第12話 城ヶ崎浄はたぶんいい人

文字数 6,038文字

 昼休みが終わり、再び競技が行われる。
 立華は百メートル走の本戦に出て、見事に一位を取っていた。またクラスメイトたちから賞賛の嵐を受けている。ついでに、その間に男子の百メートル走本戦が行われ、城ヶ崎浄もまた一位を取っていた。
 この二人を見ると、世の中の不公平さを甚だしく感じてしょうがない。キャーキャーと騒いでいる人たちはそれを感じないのだろうか?
 百メートル走本戦の後は、自分にとっては特に見所のない競技が続いた。ぼんやりと他人の走りを眺めているうちに、いつのまにか最後の競技である男女混合クラス対抗リレーが行われるところまできた。

 クラス対抗リレーは学年別に行われる。生徒たちは一人百メートルを走らなければならない。クラスごとに白線内側の北東、北西、南東、南西に生徒を配置し、それぞれの位置からバトンを受け取って生徒は走ることになる。
 北東と南西の位置にいる生徒は直線を走ることになり、北西と南東にいる生徒は曲線を走ることになる。私は南東なので曲線だ。立華は北東だから直線を走る。

 クラス対抗リレーが始まる前、私のクラスのほとんどの生徒たちが「絶対勝つぞー!」と気合満々で叫んでいた。
 なんかやだなぁ、こういうガツガツしたの。私は苦手だ。
経験上、このように団体競技においてクラスが熱く燃えているときは、実力の低い者やミスをした者がすごい糾弾される傾向にある。
 緩い雰囲気のときは、誰かがミスをしてもたいていの人はあっさりと許してくれるし、それを非難する人がいようものなら逆にその人がみんなから非難されていた。
 あくまで私の経験上の話に過ぎないが……。でも、なんだかクラスがピリピリとした雰囲気で、嫌な予感を抱かずにはいられない。
 ミスしないように気をつけなきゃ……。この雰囲気だと、ミスをしたら絶対罵倒される……。特にみんなから嫌われている私だと、なおさらひどいことを言われるだろう。

 ついに、クラス対抗リレーが始まった。北東の生徒から走り始め、バトンを北西の生徒に渡す。そして北西の生徒は南西にいる生徒にバトンを渡し、南西の生徒は南東、南東の生徒は北東に渡していく。
 私は緊張しながら自分の番を待っていた。やがていよいよ自分の出番が来る。南西の生徒が私にバトンを渡してくる。私はしっかりとバトンを受け取り、走りだした。
 ふぅ。よかった。ちゃんとバトンを受け取れた。とりあえずは一安心。

 現在私のクラスである二年三組は三位だ。前を走る二人との差もあまりないので、充分逆転可能な位置にいる。
 やがて、次の走者の顔がよく見えるところまできた。だれも抜いていないが抜かれてもいないので、良くもなく悪くもなくといったところか。少なくとも非難されるような走りではなかったはずだ。
 次の走者のすぐ前まで来ると、その子が走りながら腕を後ろに伸ばしてきた。その手に向かってバトンを渡そうとしたとき――

「あ!」

 次の走者である女の子が、悲鳴が混じった驚きの声を上げる。バトンを掴みそこねて、下に落っことしてしまったのだ。
 ああ、やってしまった。
 慌ててその女の子はバトンを拾って走り出す。しかし、その間に私たちのクラスはビリになってしまった。その子は懸命に走るが、だれも抜けない。それからも私たちはドベから挽回できず、最下位でリレーを終えてしまった。
 閉会式が終わり、生徒たちがぞろぞろと校舎に向かう中、私たちのクラスはだれもグラウンドから去ろうとはしなかった。暗い顔の生徒としかめっ面の生徒が、それぞれクラスの半分くらいを占め、どんよりとした雰囲気が辺りに漂っている。

「うっ、うっ、うっ、」

 突如、バトンを落とした子が、顔をうつむかせて泣き始めた。みんなはそれを見て、慌てふためきだす。

「ごめんね、私がバトンを落としちゃったせいで負けちゃって、うっ、ひっく、ひっ」
「そ、そんなことないよ、気にしないで!」
「カナちゃんは悪くないよ!」
「渡辺さん泣かないで!」

 バトンを落とした彼女に対して、皆が必死に励ましだした。それでも彼女は泣き止む気配がない。しばらくして男子生徒の一人が、

「渡辺さんは悪くねぇよっ! ゴキブリの渡し方が悪かったんだよ!」

 と言い出した。すると他の生徒達も、

「たしかに……」
「ほんとそれ。あいつの渡し方乱暴だったよな」
「なぁー、あいつマジでゆるせねー!」
「全部ゴキブリのせいだよっ! カナちゃんが責任を感じることないっ!」

 みんなが憎悪をこめた目で私を見てきた。
 ええ……。なぜか私だけが悪いということになってしまった。たしかに私の渡し方にも問題があったかもしれないけど、だからって私に全ての責任を押し付けるのはおかしくないか……?
 私はいまだ目を擦りながら泣き続ける渡辺さんを見る。すると、一瞬――本当に一瞬だが、渡辺さんが微妙に口角を上げたのが目に入った。
 ……コイツ。さては嘘泣きだな? 私に責任を押し付けるために周りから同情されようと考えての行為だな?
 なんて狡猾な女なんだ。見た目はおとなしそうなのに……。

「モカちゃんは悪くない!」

 突然、立華が叫んだ。

「り、立華……」

 立華に視線を移す。立華は両手を硬く握り締め、唇を噛み、眉を吊り上げていた。

「どうしてモカちゃんだけ悪者にするの! あなたたち、それでもクラスメイトなの!? そんなんだから、その程度のチームワークだから、私たちは負けたんだよ!」

 立華の剣幕に押されたのか、ほとんどの生徒が狼狽した顔になる。

「り、立華ちゃん……で、でもよう」
「立華ちゃん、私たちは……」
「言い訳なんて聞きたくないっ!」

 立華が怒号を響き渡らせると、全員が口を閉じた。だれも口を開こうとしないで、立華からわずかに視線を逸らしている。
 険悪な空気が場に流れ始める。そのとき、私の目の前にいた女性徒が「あっ」と唐突に声を上げて私の後ろを指差した。
 振り返ると、なぜか城ヶ崎浄がこちらに向かってきていた。
 え……なんで城ヶ崎君がこっちに?
 城ヶ崎君は私の真横らへんに来ると、口を開いた。

「いきなり他クラスの者が割って入ってきてすまない。言い争いをしていたので何だと思って近づいて話を聞いていたが、どうしても無視できなかったのでね。部外者かもしれないが発言させてもらうよ。ぼくも見てたけど、この子のバトンの渡し方が悪いようには思えなかったな。受け取った子が掴みそこなったのが原因のように見えたよ」

 いきなり、彼はそんなことを言いだした。
 え……どうして城ヶ崎君が無関係な事情につっこんで、私を擁護するの……?
 城ヶ崎くんの顔を見る。城ヶ崎君は私よりも頭ひとつ分以上背が高いので、自然と見上げる形になる。城ヶ崎君は私にニコッと柔和な微笑を見せてきた。それを見ていた一部の女性徒がクラッとよろけるほど、破壊力のある笑顔だった。
 やがて女子の一人が、

「そ、そう言われてみれば確かにそうかも!」

 と城ヶ崎君の意見に同調しだした。それは他の女性徒にも広がり、

「そ、そうね! 城ヶ崎君の言うとおりだわ!」
「しっかりバトン受け取りなさいよ! 渡辺さん!」
「泣けば許してもらえると思ってんじゃないわよっ!」

 ほとんどの女子が、手のひらを返して渡辺さんを責めはじめた。渡辺さんはそんなクラスメイトの姿に泣きまねも忘れ、口をだらしなく開けて呆然としている。
 男子たちはそんな女子たちをあきれたように眺めていた。やがて、どうでもよくなってきたのか、脱力した顔で男子たちはこの場を離れはじめる。
 渡辺さんと立華と私以外の女子は、城ヶ崎くんの周りに群がってキャーキャーと騒ぎ出した。その光景を、渡辺さんは唇を噛みながら見つめている。
 私に責任を押しつけてきた相手だとはいえ、さすがに気の毒になってきたので渡辺さんに声をかけた。

「あの、渡辺さん、ごめんね。私の渡し方も悪かったよ……」
「うるせぇ。ゴキブリ。死ね」

 渡辺さんはそう吐き捨て、ズカズカと地面を強く踏んで校舎の方へと去っていった。
 人が善意で言ってやったというのに……。

「なにあの態度!」

 いつのまにか隣に立華がいた。プンプンと怒っている。頭に鬼の角でも生えていそうな怒り方だ。

「モカちゃんがあんなに優しく接してあげたのにっ! しかもうるせぇとかゴキブリとか死ねとかいくらなんでもひどすぎるよっ!」
「べつに気にしてないからいいよ……」
「よくないよっ!」

 立華の怒りは治まりそうもなかった。困っていると、城ヶ崎君が女子の集団から離れて私と立華のほうに来た。女子たちが物凄い形相で私のことを見てくる。
 ああ……また私は自分から何もしていないのに恨まれてしまった……。

「君、大丈夫かい? 辛かったろう?」

 城ヶ崎君が、心配そうに眉尻を下げて声をかけてきた。
 コイツも立華と同じでどんな表情でも美しいな……。

「あ、いえ、大丈夫です」

 城ヶ崎君にこんな間近で顔を見られて、私は恥ずかしくなる。イケメンだからというのもあるが、私の顔は醜いのであまり間近で顔を見られたくないという理由が大きい。
 しかし、城ヶ崎くんは私の顔を間近で見ても一切嫌そうな顔をせず、常に柔和な笑みを浮かべている。
 私の顔を見たら、ほとんどの人が顔を嫌そうに歪めるのに……。ひょっとしてコイツも立華と同じタイプの人間なんだろうか……。やっぱり顔が良いと性格まで良くなるのかな?

「そうかい? ならいいけど……」
「あの、どうして私を擁護してくれたんですか?」

 気になっていたことを尋ねた。

「深い理由なんてないよ。単純に困っている人を放っておけないたちなんだ。君が不当な非難を受けているから擁護しただけだよ」

 城ヶ崎君は、邪気を全く感じさせない笑顔で言う。
 困ってる人を放っておけない、か。本当にこんな人いるんだ。驚いた。

「あ、あの、モカちゃんを助けてくれてありがとうございますっ!」

 なぜか立華が城ヶ崎君に礼を言う。

「うん? どうして君がぼくに礼を言うんだい?」
「モカちゃんは私の大切な友達ですから……」

 その言葉に、私は飛び上がりたくなるほどの喜びを感じた。

「へぇ、友達思いなんだね、立花立華さんは」
「あれ、どうして私の名前を……」
「そりゃあ知ってるさ。君は有名人じゃないか。いつもテストが学年一位だからね。毎回君に大差をつけられて悔しいよ」

 城ヶ崎君は苦笑する。その姿もかっこよかった。立華は困ったような顔をしている。
 たしか城ヶ崎君は常に学年二位なんだっけ……。毎回その順位だったら、そりゃあ一位の人を意識するだろうな……。

「でも、次のテストは君に負けないよ。じゃあ、ぼくはそろそろ教室に戻るよ。君たちも早く戻ったほうがいいんじゃないか?」

 城ヶ崎君がこの場から立ち去る。彼の言うとおり、このままだと制服に着替える時間がなくなってしまうので、私たちは急いで校舎の方へと走っていった。

          *

 帰り道。いつものように立華と下校していると、立華が城ヶ崎君のことについて話してきた。

「城ヶ崎君ってさ、いい人だね」
「うん。そうだね……」

 私は少し不安になった。立華が城ヶ崎君を好きになってしまうんじゃないかと。

「ねぇ、立華。立華ってさ、同性愛についてどう思う?」
「え、どうしたの急に?」
「さ、最近さ、よく問題になるじゃん。だから立華はどう思ってんのかなーって」

 立華は若干納得していないような顔をしていたが、

「んー、同性愛かー、いいと思うよ、同性愛」

 それを聞いて安心した。

「そ、そう」
「――でも、私は同性を恋愛対象としては見られないかな」
「そ、そう……」

 一気に天国から地獄に叩き落された。でも、どうせ無理か。立華と私は本来一緒にいちゃいけないような人間だし……。

「ちょっと前、立華は、今は友達だけでいいって言ってたけどさ、いつになったら彼氏作ってもいいって思っているの?」
「んー、そうだなー。今のところ、高校性の間はいらないと思っているけど……大学生になったら考えてみようかな……。私ね、結婚を前提にしか付き合わないって決めてるの。だから、じっくり考えて相手を選びたいんだ」
「そうなんだ……」

 真面目だなぁ、立華は。こんだけ容姿が良かったら、男をとっかえひっかえしそうなもんだけど……。

「大学生かー」

 立華が赤く焼けた空を見上げて呟く。なにを考えているのだろう……。私も立華と同じように頭上を見てみる。
 大学生になったら、私は何か変わるのだろうか。たぶん今より集団行動は少ないだろうから、いじめられることは少なくなると思うけど……。

「ねぇ、モカちゃん。大学って楽しいのかなぁ?」

 突然、そんなことを訊かれた。
 いや、急にそんなことを訊かれてもな……。楽しいかどうかなんて、今のところはわからないよ。

「どうだろう……入ってみないとわからないよ」
「あはは、それもそうだね」
「その前に受験について考えないとね……。来年のこの時期は受験勉強で忙しいんだろうなぁ……」
「あー。そっか。たしかにそろそろ考えないといけない時期か……。モカちゃんは志望校決めてあるの?」
「私? 私は地元の国立かなぁ」

 親から私立はダメだと言われているし……。

「へー。じゃあ、私もそこにしよ」
「え?」
「え、どうしたの? 驚いた顔をして」
「な、なんで? 立華だったら、もっといい大学いけるのに……」

 立華だったら、都心にある超難関大学だって行けるはず……。

「え、だってモカちゃんがいるし。私、モカちゃんと同じ大学行きたいもん」

 それを聞いて嬉しかったけど、同時に怒りも感じた。

「な、なんで。だめだよ! 私のレベルに合わせたら! 立華はもっと上の大学に行かなきゃ!」
「んー、でも、私は特に行きたい大学なんてないし……」
「それでもダメ。私に合わせるのやめて」
「なんで?」
「なんでって……」
「私は何を言われようと、モカちゃんと同じ大学に行くよ」

 意志が強くこもった目で言われる。
 ……なんて頑固なヤツなんだろう……。はぁ。しょうがない。腹をくくろう。

「……わかった。私が立華のレベルに合わせる」
「え?」

 立華が瞠目する。
 今日から勉強しまくらないとな……。

「その、私はいいんだけど、モカちゃんはそれで大丈夫なの?」
「うん。大丈夫」

 本音を言うと、全然大丈夫じゃない。私の学力だと、毎日勉強漬けの生活を送らないとダメだろう。いや、そんな生活を送っても厳しいくらいだ。
 私一人の力じゃ、立華のレベルに合った大学なんて受からないだろう。でも、立華がいれば――

「立華」
「なに?」
「その、勉強、わかんないところ、教えてくれると嬉しいな」
「……もちろんだよっ!」

 立華は嬉しそうに返事をした。これから地獄のような勉強の日々が待っているというのに、私もなんだか嬉しくなる。
 温かい色で照らされた道を、私たちは仲睦まじく歩いた。ゆっくり、ゆっくりと、この時間を噛みしめるように……。
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