最終話 ゴキブリ

文字数 2,113文字

 昨夜の寝床は苦しかった。
 何も考えないようにしようとしても、目を閉じて必死に寝ようとしても、立華のことが頭に浮かび、自分のしたことが頭に浮かび、罪悪感と後悔の念に襲われ、睡眠を妨害された。
 結局、一睡もできずに朝を迎え、寝不足のまま学校に向かう。
 立華……どうしてるかな。私のことどう思ってるかな。
 不安を抱えながら昇降口に入った。
 自分の下駄箱の前で、靴を履き替えようと上履きを持ったとき、上履きが異常に重く感じた。不審に思って上履きの中を覗くと、そこには数えるのが面倒なくらい多くの画鋲が入っていた。

「な、なにこれ……」

 今までも画鋲を入れられたことはあったが、こんなにも大量に入れられたことはない。
 だれがやったんだろう……。もしかして、昨日のことが――立華に酷い行為をしたことが、だれかに知られたのだろうか……。それを知った人が憤りを感じてこんなことをしたのだろうか。
 私は覚悟する。そのことに対しては、どんな罰も受け入れると。
 とりあえず、鉛筆や消しゴムが入った筆箱の中身を全て取り出して、その中に画鋲を入れた。鉛筆や消しゴムはしかたないので、ひとまずバッグの中にぶちまけておく。後で筆箱に入っている画鋲を教室にある画鋲入れに入れようと心の中で決めて、上靴を履く。
 上靴を履いた後、不安に苛まれながら教室までゆっくりと歩いた。教室のドアの前まで来ると、さらなる不安が津波のように押し寄せてくる。
 怖い、怖い……。逃げ出したい……。
 でも、入らなければならない。そんな気がした。
 深呼吸をして、意を決する。ドアを開けた――
 ――ショートヘアーの美女が教卓の側面の前にいた。教室に入った瞬間、その美女と向かい合う状況になったのだ。その美女は私を視認すると、ギロッとした目で見てきた。性格のきつそうな美人だ。
 一瞬、だれ……こんな人クラスにいたっけ……と思った。しかし、よく見て、気づいた。

「り、り、りっか……?」

 髪がショートヘアーだけど、目つきがあの立華とは全然違うけど、この美しい顔立ちは立華だ。間違いなく、立華だ。
 立華のあの綺麗な長髪が、どうしてこんなにも短くなっているの? どうしてそんな目で私を見るの?

「か、かみ……そのめ……ど、どうしたの……」

 私を見る立華の目が、汚らわしい下等生物を見る目に変わる。本当に立華か疑いたくなるほど、今までの立華とは雰囲気が違った。

「こんにちは。ゴキブリ」

 立華が喋った。一瞬何を言われたか、理解できなかった。数秒後、何を言われたか理解すると、今度は立華がそう発言したことが信じられなくなった。信じたくなかった。

「……りっか……」
「私は勘違いをしていました。愚かな勘違いをしていました。あなたは人間じゃありませんでした。あなたは――――ゴキブリです。醜悪で、汚らわしい、ゴキブリです」
「……りっ……か……」

 立華は私から顔を逸らし、教室を教卓の横から見渡した。私も立華と同じように教室を見渡す。クラス中の生徒が、私に侮蔑の目を向けていた。

「みんな、踏みましょう。このゴキブリを踏んで踏んで踏み潰しましょう」

 立華が冷たく言い放つと、クラス中の男子と女子が一斉に席を立った。鬼頭さんが私を蹴り倒した。それから、立華を含む全員が私を踏みはじめる。みんな私を見下していた。立華の目は、その中でも特に私を見下していた。
 無数の足が――汚い上履きの大群が、私に降ってくる。まるで無慈悲な雨のようだ。
 踏まれた
 踏まれた 踏まれた
 踏まれた 踏まれた 踏まれた
 踏まれた、踏まれた、踏まれた、踏まれた、踏まれた、踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた踏まれた――――――――
 ――――でも、そんなことはどうでもよかった。私は、もう、どうでもよかったのだ。
 それよりも、立華にゴキブリと呼ばれたことが……いや、

がショックで……もう踏まれているとかどうでもよかった。
 りっか……ごめんね。
 ご……め……ん……ね―――――――――――――――――――



 あれから、立華は率先して私をいじめるようになった。
 私にあれほどひどいことをしていたやつらもドンビキするほど、立華は私をいじめた。
 立華は私に教室の掃除を全て押し付けた。私をホウキで叩いた。私の教科書を全部トイレのゴミ箱に捨てた。私に男子トイレの便器を舐めさせた。私の髪をバリカンで剃って丸刈りにした。
 仲が良かったころが嘘みたいだった。立華は私とご飯を食べなくなった。遊ばなくなった。話さなくなった。私に笑顔を見せてくれなくなった。
 すっかり立華は人が変わってしまった。
 私のせいだ。
 私のせいで、立華は身も心も汚れてしまった。
 この世に花はなくなってしまった。私が枯れさせてしまったのだ。
 私はゴキブリがお似合いだ。
 こんな身も心も醜悪で汚らわしい私は、人間扱いされなくて当然だ。
 ごめんね、ごめんね、立華。
 私、黙ってあなたのいじめ、受けるよ。
 それが、私の罰。あなたに対する償い。
 私は、もう、ゴキブリでいい。
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