二、七分咲き

文字数 3,356文字

 苫小牧の言う「堕天使」こそ、治が他の蒐集家に呼ばれている二つ名であった。グラスを持っていた治の手が止まる。その目がこちらへ動いた気がして、椛は一瞬固まった。そしてすぐに何ともないふりをすべく、お冷のお替わりを要求する。
「何、俺に相応しい呼び名だよ。それでこの店はね――」
 治がグラスを置き、ついさっきの険しさが嘘のように話しだす。ここは出入り口にもあった通り、紹介された者しか入れない店だ。そして交渉のみならず、時に窃盗や傷害といった違法行為を働きながらものを集める人々――いつからか「蒐集家」と呼ばれるようになった存在が集う。今や世界にどれほどいるか分からない彼らが、情報交換や近況報告を行っている。それを間近で聞き、時には役に立ちそうなことを教えてくれる苫小牧は、まさに蒐集業界の「情報屋(じょうほうや)」だった。
「それで先ほど仰っていた『楽土会』なるものも、ここに来ているというんですか?」
 お品書きに見向きもせず、真木が厳しい声で問う。そんな単語を聞いた気もするが、椛は「楽土会」が自分とは遠いもののように感じていた。治の話もあまりしっかり聞く気が起きず、とりあえず品書きで目に付いたオレンジジュースと鶏の唐揚げを注文する。
「あそこの会員とかはよく来ているんじゃないかな。さすがに幹部クラスは分からないけど」
 幹部など重そうな言葉が聞こえてきたが、椛は無視して苫小牧の作業を眺める。切ってある鶏肉に衣を付けて揚げていく様は、何とも手際が良い。自分ならここまでてきぱきと段取りを進められないだろう。具材が鍋に入り、油が跳ねていく音が耳に心地よかった。そこに肩を掴んできた真木の方へ引き寄せられる。自分にも関係のあるかもしれない話だから、ちゃんと聞いておけと。すぐ忘れるだろうことを思うも、椛は仕方なく言う通りにする。
「さっき君たちの箱を取り返そうとしていた『楽土会』は、十年くらい前から活動しているみたいでね」
 真木がカウンターの隅に置いた箱を、治は指差す。同一の目的を持って集まる蒐集家の組織が、この業界にはあるらしい。中でも広く暗躍している「楽土蒐集会(らくどしゅうしゅうかい)」――通称「楽土会」が日本で動きだしたのは、この二〇二〇年に入って以降だ。彼らは現在広がっている新型ウイルスなどものともせず、博物館や美術館の規模を問わず休館の隙を狙うなどして、保管されている美術品を奪っていた。
「それで彼らは、どうやら異世界とも関わりがあるみたいだね。会員にそこの出身者がいるとか何とか、まだはっきりとは分かってないけど」
「異世界の人なら、このお店にもよく来るわね」
「ちょっと待って、ちょっと待って! いきなりわかんないよ!」
 治にいきなり告げられた現実も、苫小牧が特別でもないように口にした言葉も、椛にはすぐに理解し難かった。出された食事に箸を伸ばしながら、椛は治の説明を聞いて頭を整理する。どうやらこことは別に、平行する世界がいくつかあるとのことだ。まだ公には広まっていないというその存在は、しかし確かに今自分がいる所まで身近になりつつあるようだった。意外にも、今年から蒐集を共にしてきた真木さえ、存在をさほど疑っていないらしい。
「私の勤める博物館にも、よくそれらしき方が来られますね。なかなかこれといった特徴が見つかりませんが」
「多分見た目では判断できないと思うよ。俺たちから見て外国人風なこともあれば、日本人と区別が付かない人もいるんだってね。名前も住んでいる場所に応じて変えたりするんだとさ」
 異世界人はずっと昔より、密かにこの世界へ来ていた。そう言って治は、椛の前にある皿から唐揚げを一つつまみ取る。
「それなら先ほどわたし達を囲んでいた人の中に、異世界から来た方がいるとも考えられるんですね?」
 勝手に料理へありつく二人に呆れを見せ、真木が静かに問うた。頷いた治はグラスの中を足してもらってから、椛にじっと目を向けた。再びのどこか冷たい視線に、椛は慌てて箸を置く。
「話は変わるけど、富岡さんは蒐集家を『良い人』と勘違いしていないかい? 俺も『楽土会』もそうだけど、蒐集家ほど人を無下に扱う輩もいないよ」
 何度も瞬きをする椛に、治が溜息を漏らして語る。蒐集家は「天使」のような存在ではない。彼らが動くのはいわゆる「裏社会」や「世界の闇」であり、非合法な手段がまかり通る。蒐集に際しての殺害などよくあることで、時には得た品と交換に麻薬や武器の取引が行われる。それを対処するために蒐集家のみを取り締まる国際的な警察組織まであると聞いて、椛はついに頭を抱えた。あの爽やかな「天使」は、幻だったのか。
「……うそだよ、うそだよ! そんなことあるわけないもん! あたしは会社をやめてから『天使』みたいになりたくて――」
「良いから『天使』のことは忘れなさいよ、椛。いつまでもそんなのに憧れて、本当に子どもっぽいんだから。ほら、人前くらい見た目もきちんとしなさい、だらしない」
 真木にされるがまま、椛のぼさぼさであった髪が直される。いつの間にかズボンから出ていたシャツの裾も入れ戻された。面倒だという理由で化粧もせず、服装にも気を使わないでいる椛の胸に、「だらしない」の語が突き刺さる。蒐集業界の暗い事実だけでも打ちのめされているのに、これ以上追い込まれたら心が持たなくなってしまう。今聞いたことは全て忘れようと、椛は強く首を振った。
「ほかの蒐集家が危ない人だからって、あたしには関係ないよ! これまで通り真木ちゃんと一緒に、困った人を助けるんだ!」
 何がおかしいのか、治はこちらに背を向けて笑っている。椛が問い詰めると、彼はすぐに姿勢を前へ転じ、真剣な眼差しとなった。再び話題は、「楽土蒐集会」へと切り替わる。
「彼らは多くの美術品を奪っているみたいだけど、『偽善家』さんとしてはどう思う?」
 その呼び方に言い返そうとして、椛の怒りはより深刻そうな別件へ転じた。片手でペンダントの先を握り、もう片方の拳でテーブルを叩く。苫小牧が驚いて作業を止める中、急に込み上げた思いが口を突いた。
「そのなんとか会っていうのもひどいよ。人が大事に持ってたものを泥棒するとかさ。いったい何がしたいの?」
「俺にも分からないよ。目当ての品は伝統工芸を利用したものが多いみたいだけど。気になるのはさっき見せてもらったペンダントでね」
 自然と椛の視線が、紐から下がる部分に移った。何者かに奪われ、「天使」に返却されたものだ。治によればこれを盗んだ人物も、「楽土蒐集会」に所属している可能性が高いらしい。昔、蒐集業界で一時話題になっていたという。
 どうやら「楽土蒐集会」と自分には、思ったより因縁があるようだ。容赦なく武器を向けてきた彼らとまた対峙すると考え、不意に体が震える。
「でも美術品として価値あるものならともかく、『楽土会』は何故椛のペンダントみたいな代物を集めるんでしょうかね?」
 真木の言葉に首を縦に振ろうとして、椛は額をテーブルにぶつけてしまった。いつの間にか瞼が重くなり、頭がぼんやりしている。「楽土蒐集会」の目的を考えるべく真木と治が話しているとは分かるが、詳しい内容までは入ってこない。椛もついて行きたかったが、顔を上げるので精一杯だった。ちょうど正面にいた苫小牧と目が合う。
「苫小牧さんはどう思う? なんとか会がどうして盗むのかとか……」
「『楽土蒐集会』ね。私もちゃんとは知らないけど」
 至って落ち着いた様子で、女将は彼女なりの一意見を述べる。
「蒐集家は元々、自分のために動く人間なの。それと関係があると思うわ」
 つまり「楽土蒐集会」も、美術品の持ち主が抱える思いを気にしない自分勝手な者たちなのか。そんな彼らへの怒りが湧く一方、人のために動いている自分が「偽善家」と呼ばれていることが不満でならなかった。「天使」に憧れて、本当に人が喜んでほしいと願っているのに、なぜ。
「『偽善家』じゃないよ、『偽善家』じゃ……」
 独り言を呟く呂律も、あまり回らなくなってきた。今の時刻は見ていないが、いつも起きていない時間帯であるのは確実だ。「楽土蒐集会」を巡る会話も遠ざかり、椛はテーブルに伏せたまま眠り込んだ。闇に落ちる寸前、誰かが肩回りに布を掛けてくれたのを感じて。
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