母に恋愛相談してしまいました

文字数 3,598文字

 翌日。
 早く千絵さんに会いたくて逸る心を必死に抑えながら出勤してみると、千絵さんは一日休みだということが分かって愕然とした。
 悶々と一日の勤務を終え、終業後も電話をしてまで相談していいかが分からず、自分では応用することはできないと分かっていながらも、ファッション雑誌を購入してから帰宅した。
 夕飯を食べて、自分の部屋に戻ってから雑誌を睨みつけてみたが、よく考えると明日も一日仕事なのだから買いに行く時間はない。
 そう思うとますます焦ってきてしまい、落ち着かなくて冷蔵庫に飲み物を取りに行った。キッチンでお茶をコップに注いで、普段はやらないのにその場でゴクゴクと飲んでしまう。コップ一杯を一気に飲み干し、はあっと大きな溜息を零した時、母がキッチンに入って来た。

「琴音、こんな所でどうしたの?」
「わぁっ! あ、お母さん……」
「何か困ってるの?」
「え……?」

 母は昨日ほど心配そうな顔はせずに、父が飲んでいたであろうビールのグラスやおつまみのお皿を片付け始めた。どうして分かったのだろうかと疑問に思い、首を傾げると、それを見た母はふふっと笑った。

「琴音は分かりやすいからね。ほら、お母さんに言ってみなさい」
「えええ⁉ 私、分かりやすいの?」

 それは初耳のような……。
 いや、待って。
 千絵さんにも翔太くんにも、何より黒崎さんにも見透かされたように感じることがあるのは、気のせいじゃないってこと……?
 いやっ! 恥ずかし過ぎる!

「そこも琴音のいい所よ」
「そそそ、そんなわけないよっ! ああああ、穴が有ったら入りたい……!」
「そんなことはいいから、早く話さないと遅くなっちゃうわよ」

 そ、そんなこと⁉ いいからって……よくないんじゃ。
 でも、確かに母なら服のことも分かるかもしれない。母に相談するしか、もう私に選択肢はない。恥ずかしいけど……。

 母に恋愛相談するなんて、人生初でドキドキしてきて、顔まで熱くなってきてしまった。冷静に。そうだ、黒崎さんのことは言わなくても服のコーディネートの相談ってことにすればいいんだ。

「あ、あのね、えっと、例えばお出かけをするとして、かわいい服ってどんなのがいいと思う? 私が今持ってるもので、何かコーディネートできるかな?」
「あらっ。デートね。それは張り切って決めないと!」
「ちちち、違うからっ! デートじゃなくて、同行!」
「え?」

 ああっ! でも、デートなんだっけ? もうヤダっ、ややこしい!

「はいはい、琴音はなんだかあれこれ考えてるみたいだけど、追々頭の中を整理しなさいね。とにかく琴音の部屋でいろいろ出してみましょう」

 そう言って、母は私の背中を押して歩き始めた。私は頭を抱えながら促されるままに歩き始めたが、『頭を整理しなさい』という言葉が胸に刺さった。
 確かにデートだの同行だのに拘って一喜一憂していては前に進めない。
 私、黒崎さんのために変わるんだって決意した筈なのに。大事なことを忘れてた。翔太くんにも言われたじゃないか。

『友達以上の関係になることを期待している』

 あの時は恥ずかしくて否定していたけど、変わりたいと思ったということは要するにそれを望んでいるということだ。今は言葉の定義なんて考えず、黒崎さんと水族館に行くことだけを考えればいいんだ。
 友達でもないし、ましてや恋人でもない。唯の書店員とお客さん。若しくは知り合い。
 そんな程度の関係かもしれない。でも、私の片想いの相手であることは間違いないのだから。緊張するし、これからどう変化していくのか分からない。
 そもそも、黒崎さんはどうして私を誘ってくれるんだろう。映画の後のカフェでした本の話が少しは盛り上がったからだろうか。
 それは黒崎さんにしか分からないんだから、考えても無駄なことかもしれない。

「琴音、何を難しい顔してるの?」

 母の声にハッと我に返り、視線を上げると、いつの間にか私の部屋の前に到着していた。無意識でも階段を昇ることが出来るのかと我ながら驚いたものの、母に部屋へ入ってもらい、クローゼットの前に来てもらった。

「それで、何処に出掛けるの?」
「へ?」
「何処に行くかによっても、どんな服装がいいのか変わってくるわよ?」
「そっか、そうだよね……えっと、水族館に、行くの」

 確かに、翔太くんと遊園地に行った時にはパンツスタイルを自分で選んでいた。前回の映画は座っているだけだからワンピース。
 あれ、と気付く。私、黒崎さんと出掛けるとなると頭が真っ白になって、どんな格好をしてもかわいいとは思ってもらえない気がして不安だけど、翔太くんの時は自分でサッと決めている。

 これは、翔太くんとは仕事でよく会っているから、気を使わなくてもいいという油断があるから?
 それとも、黒崎さんが特別だから?

 翔太くんに触れられた時もドキドキしたけど、黒崎さんに触れられた時は、もう息が止まるかと思うほど心臓が痛くなった。

 黒崎さんも翔太くんも男性だけど、私の中での反応は似ているようで、違うの?

「水族館ね。いいわね、私もお父さんとよく行ったわ。手なんて繋いじゃったりして」
「てて、手⁉ ダメ、無理!」

 死んじゃう!

「あら、デートと言えば、手を繋ぐでしょう?」

 確かに翔太くんもそう言って、ずっと手を繋いでいたけど……。

「でも、黒崎さんとはそういう関係じゃないから……」
「黒崎さんっておっしゃるのね」
「うわぁっ、違うの!」
「お幾つの方?」
「違うってば!」

 どんどん墓穴を掘っている気がする!!

「琴音をデートに連れ出せるんだから、きっと積極的な方なのね。余裕がある人じゃないと、貴女みたいな引っ込み思案の子を連れ回せないものね」
「連れ回されてなんかないよ! まだ、映画しか行ってないもん」
「あら、前回は映画だったのね。今度、ゆっくり話を聞かせてね。ほら、選ぶわよ!」
「ああああ、もうっ!」

 母の尋問ひっかけには引っかかりたくないのにっ。どうして、どんどん白状させられてるの⁉
 私って、やっぱりチョロいんだ……。

 恥ずかしくて、悔しくて、落ち込んで。そんな気持ちが渦巻く私の心なんて、それこそお見通しなのだろうけど。

 この後、母はテキパキと私のクローゼットから服を出して、私に合わせながらコーディネートを考えていてくれた。そうして、なんとか母が笑顔で頷けるくらいのコーディネートが決まり、私の不安が一つ解消された。
 私にはその良し悪しは分からないけど、母のOKが出るくらいのものなら大丈夫だろう。残すは心の準備だ。こればかりは、落ち着かせる方法が分からない。

「お母さん、ありがとう……あ、あのね、心の準備ってどうしたらできるかな?」
「心の準備か。そうねぇ。琴音は緊張してるんでしょう?」
「それはっ、緊張するよ! だって、男の人と二人で出掛けるなんて、これまでしたことがないもん。ましてや、好きな人となんて……」
「青春ねぇ!」
「せせ、青春⁉ やだ、やめてよ。そんなんじゃないからっ」
「いいじゃない。好きな人と出掛けられるなんて、ドキドキして当たり前なんだし、それがいいんじゃない! 心の準備なんて、特別何もしなくていいのよ。かわいくして、会うのを心待ちにして。そのドキドキを楽しめばいいの」
「楽しめないよ! 眠れないくらい緊張しちゃってるし……」
「大丈夫。琴音の肌は綺麗だから、多少寝不足でも」
「……そういう問題?」
「まあ、万全の体調で会えれば、それが一番だけど。好きな人と会うのに緊張するのは皆同じ。男性も女性も、何歳の人だって、同じなのよ。そのドキドキがすごいってことは、それだけその人のことが好きということでしょう?」
「だ、男性でも……何歳でも……?」
「そうよ、だから琴音だけがダメなんじゃないの。大丈夫、琴音が好きになった人はきっと優しい人なんでしょう? どんな琴音でも、きっと受け止めてくれるんじゃないかしら」

 黒崎さんは、どんな私でも受け止めてくれるのかな……?
 黒崎さんはとっても優しい人だと思う。私が話すのを待ってくれるし、絶対に馬鹿にしたりしないのも分かってる。

 ……クスッとは笑われるけど。

 それは嫌な気分になるものではないし、恥ずかしいけど、黒崎さんの笑顔が見られるのは嬉しい。

「琴音、その人が好きだっていうその気持ち、大事にしなさい。琴音は琴音らしくいればいいのよ。じゃあ、お母さんはもう行くわね。琴音も早めに寝なさいね」
「あ、うん。ありがとう」

 そう言って、母は最後にとびっきりの優しい笑顔を見せて、部屋から出て行った。パタンとドアが閉まると、途端に静かな空間が出来上がる。早鐘を打つように鳴る心臓は、二日後に迫ったその日を心待ちにしているのだろうか。
 嫌な緊張ではなく、行きたくないのではなく。落ち着かない気持ちは、それだけ黒崎さんを好きな証拠。
 この気持ち、大事にしたい……。
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