第5話
文字数 2,500文字
出所は聞かないでくれ、と、前もって口止めされたのは恐らく教師の誰かからコーヒー豆を餌に聞き出したからだろう。
アキラの話は、石膏像についての詳しい話だった。
「あの石膏像は、この学園を三十年前に卒業生した行田康平という陶芸家が、二年前に送ってきた物だと事務の記録から解ったんだ。現在、飛騨で自分の焼き窯を持つ彼から警察が話を聞いたそうだが、石膏像は造ったこともないし送った覚えも無いという。学生時代から専攻は陶芸のみで、ブロンズ像、石膏彫刻の制作どころか人物は全く対象外だったらしい」
遼と優樹は、顔を見合わせた。
「事件の犠牲者を偲んでと、手紙が添えられていたそうだけど……あまりにも行方不明の女子学生にそっくりで、気味悪がった先生方が地下の倉庫に片づけてしまったんだ」
興味深そうに、優樹が身を乗り出した。
「警察に、届けなかったんですか?」
「届け出は出したそうだ。だけど当時、行田氏は海外に長期で勉強に行っていて、確認を取らないまま今まで放置されてしまったらしい。添えられていたという手紙も見つからないそうだが、警察が調べたところ行田氏は完全に無関係のようだね」
「じゃあ、二年前に確認がとれてれば……」
遼の言葉にアキラが頷く。
「もっと早く、お姉さんは見つかっていたかもしれない」
息苦しさを覚えて遼は、両手で顔を覆った。
不可能だったと、わかっている。それでも、もっと早く見つけてあげたかった……。
心配する優樹の視線を感じたが、顔を向ける事が出来ない。
間を置き、遼の様子を伺いながらアキラは話を続けた。
「何しろ事件から十年も経っていたし、石膏像と犯人の関連性は薄いと思われたんだろう。でも今回の件は、誰かに見つけて貰うため犯人が倉庫から美術室に石膏像を運んだのだとしたら?」
「えっ? 何でそんなことを……?」
訳がわからないと言いたそうな優樹に、アキラは笑った。だが遼の気持ちをくんで、真顔に戻る。
「数年前、殺人の公訴時効が廃止されたのは知ってると思うけど、廃止になる前は十五年が時効だった。十五年は犯人にとって、捕まるか逃げ続けるか自首するか、一つの区切りだ。ところが時効廃止によって、死ぬまで警察の影に怯えながら生活しなきゃならなくなった……」
アキラは言葉を切り、目線で遼に意見を求めた。
「学園に石膏像を贈った時点で、犯人はヒントを与えた。つまり、事件の真相を解いて、自分に辿り着いて欲しかった?」
「恐らく、ね」
薄く笑ってアキラは、先を続ける。
「逃げ続けるのに疲れたとか、罪の呵責に耐えきれなくなったなら自首すればいい。だけど、わざわざ生徒に見つかる場所に石膏像を置いた理由が、何かある。面白そうだと思わないか?」
「ふざけんなっ!」
いきなり優樹が立ち上がり、激しく拳を机に叩きつけた。
勢いでコーヒーカップがひっくり返る。
「いくらアキラ先輩でも、遼の姉さんが殺されて面白いとか言うのは許せねぇ! 今すぐ遼に、謝れ!」
顔を紅潮させ、本気で怒っている優樹に遼は驚いた。
ヴィジョンを観るようになって遼は、いつしか素直な感情を表に出すことが出来なくなっていた。アキラの発言にも取り立てて何も感じる事も無く、別に面白くも無いと思ったくらいだ。
たぶんそれが、不快感だったのだろう。
本当なら、自分が感情あらわに怒るべきだった。しかし今更、簡単に自分を変えることなど出来ない。
ありのまま感情的になれる優樹に、小さな波のように苛立ちが募る。
『関係ない』
傷つけると解っていて、妬ましさから口をついて出た言葉だ。そうだ、あの時、自分は素直に怒ることが出来る優樹が妬ましかったのだ。
「悪かった! 悪かった謝るよ、秋本。謝るから篠宮も勘弁してくれ、軽率な発言だった!」
大慌てでアキラが、手を合わせ謝った。
「平気ですよ、先輩。むしろ犯人の意図が知りたいくらいです」
優樹を無視して遼が答えると、何か言いたそうにアキラが眼鏡の奥の目を細める。
すると優樹が、遼の肩を掴んだ。
「平気って……無理するなよ。事件のことは、警察に任せておけば良いじゃないか。興味本位に事件の話をされて、お前が辛い思いする事無いだろう? 俺に出来ることがあれば……」
「……やめて欲しいんだ、もう」
「えっ?」
遼は立ち上がると優樹を睨んだ。
「いつも……そうだ。いつだって君が表に立つから、僕は何も言えない。今まで僕は、ずっと君に庇ってもらってきた……だけど頼んだ訳じゃない! 僕はもう……庇ってもらわなくてもいい。そうでなかったら、いつまでたっても君と対等になれないじゃないか!」
一瞬、優樹は狼狽えたように目を見開いた。
そして次に浮かべた困惑の表情が、心なしか悲しそうに見えて遼は息を飲む。
だが、思い違いだと、気を取り直した。
優樹が、そんな顔になる理由など無いはずだ。
「なんだよ……それ。おまえ、ずっと、そう思ってたのかよ……! 信じらんねぇ……! そんな事考えながら、俺と一緒にいたのか? 一言も、言わなかったじゃないか。だって俺は……」
思いもよらない優樹の態度に、反論の言葉を用意していた遼は戸惑った。
「守ってやった」と、怒り出すに違いない。負けずに「保護者ぶるのは止めて欲しい」と、言い返すつもりだった。
幼い頃から喧嘩らしい喧嘩をした覚えがないが、決別を覚悟しても今、言わなければならないと思ったはずなのに……。
「ごめん、僕はただ……」
次の言葉が見つからずに、遼も黙り込む。
「まあ、まあ、まあ、落ちつけよ二人とも」
見かねてアキラが間に入った。
「仲裁に入る人間がいて、良かったねぇ。でなきゃまた、物別れだ。それにしても初めて見たなぁ、秋本が激高するところなんて。結構かわいい顔、するじゃない」
勢いを削がれた遼が赤面する。
「痴話喧嘩は後にしてさ、とりあえず俺の話を最後まで聞いて貰いたいんだけど?」
雑巾片手に困り顔をしているアキラに諭され、二人はおとなしく椅子に座り直すしかなかった。
アキラの話は、石膏像についての詳しい話だった。
「あの石膏像は、この学園を三十年前に卒業生した行田康平という陶芸家が、二年前に送ってきた物だと事務の記録から解ったんだ。現在、飛騨で自分の焼き窯を持つ彼から警察が話を聞いたそうだが、石膏像は造ったこともないし送った覚えも無いという。学生時代から専攻は陶芸のみで、ブロンズ像、石膏彫刻の制作どころか人物は全く対象外だったらしい」
遼と優樹は、顔を見合わせた。
「事件の犠牲者を偲んでと、手紙が添えられていたそうだけど……あまりにも行方不明の女子学生にそっくりで、気味悪がった先生方が地下の倉庫に片づけてしまったんだ」
興味深そうに、優樹が身を乗り出した。
「警察に、届けなかったんですか?」
「届け出は出したそうだ。だけど当時、行田氏は海外に長期で勉強に行っていて、確認を取らないまま今まで放置されてしまったらしい。添えられていたという手紙も見つからないそうだが、警察が調べたところ行田氏は完全に無関係のようだね」
「じゃあ、二年前に確認がとれてれば……」
遼の言葉にアキラが頷く。
「もっと早く、お姉さんは見つかっていたかもしれない」
息苦しさを覚えて遼は、両手で顔を覆った。
不可能だったと、わかっている。それでも、もっと早く見つけてあげたかった……。
心配する優樹の視線を感じたが、顔を向ける事が出来ない。
間を置き、遼の様子を伺いながらアキラは話を続けた。
「何しろ事件から十年も経っていたし、石膏像と犯人の関連性は薄いと思われたんだろう。でも今回の件は、誰かに見つけて貰うため犯人が倉庫から美術室に石膏像を運んだのだとしたら?」
「えっ? 何でそんなことを……?」
訳がわからないと言いたそうな優樹に、アキラは笑った。だが遼の気持ちをくんで、真顔に戻る。
「数年前、殺人の公訴時効が廃止されたのは知ってると思うけど、廃止になる前は十五年が時効だった。十五年は犯人にとって、捕まるか逃げ続けるか自首するか、一つの区切りだ。ところが時効廃止によって、死ぬまで警察の影に怯えながら生活しなきゃならなくなった……」
アキラは言葉を切り、目線で遼に意見を求めた。
「学園に石膏像を贈った時点で、犯人はヒントを与えた。つまり、事件の真相を解いて、自分に辿り着いて欲しかった?」
「恐らく、ね」
薄く笑ってアキラは、先を続ける。
「逃げ続けるのに疲れたとか、罪の呵責に耐えきれなくなったなら自首すればいい。だけど、わざわざ生徒に見つかる場所に石膏像を置いた理由が、何かある。面白そうだと思わないか?」
「ふざけんなっ!」
いきなり優樹が立ち上がり、激しく拳を机に叩きつけた。
勢いでコーヒーカップがひっくり返る。
「いくらアキラ先輩でも、遼の姉さんが殺されて面白いとか言うのは許せねぇ! 今すぐ遼に、謝れ!」
顔を紅潮させ、本気で怒っている優樹に遼は驚いた。
ヴィジョンを観るようになって遼は、いつしか素直な感情を表に出すことが出来なくなっていた。アキラの発言にも取り立てて何も感じる事も無く、別に面白くも無いと思ったくらいだ。
たぶんそれが、不快感だったのだろう。
本当なら、自分が感情あらわに怒るべきだった。しかし今更、簡単に自分を変えることなど出来ない。
ありのまま感情的になれる優樹に、小さな波のように苛立ちが募る。
『関係ない』
傷つけると解っていて、妬ましさから口をついて出た言葉だ。そうだ、あの時、自分は素直に怒ることが出来る優樹が妬ましかったのだ。
「悪かった! 悪かった謝るよ、秋本。謝るから篠宮も勘弁してくれ、軽率な発言だった!」
大慌てでアキラが、手を合わせ謝った。
「平気ですよ、先輩。むしろ犯人の意図が知りたいくらいです」
優樹を無視して遼が答えると、何か言いたそうにアキラが眼鏡の奥の目を細める。
すると優樹が、遼の肩を掴んだ。
「平気って……無理するなよ。事件のことは、警察に任せておけば良いじゃないか。興味本位に事件の話をされて、お前が辛い思いする事無いだろう? 俺に出来ることがあれば……」
「……やめて欲しいんだ、もう」
「えっ?」
遼は立ち上がると優樹を睨んだ。
「いつも……そうだ。いつだって君が表に立つから、僕は何も言えない。今まで僕は、ずっと君に庇ってもらってきた……だけど頼んだ訳じゃない! 僕はもう……庇ってもらわなくてもいい。そうでなかったら、いつまでたっても君と対等になれないじゃないか!」
一瞬、優樹は狼狽えたように目を見開いた。
そして次に浮かべた困惑の表情が、心なしか悲しそうに見えて遼は息を飲む。
だが、思い違いだと、気を取り直した。
優樹が、そんな顔になる理由など無いはずだ。
「なんだよ……それ。おまえ、ずっと、そう思ってたのかよ……! 信じらんねぇ……! そんな事考えながら、俺と一緒にいたのか? 一言も、言わなかったじゃないか。だって俺は……」
思いもよらない優樹の態度に、反論の言葉を用意していた遼は戸惑った。
「守ってやった」と、怒り出すに違いない。負けずに「保護者ぶるのは止めて欲しい」と、言い返すつもりだった。
幼い頃から喧嘩らしい喧嘩をした覚えがないが、決別を覚悟しても今、言わなければならないと思ったはずなのに……。
「ごめん、僕はただ……」
次の言葉が見つからずに、遼も黙り込む。
「まあ、まあ、まあ、落ちつけよ二人とも」
見かねてアキラが間に入った。
「仲裁に入る人間がいて、良かったねぇ。でなきゃまた、物別れだ。それにしても初めて見たなぁ、秋本が激高するところなんて。結構かわいい顔、するじゃない」
勢いを削がれた遼が赤面する。
「痴話喧嘩は後にしてさ、とりあえず俺の話を最後まで聞いて貰いたいんだけど?」
雑巾片手に困り顔をしているアキラに諭され、二人はおとなしく椅子に座り直すしかなかった。