二、楽土の平定者

文字数 2,713文字

「同僚」たちは既に傷も癒えて、「本拠地」にいるとのことだった。いつか教えてもらった術でそこへ行き、春日山は眼前にそびえる黒い屋根の建物を見上げた。切妻造の施設は、木で出来ていると見せかけてコンクリート製だと聞いている。雲の間からわずかに差し込む光が、柱と壁の赤を眩しく映す。
 正面の自動ドアを抜けると、まだ営業していない売店や喫茶店が円形の広いホールを囲むように鎮座していた。地下二階から地上六階まである広い館内を巡る中、探していた「仲間」たちと度々行き会う。彼らに差し入れを渡そうとするも、連戦連敗に終わった。
 灰色の廊下を進み、春日山は息をつく。この暗い色合いの中で、気分は滅多になく沈みそうだ。何せ、白神のことが分からない。彼は仇の自分を殺したくて「楽土蒐集会」へ入ったのではないのか。こちらは恨まれてもおかしくない人間なのに。
「上司」を探し、見当を付けていた地下二階の事務室へ入る。廊下の壁と同じ色をした扉を開けてしばらくは、机上の紙を見つめているのが「上司」だと気付けなかった。何せ、普段付けている眼帯がない。右目の辺りに傷の縫われた痕があり、醜さが露わになっていた。だが大勢の部下と同じく、先日の襲撃による傷はすっかり治ったようだ。
 ややあって顔を上げた副会長は、自分の存在に驚いたようだった。そんな彼に手を振り、春日山は机に重い紙袋を置く。事情を話すと、平泉は自身以外の人にも会ったか問うてきた。
「ちらほら見掛けたよ。僕に向かって、元気に噛み付いてた」
 平泉と言葉を交わしながら、春日山は紙袋から小さい箱を一つ取り出す。
「これと同じ奴があと十個以上あるんだけど、全部僕が食べなきゃ駄目かな?」
 春日山が箱を開けて見せたショートケーキに、平泉は顔をしかめる。洋菓子より和菓子が好みだったらしい。片付けようとしたが、そのままで良いと止められた。部屋の隅にある食器棚の引き出しから出したフォークを添え、とりあえず差し入れの在庫減少に春日山は安堵する。「なぜ来た」「お前なんか『楽土会』にいたか」「運の良いやつ」など言ってきた仲間より、この男は話が分かりそうだ。
「副会長さん、本当にこのまま『楽園』を開いて良いのかい?」
 ケーキの皿を隅によけていた平泉が、動きを止める。春日山がわざわざここに来てまでしたかった問いは、予想通り彼を痛めつけたようだ。いつも強気な彼らしくもなく、戸惑いが見えている。
 この博物館に収める展示品を得るため、「楽土蒐集会」は各地で強奪を繰り返してきた。それに際して殺人や破壊活動が行われてきたとは、春日山も知っている。そして平泉がそんな部下たちの行い、果ては自ら命じるようになったことに悩んでいたとも見抜いていた。
「……この前あんたが言ってきた通りだよ、春日山。ぼくはやりたくないことをやっている。故郷を壊したやつらと近いことをね」
 平泉は、組織が「悪」を犯しているという自覚を強く持っていた。強硬な手段を用いる構成員たちに対し、武器を使えないようにさせたこともあった。しかしこの国がある世界では使える力も、日本を有する世界では宝の持ち腐れだ。そうして白神家のような被害を出してしまったのだ。事件を起こした春日山も、当時は副会長に一時的な謹慎を求められている。
「あいつが流されやすくて何でも受け入れるから、せめてぼくだけはしっかりしようと思ったんだ。――それでも平和のためにこんなことをしているなんて、来館者が聞いたらどう見るだろうな」
 平泉の言う相手が会長のことだと春日山は気付く。黙って好きなようにさせてくれる彼には良い印象がある。しかし副会長は、相当苦労させられているようだ。二十年ほど前に故郷で起きた騒ぎのような事態を防ぐため、彼らは動いてきた。その様に引っ掛かりを覚え、春日山は顔をしかめる。
「君は平和のためとか言っているけど、自分のことは考えてないのかい? 自分より、国の方が大事だとでも?」
 蒐集家を名乗るからには、やはり自分を優先すべきだ。人は、自分がしたいからものを集める。己の欲に従って蒐集を始めたのが、数多いる蒐集家の起源だ。それを見習って、やりたいことをやれ。
「平泉君、蒐集家ってのは自分を大事にしなくちゃいけないんだよ。不満を持ったまま動いても、君の心に悪いだろう? ストレス抱えていると、早死にするよ」
 部下である立場も忘れ、春日山は「上司」の背を叩く。平泉はぼんやりとした目でじっと考え込んでいた。
「ところで会長さんは、君と同じ願いを持っているんじゃないの?」
 しばらく無言でいた後、平泉はくぐもった声で零す。熊野は博物館のこと以外は口を出していない、そもそも自ら意見を言うことさえ少ないという。まるで彼への信頼を不安に思っているかのような口ぶりだった。
「そこまで彼が気になるなら、一度話し合ってみたらどう? 君が思いもしなかったことを考えているかもしれないよ?」
 それで何らかの動きがあれば面白い。期待を胸に浮かべつつ、肝心の会長がどこにいるのか春日山は尋ねた。彼は今、日本で一時的に設立した蒐集拠点である本部にて、展示予定品の精査を行っているらしい。そこで偵察結果を受けて、「早二野」を待ち受けているのだ。
 聞いたことのない団体の存在を誰に聞いたのか、春日山は問うたが返事はなかった。恐らく、彼が贔屓にしている「七分咲き」の女将だろう。その団体に白神がいると聞き、春日山の耳は引き付けられた。
「ならちょうど良い。僕は『勝負師』君と決着を付けなきゃいけないからね」
 平泉が口をわずかに開ける。その反応も無理はない。春日山はこの半月、ずっと考えを巡らせてきた。とっくに心は決まっている。やりたいことだと言い張り、平泉が止めようとしてくるのを押し切った。そのまま紙袋を手に部屋を出ようとする。
 ここまで長く平泉と話したのは初めてかもしれない。そう思って出入り口の戸に手を掛けた時、春日山は後ろから呼び止められた。
「土産になるかも分からないけど、色々考えさせてくれたあんたに教えておきたいものがある」
 平泉尊というのは偽名だ。実際には生まれ故郷で付けてもらった名がある。そう言って平泉は「本名」を春日山に教えてきた。明らかに異国風の語に苦笑し、春日山はその名を繰り返す。
「意外と面倒見がいいんだな、春日山」
「人のためになんかやってないよ。それじゃあ『偽善家』と同じだ」
 副会長の言葉に、春日山は上唇の少しめくれた口を尖らせる。そして相手の顔を見ず、扉を引き開ける。運が良かったら、さよならだ。少し距離の縮まった「上司」に別れを告げ、春日山は廊下へ足を踏み出していった。
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