第11話

文字数 6,758文字

 新造が、去り、一人ポツンと残された庭で、私は、考える。

 …新造さんが、米倉さんを嫌いなワケがわかった…

 あらためて、思った…

 そして、それが、新造と会話した収穫だった…

 だが、これで、いいのだろうか?

 私は、ふと思った。

 私は、米倉正造に頼まれ、このお屋敷に、交際相手として、招かれた。

 しかしながら、その米倉自身が、紛れもない食わせ者…

 いっしょに、暮らす家族の中ですら、浮いている存在だ…

 一体、私はそんな人間のために、動くべきだろうか?

 私が、考え込んでいると、

 「…どうですか? 新造と仲良くなれましたか?…」

 近くで、声がした。

 私は、驚いて、反射的に、声のする方を振り向いた。

 そこには、米倉がいた。

 …一体、なぜ、米倉がここに?…

 私は考える。

 …そうか…

 …あの窓の外から、私と新造さんが、話すのを見ていて、新造が去ったのを、見届けてから、私の元へ、やって来たわけか?…

 私は思った。

 …相変わらず、食わせ者…

 …抜け目のない男だ…

 私は考える。

 そして、考えながら、米倉の顔を見た。

 さきほどの新造とはまるで、違う顔…

 新造も悪くはないが、米倉と比べると、凡人なのだ…

 米倉は、新造よりも、5㎝、背が低いが、新造にはないオーラ=雰囲気がある。

 いかにも、爽やかで、誰もが一目見て、信頼できる雰囲気がある…

 安心=信頼できるオーラがある。

 このオーラ=雰囲気こそ、米倉の武器…

 イケメンで、お坊ちゃま然とした、端正なルックスすら、このオーラがなければ、魅力が半減どころか、失われてしまう…

 私はそれを思いながら、米倉の顔を眺めた。

 そして、警戒した。

 心の中で、米倉の言葉に、流されまいと、警戒した。

 さもないと、米倉の言いなりになりかねない…

 心を奪われかねない…

 そんな危険がある。

 まさに、恋に落ちてしまう危険があるからだ(苦笑)…

 私が、心の中で、そんなことを必死に考えていると、

 「…どうしました?…」

 と、米倉が訊いた。

 私は、米倉の端正な顔を見ながら、

 「…いいえ…なんでも…」

 と、返した。

 …やはり、米倉と二人きりでいると、マズイ…

 今さらながら、思った…

 不思議なことだが、米倉と最初会ったときは、このような気持ちにならなかった…

 つまり、意識しなかった…

 しかし、今は違う…

 米倉が食わせ者だと知って、却って意識してしまっている…

 当初はただのイケメンに過ぎなかったが、米倉のことを知れば知るほど、信頼できない男であることがわかってきた…

 そして、そんな男を信頼してはならない…

 心を奪われてはならないと、考えるほど、米倉のことが、気になってきた…

 不思議なことだ(苦笑)…

 絶対に、こんな男を好きになってはならないと、固く肝に命じると、却って、その男を意識してしまうということだろう…


 要するに意識するからだ…

 誰もが、どんなイケメンであれ、意識しなければ、女も落ちないものだ…

 なまじ、あんな男を好きになってはならないと、男を意識した時点で、ダメ…

 男の虜(とりこ)になりかけてると、考えた方がイイ…

 本当に嫌いならば、相手にしないのが最善策…

 嫌いは、好きの裏返し…

 そもそも、嫌いだと考える時点で、相手を意識している証拠…

 本当に嫌いならば、相手にしなければいい…

 私は考える。

 「…新造さんは、純粋なんですね…」

 私は言った。

 「…不器用で、純粋…私は新造さんを、好きになりました…」

 私はわざと、米倉に言った。

 米倉に心惹かれる自分に対して、わざと、対抗するように、言った…

 それでなければ、米倉に心が傾いてしまう危険があった。

 「…純粋? …アイツが?…」

 米倉が吐き出すように、言った。

 「…アイツはただのわがままですよ…」

 「…ただのわがまま? …どういう意味ですか?…」

 「…アイツは今、働いてないんですよ…」

 「…働いてない? …どうして?…」

 「…それがわがままなんです…」

 私は、とっさに、さっきの新造との会話を思い出した…

 …新造は、ぜんそくで、カラダが悪いと言っていた…

 それを、思い出したのだ。

 「…それは、新造さんが、ぜんそくで、カラダが弱いからでは…」

 「…カラダが弱い? それはウソです…」

 「…ウソ? どうしてウソなんですか?…」

 「…アイツは、以前は、ウチの会社で働いていました…」

 「…米倉さんの会社で、働いていた?…」

 「…そうです…」

 「…でも、ぜんそくで、働けないんじゃ…」

 「…それはあります…ですが、いつもぜんそくを起こしているわけじゃない…」

 「…どういうことですか?…」

 「…発作ですよ…」

 「…発作?…」

 「…ぜんそくの発作はいつも起きるわけじゃない…たしかに、ぜんそく持ちだから、体調を崩して働けないときもある…ですが、それ以外のときは、働けないわけじゃない…会社に出社して、働けばいい…」

 …そういうわけか?…

 …ようやく米倉の言わんとすることがわかった…

 …つまり、米倉は、新造はぜんそく持ちで、カラダが悪いことはわかるが、いつも、体調が悪いわけではない…

 …だから、体調が悪くないときは、会社に出社して、働けばいいと言ってるわけだ…

 …だが、新造はそれをしないのだろう…

 …それが、米倉と、弟の新造の確執の原因か?…

 …私は思った…

 「…アイツは母親に甘やかされてるんです…」

 「…母親に?…」

 「…そうです…あの後妻に…」

 …そうか?…

 …それも、米倉の気に入らない原因か?…

 …自分の母親の後釜に座った後妻が、気に入らないのだろう…

 …あの後妻のせいで、自分の母親が、この家を追い出されたのであれば、当然の感情だ…

 私は考える。

 「…オヤジもオヤジだ…あんな母親に、この家をいいように、させて…」

 米倉が、後妻を呪詛する。

 と、ここまではわかった。

 つまり、米倉は、新造と、その母親が嫌いなわけだ…

 だが、だとすると、好子はどうなのだろう?

 好子は、新造の姉であり、後妻の母親の娘…

 新造に言わせると、米倉は、父親が、好子を、溺愛しているため、米倉もまた、父親の機嫌を損ねないように、好子を大事にしているという…

 つまりは、あくまで、その目的は、好子ではなく、父親…

 会社のオーナーである、自分の父親に気に入られるため…

 自分の父親といえど、機嫌を損ねれば、後継者の座から追放されるのではないか?

 米倉はそう考えているのだろう…

 私は、そう考えて、あえて、

 「…好子さんは?…」

 と、米倉に話を振った。

 「…好子さんは、新造さんと仲がいいそうですね…」

 私は続けた。

 「…それは、母親が同じだから…」

 米倉が答える。

 「…でしたら、米倉さんは、好子さんが、お好きですか?…」

 「…それは、好きです…」

 呆気ないほど、簡単に答えた。

 こちらが拍子抜けするほどだった。

 どうして? と、こちらが訊く前に、

 「…だって、高見さんと同じく美人だし、男たるもの、妹といえど、ブスより、美人がいいでしょ?…」

 と、答える。

 私は呆気に取られた。

 あまりにも、簡単な理由だからだ…

 しかし、ふと、気付いた。

 これでは、本心をなにも言ってないことに気付いたのだ…

 美人だから、好き…

 これは、誰もがわかる説明…

 母親が違うから、半分とはいえ、血の繋がった実の妹だし、兄とはいえ、美人だから、好き…

 一見、誰もがわかる説明に思えるが、この説明では、なにも語っていない…

 いわゆる、感情について、語っていないのだ…

 どうして好き、あるいはどうして嫌いは、通常、相手の性格に起因するものだ…

 それに一切、米倉は触れていない…

 あらためて、米倉の狡猾さを思った…

 いや、用心深さか?

 自分が、本当は好子について、どう思ってるのか、明らかにしない…

 おそらくは、後妻である、母親を嫌っている以上、好子についても、いい感情は持ってないに違いない…

 私は考える。

 つまり、米倉は自分の感情を押し隠すことができる人間…

 人前で、演技ができる人間ということになる。

 私は、とんでもない人間を相手にしてしまったのかもしれないと、あらためて思った…

 米倉の爽やかなイケメンの外観と、中身が違い過ぎるためだ…

 ここまで、外面と内面の違う人間には、お目にかかったことがない…

 私は考える。

 私がボンヤリと、そんなことを考えながら、米倉の横顔を見ていると、

 「…どうしました? …なにを考えてるんですか?…」

 と、米倉が訊いた。

 驚いた私は、とっさに、

 「…いえ、米倉さんって、本当にイケメンだなって…」

 と、当たり障りのないことを言って、ごまかした。

 私の言葉に、米倉がニヤッと笑った。

 「…それを言えば、高見さんも、美人です…」

 と、返す。

 続けて、思いがけず、私の手を取り、

 「…美人とイケメン…自分の口から言うのもなんですが、お似合いの二人です…なにやら、恋が始まる予感がしますね…」

 と、いきなり、私を口説き出した。

 私は仰天する。

 「…米倉さん、いきなり、この展開は?…」

 私が戸惑うと、

 「…シッ!…」

 と、私の耳元で、小声で、囁くや、いきなり、小柄な私のカラダを包み込むようにして、抱き締めた。

 そして、抱き締めながら、

 「…屋敷の中から、澄子がボクと高見さんを見ています…」

 と、告げた。

 「…澄子さんが?…」

 私は米倉に抱かれた腕の中から、お屋敷を見た。

 たしかに、米倉の言う通り、澄子さんが、私と米倉を見ていた。

 「…澄子さんが、見ているから、こうして、私を抱き締めたんですか?…」

 私は小声で、訊いた。

 「…その通り…澄子は兄妹の中で、一番、勘の鋭い女です…」

 「…勘の鋭い? …でも、澄子さんは、米倉さんと、母親が違う、好子さんや新造さんと違って、母親が同じなのでは?…」

 「…そんなことは関係ありません…」

 「…関係ない? …どうしてですか?…」

 「…そもそも、誰が会社の金を横領しているのか、簡単にわかるのならば、高見さんに、交際相手として、この家に来て、誰が犯人か捜してもらいたいなんて、お願いしませんよ…」

 米倉が当たり前のことを言った。

 「…条件は同じです…誰もが疑わしい…むしろ、疑わしい本命といえば、澄子です…」

 「…澄子さんが、なぜ?…」

 「…今も言ったように、兄弟の中で、一番勘が鋭い…使える女だからです…」

 「…使える女?…」

 「…そう…気を見るに敏で、周囲の反応を読むのがうまい…兄弟の中で、一番抜け目のない女です…」

 「…澄子さんが…」

 私は、米倉の腕の中から、澄子を見た。

 私と米倉のいる場所からは、かなり離れているので、その表情までは、読み取れない…

 私はさきほど、会った澄子を考えた。

 澄子は私や好子よりも、小柄で、150㎝程度の身長だ…

 顔は悪くないが、一言でいって、印象に残らない女性だ…

 顔に、特徴がないのだ…

 いや、なさすぎると言っていい…

 逆に言えば、特徴がないのが、特徴と言えるかもしれない…

 「…でも、どうして、米倉さん…いきなり、私を抱き締めたんですか?…」

 「…澄子は今も言ったように、兄弟の中で、一番勘の鋭い女です…ですから、ボクと高見さんの中を疑ってる可能性が高い…」

 「…疑う?…」

 「…いきなり、付き合い出して、家族に紹介する…なにかあるのではと、真っ先に疑う女です…」

 「…」

 「…そもそも、澄子もまた夫の直一さんから、会社の金がなくなってる事実を聞かされているはず…」

 …直一さん…

 私は、さっき会った、新造と同じ175㎝ぐらいの、直一の色の白い、いかにも神経質そうな顔を脳裏に思い浮かべた。

 「…直一さんも、やはり、会社の関係者なんですか?…」

 「…そうです…」

 なにを今さらと言うように言った。

 「…澄子の夫です…当然、会社の取締役に名を連ねているし、彼が、次の社長でもおかしくない…」

 「…直一さんが?…」

 「…彼は見た目の通り、有能です…ただエリートにありがちな線の細さがあり、それが彼の弱点です…」

 「…線の細さ?…」

 「…別の言い方をすれば、ひとをまとめたり、束ねたりすることが苦手な人間です…本当は、大学教授が天職の人間です…」

 「…大学教授ですか?…」

 「…ハイ…誰でも得手不得手があります…彼は頭が良く、仮に社長となったとしても、経営者としても、優れた手腕を発揮するでしょう…ただ、ひとを束ねるのが苦手です…いわゆる頭の良い彼と同じ匂いのする人間を束ねるのはできますが、ヤンキーといっては、なんですが、自分と真逆な人間を扱うことができない…」

 私は、米倉が言わんとすることが、わかり過ぎるほど、わかった…

 東大を出ても、スーパーマンではないから、なんでもできるわけではない…

 頭が良い事と、ひとを束ねることは、別…

 頭が悪ければ、ひとを束ねることはできないが、頭が良ければ、ひとを束ねることをできるわけでもない…

 要するに、その頭の良さが、どう生かせるかだ…

 米倉が言う直一の評価は、ひとを束ねるのが苦手だから、本来は、大学教授のような知的な職業に就くのが、その頭の良さを一番生かせるのではないかということだ…

 ただし、米倉は直一の経営者としての手腕も否定していない…

 まだ経営者ではないが、おそらく経営者になっても、十二分にその能力を生かせると考えているのだ…

 つまり、米倉は直一を評価しているのが、わかる…

 「…人間誰もが、自分の好きなように生きられるわけではない…頭が良くて、大学教授になれる頭脳があっても、誰もがなれるわけではない…」

 「…どういうことですか?…」

 「…競争です…運と言ってもいい…同じ頭脳で、なれる人間となれない人間の差は、究極的には、宝くじに当たるかどうか、運の要素だと考えればいい…そうすれば、仮になれなくても、納得できる…違いますか?…」

 「…たしかに、そうですね…」

 「…もっとも、これは、昔、ボクが学生時代の友人に言われたことです…」

 「…友達に?…」

 「…オマエはお屋敷に生まれたことで、宝くじにあたったような人生を送ることができるんだとね…」

 「…」
 
 「…そいつは、学校でも成績優秀で、ルックスも良かった…でも、ボクの家を見て、生涯越えられない壁を痛感したんじゃないかな…ボクはなにも感じなかったけど、そいつにとっては、そうじゃなかった…」

 米倉がしんみりと語った。

 「…だが、ボクに言わせれば、こんなお屋敷に生まれたことで、周囲の人間がボクに距離をおいて、子供の頃は、親しい友人が誰一人できなかった…お金がボクを孤独にしたんです…ある程度の年齢になって、女遊びが盛んになったけど、それも、子供の頃、一人ぼっちだった反動かもしれない…だから、今そいつに会ったら言ってやりたいよ…オマエは、ボクが金持ちに生まれたから羨ましいかもしれないが、ボクは金持ちに生まれたことで、孤独だった…十分、金持ちに生まれたマイナスを味わっているよと…」

 米倉が独白する。

 私は、米倉の独白を聞きながら、考えた。

 米倉がウソを言ってるとは思えない…

 米倉の弟の新造は、米倉を嫌っているが、それは、新造から見た、米倉の姿…

 米倉は米倉で、生きてゆく上で、当然、苦しみはある…

 誰もが、生きて行く上で、悩みがない人間はいない…

 米倉のような金持ちの家に生まれても、それは変わらない…

 当たり前のことだった…

               
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