第7話 河内郡侵攻
文字数 1,961文字
孤立を深める朱鮪 は、周囲の勢力から目を離さない。
中でも最も警戒すべきは、やはり劉秀ということになる。
そして劉秀の勢力圏で特に朱鮪の視界に入ってくるのは河内 郡である(洛陽が所属する河南尹 (郡の名前)の北に隣接する郡)。
河内郡は司隷 (首都圏)の一郡で、もともと人口も生産力も豊富だった。さらにここまでさほど戦乱に巻き込まれることなかったため、それらの力が維持されており、河北で転戦する劉秀は河内を後方基地として使っていた。
征戦においてこの意味は大きい。
河北は司隷に比べれば様々なものが乏しく、まして戦乱によって荒らされている。そのような状況で常に不足する兵・武器・食糧などを安定して補給できればどれほど有利に征旅を運べるか。
つまり河内郡は、劉秀の河北平定の要なのだ。
だが河内郡は後方基地だけに劉秀たち主力が不在がちで、攻める好機が豊富ということでもある。
朱鮪ほどの男がそのことに気づかぬはずもなかった。また李軼の件では劉秀にしてやられている以上、明確に反撃を施しておかなければ、朱鮪の矜持や配下に対する威にも関わってくる。
更始三年(西暦25)春、朱鮪はついに河内郡攻略のため、部下の蘇茂 に命を下した。
「蘇茂よ、賈彊 を副将として三万の兵を率い、温を討て」
温 は河南尹から黄河を渡ってすぐにある河内郡の県である。ここを攻略して拠点とすれば 河内郡の平安はおびやかされ、劉秀の補給基地としての能力は大幅に減殺 されるだろう。
蘇茂の将才は水準以上で、温攻略を任せても不安はない。
そして朱鮪も出撃する。彼の目的地は黄河の対岸ではなくこちら側、河南尹の平陰という県である。
彼の狙いは劉秀の将軍・馮異 だった。
馮異はこのとき劉秀から、孟津 将軍に任命され、平陰の南西にある孟 県を根拠地として、洛陽に在る朱鮪を牽制していた。
馮異は情報戦で李軼を篭絡 した将軍だが、これは余技というべきもので、彼の本領はあくまで野戦だった。
しかも馮異の将才は臨機応変に富んでおり、寡 をもって衆 を討つ(少数の兵で多数に勝つ)ことにも長 けている。
そのため朱鮪も簡単に撃って出ることが難しかったのだが、先述の理由もあり、今回は蘇茂らとも戦略を練りに練った上で出撃を決めたのだ。
まずは三万の兵を率いる蘇茂に堂々と黄河を渡らせ、温を攻める意図を馮異にもその他の者にも知らしめる。
もともと劉秀陣営は河南尹にさほどの兵を置いていない。そのような余裕はないからだ。
それゆえ少ない兵力でも大軍と伍 して馮異をこの地に派遣しているのだが、いかに馮異とて蘇茂という有能な将が率いる三万もの兵と正面から正攻法で戦う術は持ち合わせていないだろう。
馮異は急ぎ黄河の北岸へ渡り、河内太守 の寇恂 と合流して、蘇茂を迎え撃つはずである。
「そこで平陰だ」
策戦会議において朱鮪は蘇茂ら配下の将にうそぶいてみせた。
馮異がいなくなった孟に兵はほとんど残っていないだろう。それゆえ孟を直接攻撃してもいいかもしれないが、それでは馮異は孟を捨てるだけである。
だが味方である平陰が攻められるとなれば、これを見捨てるわけにはいかない。それでは平陰以外の県が馮異(と劉秀)に不信を抱き、更始帝側に寝返ってしまう。ゆえに黄河を北へ渡った馮異はまた南へ戻ってこざるを得ず、寇恂の戦力は元に戻り、援軍を失った兵の士気は下がり、蘇茂はさらに戦いやすくなる。
そして自分は平陰を救うために戻ってくる馮異を待ち受け討ち果たす。
討てぬにしても寇恂を破った蘇茂が河内郡を攻略してゆけば、馮異もそちらへ向かわねばならず、その背後を撃つこともできよう。
朱鮪としては常に主導権を掌握する必勝の策で、共に検討していた蘇茂にも穴は見いだせず、力強くうなずいた。
蘇茂たちを出撃させたあとの馮異の動きは朱鮪の予測した通りだった。彼は思い切りよくほぼ全軍で孟を出撃し、黄河を渡り、寇恂との合流を目指していた。
「さすが馮異だ。戦略上の眼目を決して見誤らない」
この場合の眼目(要点)とは、河内郡の防衛である。孟にこだわって河内を失ってはここにいる意味がなくなる。
その馮異に対する信頼があればこそ、朱鮪は彼をここまで思うままに動かせたのだ。凡将や愚将相手ではこうはいかない。
「よし、我らも平陰へ向けて出陣」
偵騎から馮異が黄河を渡り始めたとの報告を受けると、朱鮪も洛陽を進発する。渡河前に出発したのでは馮異が黄河へ乗り出すことなくそのまま引き返してくる恐れがある。馮異の渡河を待てば、そのぶん平陰到着は遅れるが、朱鮪は意に介さなかった。
「構わぬ。堂々と進軍すればよい」
むしろ急がぬ方がよい。これは馮異と寇恂に動揺を与え、指揮の統一を乱すことも目的なのだ。
二将に対しての示威を込めて、朱鮪は平陰へ進む。
中でも最も警戒すべきは、やはり劉秀ということになる。
そして劉秀の勢力圏で特に朱鮪の視界に入ってくるのは
河内郡は
征戦においてこの意味は大きい。
河北は司隷に比べれば様々なものが乏しく、まして戦乱によって荒らされている。そのような状況で常に不足する兵・武器・食糧などを安定して補給できればどれほど有利に征旅を運べるか。
つまり河内郡は、劉秀の河北平定の要なのだ。
だが河内郡は後方基地だけに劉秀たち主力が不在がちで、攻める好機が豊富ということでもある。
朱鮪ほどの男がそのことに気づかぬはずもなかった。また李軼の件では劉秀にしてやられている以上、明確に反撃を施しておかなければ、朱鮪の矜持や配下に対する威にも関わってくる。
更始三年(西暦25)春、朱鮪はついに河内郡攻略のため、部下の
「蘇茂よ、
蘇茂の将才は水準以上で、温攻略を任せても不安はない。
そして朱鮪も出撃する。彼の目的地は黄河の対岸ではなくこちら側、河南尹の平陰という県である。
彼の狙いは劉秀の将軍・
馮異はこのとき劉秀から、
馮異は情報戦で李軼を
しかも馮異の将才は臨機応変に富んでおり、
そのため朱鮪も簡単に撃って出ることが難しかったのだが、先述の理由もあり、今回は蘇茂らとも戦略を練りに練った上で出撃を決めたのだ。
まずは三万の兵を率いる蘇茂に堂々と黄河を渡らせ、温を攻める意図を馮異にもその他の者にも知らしめる。
もともと劉秀陣営は河南尹にさほどの兵を置いていない。そのような余裕はないからだ。
それゆえ少ない兵力でも大軍と
馮異は急ぎ黄河の北岸へ渡り、
「そこで平陰だ」
策戦会議において朱鮪は蘇茂ら配下の将にうそぶいてみせた。
馮異がいなくなった孟に兵はほとんど残っていないだろう。それゆえ孟を直接攻撃してもいいかもしれないが、それでは馮異は孟を捨てるだけである。
だが味方である平陰が攻められるとなれば、これを見捨てるわけにはいかない。それでは平陰以外の県が馮異(と劉秀)に不信を抱き、更始帝側に寝返ってしまう。ゆえに黄河を北へ渡った馮異はまた南へ戻ってこざるを得ず、寇恂の戦力は元に戻り、援軍を失った兵の士気は下がり、蘇茂はさらに戦いやすくなる。
そして自分は平陰を救うために戻ってくる馮異を待ち受け討ち果たす。
討てぬにしても寇恂を破った蘇茂が河内郡を攻略してゆけば、馮異もそちらへ向かわねばならず、その背後を撃つこともできよう。
朱鮪としては常に主導権を掌握する必勝の策で、共に検討していた蘇茂にも穴は見いだせず、力強くうなずいた。
蘇茂たちを出撃させたあとの馮異の動きは朱鮪の予測した通りだった。彼は思い切りよくほぼ全軍で孟を出撃し、黄河を渡り、寇恂との合流を目指していた。
「さすが馮異だ。戦略上の眼目を決して見誤らない」
この場合の眼目(要点)とは、河内郡の防衛である。孟にこだわって河内を失ってはここにいる意味がなくなる。
その馮異に対する信頼があればこそ、朱鮪は彼をここまで思うままに動かせたのだ。凡将や愚将相手ではこうはいかない。
「よし、我らも平陰へ向けて出陣」
偵騎から馮異が黄河を渡り始めたとの報告を受けると、朱鮪も洛陽を進発する。渡河前に出発したのでは馮異が黄河へ乗り出すことなくそのまま引き返してくる恐れがある。馮異の渡河を待てば、そのぶん平陰到着は遅れるが、朱鮪は意に介さなかった。
「構わぬ。堂々と進軍すればよい」
むしろ急がぬ方がよい。これは馮異と寇恂に動揺を与え、指揮の統一を乱すことも目的なのだ。
二将に対しての示威を込めて、朱鮪は平陰へ進む。