第21話 ぼうよう

文字数 1,153文字

〈 フッと 〉

「ふっと、死にたくなるとき、なぁい?」
「あるね。ふっと、ね。」

「もう、イヤになっちゃうのかな。」
「イヤになっちゃうんだろうね。」

「自分が自分であることに。」
「うん。でも、それだけじゃ、ないみたい。」

「ほかに何が?」
「今日がね、月曜日である、ってこと。」

「どうしようもないね。」
「うん。どうしようもない。」

〈 月 〉

 太陽も好きだけど、月はもっと好きである。
 暗いの、わるくない。明るいばかりじゃ、大変だよ。
 暗いほうが、落ち着くし。

 高野悦子の「二十歳の原点」の前は、原口統三の「二十歳のエチュード」。
 形而上の理由で自殺したとか、孤独な魂がどうのこうのというのは、まわりが勝手に後から取って付けただけで、そういう商業主義?的な売り出し方には全く興味がない。こないだ本屋で、「二十歳のエチュード」がやたら立派なブ厚い本になっていたのには、驚いた。
「自殺はイケナイ」なんて、荒唐無稽な倫理である。そもそも、倫理とは何だ?
 浮気がイケナイならば、不倫であるならば、大罪ではないか。

 小林美代子という作家も、実は好きなのである。「髪の花」、自身が精神病院に入っていた時の体験をもとに書いたはずの作品。「繭になった女」を書いて、自殺してしまった。
 シルヴィア・プラスもそうだけど、自分のまわり、身体から、身体のまわりに、自分の身体から数cmか数mm離れたところに、何かができあがる。
 繭であり、The Bell Jar が、そうだった。自分の殻の糸の中。さかさまになったコップの中。くるしいよ。
 どういう理由であれ、ひとりぽっちだったんだよ。

 ────────────

 そのむかし、藤村操という人が、華厳の滝から投身自殺したという。
 その記念碑だか何だかも、あるのか。
「記念碑」? ばか言っちゃいけない。
 自殺して、何が記念碑か。
 自殺を、美化しては、いけない。
 だから、生きることも、美化しては、ならないのだ。

〈 善の怪物 〉

 善の怪物には、なりたくない。
「これがよかれ」と思って、ひとに、ぼくは、何もしたくない。
 たとえば電車に乗っていて、お年寄りなり身体の不自由な方が乗られたら、ただ、ぼくは自分の座ってた席を立ち、譲らせてもらうだけである。「ただ」そうするだけで、そこには、なんにもない。自分の身体が、どんなに疲れていてもそう動くのだから、そうするしか、できないというだけの。
 それを、「席を譲らず、寝てるフリするヤツ」がいても、いいではないか。
 なにも、「いい」(と、思われるようなこと)を、強制しなくて、いいではないか。
 善なんて、悪と、ウラでツルんでる気がする。

〈 自分への報告 〉

 つまり、君は、まちがってる、というのが、イヤなんだ。
 何が正しくて、何が間違ってるのかも、知らないで。
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