第15話 美男美女とゴキブリ

文字数 6,526文字

 文化祭二日目。ある物が入った青い袋を通学カバンに入れてから、私は家を出て学校に向かった。
 お化け屋敷と化した教室に着くと、珍しく先に立華がいた。そしてその隣には、またもや城ヶ崎君がなぜかいた。

「モカちゃん、おはよう」
「うん、おはよう。城ヶ崎君もおはよう」
「おはよう、モカさん」

 挨拶を当たり前のように交わしていると、クラス中の女生徒がこちらを妬ましそうに見てきた。中にはぎりぎりと歯ぎしりをする生徒や、ハンカチを噛む生徒までいる……。
 こわ……。

「モカちゃん、今日はゴキブリのコスプレなんてしなくていいからね。私と城ヶ崎君がクラスのみんなに説得をしておいたから」
「え、そ、そうなんだ……。ありがとう、立華。城ヶ崎君も」

 辺りを見渡すと、教室中の生徒が不満そうな顔をしていた。たぶん、私がゴキブリのコスプレをしないことが気に食わないのだろう……。

「今日は一日中遊べるよ。今日こそはいろんなところ行こうね!」
「う、うん!」

 思わず感情剥き出しの返事を立華にしてしまう。城ヶ崎君は、そんな私と立華をニコニコといつも以上に笑顔で見つめていた。舌打ちがいくつも聞こえてきたが、私はもはやあまり気にならなかった。
 文化祭開始の放送が入ると、私と城ヶ崎くんと立華はまず体育館に行った。そこで軽音楽部や吹奏楽部の演奏を一時間くらい聴いた後、一年二組に行って人形劇を観る。
 人形劇の物語は、坂口安吾の『夜長姫と耳男』だった。私はこの小説を読んだことがなかったが、結構グロテスクな話で驚かされた。また、そんな物語を可愛らしい人形が演じるというギャップにも驚愕した。そのギャップが、物語の残酷さをより引き立たせているような気がする。
 人形劇を観た後は、二年一組の映画を見に行った。テニス部の男女の恋愛模様を描いた作品だった。

 テニス部の主人公は同じテニス部に好きな子がいて、しかしその子は別の男の子が好きで、だけどその男の子は別の女子が好きで、その男の子が好きな女子は主人公のことが好きで……というややこしいストーリーだった。
 結局だれもくっつかずに、みんな恋愛より部活動に高校生活を捧げようという結論に至って、その映画は幕を閉じた。
 ぶっちゃけつまんない映画だった。実際にテニス部の人がやっていたのか、作中のテニスの試合は迫力があったが……。まぁ、素人が作った映画に面白さを求めるのも酷な話か。
 映画を観た後、私たちは運動場の出店でりんご飴や焼きうどんなどを食べた。全て城ヶ崎君の奢りで。
 なぜ城ヶ崎君はこれほどまでに奢りたがるのだろう……。

「ごめんねー。城ヶ崎君、またおごらせちゃって」

 焼きうどんを食べ終えると、立華が城ヶ崎君に申し訳無さそうな顔と声音で言った。
 私たちが現在いるところは、運動場の端にある焼きうどんの出店だ。その裏に備え付けられてあるベンチに、私たちは座っている。左から私、立華、城ヶ崎君という順番で。

「いや、いいよ。ほんと、気にしないで。お金の使い道に困ってるくらいお金があるんだからさ」
「どうしてそんなにお金があるの?」

 私が訊くと、

「自慢じゃないけど、両親が二人とも医者でね。かなり裕福な家庭だと思う。たぶんそのこともあって、毎月十万くらいおこづかいをもらえるんだよ。こんなにもらっても使い切れないのにね」

 城ヶ崎君は困ったような笑顔を浮かべて語った。

「へー、すごいね。私の二倍ももらってる」

 立華が驚きを含んだ声で言う。
 ……ということは、立華は毎月五万ももらっているのか。
 いいな……二人とも。私なんておこづかいすらもらえないのに……。お金が必要になったらお父さんに言って、必要最低限のお金をもらっているだけの私からすれば、信じられないくらいの話だ。

「だから、気にするなよ。どんどんおごらせてくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。ありがとう」
「ほんとに悪いね。いつもありがとう」

 私に続いて、立華が城ヶ崎君に礼を言ったそのとき――

「――立華!」

 聞き覚えのある女性の声がした。

「え?」

 立華が疑問の声を漏らし、目を見開く。立華の父と母がこちらに向かって走ってきたのだ。

「お父さん、お母さん!?」
「来ちゃった」

 驚きの声を上げる立華に対して、お茶目にも片目をつぶって舌を出す立華のお母さん。年を取ってはいるが美人なので、可愛らしい仕草だった。

「来るなんて聞いてないよ!」
「立華を驚かそうと思ってね。モカちゃん、お久しぶりね」
「あ、ごぶさたしてます……」

 立華の母親に頭を下げた後、間髪を容れずに立華の父親にも頭を下げる。立華の父親は私に頭を軽く下げると、城ヶ崎君の方を見た。

「で、君はだれかね?」

 少し警戒心を感じさせる声で言う立華の父親。今まで黙って見守っていた城ヶ崎君はスタッと立ち上がり、一礼した。

「この二人の友達で、城ヶ崎浄と言います」
「ふむ……友達なんだな?」
「はい」

 疑り深い目をする立華の父に対して、城ヶ崎君は爽やかな笑顔で答える。

「こらこら、お父さん、そんなに威圧的な態度をしないの」
「してないよ」

 母の言葉に苦笑する立華の父。

「かれこれ立華を三時間ぐらい探していたんだけど、なかなか会えなくてね。もう今日は会えないんじゃないかと焦ってたわよ。ようやく会えてよかったわ」

 立華の母親は笑顔で語る。

「じゃあ、立華とそのお友達にも会えたし、私たちはこれで帰るわね。二人とも、立華をよろしくね」

 立華の母はそう言い残して、その場から離れていった。立華の父は慌てて母の後を追う。

「仲の良いご両親だね」

 背中が遠のいていく立華の両親を眺めて、城ヶ崎君は言った。立華はそれに言葉ではなく、苦笑で答える。

「次どこいこっか」

 私が言うと、二人はうーんと声を上げて悩みだす。やがて城ヶ崎くんが、

「あ、じゃあ、ぼくのクラスのお化け屋敷に来ないかい?」
「え? いいけど……立華は?」
「え? あ、うん、いいよ」

 なぜか立華はぎこちない笑みを浮かべて言った。
 私たちは二年四組に向かった。向かう途中に多くの人とすれ違うが、女性は城ヶ崎君を見て顔をポッと赤くし、男性は立華をじろじろといやらしい目で見ていた。私はというと、みんな見た瞬間顔を嫌そうに歪ませて、すぐ目を逸らしていた。
 今日はずっとこんなかんじだ。二人と文化祭を回るのは楽しかったが、このように二人との違いも感じないといけないので辛くもあった。
 先ほどすれ違った二人の男性の会話が聞こえてくる。

「あの子めっちゃかわいかったなー」
「隣の男もめっちゃイケメンだったな」
「でも、もう一人の女はめちゃくちゃブサイクだったな」
「なー。なんであんなやつがあの二人と一緒にいるんだろうなー」

 ああ、だから嫌なんだよ……この二人と歩くのは。私だってこの二人と一緒にいるのが不思議なくらいなんだから……。
 周りの視線や声に嫌気がさしながら、私は二人と校舎の三階に向かった。そこに着くと、私と立花のクラスである二年三組の隣にある四組に行く。
 それにしてもお化け屋敷が隣どうしにあるって……。まぁべつに珍しくはないが。去年もそういうことあったし。

「なぁー、二年四組のお化け屋敷怖いらしいぜ」
「まじかー。でも、三組のお化け屋敷も怖いって聞いたな。なんでもゴキブリのコスプレをしたやつが四つんばいで追いかけてくるとか……」
「あー、でも、今日はいないらしいぞ、ゴキブリのコスプレしたやつ」
「そうなのか? じゃあ、四組行くか」

 三組の前を通り過ぎて、四組のお化け屋敷に入っていく男子が、そんな会話をしていた。
 三組の様子を見ると、昨日よりも客の入りが良くないように感じた。
 そんなに昨日の私は怖かったんだろうか……。

「モカちゃん? どうしたの? ボーっとして?」

 立華に顔を覗きこまれた。立華の整った顔がいきなり目の前に現れて、驚いて一歩後ろに退いてしまう。

「早く入ろ」

 立華に急かされる。城ヶ崎君はお化け屋敷の前で、相変わらず爽やかな笑みを浮かべて待っていた。

「うん」

 私は返事をして、二人とお化け屋敷の中に入った。
 二年四組のお化け屋敷は、基本的な作りは私のクラスのお化け屋敷とたいして変わらなかった。ただ、私のクラスよりも部屋が暗いところは違った。
 遠くが見えない。目の前の光景がかすかに見えるだけだ。
 急にぎゅっと手を握られた。私が驚いて後ろを振り返ると、立華が私の手を握っていた。

「ど、どうしたの? 立華?」
「ご、ごめん。私、暗いところ苦手なんだ……」
「え? でも三組のお化け屋敷では平気そうだったけど……」
「ここまで暗くないし、三組のは何が起こるかわかってるもん……こことは別だよ……」

 立華が私の手を握る力が強くなる。怖がっている立華に対して、私は胸が高鳴っていた。
 だって、立華の手はスベスベしていて、触り心地が良くて……。
 私の隣にいる城ヶ崎君は、そんな私と立華をニコニコとわざとらしいくらいの笑顔で見ていた。

「大丈夫。怖くないよ。私がいるし、城ヶ崎君もいるもん」

 そう言うと、立華が少し安心したような顔つきになった。手を握る力も弱まっている。
 それから立華と手を繋ぎながら歩いていると、急に目の前が明るくなった。そして、ところどころに赤いしみがある包帯まみれの人が目の前に現れた。

「キャーーーーーーッ!」

 と立夏は絶叫して私に抱きついてきた。

「たたたたた、たたた、たす、けてぇ……」

 その血だらけ包帯まみれ人間は、私たちに向かってのそりのそりと歩いてきた。そいつが近づいてくるたびに、立華が私を抱きしめる力が強くなる。
 どうやら立華はかなりの怖がりなようだ。対して城ヶ崎君はというと、相変わらず涼しい顔をしている。
 私もべつに怖くはなかった。それよりも立華に抱きつかれて、立華の柔らかい胸が当たっていることや立華の良い匂いがしてくることの方がよっぽど問題だった。
 頭がどうにかなりそうだ。

「立華。べつに怖くないよ。相手はのろまだし……」

 血だらけ包帯まみれ人間を避けて、前に進んでいく。

「ほら、ね?」

 私がそう言うと、立華はほっと一息吐いて私から離れた。正直言って少し名残惜しかった。
 それから十数秒歩いていると、ポタ――ポタ――と規則正しいリズムで水滴が落ちるような音が急に聞こえだした。

「な、なにこの音……」

 立華が私の手をまた握ってきた。立華の怯えが手を通して伝わってくる。立華に手を握られたまま歩いていると、目の前に井戸が現れた。もちろん本物の井戸ではなく、それっぽくしてあるだけのものだ。
 突如、その井戸から白くて細い腕が伸びてきた。

「ヒッ、な、なに!?」

 立華が悲鳴を上げる。
 やがてもう一方の腕も井戸から出てきた。そしてゆっくりと顔が出てくる。
 とんでもなく長い髪だ。前髪がだらりと垂れていて、顔が隠れている。
 緩慢な動作で、そいつは井戸から四つんばいで地に降りてきた。そして、すくっと立ち上がる。そいつは白いワンピースを着ていて、その下には針金のように細い足が伸びている。
 なんかどっかで見たことあるような幽霊だった。

「キエエエエエーーーーッッ!」

 突如、その幽霊は金切り声を上げて、私たちに向かって走ってきた。

「きゃ、キャアアアアアッッッ!」

 同じくらい大きな声を上げた立華は、私の手を引いて走り出す。

「ちょ、立華!? て、手が痛い!」

 しかし私の言うことが耳に入っていないのか、立華は無我夢中で走る。城ヶ崎君は涼しい笑みを浮かべて、そんな私たちについてきた。そして城ヶ崎君の後ろを、その白ワンピおばけがついてきている。
 立華はどんどんスピードを速める。足の速い立華に手を引かれるのは辛かった。 結局、その白ワンピおばけはゴール直前まで私たちについてきた。

「ふぅー、や、やっとおわったー」

 出口を抜けると、立華がぺたんと座り込んだ。

「そんなに怖かった?」

 私が言うと、

「怖かったよー」

 と泣きそうな顔で言ってくる。その顔があまりにも嗜虐心をそそられるものであったので、

「じゃあ、次は一年一組のおばけ屋敷に行こうか」
「なんで!? やだよ!」

 と立華をプンスカと怒らせてしまった。
 そのとき、文化祭終了の放送が流れた。それと同時に寂寥感に襲われる。
 ああ……もう終わってしまったんだ。楽しかったのに……。
 文化祭を楽しめるなんて思ってもいなかった。立華と城ヶ崎君のおかげだな……。

「終わっちゃったね……」

 私は名残惜しさを感じながら言った。立華はそれを察したのか、

「来年も文化祭はあるよ」
「……うん」
「来年の文化祭も一緒にまわろうね」
「うん!」

 私と立華は笑い合う。城ヶ崎君は何も言わず、そんな私たちを笑顔で眺めていた。

          *

 文化祭が終わったからといってすぐに帰れるわけではない。後片付けをしなければならない。
 私たちは文化祭の片づけを必死こいてやっていた。片づけを開始してから一時間ぐらい経つと、城ヶ崎君が教室に来た。女子たちがキャイキャイと騒ぎ出す。

「自分のクラスの片付けが終わったんでね。こっちの片付けも手伝うよ」

 そう言って、城ヶ崎くんは私たちの片づけを手伝いはじめた。
 さらに三十分ぐらい経って、ようやく片付けが終わった。お化け屋敷になっていた教室が、机が整然と並ぶいつもの教室に戻っている。

「ねー、このコスプレ衣装どうしよっか?」

 教卓の上にどさっと置いてある、ミイラとゾンビとゴキブリのコスプレ衣装を、しょうゆ顔の女性徒が指差した。

「あ、じゃあ、このミイラとゾンビのコスプレ衣装もらっていい?」

 太い眉が特徴的な女性徒が、しょうゆ顔の女生徒に言った。

「いいけど、どうして?」
「いや、なんかに使えるかなーって」
「ふーん。ゴキブリのコスプレ衣装は?」
「いらない」
「そりゃそうか」
「どうするこれ?」
「あいつに持って帰らせればいいじゃん」
 あいつっていうのは私のことなんだろうな……。

「いらないなら、ぼくがそれをもらってもいいかな?」

 そのとき、城ヶ崎君がその二人のところに来て言った。女性徒二人は同時に「え」と驚きの声を上げる。
 私も驚いていた。他の生徒たちも城ヶ崎君のことを不思議そうに見ている。

「え、いいけど。な、なんで?」

 しょうゆ顔の女性徒が顔を赤くしながら言う。

「これ、よくできてるからさ、家に来た友達とかをこのコスプレ衣装を着て出迎えたら、驚かせそうだろ?」
「ああ、なるほど。そういう使い方、おもしろそうだね」

 太い眉の女子が言う。
 たしかに驚かせそうだけど、だからってゴキブリのコスプレ衣装をもらうのは少し変に感じた。やたらとおごりたがったり、お節介を焼いたりすることといい、ちょっと変わった人だよね、城ヶ崎君って。イケメンだし、いい人ではあるんだろうけど。

          *
 
 文化祭二日目の下校途中。今日も立華と二人で帰っていた。駅のホームで電車を待っているとき、私は切り出した。

「ねぇ、立華」
「なに?」
「はい、これ」

 私はカバンの中から青い袋を取り出して、立華に渡した。

「なにこれ?」
「た、誕生日プレゼント」
「え!? 覚えててくれたんだ」
「当然だよ」

 立華が袋の中に手を入れる。そして赤いマフラーを取り出した。それを見た途端に、立華は表情をパアっと明るくする。

「わぁ、ありがとう。大切にするね!」
「よかった。気に入ってくれたようで」
「うん。すごい気に入ったよ。あ、ところでモカちゃん、クリスマスに何か予定あったりする?」
「え? 特にないけど」
「じゃあさ、私の家でクリスマスパーティしようよ。ごちそうたくさん用意するよ」
「え、いいの?」
「いいのって、いいに決まってるよ」
「う、うん。わかった。じゃあ、行くよ」
「よかった」

 目と口を線にして笑う立華。
 そのとき、電車が来た。電車に乗って、ドアの近くの手すりを私が掴むと、立華もその手すりを掴んだ。立華がニコニコと上機嫌な笑みを顔に貼り付けて、

「クリスマス楽しみだね」
「うん」

 私たちは電車に揺られながら話す。
 いつもは何も感じないこの揺れやガタンゴトンという音が、妙に心地よく感じた。
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