第1話
文字数 8,229文字
恋かもしれない…
私はふと考える。
いや、
違うかもしれない…
私は考える。
私、高見ちづる…
33歳…
もう、決して、若くはない…
会社で、いえば、中堅の部類に入ったといえば、いいのだろうか?
だが、その中堅の部類に入った当人は、まだ心の中では、新人同様…
こと、恋愛に関しては、明らかに、新人…
いや、バリバリの新人そのものだ…
誰にも言っていないが、この歳まで、恋愛経験ゼロ…
皆無…
まともに、恋愛をしたことが一度もない…
自分で、言うのも、なんだが、学生時代は、男のコに、モテた…
モテモテだった…
私は、ちょうど、女優で、いえば、常盤貴子を小柄にしたような美人…
ただし、明るく、楽しく、おしゃべりをする、テレビで見る、常盤貴子との違いは、私が無口であること…
そして、小柄であるということだ…
常盤貴子は、身長が162㎝と言われているが、私、高見ちづるは、155㎝…
全体的に明るく活発な印象の常盤貴子に比べて、しっとりと落ち着いた印象と、他人に言われる…
それゆえ、他人から、過去に付き合った男性に聞かれることは、あまりない…
自分でいうのも、なんだが、美人だが、話しかけづらい印象があるらしい…
ゆえに、私に面と向かって、これまで、高見さんは、どんな男と付き合ってきたのと、言われた経験は驚くほど少ない…
あるいは、美人ゆえに、お高くとまっていると、周囲の人間は思うのかもしれない…
それゆえ、面と向かって、聞いて来ないだけかもしれない…
この歳まで、恋愛経験ゼロの理由は、色々思い当たることが、自分でもある。
出会いが少ない…
周囲にいい男がいない…
理想が高過ぎる…
これが、誰もが、思い当たる、恋愛経験がゼロの理由…
しかし、私に言わせれば、私が恋愛しない最大の理由は、心が動かないからだ…
要するに、食指が動かない…
食べ物に例えれば、見ただけで、どんな食べ物か、食べたいとは思わない…
だから、恋愛偏差値ゼロ…
だが、この歳になって、思うのは、そもそも、私が他人に興味が湧かない冷たい人間であることが原因なのではと、考えるようになった…
思えば、私は子供の頃から、なんでもひとりでやった…
学校の成績もそこそこ良く、塾や予備校に行くわけでもなく、大学に進学…
苦労した覚えはない…
人間関係も円滑とまでは、いわないが、やはり、そこまで、苦労した経験はない…
要するに、33歳の今まで、苦労と言う苦労をしたことが、ない…
これが原因かもしれない…
勉強でも仕事でも、壁にぶち当たれば、誰かが、手を差し伸べたり、誰かに、頼ったりすることで、他人に興味が湧くというか、他人(ひと)のありがたみがわかるようになる…
私の場合、これもなかった…
ごく平凡な会社で、平凡な仕事に携わる毎日…
やりがいとかはないけれど、言われたことを、確実にこなす毎日…
平凡だが、退屈な日々…
しかし、それも、感謝しなければいけないと思う毎日…
私の同世代の人間は、就職に苦労したり、いい大学を出ても、入った会社はブラック企業だったり、そんな人間は、ありふれていた…
だから、平凡だが、ありふれた毎日を過ごせることほど、ありがたいことはない…
そう思うようになり、また、そもそも、そう考える思考形態の人間だった…
他人(ひと)がどう思うか、わからないが、私には、生まれつき上昇志向がなかった…
これは、女に生まれたからかもしれない…
男に生まれれば、いい会社に入ったり、出世を目指したりしたかもしれない…
いや、そもそも、私が男に生まれても、上昇志向はなかったに違いない…
元々、子供の頃から、できない夢は見ない子供だった…
高見さんは、キレイだから、将来、芸能人になって、女優さんを目指せばと、冗談で、私の容姿を褒めてくれる大人がいたが、それは、冗談であることは、子供心にも、わかっていた…
容姿が優れている、いないにかかわらず、何万、あるいは、何十万の競争を潜り抜けて、女優になど、なれるわけがない…
現実に、私と同じくらい、あるいは、私以上の美人を街で歩けば、見かけることは、ある…
そのひとたちが、どんな職業に就いているかわからないが、テレビで見たことがない限り、女優ではないということだけはわかる(笑)…
つまり、いかに容姿が優れていても、その程度のことだということだ…
そして、私には、身近に、私とよく似た容姿を持った叔母がいた…
その叔母の若い頃の写真を見ると、私に良く似た、同じように、小柄な美人…
しかしながら、当然、叔母も女優などではなく、一般人…
若い頃は、その容姿を生かして、女優を夢見たという話も聞かない…
ただ、叔母が、高卒で、大手百貨店を受けたとき、
「…アナタは、レジ打ちをしますか?…」
と、面接で問われ、
「…私は、レジ打ちは嫌です…」
と、答えたのは、今で言えば、武勇伝の類い(笑)…
要するに、若くて、ルックスに自信があり、なお且つ、世間知らずだから、言ってしまった本音…
叔母が若い頃は、スーパーでは、若い女は、一階の食品売り場で、レジ打ち…
しかし、歳を重ねるごとに、同じレジ打ちでも、2階、3階と、階が上がる。
つまり、ひとの目に触れにくい場所に配置される。
どんな美人でも、若くなければ、ダメ…
要するに、誰もが利用する、1階の食品売り場は、若い女のコがいい…
実際、その方が、活気があるというか…
当時のスーパーの常識だったそうだ…
話を百貨店に戻す。
百貨店は当然のことながら、接客が中心…
外商や、店舗の内部で、一般の顧客の目に触れない部分の仕事は当然、ある。
しかし、18歳の高校の卒業を控えた女のコに、そんな、仕事の話はわからない(笑)…
ただ、百貨店でもレジ打ちはあることは、わかるが、まさか、高校を卒業する自分が、
「…レジ打ちはどうですか?…」
と、面接で聞かれるとは、思わなかったというのが、真相だろう…
ゆえに、正直に、
「…嫌です…」
と、答えただけだろう。
誰だって、百貨店に採用されて、レジ打ちをするとは、思ってもみない時代だった…
それに、まだ世間知らずの子供だから、面接で、
「…嫌です…」
と、正直に答えに決まっている。
だが、叔母は美人だから、採用された。
実際、企業の試験日に、叔母たち学生を引率した、高校の教師も、
叔母が、
「…私、受かる自信がない…」
と、ポツリと漏らすと、
「…大丈夫、アナタが受からなければ、誰も受かりませんよ…」
と、元気づけたと言う。
その引率の教師は若い男性だったということだから、今の時代なら、一歩間違えば、叔母を口説いていると、見られる危険もある(笑)…
だが、すでに言ったように、叔母は美人だから、採用された。
なにより、面接官は、全員男性…
自分の娘でもない限り、男なら、美人を選ぶに決まっている(笑)…
そんな叔母も、結婚相手は、高校の同級生だった…
叔母が言うには、百貨店でも、自分の職場には、若い男がいなかったとのこと…
要するに、出会いがない…
叔母の結婚相手の男性も、職場に若い女がいない…
だから、高校時代の交際が、結婚へと結びついた…
これが、男女とも、職場に大勢の同世代の若い異性がいれば、話は異なる…
叔母は美人だから、大勢の若い男のコに声をかけられるのは、火を見るより明らか…
それになにより、学生時代と違って、会社に入れば、価値観が変わる…
高校時代は極端に言えば、ルックスが良かったり、勉強やスポーツができるのが、目立つ要素だったが、それが仕事に代わる。
なにより、自分もまた歳を取り、職場の人間を見るにつけ、自分もまた変わってくる。
極端に言えば、結婚相手として、どうなのか?ということだ…
いくら、イケメンでも、あっちの女、こっちの女と手を出し続ける噂が周囲に出回ってる男と、付き合うつもりはない…
出世すると、周囲から見られてる男も、極端に威張っていたり、一目見て、人間的に問題を持ってる男は御免だ…
その他、高校時代には、考えてもなかった視点で、男を見るということになる。
要するに、視点が異なるというか、物事を見る目が、違ってきたということだろう。
叔母の場合は、そうやって結婚したが、私の場合は、違った。
学生時代、付き合った男はいないし、今の会社でも、付き合っている男はいない…
そもそも、私の勤務する、会社に、若い男は数えるほど…
会社自体、営業所は、十数か所あるが、そこに配属される人間は、二十人に満たない…
当然、二十人に満たないといっても、その全員が、若い男でも、若い女でもない…
オジサンと、若い男、そして、若い女…
それに挟まれるが如く、私のような、33歳の中年に差し掛かった女がいる。
ゆえに、その中で、結婚相手を見つけるとなると、至難のワザ…
不可能といっていい…
なにしろ、今現在で、私より、若い男は、二十代は3人だけ…
これでは、到底結婚などできない…
これは、十年前の入社時も同じ…
就職氷河期で、なんとか、就職はできて、ホッとしたが、いざ、配属されてみると、極端に若い男が少ない現実に気付いた。
これでは、結婚できない…
同期の女のコの中には、悲観する同僚も、いるにはいたが、やはり、結婚相手を求めて、他の会社に転職するリスクは、なかなか冒せなかった…
就職氷河期で、やっと就職できた安堵感に勝るものはない…
なにより、いざ転職しようにも、就職氷河期だから、当然、転職市場もまた、凍っていた…
会社を辞めるのは、簡単だが、雇ってくれる会社が、そうやすやすと見つかるとも思えない。
簡単に見つかる会社は、ブラック企業で、仮に10人採用しても、半年、一年後に、何人残るかの会社だ。
それを除けば、派遣か、契約社員、あるいは、バイトと相場が決まっている。
同期の女のコの中には、それでも、やはり、数年して、辞めて行く者もいた。
結婚もそうだし、結婚に限らず、仕事が合わなかったり、ひとそれぞれだろう…
退職理由は、やりたいことが見つかったとか、一応、上司には伝えるが、それが、本当のことかは、当人しかわからない…
普通に考えれば、それほど親しくない上司に、本当のことを言うとは、到底思えない…
当の上司もまた、自分の上司、あるいは、人事に報告する上で、なんらかの理由が必要…
なにもないのに、辞めたいとは、言えない(笑)…
ウソでもいいから、理由があればいい…
要するに体面を保てばいいだけだ…
そうこうするうちに、辞めた同期は、いるにはいたが、やはり、絶対数が少なかった…
これは、いわゆる就職氷河期で、やっと就職ができたと、安堵する同期が大半だったからだ…
それと、会社自体も、決して大手ではないは、そこそこ大きく、安定している現実があった…
つまり、今の会社を飛び出して、それ以上の会社に行ける確率が低い現実がある。
そして、転職市場が、動き出した、ここ数年になると、同期もまた歳を取り、転職する勇気がなくなる現実もあった。
まだ二十代では、あまり自分の能力も考えず、無謀な行動を取るが、三十にもなると、少しは自分の能力が冷静に見えてくる。
同時に、臆病になる。
まだ二十代では、考えもしなかった現実…
例えば、
転職した会社の社風や風土というと大げさだが、具体的には、仕事の内容や、人間関係が、自分に馴染めるか、どうか、考える。
これは、経験しないとわからない現実だからだ…
その上で、給与がある。
当初、提示された金額を、くれない会社が多い現実もある。
話半分といえば、大げさだが、約束を守らない会社も多い現実がある。
このような、さまざまな現実が、重なって、私、高見ちづるは転職を思いとどまった。
また、同期の男の中には、すでに結婚して、家庭を持った身なので、おいそれと転職できない現実を持つ者もあった…
葉するに、現実は、ドラマや映画よりも重く、動けなかっただけだ…
「…高見さん…」
会社で、上司の亀沢に呼ばれた。
「…ハイ…なんですか、課長…」
私は席を立ち、課長の亀沢の元へ、向かう。
「…実は、中村君が、先日、取引先のお偉いさんを怒らせちゃって…」
亀沢が小声で、私に囁くように言う。
「…中村君が?…」
「…そう…」
言いながら、亀沢と私の視線が、中村君に走った。
中村君は、今年、大学を卒業して入社したばかりの新人…
大学は人並み以上のレベルの大学を出ているが、気が利かないというか…
相手の心が読めない…
要するに、相手がなにを求めているか、わからないから、平気で、相手を怒らせることをする…
さもありなん…
私も、納得する。
「…で、課長…私になにを?…」
「…実は、中村君が怒らせちゃった相手というのが、溝口さんでね…」
「…溝口さん…?…」
ここまで、聞いただけで、課長の亀沢がなにを言わんとするか、わかった…
「…溝口さんは、高見さんのファンだろ? …だから、高見さんが、中村君を連れて、お詫びに菓子折りでも、持って行けば、機嫌が直ると思うんだ…」
亀沢が言う。
溝口というのは、取引先の部長…
私も何度か会ったことがある…
好色というわけではないが、面食いなのだろう…
私が、溝口と会うと、いつも、嬉しそうに私を見る。
決して、嫌いな男ではないが、やはり、あまりにも、顔で、女を選んでいるのがバレバレだと、いい気はしない…
その歳で、女を選ぶ基準が、顔だけなの?と、問い詰めたくなる(笑)…
まして、肩書が部長…
よく出世できたものだと嫌味の一つも言いたくなる(笑)…
「…わかりました…」
私が答えると、亀沢が、
「…ありがとう…高見さん…恩に着るよ…」
と、私の耳元で囁いた。
「…このお礼は、また今度…」
亀沢が言う。
しかしながら、私は亀沢の言葉を最後まで聞いてなかった。
亀沢が、お礼をするといっても、せいぜい缶コーヒーをおごるくらい…
恐妻家の亀沢は、奥さんに、財布のひもをしっかり握られていると評判だ(笑)…
「…で、課長…いつ、溝口部長の元へ伺えば…」
「…先方に確認したところ、今日の午後ならば、溝口さんも、会社にいるらしい…だから、その時間に中村君を連れて…」
「…わかりました…」
私は答える。
それからすぐに、私は、中村君の元へ行った。
「…中村君…」
「…ハイ…なんですか?…」
「…今日の午後だけど、いっしょに、出掛けましょう…」
「…出掛けるって、どこへ、ですか?…」
「…溝口さんのところよ…」
「…溝口さんの…」
「…そうよ…この前、溝口さんを怒らせたでしょ?…」
私の言葉に、中村君が、バツの悪そうな表情になった。
「…この前…溝口部長と話していたときに、スマホが鳴って、それで、急いで、切ろうとしたときに、うまく行かなくて、オタオタしてると、途端に機嫌が悪くなっちゃって…」
「…それだけ?…」
「…いえ、その前にも似たようなことが何度か…」
中村君が告白する。
誰もが、一度の失敗で、機嫌が悪くなるとうことはありえない…
機嫌が悪くなるということは、それまで、同じような失態を何度も重ねているからだ…
「…わかったわ…早速、午後一番に謝りに行きましょう…」
私は言った。
その言葉通り、早めに昼食を取り、社用車に乗って、溝口部長の元へ、向かう。
運転は、中村君がした。
「…嫌だな…」
ポツリと、中村君が漏らす。
「…誰だって、謝るのは、嫌よ…」
「…それは、そうだけど…」
中村君は子供が、駄々をこねるように、言う。
「…でも、高見さんが、いっしょに来てくれて、良かった…」
「…どういう意味?…」
「…だって、高見さん、美人だから、溝口部長も、高見さんのファンなんでしょ? だから、亀沢課長も…」
「…」
私は無言だった。
実際、中村君の言う通りだったからだ。
「…高見さんは、どうして結婚しないんですか?…」
ストレートに中村君が訊いた。
私が、
「…」
と、黙っていると、
「…身近にいい男がいないからでしょ?…」
と、核心を突く。
「…会社にも、取引先にも、いい男は皆無…誰もいない…高見さんが、結婚しない理由は俺にもわかりますよ…」
わかりきったことを言う。
「…俺も、同期の男も女も同じですよ…理想が高いとか、世間のひとはいうけど、そう簡単に結婚して、すぐに離婚は…」
中村君が言う。
「…誰だって離婚は嫌よ…離婚を前提で、結婚する人間はいないでしょ…」
それを言うと、中村君は押し黙った。
取引先の溝口部長は、在席していた。
事前に、亀沢が探りを入れていたので、当然だった。
私と中村君が、来社したことがわかると、すぐに溝口部長が対応した。
「…部長、お久しぶりです…」
「…ああ…高見さん…久しぶり…相変わらず、キレイだね…」
「…ありがとうございます…」
私は言って、深々とお辞儀をした。
「…今回は、うちの中村が、色々ご迷惑をかけして、申し訳ありません…今日は、中村共々、溝口部長に…」
「…ああ…そんなことは、どうでもいいんだ…」
「…どうでもいい?…」
「…ああ…中村君もご苦労だった…」
私は隣の席に座った中村君を見た。
中村君は、バツの悪そうな顔をして、私を見る。
「…実は、高見さんに頼みたいことがあって…」
溝口部長が切り出した。
「…私に頼みたいこと…ですか?…」
言いながら、中村君と、溝口部長の顔を交互に見た。
同時に、自分がハメられたことに気付いた。
「…ホントならば、高見さんに、直接頼めば、いいんだが、用事もないのに、高見さんの会社にボクが行くのも、ちょっと…それで、どうしていいか悩んでいたところで、中村君に頼んで、一芝居打ってもらったところなんだ…」
…そういう事か?…
…だが、私に頼みたいことって一体?…
私が怪訝な顔で、溝口部長を見ると、
「…実は、高見さんに頼みたいことと言うのは、ボクのプライベートのことなんだ?…」
「…プライベートですか?…」
「…そうだ…実は、知人から、女性の紹介を頼まれてね…」
「…女性の紹介?…」
「…といっても、変な話じゃないんだ…要するにお見合いだよ…先方が、身元がしっかして、容姿もそれなりの、お嬢さんを希望されて…」
「…容姿もそれなりの…」
「…いや…言葉が間違った…美人で、身元のしっかりしたお嬢さんと言ったら、高見さんしか、思い浮かばなくて…」
私は驚いたが、考えてみると、さっき、ここに来るまでの間に、中村君が、私に結婚のことを何度も聞いてきたので、察するべきだった。
「…頼まれてくれないか?…」
溝口部長が、頭を下げた。
「…お断りします…」
私は告げた。
それまで、ザワザワと騒いでいた部屋が、一瞬にして、静まり返った…
私はふと考える。
いや、
違うかもしれない…
私は考える。
私、高見ちづる…
33歳…
もう、決して、若くはない…
会社で、いえば、中堅の部類に入ったといえば、いいのだろうか?
だが、その中堅の部類に入った当人は、まだ心の中では、新人同様…
こと、恋愛に関しては、明らかに、新人…
いや、バリバリの新人そのものだ…
誰にも言っていないが、この歳まで、恋愛経験ゼロ…
皆無…
まともに、恋愛をしたことが一度もない…
自分で、言うのも、なんだが、学生時代は、男のコに、モテた…
モテモテだった…
私は、ちょうど、女優で、いえば、常盤貴子を小柄にしたような美人…
ただし、明るく、楽しく、おしゃべりをする、テレビで見る、常盤貴子との違いは、私が無口であること…
そして、小柄であるということだ…
常盤貴子は、身長が162㎝と言われているが、私、高見ちづるは、155㎝…
全体的に明るく活発な印象の常盤貴子に比べて、しっとりと落ち着いた印象と、他人に言われる…
それゆえ、他人から、過去に付き合った男性に聞かれることは、あまりない…
自分でいうのも、なんだが、美人だが、話しかけづらい印象があるらしい…
ゆえに、私に面と向かって、これまで、高見さんは、どんな男と付き合ってきたのと、言われた経験は驚くほど少ない…
あるいは、美人ゆえに、お高くとまっていると、周囲の人間は思うのかもしれない…
それゆえ、面と向かって、聞いて来ないだけかもしれない…
この歳まで、恋愛経験ゼロの理由は、色々思い当たることが、自分でもある。
出会いが少ない…
周囲にいい男がいない…
理想が高過ぎる…
これが、誰もが、思い当たる、恋愛経験がゼロの理由…
しかし、私に言わせれば、私が恋愛しない最大の理由は、心が動かないからだ…
要するに、食指が動かない…
食べ物に例えれば、見ただけで、どんな食べ物か、食べたいとは思わない…
だから、恋愛偏差値ゼロ…
だが、この歳になって、思うのは、そもそも、私が他人に興味が湧かない冷たい人間であることが原因なのではと、考えるようになった…
思えば、私は子供の頃から、なんでもひとりでやった…
学校の成績もそこそこ良く、塾や予備校に行くわけでもなく、大学に進学…
苦労した覚えはない…
人間関係も円滑とまでは、いわないが、やはり、そこまで、苦労した経験はない…
要するに、33歳の今まで、苦労と言う苦労をしたことが、ない…
これが原因かもしれない…
勉強でも仕事でも、壁にぶち当たれば、誰かが、手を差し伸べたり、誰かに、頼ったりすることで、他人に興味が湧くというか、他人(ひと)のありがたみがわかるようになる…
私の場合、これもなかった…
ごく平凡な会社で、平凡な仕事に携わる毎日…
やりがいとかはないけれど、言われたことを、確実にこなす毎日…
平凡だが、退屈な日々…
しかし、それも、感謝しなければいけないと思う毎日…
私の同世代の人間は、就職に苦労したり、いい大学を出ても、入った会社はブラック企業だったり、そんな人間は、ありふれていた…
だから、平凡だが、ありふれた毎日を過ごせることほど、ありがたいことはない…
そう思うようになり、また、そもそも、そう考える思考形態の人間だった…
他人(ひと)がどう思うか、わからないが、私には、生まれつき上昇志向がなかった…
これは、女に生まれたからかもしれない…
男に生まれれば、いい会社に入ったり、出世を目指したりしたかもしれない…
いや、そもそも、私が男に生まれても、上昇志向はなかったに違いない…
元々、子供の頃から、できない夢は見ない子供だった…
高見さんは、キレイだから、将来、芸能人になって、女優さんを目指せばと、冗談で、私の容姿を褒めてくれる大人がいたが、それは、冗談であることは、子供心にも、わかっていた…
容姿が優れている、いないにかかわらず、何万、あるいは、何十万の競争を潜り抜けて、女優になど、なれるわけがない…
現実に、私と同じくらい、あるいは、私以上の美人を街で歩けば、見かけることは、ある…
そのひとたちが、どんな職業に就いているかわからないが、テレビで見たことがない限り、女優ではないということだけはわかる(笑)…
つまり、いかに容姿が優れていても、その程度のことだということだ…
そして、私には、身近に、私とよく似た容姿を持った叔母がいた…
その叔母の若い頃の写真を見ると、私に良く似た、同じように、小柄な美人…
しかしながら、当然、叔母も女優などではなく、一般人…
若い頃は、その容姿を生かして、女優を夢見たという話も聞かない…
ただ、叔母が、高卒で、大手百貨店を受けたとき、
「…アナタは、レジ打ちをしますか?…」
と、面接で問われ、
「…私は、レジ打ちは嫌です…」
と、答えたのは、今で言えば、武勇伝の類い(笑)…
要するに、若くて、ルックスに自信があり、なお且つ、世間知らずだから、言ってしまった本音…
叔母が若い頃は、スーパーでは、若い女は、一階の食品売り場で、レジ打ち…
しかし、歳を重ねるごとに、同じレジ打ちでも、2階、3階と、階が上がる。
つまり、ひとの目に触れにくい場所に配置される。
どんな美人でも、若くなければ、ダメ…
要するに、誰もが利用する、1階の食品売り場は、若い女のコがいい…
実際、その方が、活気があるというか…
当時のスーパーの常識だったそうだ…
話を百貨店に戻す。
百貨店は当然のことながら、接客が中心…
外商や、店舗の内部で、一般の顧客の目に触れない部分の仕事は当然、ある。
しかし、18歳の高校の卒業を控えた女のコに、そんな、仕事の話はわからない(笑)…
ただ、百貨店でもレジ打ちはあることは、わかるが、まさか、高校を卒業する自分が、
「…レジ打ちはどうですか?…」
と、面接で聞かれるとは、思わなかったというのが、真相だろう…
ゆえに、正直に、
「…嫌です…」
と、答えただけだろう。
誰だって、百貨店に採用されて、レジ打ちをするとは、思ってもみない時代だった…
それに、まだ世間知らずの子供だから、面接で、
「…嫌です…」
と、正直に答えに決まっている。
だが、叔母は美人だから、採用された。
実際、企業の試験日に、叔母たち学生を引率した、高校の教師も、
叔母が、
「…私、受かる自信がない…」
と、ポツリと漏らすと、
「…大丈夫、アナタが受からなければ、誰も受かりませんよ…」
と、元気づけたと言う。
その引率の教師は若い男性だったということだから、今の時代なら、一歩間違えば、叔母を口説いていると、見られる危険もある(笑)…
だが、すでに言ったように、叔母は美人だから、採用された。
なにより、面接官は、全員男性…
自分の娘でもない限り、男なら、美人を選ぶに決まっている(笑)…
そんな叔母も、結婚相手は、高校の同級生だった…
叔母が言うには、百貨店でも、自分の職場には、若い男がいなかったとのこと…
要するに、出会いがない…
叔母の結婚相手の男性も、職場に若い女がいない…
だから、高校時代の交際が、結婚へと結びついた…
これが、男女とも、職場に大勢の同世代の若い異性がいれば、話は異なる…
叔母は美人だから、大勢の若い男のコに声をかけられるのは、火を見るより明らか…
それになにより、学生時代と違って、会社に入れば、価値観が変わる…
高校時代は極端に言えば、ルックスが良かったり、勉強やスポーツができるのが、目立つ要素だったが、それが仕事に代わる。
なにより、自分もまた歳を取り、職場の人間を見るにつけ、自分もまた変わってくる。
極端に言えば、結婚相手として、どうなのか?ということだ…
いくら、イケメンでも、あっちの女、こっちの女と手を出し続ける噂が周囲に出回ってる男と、付き合うつもりはない…
出世すると、周囲から見られてる男も、極端に威張っていたり、一目見て、人間的に問題を持ってる男は御免だ…
その他、高校時代には、考えてもなかった視点で、男を見るということになる。
要するに、視点が異なるというか、物事を見る目が、違ってきたということだろう。
叔母の場合は、そうやって結婚したが、私の場合は、違った。
学生時代、付き合った男はいないし、今の会社でも、付き合っている男はいない…
そもそも、私の勤務する、会社に、若い男は数えるほど…
会社自体、営業所は、十数か所あるが、そこに配属される人間は、二十人に満たない…
当然、二十人に満たないといっても、その全員が、若い男でも、若い女でもない…
オジサンと、若い男、そして、若い女…
それに挟まれるが如く、私のような、33歳の中年に差し掛かった女がいる。
ゆえに、その中で、結婚相手を見つけるとなると、至難のワザ…
不可能といっていい…
なにしろ、今現在で、私より、若い男は、二十代は3人だけ…
これでは、到底結婚などできない…
これは、十年前の入社時も同じ…
就職氷河期で、なんとか、就職はできて、ホッとしたが、いざ、配属されてみると、極端に若い男が少ない現実に気付いた。
これでは、結婚できない…
同期の女のコの中には、悲観する同僚も、いるにはいたが、やはり、結婚相手を求めて、他の会社に転職するリスクは、なかなか冒せなかった…
就職氷河期で、やっと就職できた安堵感に勝るものはない…
なにより、いざ転職しようにも、就職氷河期だから、当然、転職市場もまた、凍っていた…
会社を辞めるのは、簡単だが、雇ってくれる会社が、そうやすやすと見つかるとも思えない。
簡単に見つかる会社は、ブラック企業で、仮に10人採用しても、半年、一年後に、何人残るかの会社だ。
それを除けば、派遣か、契約社員、あるいは、バイトと相場が決まっている。
同期の女のコの中には、それでも、やはり、数年して、辞めて行く者もいた。
結婚もそうだし、結婚に限らず、仕事が合わなかったり、ひとそれぞれだろう…
退職理由は、やりたいことが見つかったとか、一応、上司には伝えるが、それが、本当のことかは、当人しかわからない…
普通に考えれば、それほど親しくない上司に、本当のことを言うとは、到底思えない…
当の上司もまた、自分の上司、あるいは、人事に報告する上で、なんらかの理由が必要…
なにもないのに、辞めたいとは、言えない(笑)…
ウソでもいいから、理由があればいい…
要するに体面を保てばいいだけだ…
そうこうするうちに、辞めた同期は、いるにはいたが、やはり、絶対数が少なかった…
これは、いわゆる就職氷河期で、やっと就職ができたと、安堵する同期が大半だったからだ…
それと、会社自体も、決して大手ではないは、そこそこ大きく、安定している現実があった…
つまり、今の会社を飛び出して、それ以上の会社に行ける確率が低い現実がある。
そして、転職市場が、動き出した、ここ数年になると、同期もまた歳を取り、転職する勇気がなくなる現実もあった。
まだ二十代では、あまり自分の能力も考えず、無謀な行動を取るが、三十にもなると、少しは自分の能力が冷静に見えてくる。
同時に、臆病になる。
まだ二十代では、考えもしなかった現実…
例えば、
転職した会社の社風や風土というと大げさだが、具体的には、仕事の内容や、人間関係が、自分に馴染めるか、どうか、考える。
これは、経験しないとわからない現実だからだ…
その上で、給与がある。
当初、提示された金額を、くれない会社が多い現実もある。
話半分といえば、大げさだが、約束を守らない会社も多い現実がある。
このような、さまざまな現実が、重なって、私、高見ちづるは転職を思いとどまった。
また、同期の男の中には、すでに結婚して、家庭を持った身なので、おいそれと転職できない現実を持つ者もあった…
葉するに、現実は、ドラマや映画よりも重く、動けなかっただけだ…
「…高見さん…」
会社で、上司の亀沢に呼ばれた。
「…ハイ…なんですか、課長…」
私は席を立ち、課長の亀沢の元へ、向かう。
「…実は、中村君が、先日、取引先のお偉いさんを怒らせちゃって…」
亀沢が小声で、私に囁くように言う。
「…中村君が?…」
「…そう…」
言いながら、亀沢と私の視線が、中村君に走った。
中村君は、今年、大学を卒業して入社したばかりの新人…
大学は人並み以上のレベルの大学を出ているが、気が利かないというか…
相手の心が読めない…
要するに、相手がなにを求めているか、わからないから、平気で、相手を怒らせることをする…
さもありなん…
私も、納得する。
「…で、課長…私になにを?…」
「…実は、中村君が怒らせちゃった相手というのが、溝口さんでね…」
「…溝口さん…?…」
ここまで、聞いただけで、課長の亀沢がなにを言わんとするか、わかった…
「…溝口さんは、高見さんのファンだろ? …だから、高見さんが、中村君を連れて、お詫びに菓子折りでも、持って行けば、機嫌が直ると思うんだ…」
亀沢が言う。
溝口というのは、取引先の部長…
私も何度か会ったことがある…
好色というわけではないが、面食いなのだろう…
私が、溝口と会うと、いつも、嬉しそうに私を見る。
決して、嫌いな男ではないが、やはり、あまりにも、顔で、女を選んでいるのがバレバレだと、いい気はしない…
その歳で、女を選ぶ基準が、顔だけなの?と、問い詰めたくなる(笑)…
まして、肩書が部長…
よく出世できたものだと嫌味の一つも言いたくなる(笑)…
「…わかりました…」
私が答えると、亀沢が、
「…ありがとう…高見さん…恩に着るよ…」
と、私の耳元で囁いた。
「…このお礼は、また今度…」
亀沢が言う。
しかしながら、私は亀沢の言葉を最後まで聞いてなかった。
亀沢が、お礼をするといっても、せいぜい缶コーヒーをおごるくらい…
恐妻家の亀沢は、奥さんに、財布のひもをしっかり握られていると評判だ(笑)…
「…で、課長…いつ、溝口部長の元へ伺えば…」
「…先方に確認したところ、今日の午後ならば、溝口さんも、会社にいるらしい…だから、その時間に中村君を連れて…」
「…わかりました…」
私は答える。
それからすぐに、私は、中村君の元へ行った。
「…中村君…」
「…ハイ…なんですか?…」
「…今日の午後だけど、いっしょに、出掛けましょう…」
「…出掛けるって、どこへ、ですか?…」
「…溝口さんのところよ…」
「…溝口さんの…」
「…そうよ…この前、溝口さんを怒らせたでしょ?…」
私の言葉に、中村君が、バツの悪そうな表情になった。
「…この前…溝口部長と話していたときに、スマホが鳴って、それで、急いで、切ろうとしたときに、うまく行かなくて、オタオタしてると、途端に機嫌が悪くなっちゃって…」
「…それだけ?…」
「…いえ、その前にも似たようなことが何度か…」
中村君が告白する。
誰もが、一度の失敗で、機嫌が悪くなるとうことはありえない…
機嫌が悪くなるということは、それまで、同じような失態を何度も重ねているからだ…
「…わかったわ…早速、午後一番に謝りに行きましょう…」
私は言った。
その言葉通り、早めに昼食を取り、社用車に乗って、溝口部長の元へ、向かう。
運転は、中村君がした。
「…嫌だな…」
ポツリと、中村君が漏らす。
「…誰だって、謝るのは、嫌よ…」
「…それは、そうだけど…」
中村君は子供が、駄々をこねるように、言う。
「…でも、高見さんが、いっしょに来てくれて、良かった…」
「…どういう意味?…」
「…だって、高見さん、美人だから、溝口部長も、高見さんのファンなんでしょ? だから、亀沢課長も…」
「…」
私は無言だった。
実際、中村君の言う通りだったからだ。
「…高見さんは、どうして結婚しないんですか?…」
ストレートに中村君が訊いた。
私が、
「…」
と、黙っていると、
「…身近にいい男がいないからでしょ?…」
と、核心を突く。
「…会社にも、取引先にも、いい男は皆無…誰もいない…高見さんが、結婚しない理由は俺にもわかりますよ…」
わかりきったことを言う。
「…俺も、同期の男も女も同じですよ…理想が高いとか、世間のひとはいうけど、そう簡単に結婚して、すぐに離婚は…」
中村君が言う。
「…誰だって離婚は嫌よ…離婚を前提で、結婚する人間はいないでしょ…」
それを言うと、中村君は押し黙った。
取引先の溝口部長は、在席していた。
事前に、亀沢が探りを入れていたので、当然だった。
私と中村君が、来社したことがわかると、すぐに溝口部長が対応した。
「…部長、お久しぶりです…」
「…ああ…高見さん…久しぶり…相変わらず、キレイだね…」
「…ありがとうございます…」
私は言って、深々とお辞儀をした。
「…今回は、うちの中村が、色々ご迷惑をかけして、申し訳ありません…今日は、中村共々、溝口部長に…」
「…ああ…そんなことは、どうでもいいんだ…」
「…どうでもいい?…」
「…ああ…中村君もご苦労だった…」
私は隣の席に座った中村君を見た。
中村君は、バツの悪そうな顔をして、私を見る。
「…実は、高見さんに頼みたいことがあって…」
溝口部長が切り出した。
「…私に頼みたいこと…ですか?…」
言いながら、中村君と、溝口部長の顔を交互に見た。
同時に、自分がハメられたことに気付いた。
「…ホントならば、高見さんに、直接頼めば、いいんだが、用事もないのに、高見さんの会社にボクが行くのも、ちょっと…それで、どうしていいか悩んでいたところで、中村君に頼んで、一芝居打ってもらったところなんだ…」
…そういう事か?…
…だが、私に頼みたいことって一体?…
私が怪訝な顔で、溝口部長を見ると、
「…実は、高見さんに頼みたいことと言うのは、ボクのプライベートのことなんだ?…」
「…プライベートですか?…」
「…そうだ…実は、知人から、女性の紹介を頼まれてね…」
「…女性の紹介?…」
「…といっても、変な話じゃないんだ…要するにお見合いだよ…先方が、身元がしっかして、容姿もそれなりの、お嬢さんを希望されて…」
「…容姿もそれなりの…」
「…いや…言葉が間違った…美人で、身元のしっかりしたお嬢さんと言ったら、高見さんしか、思い浮かばなくて…」
私は驚いたが、考えてみると、さっき、ここに来るまでの間に、中村君が、私に結婚のことを何度も聞いてきたので、察するべきだった。
「…頼まれてくれないか?…」
溝口部長が、頭を下げた。
「…お断りします…」
私は告げた。
それまで、ザワザワと騒いでいた部屋が、一瞬にして、静まり返った…