Ⅰ.その男、飴色の肌とフクロウの眼光:3
文字数 3,736文字
「旦那さまのお言いつけでまいりました。こちらにいらっしゃるはずだから、お茶を差し上げるようにと」
ティータイムということだった。ハルベリーは椅子へ座り直した。セレスティーヌはてきぱきとした仕草でテーブルに準備をしたが、その態度や顔色は、玄関ホールでハルベリーを迎えたときとあまり変わっていなかった。
「セレスティーヌさん」
とはいえ、ずっと無言でいるわけにもいかず、ハルベリーは努めてほがらかに話しかけた。
「先ほどは、出迎えていただいてありがとうございました。あなたも、ここでダルザックさんに仕えていらっしゃる方ですね?」
「はい」
「お付きの方でしょうか」
「いいえ。旦那さまには、お付きでお世話をする方はいらっしゃいません。私は大抵、厨房におります。皆さまのお食事や、お茶のおしたくをしております」
「こちらには、長く?」
「さあ、長いのでしょうか。ご奉公に上がって、もうすぐ二年になります。スージーが――料理頭の女です――手が足りないと、旦那さまへご相談なさったのです。私が来る前は、あの人がひとりで厨房を回していました」
「そうですか。以前は、どちらに?」
「お屋敷から一番近い村です。ここから、歩いて三十分ほどかかります。そこで生まれ育ちました」
「では、このお屋敷にも来たことがありましたか」
「幼いころ、父や母に内緒で、何度かここで遊びました。村の子供にとってはかっこうの秘密基地でした。旦那さまがいらっしゃる前は、ただの廃墟でしたから」
セレスティーヌは淡々と答え、ハルベリーのカップに湯気の立つ紅茶をそそいだ。白のクロスが風に揺れ、セレスティーヌは尋ねた。
「窓を閉めますか?」
「ええ。夜はひえますか」
「はい。夏のあいだも、暗くなりますとひえます。霧が出ますと、特に」
セレスティーヌは窓を閉めた。閉めてからハルベリーを振り向き、ちらと見て、すぐ目を伏せた。
「では、私はこれで……」
と、その場を去ろうとしたセレスティーヌを、ハルベリーは呼び止めた。それが予想外だったのだろう、セレスティーヌは伏せた目を上げ、はじめてまともにハルベリーを見た。ハルベリーは急いで質問をさがした。
「向こうの端に、塔が見えますね」
彼は庭の景色に視線を移して言った。西からの日差しを浴び、敷地のはずれに立つ塔は、その陰影を徐々に濃く、重くしているところだった。
「あの塔は、なんのためのものでしょう。何かに使われていますか?」
「今では、あそこは使われておりません。ハルベリーさま。このお屋敷が廃墟になる以前は、当時住まわれていた方々のうち、どなたかのお部屋であったとか、あるいは裏切り者を閉じこめておく牢であったという話も私は聞いたことがありますけれど、ずいぶん昔の話ですから、確かなことは分かりません」
「では、あの塔はただあそこにあるだけで、きょうではだれもそちらに行かれないのですか」
「ええ。用がありませんから、旦那さまも行かれません。ですが崩れる心配はないそうです。ですから、打ち壊さずにああして取ってあるそうです」
「では、のぼることはできるんですね。いつでも、自由に?」
「はい。扉に鍵はかかっておりませんから。上へ行かれますと、ブラック・ウッドや、私の村を見わたせるはずです。ですが、のぼっていかれる方はめったにいらっしゃいません。マキーラさまだけは時折、行かれるようですが、なんのためかは存じません」
「マキーラ。ジェイ・マキーラですね。さっき、見かけましたよ。彼も、ダルザックさんの秘書だそうですね?」
返答がないのでハルベリーが塔から目を戻すと、セレスティーヌはもともと薄かった血色を、さらにひどくしていた。彼女は青ざめ、エプロンがしわになるほど両手できつく握っていた。ハルベリーは眉をひそめた。
「セレスティーヌさん? どうかしましたか」
セレスティーヌは我に返ったかのようにハルベリーから目をそらすと、彼の問いには答えず、尋ねた。
「マキーラさまを、ハルベリーさまは、ご存知でいらっしゃらなかったのですか」
「ええ。知りませんでしたよ。僕は、このお屋敷で、ダルザックさんがすでにもうひとりの秘書の方を使っていらっしゃったとは全然知らされずにこちらへ来ましたので、彼を見たのもさっきがはじめてです。名前さえ初耳でした。ですが、それが何か?」
「マキーラさまは……あの方は、旦那さまのお仕事は、手伝っていらっしゃらないと思います」
「でも、ダルザックさんは、彼を秘書のようなものだとおっしゃって僕に紹介しましたよ。とはいえ、僕のやる仕事にかかわることはないそうですが。秘書でなければ側近ともおっしゃっていましたが、しかしあなたはさっき、ダルザックさんにお付きで世話をする人間はいないと教えてくれましたね。となると、どういうことなのか、まだ僕にはあまりよく分かっていませんが……とにかく、マキーラという方には、はじめてお会いしました」
「マキーラさまは、ハルベリーさまのようなお仕事は、なさらないはずです」
セレスティーヌはふたたび言った。
「あの方は、ハルベリーさまの思っていらっしゃるような方ではありません。旦那さまの秘書ではありません」
セレスティーヌは、言いすぎたと思ったのか口もとを手で覆った。おどろくハルベリーへ、さらにきつく握りしめたエプロンを手早く直すと、慌てていとまを告げた。
「申し訳ございません。私、戻らなくてはなりません。テーブルは、あとで私が片づけにまいります」
セレスティーヌは頭を下げ、ハルベリーに何か言うひまも与えず、そそくさとサロンを出ていった。
ハルベリーはさめた紅茶に口をつけた。セレスティーヌのあの態度は、おそらく本来のものではない。彼女がああして陰気に振る舞うのには何かしら原因があるのだろうと、ハルベリーは腑に落ちない表情で、考えるともなく考えながらやがて椅子を立った。自室へ戻る途中、マキーラの姿は見なかった。夕食のために食堂へあらわれたのはダルザック氏のみだった。給仕はセレスティーヌがしたが、ダルザック氏との会話に忙しく、ハルベリーは彼女と言葉を交わすことはなかった。
深夜零時に近いころ、一日の疲れと興奮からか、ハルベリーは目が冴えて、いまだ着替えもせず部屋で荷物の片づけをしていた。すると、扉がノックされた。ハルベリーが返事をして腰を上げると、扉があいた。
立っていたのはマキーラだった。昼間と同じ服装で、やはり値踏みするような目つきでハルベリーを見たかと思うと、だしぬけに「どうも」と言った。ハルベリーは若干戸惑いながら、あいさつを返した。
「こんばんは。ええと――マキーラさん」
「マキーラでいい」
決めつけるようにマキーラは言った。
「俺もハルベリーと呼ぶから。それとも、ローレンと呼ばれるほうが好みなら、そっちでもいい。お前が決めていい」
「はあ。そうですか。それなら、僕もハルベリーでかまいませんが」
「じゃあ、ハルベリー。よろしく」
「はあ。マキーラ……昼間はちゃんとしたごあいさつができず、失礼しました。どうぞよろしく」
「お前は、ノエルのビジネスを手伝うと聞いている。そのために選ばれた、ビジネスとしての秘書だと」
「ええ。それは、もちろん。むしろそうでない秘書というのが、僕にはあまり想像できませんが」
「おい。そう他人行儀な話し方をするなよ。まだるっこしいのは面倒で、好きじゃない。俺とお前は、たぶん変わらない年だ。もっとくだけて話せ」
「はあ……そうですか。きみがそう言うなら、それじゃ……マキーラ。分かった。そうしよう」
「お前、ノエルに会ったのはきょうがはじめてか」
「いや。採用のための面接でも、会って話しているが……きみもそれを訊くのか」
「きみも、というのは?」
「ここへ着いたとき、最初にダロンさんと話したが、彼もきみと同じことを尋ねたよ」
「はあん。なるほど」
「ようするに、きみたちは、僕がダルザックさんと以前に会ったかどうかが、とても気になるとみえる」
「お前を見たら、そうも訊きたくなるだろうさ。だが答えを聞いて、ひとつのことがはっきりした」
「それは?」
「ノエル・ダルザックは強欲だ、ってことだよ。ハルベリー」
マキーラはかすかにほほえむと、おやすみと言って扉を閉めた。間もなく、彼が自室の扉をあける音が、廊下からハルベリーに聞こえた。
ハルベリーはまたも腑に落ちない顔で、しばし考えこむようにその場に立っていた。
なんにせよ、マキーラはつかめない男だった。ダルザック氏についても、それまでの風聞や予想にたがわず謎めいた点が多いが、つかめないという意味では、ハルベリーは、きょう自分がかかわった使用人に対してもそれと似た感覚をおぼえた。特にセレスティーヌ。なぜあれほど無愛想でしらじらしいのか。彼女の気を害するような言動を、あの玄関ホールで出迎えられた瞬間に、こちらが取っていたとでもいうのか……。
「まあ、いい」
ハルベリーはつぶやくと、マキーラの閉めていった扉の鍵を下ろした。零時の時報を、階下の広間の時計がうった。
第一日目は過ぎた。
ティータイムということだった。ハルベリーは椅子へ座り直した。セレスティーヌはてきぱきとした仕草でテーブルに準備をしたが、その態度や顔色は、玄関ホールでハルベリーを迎えたときとあまり変わっていなかった。
「セレスティーヌさん」
とはいえ、ずっと無言でいるわけにもいかず、ハルベリーは努めてほがらかに話しかけた。
「先ほどは、出迎えていただいてありがとうございました。あなたも、ここでダルザックさんに仕えていらっしゃる方ですね?」
「はい」
「お付きの方でしょうか」
「いいえ。旦那さまには、お付きでお世話をする方はいらっしゃいません。私は大抵、厨房におります。皆さまのお食事や、お茶のおしたくをしております」
「こちらには、長く?」
「さあ、長いのでしょうか。ご奉公に上がって、もうすぐ二年になります。スージーが――料理頭の女です――手が足りないと、旦那さまへご相談なさったのです。私が来る前は、あの人がひとりで厨房を回していました」
「そうですか。以前は、どちらに?」
「お屋敷から一番近い村です。ここから、歩いて三十分ほどかかります。そこで生まれ育ちました」
「では、このお屋敷にも来たことがありましたか」
「幼いころ、父や母に内緒で、何度かここで遊びました。村の子供にとってはかっこうの秘密基地でした。旦那さまがいらっしゃる前は、ただの廃墟でしたから」
セレスティーヌは淡々と答え、ハルベリーのカップに湯気の立つ紅茶をそそいだ。白のクロスが風に揺れ、セレスティーヌは尋ねた。
「窓を閉めますか?」
「ええ。夜はひえますか」
「はい。夏のあいだも、暗くなりますとひえます。霧が出ますと、特に」
セレスティーヌは窓を閉めた。閉めてからハルベリーを振り向き、ちらと見て、すぐ目を伏せた。
「では、私はこれで……」
と、その場を去ろうとしたセレスティーヌを、ハルベリーは呼び止めた。それが予想外だったのだろう、セレスティーヌは伏せた目を上げ、はじめてまともにハルベリーを見た。ハルベリーは急いで質問をさがした。
「向こうの端に、塔が見えますね」
彼は庭の景色に視線を移して言った。西からの日差しを浴び、敷地のはずれに立つ塔は、その陰影を徐々に濃く、重くしているところだった。
「あの塔は、なんのためのものでしょう。何かに使われていますか?」
「今では、あそこは使われておりません。ハルベリーさま。このお屋敷が廃墟になる以前は、当時住まわれていた方々のうち、どなたかのお部屋であったとか、あるいは裏切り者を閉じこめておく牢であったという話も私は聞いたことがありますけれど、ずいぶん昔の話ですから、確かなことは分かりません」
「では、あの塔はただあそこにあるだけで、きょうではだれもそちらに行かれないのですか」
「ええ。用がありませんから、旦那さまも行かれません。ですが崩れる心配はないそうです。ですから、打ち壊さずにああして取ってあるそうです」
「では、のぼることはできるんですね。いつでも、自由に?」
「はい。扉に鍵はかかっておりませんから。上へ行かれますと、ブラック・ウッドや、私の村を見わたせるはずです。ですが、のぼっていかれる方はめったにいらっしゃいません。マキーラさまだけは時折、行かれるようですが、なんのためかは存じません」
「マキーラ。ジェイ・マキーラですね。さっき、見かけましたよ。彼も、ダルザックさんの秘書だそうですね?」
返答がないのでハルベリーが塔から目を戻すと、セレスティーヌはもともと薄かった血色を、さらにひどくしていた。彼女は青ざめ、エプロンがしわになるほど両手できつく握っていた。ハルベリーは眉をひそめた。
「セレスティーヌさん? どうかしましたか」
セレスティーヌは我に返ったかのようにハルベリーから目をそらすと、彼の問いには答えず、尋ねた。
「マキーラさまを、ハルベリーさまは、ご存知でいらっしゃらなかったのですか」
「ええ。知りませんでしたよ。僕は、このお屋敷で、ダルザックさんがすでにもうひとりの秘書の方を使っていらっしゃったとは全然知らされずにこちらへ来ましたので、彼を見たのもさっきがはじめてです。名前さえ初耳でした。ですが、それが何か?」
「マキーラさまは……あの方は、旦那さまのお仕事は、手伝っていらっしゃらないと思います」
「でも、ダルザックさんは、彼を秘書のようなものだとおっしゃって僕に紹介しましたよ。とはいえ、僕のやる仕事にかかわることはないそうですが。秘書でなければ側近ともおっしゃっていましたが、しかしあなたはさっき、ダルザックさんにお付きで世話をする人間はいないと教えてくれましたね。となると、どういうことなのか、まだ僕にはあまりよく分かっていませんが……とにかく、マキーラという方には、はじめてお会いしました」
「マキーラさまは、ハルベリーさまのようなお仕事は、なさらないはずです」
セレスティーヌはふたたび言った。
「あの方は、ハルベリーさまの思っていらっしゃるような方ではありません。旦那さまの秘書ではありません」
セレスティーヌは、言いすぎたと思ったのか口もとを手で覆った。おどろくハルベリーへ、さらにきつく握りしめたエプロンを手早く直すと、慌てていとまを告げた。
「申し訳ございません。私、戻らなくてはなりません。テーブルは、あとで私が片づけにまいります」
セレスティーヌは頭を下げ、ハルベリーに何か言うひまも与えず、そそくさとサロンを出ていった。
ハルベリーはさめた紅茶に口をつけた。セレスティーヌのあの態度は、おそらく本来のものではない。彼女がああして陰気に振る舞うのには何かしら原因があるのだろうと、ハルベリーは腑に落ちない表情で、考えるともなく考えながらやがて椅子を立った。自室へ戻る途中、マキーラの姿は見なかった。夕食のために食堂へあらわれたのはダルザック氏のみだった。給仕はセレスティーヌがしたが、ダルザック氏との会話に忙しく、ハルベリーは彼女と言葉を交わすことはなかった。
深夜零時に近いころ、一日の疲れと興奮からか、ハルベリーは目が冴えて、いまだ着替えもせず部屋で荷物の片づけをしていた。すると、扉がノックされた。ハルベリーが返事をして腰を上げると、扉があいた。
立っていたのはマキーラだった。昼間と同じ服装で、やはり値踏みするような目つきでハルベリーを見たかと思うと、だしぬけに「どうも」と言った。ハルベリーは若干戸惑いながら、あいさつを返した。
「こんばんは。ええと――マキーラさん」
「マキーラでいい」
決めつけるようにマキーラは言った。
「俺もハルベリーと呼ぶから。それとも、ローレンと呼ばれるほうが好みなら、そっちでもいい。お前が決めていい」
「はあ。そうですか。それなら、僕もハルベリーでかまいませんが」
「じゃあ、ハルベリー。よろしく」
「はあ。マキーラ……昼間はちゃんとしたごあいさつができず、失礼しました。どうぞよろしく」
「お前は、ノエルのビジネスを手伝うと聞いている。そのために選ばれた、ビジネスとしての秘書だと」
「ええ。それは、もちろん。むしろそうでない秘書というのが、僕にはあまり想像できませんが」
「おい。そう他人行儀な話し方をするなよ。まだるっこしいのは面倒で、好きじゃない。俺とお前は、たぶん変わらない年だ。もっとくだけて話せ」
「はあ……そうですか。きみがそう言うなら、それじゃ……マキーラ。分かった。そうしよう」
「お前、ノエルに会ったのはきょうがはじめてか」
「いや。採用のための面接でも、会って話しているが……きみもそれを訊くのか」
「きみも、というのは?」
「ここへ着いたとき、最初にダロンさんと話したが、彼もきみと同じことを尋ねたよ」
「はあん。なるほど」
「ようするに、きみたちは、僕がダルザックさんと以前に会ったかどうかが、とても気になるとみえる」
「お前を見たら、そうも訊きたくなるだろうさ。だが答えを聞いて、ひとつのことがはっきりした」
「それは?」
「ノエル・ダルザックは強欲だ、ってことだよ。ハルベリー」
マキーラはかすかにほほえむと、おやすみと言って扉を閉めた。間もなく、彼が自室の扉をあける音が、廊下からハルベリーに聞こえた。
ハルベリーはまたも腑に落ちない顔で、しばし考えこむようにその場に立っていた。
なんにせよ、マキーラはつかめない男だった。ダルザック氏についても、それまでの風聞や予想にたがわず謎めいた点が多いが、つかめないという意味では、ハルベリーは、きょう自分がかかわった使用人に対してもそれと似た感覚をおぼえた。特にセレスティーヌ。なぜあれほど無愛想でしらじらしいのか。彼女の気を害するような言動を、あの玄関ホールで出迎えられた瞬間に、こちらが取っていたとでもいうのか……。
「まあ、いい」
ハルベリーはつぶやくと、マキーラの閉めていった扉の鍵を下ろした。零時の時報を、階下の広間の時計がうった。
第一日目は過ぎた。