第3話
文字数 1,502文字
もしかしたら、自分は呼ばれたのかもしれない。
そう考えながら、遼は窓際の壁にもたれかかって赤黒く乾いた小さな塊を見つめた。一瞬漂ったかび臭いような、ほこり臭いような、饐えた匂いはもう無い。
不思議なことに頭部に残る長い黒髪は、未だ生ある者が所有するかのように黒々として艶やかな美しさを保っている。恐怖心は、湧かなかった。それどころか息苦しいほどの切なさが込み上げてくる。
窓の外はいつしか深い闇に覆われ、海から吹き込む冷たい風が汗に濡れたシャツを背中に張り付かせた。いつこれほどの汗をかいたのか? 今になって寒気を感じるまで気が付かなかった。
波が岩に砕ける音が風に巻き込まれて、まるで海の底からの咆吼に聞こえてくる。
ひときわ猛々しい叫びが風に乗り、カーテンを舞い上がらせ彼女の黒髪をゆらした。悲しみを湛えた二つの黒い穴が、真っ直ぐに遼を見つめる、。
「君は、誰だ?」
思わず、声に出していた。
ヴィジョンを見ることは出来る。しかし答えを聞くことは出来ない。たとえ彼女が呼んだのだとしても、自分にはどうすることも出来ないのだ。
優樹に呼ばれて、当直の教師と所用で来ていた二人の教師が美術室に駆けつけてきた。
説明だけでは、当然本気にしていなかったのだろう。疑い深そうに、それを覗き込んだ三人はいきなり顔色を変え、一人が警察に連絡を取るためあわてて職員室に引き返した。
残った二人は小声で何やら、ひそひそと話し込んでいる。どうやらこの死体に心当たりがあるようだった。
「熊谷先生……もしかして、この死体が誰か知ってるんですか?」
すかさず優樹が、教師の一人に詰め寄った。
熊谷は優樹の所属する剣道部の顧問で、実家の道場では小学生を相手に剣道教室を開いている。優樹とは、もう長い付き合いだ。
「うむ……実は十何年か前に、この高校で女子学生が三人行方不明になってなぁ。二人が死体で見つかり、一人はまだ見つからないままだったんだよ」
「熊谷先生! 生徒になんてことを、おっしゃるんですか!」
熊谷の後ろにいた若い女性教師は、顔を引きつらせながらも努めて冷静さを保とうとしているようだ。しかしその裏返った声はかすれて甲高く響いた。
「刈谷先生はご存じでしたか?」
熊谷は女教師の言葉など気にとめる様子もない。刈谷は二人の生徒を伺い見て、顔をしかめた。
「……噂程度には」
刈谷は今年着任したばかりの生物教師だ。その彼女でさえ知っているこの学園の事件とは何なのだろう。
「熊谷先生、詳しいことを教えてもらえませんか?」
優樹は、もう一度熊谷を問いつめた。
「うーん、そうだなぁ話してやっても良いと思うんだが。ところでおまえは何で美術室なんかに居たんだ? 部活は随分前に終わったはずだが」
「俺はこいつを迎えにきたんだ」
「彼は?」
「秋本遼。クラスは違うけど親同士が知り合いでさ。今日俺の下宿に泊まりに来ることになってるんだ」
「秋本? ……秋本遼か!」
熊谷の表情が険しくなる。
「すまんな、やはり俺からは何も言えんよ。多分警察が……いや、おまえの叔父さんが教えてくれるだろう」
意外な言葉に、遼と優樹は顔を見合わせた。それは自分たち二人に、何か関係があるように聞こえたからだ。
「どういう意味ですか? なんで田村さんが……」
優樹の問いに熊谷は、眉根を寄せた複雑な表情で黙り込んだままだった。
二人を見つめる遼の胸中に、重い不安が湧き上がる。
「警察が、来ました」
職員室から戻った教師の声で出入り口から顔を出した熊谷は、驚くほど多くの警察官に、言葉を失った。
そう考えながら、遼は窓際の壁にもたれかかって赤黒く乾いた小さな塊を見つめた。一瞬漂ったかび臭いような、ほこり臭いような、饐えた匂いはもう無い。
不思議なことに頭部に残る長い黒髪は、未だ生ある者が所有するかのように黒々として艶やかな美しさを保っている。恐怖心は、湧かなかった。それどころか息苦しいほどの切なさが込み上げてくる。
窓の外はいつしか深い闇に覆われ、海から吹き込む冷たい風が汗に濡れたシャツを背中に張り付かせた。いつこれほどの汗をかいたのか? 今になって寒気を感じるまで気が付かなかった。
波が岩に砕ける音が風に巻き込まれて、まるで海の底からの咆吼に聞こえてくる。
ひときわ猛々しい叫びが風に乗り、カーテンを舞い上がらせ彼女の黒髪をゆらした。悲しみを湛えた二つの黒い穴が、真っ直ぐに遼を見つめる、。
「君は、誰だ?」
思わず、声に出していた。
ヴィジョンを見ることは出来る。しかし答えを聞くことは出来ない。たとえ彼女が呼んだのだとしても、自分にはどうすることも出来ないのだ。
優樹に呼ばれて、当直の教師と所用で来ていた二人の教師が美術室に駆けつけてきた。
説明だけでは、当然本気にしていなかったのだろう。疑い深そうに、それを覗き込んだ三人はいきなり顔色を変え、一人が警察に連絡を取るためあわてて職員室に引き返した。
残った二人は小声で何やら、ひそひそと話し込んでいる。どうやらこの死体に心当たりがあるようだった。
「熊谷先生……もしかして、この死体が誰か知ってるんですか?」
すかさず優樹が、教師の一人に詰め寄った。
熊谷は優樹の所属する剣道部の顧問で、実家の道場では小学生を相手に剣道教室を開いている。優樹とは、もう長い付き合いだ。
「うむ……実は十何年か前に、この高校で女子学生が三人行方不明になってなぁ。二人が死体で見つかり、一人はまだ見つからないままだったんだよ」
「熊谷先生! 生徒になんてことを、おっしゃるんですか!」
熊谷の後ろにいた若い女性教師は、顔を引きつらせながらも努めて冷静さを保とうとしているようだ。しかしその裏返った声はかすれて甲高く響いた。
「刈谷先生はご存じでしたか?」
熊谷は女教師の言葉など気にとめる様子もない。刈谷は二人の生徒を伺い見て、顔をしかめた。
「……噂程度には」
刈谷は今年着任したばかりの生物教師だ。その彼女でさえ知っているこの学園の事件とは何なのだろう。
「熊谷先生、詳しいことを教えてもらえませんか?」
優樹は、もう一度熊谷を問いつめた。
「うーん、そうだなぁ話してやっても良いと思うんだが。ところでおまえは何で美術室なんかに居たんだ? 部活は随分前に終わったはずだが」
「俺はこいつを迎えにきたんだ」
「彼は?」
「秋本遼。クラスは違うけど親同士が知り合いでさ。今日俺の下宿に泊まりに来ることになってるんだ」
「秋本? ……秋本遼か!」
熊谷の表情が険しくなる。
「すまんな、やはり俺からは何も言えんよ。多分警察が……いや、おまえの叔父さんが教えてくれるだろう」
意外な言葉に、遼と優樹は顔を見合わせた。それは自分たち二人に、何か関係があるように聞こえたからだ。
「どういう意味ですか? なんで田村さんが……」
優樹の問いに熊谷は、眉根を寄せた複雑な表情で黙り込んだままだった。
二人を見つめる遼の胸中に、重い不安が湧き上がる。
「警察が、来ました」
職員室から戻った教師の声で出入り口から顔を出した熊谷は、驚くほど多くの警察官に、言葉を失った。