14章―4
文字数 3,413文字
フィードは攻撃を仕かけられず、悔しげに肩を震わせている。ギールはにやにやと笑いながら、ライオンの背に肘をついた。
ナタルは、昔世話役だったフィードから教わったことを思い出す。クィン島は野生動物と人間が共存する[島]であり、凶暴な猛獣が人間を襲うことはないという。というのも、クィン人は動物と心を通わせられるらしい。
にわかに信じがたい話だが、名所ツアーにて、クィン人のケイティが野生の鳥と戯れる様子を実際に目撃している。更に目の前でライオンを従える『狼』まで見せられると、この話は真実だ、と思わざるを得ない。
「前々から思ってたんだがよ、貴様を見てると腹が立つんだよ。『烏』の下僕だった生意気な『蛇』野郎が、今では社長代理だあ? 虫唾が走るぜ!」
ギールはライオンの背を叩き、フィードを指差した。
「まさかそっちから来るとは思わなかったが、いいチャンスだ。行け! あの『蛇』野郎を喰っちまえ!」
ナタルはフィードを守るように前に出る。彼は駄目だとばかりに、強い力で引き戻そうとした。
しかし、ライオンは地を震わせるように呻るだけであり、襲いかかる様子は一切見せなかった。それどころかゆっくりと檻に戻り、肉の塊にかぶりついてしまう。これにはナタルだけでなく、ギールも唖然とした。
「お前は私だけでなく彼女も危険に曝した。これは立派な殺人未遂だ。……直ちに、警察に通報させてもらう」
ナタルは隣を見る。フィードは無表情を貫いていたが、その言動には、怒りが滲み出ていた。ギールは黙ったまま地面に崩れ落ちる。ナタルの横をすり抜け、フィードは鋭い眼で『狼』を見下ろした。
「ただし。あの男を返してくれるのなら、この件は黙っておこう。どうする、グリー社長?」
ギールはすぐさま立ち上がり、殺意がこもった目で『蛇』を睨み返す。そして「勝手にしろ!」と一言吠え、獣舎を後にした。
フィードは「ふん」と息を吐き、先に進もうとする。ナタルは慌てて、その腕を掴んだ。
「フィード、本当に通報しないつもり?」
「グリーンウルフ社を失うと、RCにとっても大きな損失になります。あの『狼』には消えられると困るのです」
カツン、カツン、と靴音を響かせながら、フィードは奥の闇に消える。ナタルはこれ以上文句を重ねることなく、彼の後を追いかけた。
獣舎の最奥には、頑丈な鉄の扉があった。ナタルが[潜在能力]の助けを借りてこじ開けると、高級ホテル風のワンルームが現れる。どうやらギールの自室らしい。
部屋を見回しても誰もいなかったが、キングサイズのベッドにはラウロの衣服が放置されている。フィードはそれを手に取り、無言で震えていた。
すると、ドアが開く音が聞こえた。二人が顔を上げると、バスタオルを被ったラウロが下着一丁の状態で現れた。彼は一気に赤面し、フィードに駆け寄り服を奪い取った。
「な、な、なっ……ナタルはともかく、なっ、何でフィードがここにいるんだよっ!」
ラウロは着替えようとするが、気が動転しているのか床に転がってしまう。今にも襲いかかりそうなフィードの腕をがっちり掴んだまま、ナタルは苦笑した。
「あんたが攫われたって聞いて、助けてくれたの。さすがに私一人じゃ無理だったから、フィードにもお礼、言っときなさいよね」
「ふん、感謝される筋合いはありません。私はただ、この男にたかる邪魔者を排除したかっただけです」
着替え終わったラウロは床に胡坐をかき、バスタオルで長い髪を梳かしながら二人のやり取りを眺める。フィードをちらりと見てすぐに目線を外し、彼は恥ずかしげに口を尖らせた。
「フィード。助けてくれて、あんがとな」
青い『蛇』は黙ったまま、何も返さない。だがナタルの手の中では、呼応するように力がこもった。
「じゃあこんなとこにいる必要もねぇよな。さっさと帰……いってぇ!」
「どっ、どうしたのよ!」
立ち上がろうとしたラウロは尻を押さえ、床に突っ伏す。ナタルが咄嗟に助け起こすと、彼は涙目で訴えた。
「俺、痔になったかもしれねぇ。あんなでかいの反則だろ!」
その言葉の意味を察し、ナタルは呆れ返る。背後では、怒れる『蛇』の嫉妬と殺意が爆発していた。
――
獣舎から脱出し、グリーンウルフ社を後にする。ナタルとラウロは車の後部席に乗り、フィードの運転で帰路についていた。
バックミラーには時々『蛇』の鋭い視線が映り、誰も何も話さないまま、緊張感だけが流れる。[家族]がいる場所は伝えていなかったが、迷うことなく到着した。
キャンプ場としても使われている空き地。時刻は深夜であり、ちらほらと停まっているキャンピングカーは皆真っ暗だ。だが[家族]が待つ銀色のキャンピングカーのみ、灯りが点いていた。
二人は下車し、運転席を降りたフィードと向かい合う。ナタルはラウロを守るように、フィードの前に立ち塞がった。
「ひとつだけ聞かせて。ギールが言っていた『烏』って、私の父親のこと?」
フィードは眉をぴくりと動かす。
「さすがお嬢様。いかにも、ボスは『烏』であり、私やグリー社長の同類です」
「やっぱりね」
ラウロが「何の話だよ?」と質問するが、誰も答えない。すると、フィードはナタルの懐目がけて攻撃を繰り出した。行動を読んでいたナタルは腕で受け止め、フィードを突き放す。彼はこれ以上距離を縮めることなく、乱れた前髪を掻き上げながら無機質に鼻を鳴らした。
「次会う時は必ず、取り戻してみせます。私にとっては貴方も、邪魔者に変わりないですから」
青い『蛇』は車に乗りこみ、この場を去る。ナタルは呆然としているラウロを支えながら、車が消えるまで見送った。
共闘して初めて知ったフィードの想い。本人は気づいていないが、彼は間違いなくラウロを愛している。そして長年成長を見守り続けたナタルのことも、大切に想っていたのだ。
愛も希望もないはずの『蛇』に、人の心が芽生え始めている。あと一歩。あと一歩踏みこめば、彼を救えるかもしれない。ナタルはしばらく考えこみ、突拍子のない作戦を思いついた。
「ねぇラウロ。今度フィードに会ったら、思いきって告白してみない?」
「は、はああああぁ⁉ おまっ、急に何なんだよ。あいつに言える訳ねぇだろ!」
ラウロはナタルの背中を激しく叩いて抵抗する。人目も憚らず取り乱す様子に堪え切れず、ナタルは声を上げて笑い出した。
「さ、そろそろ戻りましょ。[家族]みんなに、フィードの活躍ぶりを伝えなきゃ!」
騒ぎに気づいた[家族]が玄関を開け、大喜びで手を振っている。ナタルはラウロの腕を取って手を振り返し、彼らの下へ駆け出した。
――――
時刻は午前二時。グリーンウルフ社の獣舎は、数時間前の喧騒などなかったかのように静まり返っていた。群れのリーダーである『狼』も自室に戻り、休息に入っている。
誰もが寝静まる中、猛獣を前に佇む人物が一人。彼、副社長のセドックは、ライオンの檻に近寄り腰を落とした。
「お願いを聞いてくれてありがとね。まったく、あの『狼』はいつかやらかすと思ってたけど、まっさか同じ[獣]を消そうとするなんてびっくりだよ」
声にならない声を聞き、ライオンは顔を上げる。セドックは目を細め、うんうんと頷いた。
「そうだね、誰だって無害な人間に手をかけたくはないもんね。自分もあの人達には、消えてほしくはないもの」
セドックは檻の中に手を差し出す。たてがみを優しく撫でられ、ライオンはうっとりと目を閉じた。彼は床に置かれたバケツを手に取り、「よっこらしょ」と立ち上がる。
「何せ、ミルドとカルクが入れこんだ人達だ。自分としても、彼らの行く末がどうなるか、楽しみでたまらないよ」
誰に向けるものでもない呟き。獣舎の扉を開け、星の光が差しこむ。それを受けたセドックの瞳は、クィン島の砂原のような煌めきを映していた。
扉をそっと閉め、彼は社屋の裏口に向かう。思い出したように「フィロの奴、ドジ踏まなきゃいいんだけど」と苦笑するが、その言葉を聞いた者は、誰一人としていなかった。
The "Beast" stir up their minds
(共闘を経て、動き出す想い)
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