第1話

文字数 636文字

 白い湯気の立ちのぼる食後のホットコーヒーを一口含むと、かちゃんとソーサーの上に置く。
 その間も、視線は読みかけの本に注いだまま。

 先輩がいつもここでひとりでランチ休憩を取っていることを知ったのは、本当に偶然だった。
 外回りから戻る途中、手早くランチを済ませられそうな場所を探し、辿り着いたのがたまたま先輩の行きつけの店だったのだ。
 会社の近くの古びた喫茶店――まさにカフェではなく、喫茶店というに相応しい佇まい。
 狭い店内には、その店構え同様年季の入った四人掛けのテーブル席が南側に三つ、西側には二人掛けの小さめのテーブル席が二つ。そして、L字型のカウンターには五席設けられている。
 先輩は、決まって一番奥の二人掛けのテーブル席に座る。
 そんな先輩の姿を、一番離れたカウンター席からそっと見守るのが、仕事の合間の密かな癒しの時間となっていた。
 長い睫に縁取られた切れ長の目は熱心に本へと向けられ、仕事中はいつも厳しく結ばれた唇がほんの少しほころぶのを見られただけで、みんなが知らない先輩を、自分だけが独り占めしているかのような優越感を覚えた。

 初めてここへ来たとき、先輩は推理小説を読んでいた。
 へぇ、先輩は推理小説好きなんだ。
 そう思った数日後には歴史小説。そしてそのまた数日後にはビジネス書。恋愛小説に冒険ファンタジー、自己啓発本……かなりの雑食のようだ。

 ただ変わらないのは、自分に注がれる視線になど一切気付かず、ただ黙々と本のページをめくり続けることだけだった。
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