四、人事異動

文字数 6,875文字

 東京支部の襲撃以降、「楽土蒐集会」が絡む日本での大きな動きはなかった。既にこの国から撤退したのではという話も、所沢は近ごろよく耳にしている。そんな折、所沢に辞令が下った。今いる部署から、「『楽土蒐集会』捜査部」へ異動せよと。
 通常なら四月か九月に言い渡されるはずの辞令も、特定の蒐集団体摘発を目指して設立される捜査部となれば、十一月の今でも出される。その日の朝に所沢が向かったのは、東京にある国際蒐集取締機構日本支部の地下三階だった。エレベーターの案内板にも表示がなく、外に出ることを阻まれたような部署のある階へ下りる。廊下は埃っぽく、奥に行くまで照明の付いた部屋は見当たらなかった。ようやくすりガラスで出来た小窓が光を見せる戸に辿り着き、所沢は深呼吸をした。
 思ったより重い扉を、ゆっくり押し開ける。窓がない部屋の中央に机が四台ずつくっ付いて向かい合う形で並べられ、もう一台が奥の短辺に当たる所に配置されていた。壁際には所沢より背の高い本棚に、隙間のないほど本が収まっている。そこから一冊出してページをぱらぱらめくる男を見つけた。割と年は取っているようで、顔には所々に皺が刻まれている。他に人はいないようだ。 こちらの存在も気付かず口笛を吹く男へ、所沢は声を掛けた。ここが「『楽土蒐集会』捜査部」で合っているか尋ねると、男が振り向くなり笑顔になる。
「そうだよ! きみ、確か所沢さんだね? まぁ入りなよ。特に朝礼とかないけどさ」
 男に手招きされ、所沢はどこか空気の湿っぽい部屋へ入っていった。そして彼がこの部署で捜査部長を務める日光春宣(にっこうはるのぶ)と知り、思わず凝視した。年度末で定年退職が決まっていると聞いていたが、背筋はぴんと伸びており、手足もしっかり動くらしい。いくらか出っ張っている目にも、生き生きと光が宿っている。これから先、十年は働いていけるのではないか。
 所沢の席は長方形の短辺にある机――いわゆる誕生日席であった。そこの椅子に鞄を置く間、日光から自分の誕生日がいつか問われる。四月一日と答えるなり、なぜか前祝いと称して上司が急に歌いだした。壁も床も灰色じみた無機質な部屋に響く老人の歌に、所沢はどのような顔をすれば良いか分からない。
「ハッピーバースデーディア……『国蒐構(こくしゅうこう)希望(きぼう)』さん?」
「所沢! 所沢雲雀です! そう呼ぶのはやめてください!」
 そう反論しても聞く様子なく、日光は最後まで歌い上げた。そして閉じ気味だった片目をさらに細め、笑みを深める。
「この部署のみんな、きみには期待しているよ。『彼女に任せておけば、全部何とかなるんじゃないか』って。さすがにおれもそこまでにはならないと思うが、きみがいるだけで心強いよ。国蒐構特別学校、主席で卒業したんだってね?」
 昔の栄光だと、所沢は話を止めようとする。警察学校に当たる養成機関を無事に出て、多くの蒐集家を逮捕してきたのは事実だ。しかしそれを変に持ち上げられている気がする。自分の配属前より検挙率が上がったなど、別に己だけの功績ではないだろうに。
「それで日光さんは、これまでどんな捜査をされてきたんですか?」
「色々だよ。何人かの会員は逮捕してきたしね。何より、一番の収穫がある。奴らがなぜ、日本や世界からありとあらゆる美術品を盗むのかってことだが。これはどの部署にも伝わっていない、極秘情報だよ。今のところは流出禁止だからね」
 日光は手にしていた本を仕舞い、別の本棚から分厚いスクラップブックを取り出した。机に音を立てて置き、いくらかめくった箇所を上司は指差す。そこには変色が目立つ新聞の切り取りが二枚並んでいた。どれも見出しの位置や写真は同じだったが、違うのは使用されている文字であった。右側は日本語だが、左側は所沢の見たことがないものが記されている。アルファベットのようで、それが大きく崩れたような字だった。
「これは『ライニア日報(にっぽう)』って新聞で、二十年前の記事でね。見ろ、物騒なもんが書いてあるだろう?」
 日光の言葉に、所沢は頷かざるを得なかった。日本語版では「議事堂占拠」や「首都壊滅」などの見出しが大きく載っている。知らない字で書かれているのも、同じ内容だろう。スクラップブックの数ページにわたって、その事件に関連した切り取りが貼られていた。途中で何度か散見された言葉に、所沢は疑問を持つ。
「『大魔法使(だいまほうつか)い』とか『インディ』って、何ですか?」
「嗚呼、まず前提から知ってもらわないとね。ライニアは異世界にある。そしてそっちの世界では屈指の、魔法が栄えている国なんだ」
 ライニアの存在する世界で魔法は一般的だが、全員が使えるわけではない。対してライニアでは、国民のほぼ全員が「魔法使い」であるという。中でも国に認められた優秀な魔法使いは「国家認定特別魔術師(こっかにんていとくべつまじゅつし)」――通称「大魔法使い」として尊敬される。
「大魔法使いは最大七人いるんだけどね、二十年前にその一人・インディって男が仲間と一緒に政府へ反抗した。クーデターって奴だね。ここにあるようにもうひどい様で、いったん事件は収束したけど今度は市民が暴れだして――」
 ライニアでは「大魔法(だいまほう)(らん)」と呼ばれる騒ぎの後、首謀者インディに感化された人々が首都以外の町でも殺害や破壊活動を行った。それから十数年は「平和」であったが、去年再び大規模な内乱が起きたという。
「全然平和じゃないだろう? 何回かの乱で、文化・娯楽施設といったものも破壊された。『楽土会』はライニアに平和を取り戻そうとしているんだよ。その一環で、あらゆる世界から取り入れた文化を広める博物館を建てている」
 日光は本棚からファイルを取り出し、白黒で印刷された図面を所沢に見せた。「楽土蒐集会」の建設している博物館の設計図で、外観だけでなくどこに何を配置するかまで細かく決められている。日本の伝統工芸を展示する場もあり、所沢は息を呑んだ。
 確かにライニアが殺伐とした状態であったとは分かった。だが「楽土蒐集会」が望む平和と、彼らが蒐集する文化にどのような関係があるのか。
「平和でない時っていうのはね、人に文化を楽しむ余裕がないんだよ。みんな戦いのことばかり考えて、文学とか美術なんてのは気に掛けやしない。おまけに上からは規制の対象さ」
 例えば戦時中の画家は、戦意高揚のために描くことへ従わなければ絵の具さえ手に入れられなかったそうだ。そして戦争が終わるとその協力者として糾弾され、人生に影を背負った。さらに人々も生きること自体に手一杯だ。文化財の修復も、軍事品製造などに押されて後回しとなる。直すどころか、貴重な美術品や建築が破壊される危機に陥る。
 加えて、互いの文化を理解し合えば争いはなくなる。相手の価値観を尊重すれば、恐らく宗教や民族による問題で戦争は起きない。争いだらけのライニアで人に文化を教えるため、「楽土蒐集会」は動いているという。
 蒐集家の思わぬ目的に、所沢は耳を疑った。蒐集家は、社会にとっての悪であるはずだ。実際、所沢がこれまで見てきた彼らはどうしようもない者たちだった。ただ自分の欲望を満たしたいがために世の規範を破り、人を傷付けてきた。それに比べれば、「楽土蒐集会」の抱える願いは崇高に思える。
 そうして惹かれかけていた心を、所沢は咄嗟に引き戻す。蒐集家である以上、「楽土蒐集会」にも悪の面があるはずだ。日光の話を思い返し、その悪事に気付く。確かに組織の狙いは、言葉だけでは素晴らしいものに聞こえるかもしれない。だが実態はどうか。所沢は拳を机に叩き付けた。
「ライニアには文化が広まるかもしれません。でも他の国はどうなるんですか? 文化を守るとか言って、よそのそれに危機を招いているなんて、全然平和的じゃないですよ!」
 資料に視線を落としていた日光が顔を上げ、笑みを深めた。彼もまた、蒐集家の悪事を見過ごしてはおかないだろう。加えて自分より組織に詳しいとなれば、これ以上頼れる存在はない。
「何としてでも、『楽土会』を止めましょう! 早速――」
「あ、ちょっと待って。今から二、三日くらい、ここを離れるから」
 返事をしようとして間抜けな驚き声を上げた所沢は、新しい上司を唖然と見つめた。彼は制服を整え、今にも部屋を離れんとしている。
「待ってください! 捜査なら私もついて行きます! そういえば他の職員の皆さんは、まだ来ないんですか?」
 何も載っていない机を所沢は見渡す。「だいたいいつものこと」だと、日光はさほど大事でないように返した。
「二人は当直明け、二人は公休、三人は先に行っておれを待ってるよ。まぁ、休みたい時には休めってよく言ってきたからねぇ。それでおれの仕事が増えたってのは、自業自得かな?」
 つまり日光が去れば、ここには自分しかいなくなってしまうのか。あまりの人員不足に、所沢は固まる。聞けば捜査部の全員が揃っていることはほとんどないらしい。理由は捜査のためばらばらに行動することが多いだけでなく、休む者がも度々いるからだ。この部署が地下に追いやられているのは、「楽土蒐集会」にまつわる情報漏洩を防止するためだけでなく、職員の態度を表沙汰にしたくないからでもあるのではないか。第一、規模の大きい「楽土蒐集会」を相手にするなら、もっと人員を増やすべきではないのか。
 色々と思っているうちに日光が扉へ手を掛け、所沢は慌てて行き先を問う。
「潜入捜査の続きだよ。『楽土蒐集会』に混じってね」
 あっけらかんとした答えに、所沢は声が出なくなる。日本で捜査部が設立されてから、上司と一部の部下は潜入調査員として組織に忍び込み、同時に彼らの仕事を手伝っていた。蒐集こそしなかったが、彼はすっかり「楽土蒐集会」に溶け込んで目的の達成に協力してきた。喫茶店で出すメニューの考案や展示期間調整を手伝ったのだと、日光は楽しげに語る。そのそばで所沢は、今にも膝から崩れ折れたい心持ちであった。訴えたい感情はあるのに、なぜか言葉として発せられない。
 こちらの具合を案じ、すぐに問題はないと確認して日光は再び背を向けてしまった。外へ出る間際、彼はわずかに振り向いて所沢へ何気ないように問う。
「きみ、今の職場は好き? 本当のところはどう思っている? ま、帰ったら聞かせておくれよ」
 上司の去った後、室内に保管された資料を探って所沢はライニアの知識を蓄える。先ほど見せてもらった博物館の地図を見つつ、溜息が零れる。
 捜査をするだけならともかく、蒐集家の活動に手を貸すのはどうなのか。まるで犯罪に協力しているようではないか。敵の懐に入り込んで彼らの目標を完遂させようとするより、その場で一気に逮捕してしまった方がよほど効率は良い。そうすれば今この間に奪われていく品の数も減らせるというものだ。
 一方で「楽土蒐集会」の計画には、いまだに疑念があった。本当にこのような大規模な計画が、異世界で実行されるのか。そもそも異世界とはどんな場所なのか。所沢はこれまで、日本国内でしか仕事をしてこなかった。異世界を通して活動している者もいるとは聞いていたが、自分とは縁遠いように感じていた。それがこうして、直接異世界と関わることになるかもしれないとは。悪に加担する日光が得た情報がなければ何も分からないままでいたことに、胸がちくりと痛む。彼の最後にした問いの答えも、ふと考えたくなってきた。
「……そもそも異世界なんてなければ、こんな職場も生まれなかったんだよね」
 誰もいない空間で声を出すのは、ひどく物寂しい。急に自分が恥ずかしくなり、所沢は再び資料へ目を戻す。蒐集家と定義される条件は、異世界で活動していることだ。存在が広く知られれば大事になりかねない世界にまつわる情報流出を防ぐため、率先して関わっている蒐集家を捕らえるべく国際蒐集取締機構は生まれた。
「そこまでして隠す必要、本当にある?」
 確かに人のものを奪う蒐集家は許し難い。彼らなら異世界を知っていても良いような空気が出来ていて、その世界を知るために蒐集家となった者もいるという。これではいつまでも、取り締まるべき対象は増えるばかりではないか。一般社会にさえ秘されている彼らの存在を、その危険を堂々と知らしめてやりたい。
 思っただけで出来そうにない願いを抱え、所沢は机に伏す。いつの間にか、何が大事か分からなくなってきた。何をしたいのだったか、ひとまずは「楽土蒐集会」に関することが肝心だと身を起こす。外光の閉ざされた部屋で調べているうちに、所沢は昼食も忘れていた。

 普段なら徹夜もよくある刑事の仕事だが、班に誰もいない今日くらいは構わないだろう。日が暮れる前に職場を出、空きっ腹を抱えて「七分咲き」へ行く。店は開いたばかりで、苫小牧が快く出迎えてくれた。所沢が日光のことや情報収集の苦労を語ると、苫小牧はややあってカウンターの奥にある暖簾越しの部屋に入っていった。やがて紙束や何冊かの本を抱えて戻ってくる。
「良かったら参考に使って」
 苫小牧に勧められるまま折り畳まれていた紙束を開くと、それは切り抜きのされていない「ライニア日報」の日本語訳だった。今日のものだけでなく、数日前までの新聞もある。それ以前の号も自宅にあるので持ってこようか尋ねる苫小牧に、所沢は顔を上げた。
 そういえば彼女は、自分が国蒐構に入る前から異世界に興味を持っていたのだ。その件について蒐集家との関連を疑ったこともあった。実際、店内には蒐集家であることを隠さずにいる客を度々見掛ける。それでも彼らの逮捕へ踏み切れずにいるのは、女将として懸命に働いている後輩の前で遠慮してしまうからか。もしかしたら幇助罪へ問われるかもしれない苫小牧のことも、蒐集行為は行っていないからと目を逸らしてしまう。そうしていればただ自分を苦しめ、いずれ社会に悪影響を与えかねないのに。
 ここは友人の店で、今は他の客もいない。何も考えなくて良いと自らに言い聞かせ、所沢は新聞を手に取る。ざっと今日の「ライニア日報」を見た限り、博物館にまつわる事件は書かれていない。何も起きていないのか首を傾げる所沢の耳に、苫小牧の呟きが聞こえてきた。
「『早二野』の皆は大丈夫かしら。記憶が合っていれば、今日が本部へ行く日だったはずだけど」
「……はやにの?」
 ここ最近、動かない「楽土蒐集会」を警戒していたので、所沢は他の蒐集団体について知らなかった。前にもこの店にいた富岡椛率いる「早二野」なる組織が新しく作られ、「楽土蒐集会」を倒そうとしているらしい。ちょうど所沢が配属された部署の最終目標と、奇しくも同じ目的を彼らは持っていた。
「でも四人しかいない蒐集団体で、『楽土会』が壊滅できるっていうの?」
「それをやってのけてしまう気がするのよ、私は」
 鍋で調理をしている苫小牧が微笑んでいる。所沢も蒐集家を追う者として、新しい部署の一員として「楽土蒐集会」壊滅には意欲を持っていた。しかしその思いが、「早二野」の持つものと同じであるなら。
「……気に入らない。蒐集家なんて犯罪者と考えが一致するなんて」
 どのように動いているのであれ、蒐集家は盗みや殺人を厭わない犯罪者だ。起こす事件が多い故、警察の手に負い切れないほど、彼らは凶悪なのだ。社会を乱す存在をこの世からなくすために、所沢は国際蒐集取締機構に入った。敵と同調する部分があるなど、認めたくない。
 苫小牧の目元が、いくらか強張ったように見えた。だがそれはすぐに崩れ、いつもの何を考えているかよく分からない印象に戻る。
「雲雀ちゃんと『早二野』は、やり方が違うだけよ。『楽土会』への思いが同じだって、良いじゃないの」
「嫌だよ、悪人と同じなんて」
 仮に「早二野」から手を組めと言われても、絶対応じるものか。強く突き放すと、大人びた後輩から笑いが漏れた。
「そういうの、本当に誰かと似ている。……そう、富岡さんみたい」
 自分が正しいと思ったことは貫く。そこが共通していると聞いて、所沢の胸に不満が芽生えた。自分が犯罪者と同じであるなど、考えるだけでぞっとする。
「――だいたい、菖蒲ちゃんの教えてくれた字で『はやにの』って読むのはおかしくない? 『そうにの』って呼ぶべきじゃないの?」
 新たな敵である団体名を卓面へ指で書き、所沢はふと浮かんだ疑問を零す。そこに意味はないのだと女将は当たり前のように言って、頼んでもいない料理を出してきた。だしの香りが食欲を掻き立てるカツ丼だったが、所沢は食べるのを一瞬躊躇った。実際には行われていないとはいえ、取り調べで容疑者が食べるイメージがどうも拭えない。軽く苫小牧を睨んでから丼に手を伸ばすと、日光はいつ帰ってくるのか彼女に聞かれた。明後日の予定だと答え、切りにくいカツに箸を入れる。
「その新しい上司さんが帰った時には、このお店に連れて来てくれない? 無理にとは言わないけど」
 所沢と視線を重ねる女将は、裏などないと言うかのように微笑んでいた。
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