第6話 話の出来るカフェ(上)

文字数 1,278文字

 その店はとある雑居ビルの地下一階にあった。周囲には雑貨屋や旅行代理店、リラクゼーション店などが並んでいたが、どれもこれも小さく、ほとんどが5坪から10坪ほどで、シャッターを閉ざしたテナントも多かった。
 大輔がその店に興味を持ったのは、筆記体の看板の両脇に『本』『本』と書かれていたからだった。大輔ははじめその店舗が本屋だと思った。しかし、扉を開いてみたらカウンター席に椅子が3つほど並んだ小さなカフェだった。椅子は座り心地のよさそうなウッドチェアで、カウンターとともに、使い古された様相をしていて、色もウォールナット材よりも濃い色をしていた。
 カウンターの向こう側には店主と思わしき美女がいて、ノートパソコンのキーボードを叩いていた。大輔は「いらっしゃいませ、初めてですよね」と声をかけられた。すこし冷たい印象を受けてしまった切れ長の目が、眉毛とともにふにゃりとほどけた。
「うちはカフェですけど、大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「一応メニュー表はありますが、これだけです。紅茶は茶葉が二種類、コーヒーは豆の種類が五種類」
 紅茶もコーヒーも一杯千円もした。
 紅茶はダージリンとアッサム。コーヒーは産地が記載されていて、ブラジル、パプアニューギニア、グアテマラ、マンデリン、コロンビア。大輔は「これを」とパプアニューギニアの国旗を指さした。
「ペーパードリップでよろしいですか? フレンチプレスもできますが、少しお時間いただきます」
 大輔は、じゃあペーパードリップで、と言って椅子に腰かけた。
 店主は全自動のコーヒーミルをセットしだした。彼女はボーダーのトップスにネイビーのカーディガンを羽織っていて、髪の毛に白髪と間違うほど明るいメッシュが入っていた。年齢が推定できなかったが、首筋と手首を見る限り、それ相応の苦労を経験しているものと捉えられた。
 4分半で目の前にホットコーヒーが出てきた。
「どうぞ」
 大輔は当然のように聞いた。
「なぜ表の看板には、『本』と書かれているのですか?」
「私が本が好きだからです」
 軽い混乱があった。自分の好み趣向で客を混乱させて良いものか。
「本の話が出来るカフェです」
「ああ、なるほど」コンセプトカフェというやつか…。
 店主はカウンターの向かい側に座り、膝に手を置いた格好でこちらを直視してくる。ノートパソコンの電源は入りっぱなしで、メールの着信を短い電子音で知らせてきたが、彼女は見向きもしなかった。
 大輔は本の話を要求されても、何を話していいのかわからなかった。取引先に営業をしている時とは別の緊張があり、苦し紛れに「再販制度はどう思いますか?」と尋ねた。
 店主は目を見開いて驚きの表情を浮かべた。大輔は急いで胸元から名刺を取り出して店主に渡した。
「株式会社K図書販売… 営業部エリアマネージャーさん。すみません。もしかして、書店だと思って入店しましたか?」
「いえ、そういえばコーヒーが飲みたかったのだと思い出しました」
 店主は「再販制度…」とつぶやいて名刺を凝視した。
「探偵や、魔法使いの話しは出来るのだけれど…」

― つづく ―
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