か繰り返したあと、するべき儀式はしたと

判断してモニターをじっと見た。

波形はフラットのままで戻らない。脈拍、呼吸、瞳孔を確認して

「午後九時三十二分、死亡確認」

そうぽつりと言い両手を合わせた。すぐに家族を室内に呼び入れた。

「お気の毒ですが…」

「いいえ。先生にはほんとうによくしてもらってこの子も本望でしょう」

しばらくして、その患者を病理解剖室に運んでもらってから同僚に

「ゼク(病理解剖)があるんだけどちょっと手伝ってもらえるかなあ」

同僚は快く引き受けてくれた。ふたりで遺体をたんねんに切り分けていった。

たとえ珍しい病気でなくても、死後の病理解剖はあらかじめ

本人と家族との同意をとっておくのが常識で、病理解剖は主治医の義務だった。

病理解剖が医学の発展にどれだけ寄与したか、

そしてそのおかげでどれだけの人の命が助かったことか。

とくに今回は、脳疾患領域では世界に数例しかない症例だったので

脳の周辺を慎重に行った。

解剖がひととおり終えるとすでに午前零時をまわっていた。

その時だった。解剖室にどやどやと大勢の人間が入ってきた。

彼らは大学病院や関連の研究所から来た脳疾患関連の

様々な専門医や研究者だった。病理の専門医がまず言った。

「わたしには、その部分を一センチ角切り取ってください」

「わたしには、ここのところを数センチ角」

僕は二十人近い専門医や研究者たちに、彼らが欲しがっている部分を

丁寧に切り分け、厳かな気持ちで渡すのだった。

彼らはもらった大切な宝物をクーラーボックスに入れて

大事そうに抱えて帰って行った。

皆が消えたあと僕は手伝ってくれた同僚にお礼を言った。

「遅くまで申し訳ない」

「いや、お互い様だよ」

そのあとナースは手慣れた手つきで遺体をきれいに拭いて服を着せた。


医局に行く途中に霊安室がある。

その前の長椅子には詰めかけてきた家族がぐったりとして座っていた。

彼らの前に行き、深々と頭を下げた



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