第13話 扶溝候(完)

文字数 1,420文字

 そんな朱鮪の心を知ってか知らずか、劉秀は声音をゆるめて続けた。
「それにしてもよく朕がおぬしを通じて李軼を害させたと見抜いたな。さすがだと言いたいが、他人に掌中であやつられるなど不快であったろう。すまなかった」
「いえ、そのような」
 顔をうつむけたまま朱鮪はあわてて答えたが、言われてようやく気がついた。自分は劉秀に利用されたと知りながら、これまでまったく腹を立てていなかったことに。自身の不甲斐なさが第一の要因と自覚していたとしても、他人の意のままにあやつられるなど、劉秀以外が相手なら確実に不快さと怒りを覚えていたであろうに。
「私自身、知らぬ間に陛下の大きさを感じ取っていたのか」
 朱鮪は劉秀の器の大きさを無自覚に感得していたらしい自分に、どこかおもしろみと納得、そして喜びを感じていた。


「さあ、話はここまでにしよう。続きはすべて片づいてからだ。急ぎ洛陽へ戻ってくれ。兵を尹尊に横取りされてはたまらぬ」
 そんな朱鮪――と岑彭――を、先ほどと同じことを言いながら劉秀は急かす。いまだ争覇戦の最中(さなか)、一兵でも惜しいのは劉秀も変わらない。
 それを聞いた朱鮪は勢いよく立ち上がると、劉秀の自分に対する最初の勅命に力強く答えた。
「御意!」
 その声量に劉秀も岑彭もわずかに驚いたが、朱鮪の目は真の主君に出逢えた喜びに濡れており、それを見た皇帝もやわらかくほほ笑んだ。
 建武元年(西暦25)九月辛卯、こうして朱鮪は劉秀に(くだ)った。

 
 この後、朱鮪はすぐに洛陽へ出発し夜に到着する。そして次の朝には全兵士を連れて正式に投降した。
 その朱鮪を、劉秀は平狄将軍に任じ、扶溝候に封じた。
「王ではなく候だ。受けてくれような」
 笑いながら劉秀がからかったのは、朱鮪が「劉氏にあらずんば王に封じず」と更始帝に強く諫言(かんげん)し、自らに下賜(かし)される王爵も断固拒否したと聞いていたからである。
 主君の諧謔(かいぎゃく)に、わずかに羞恥を浮かべながらも朱鮪も笑みをこぼし、当然謝意と共に受け容れた。


 朱鮪は将としても充分に有能だが、本質的には性に合っておらず、どちらかといえば行政官、もっといえば与えられた役目を誠実にこなしてゆく役人の方が向いていたかもしれない。
 劉秀本人がそれを察したか、あるいは人物鑑定にかけて異能を誇る彼の重臣・鄧禹(とうう)が見抜いたか、朱鮪はこの後の争覇戦において将として戦闘に参加することはなかった。
 少なくともその記録はない。
 朱鮪が争覇戦の最中、どのような官職に()いていたかの記録もないが、おそらく幕僚の一人として様々な進言をおこなったのではないだろうか。
 それは軍事はもとより、内治に関するものも多かったかもしれない。


 そして争覇戦に勝利し、天下を再統一した劉秀――光武帝により、朱鮪は少府に任じられる。
 少府は九卿の一つで、皇帝の衣服や諸物、宝貨、珍膳などを管理する職とされるが、同時に政務の中枢を司る権限も付属されており、朱鮪は主にこちらを担当したのだろう。
 あるいは彼本来の性情から、職分通り、劉秀の身の回りの世話や宮中の管理を、誠実に、丁寧に、おこなった可能性もある。
 どちらにせよ朱鮪の後半生は幸せなものだったのではないだろうか。
 そして死後も幸福であったろうことは、彼の爵位・扶溝候が、累代の子孫たちに伝えられた事実からも明らかである。




                                                              終



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