第10話

文字数 2,915文字

 フォーヴァはまじまじとカーラを見つめた。
 クウが警戒するようにレムの首の後ろに回り込んだ。
「誰?」
 レムの口を使って言う。
「フォーヴァの仲間さ。アイン・オソから連絡を受けた。ちょうどこのあたりを通りかかっていたのでね」
 それでは、このカーラも魔法使いなのだ。近くに魔法使いがいない人々のために、ヴェズのあちこちを旅してまわっている魔法使いもいると聞いていた。カーラもそのうちの一人なのだろう。
 カーラはレムとクウを見、ついでフォーヴァと視線を交わし合った。彼らが、魔法使いの心語で話しているのがわかった。
「おかしなことは止めてよね」
 クウが苛立たしそうに言った。
「この子がどうなるか、考えて」
 カーラが軽く口笛を吹いた。
「こいつは驚いた」
 レムはうめいた。また、割れるような頭の痛みにおそわれる。
 カーラの挑発に、クウが怒ったのだ。
 気が遠くなりそうだ。
 フォーヴァがレムの身体をささえようとした。
「触っちゃだめ」
 クウがぴしゃりと言った。
 フォーヴァはクウを一睨みし、カーラに目をむけた。
「クウに逆らわないでくれ、カーラ。手を貸して欲しい」
 カーラは銀色の眉を上げた。
「フォーヴァとは思えない口ぶりだな」
「とにかく!」
「わかった、わかった」
 カーラはあわててうなずいた。
「どうすればいい」
「クウたちを元の世界に帰さなければ。もう一度〈穴〉を繋ぐ」
「繋ぐ?」
 カーラは聞き返した。
「〈穴〉は計り知れない混沌だった。時空が入り乱れてひとときもとどまっていない」
 ぎょっとしたようにカーラは言った。
「そこまで見たのか」
「見た」
「誰もそんなことはしなかったぜ」
「怖れてばかりいるからだ。正体を見極めなければ、対処しようがないというのに」
「無茶するな」
 カーラは、はじめて真顔で首を振った。
「気をつけろ、フォーヴァ。呪いに囚われてしまう」
「わかっている」
「いったい、どこまで──」
「クウが帰るには、クウ自身の力も必要だ」
 カーラの言葉をさえぎってフォーヴァは言った。
「わたしの?」
 クウが首をかしげた。
「〈穴〉の側に行く。クウはそこでガウシャイイに帰ることを念じる。わたしとカーラの力が合わされば、混沌が開けて帰る道筋が生まれるはずだ」
 レムは驚いた。魔法使いが力を合わせるのは禁じられている。
 カーラは眉根を寄せ、じっとフォーヴァを見つめた。
 フォーヴァの薄い灰色の目は、たじろぐことなくカーラを見返した。
「わかった」
 やがてカーラがうなずいた。
「やってみるか」
「うまくいくかしら」
 クウが言った。
「やるだけの価値はある」
 と、フォーヴァ。
「おれが来たのは幸運だったな、かわいこちゃん」
 カーラは、クウとリューを見た。
「それと、あちらの美女」
「リューはおいていくわ。もうじき死ぬから」
「死ぬ?」
「あれは、抜け殻。わたしたちが離れた人間は、生きていけないのよ。なにもできないもの」
 カーラは眉をひそめた。
「可哀想なことを言うなよ」
「いいの、必要ない」
 違う。
 レムは、その時クウの思考がはっきりと読み取れた。
 リューが生きていけないのは何もできないからではない。クウは宿主の血を吸うと同時に自分の血を宿主に入れる。クウの血なしでは、寄生されたものは半日と生きられない身体になるのだ。
 クウはそれを隠してフォーヴァたちを従わせようとしている。クウがガウシャイイに帰った時、確かにレムは自由になれるだろう。死とひきかえに。
 だが、それをフォーヴァに知らせる術はなかった。狡猾なクウは最後までレムを手の内に収めて離さないつもりだ。
 ただ、涙だけが流れていた。カーラがそれをぬぐってくれた。
「大丈夫だ、フォーヴァがなんとかする」

 魔法使い二人と、クウを頭に乗せたレムは、〈穴〉から少し離れた場所で立ち止まった。
「このあたりでいいでしょ」
 クウが言った。
「有無を言わさず〈穴〉に放り投げられたんじゃかなわない」
「信用してもらいたいな」
「この子の命がかかっているのを忘れないで」
 フォーヴァは無言で結界を解く仕草をした。
 カーラがレムの後ろに回って、レムの両肩に手を置いた。それは力強くレムを包み込んでくれた。
 会ったばかりだというのに初対面のような感じがしないのは、フォーヴァの友達だからだろうか。
 フォーヴァがクウを見下ろし、手をかざした。
「ガウシャイイのことを思い浮かべろ。できるだけはっきりと」
 クウは、はじめはためらい、やがて言われたとおりにした。
 レムの脳裏にもクウを通してガウシャイイの光景が浮かんだ。クウの故郷は湖に浮かぶ島のひとつ。高く澄んだ紫色の空、鮮やかな色の鳥たちが青みを帯びた木々の梢で鳴き、蜻蛉に似た羽虫が群れなして湖面をかすめ飛んでいる。
 島の入江にクウたちの村がある。草で葺いた丸い屋根の家に、人間に寄生したクウたちは伴侶といっしょか、一匹で住んでいる。クウたちは長生きなのでめったに出産はしないが、人間の子で村の中はにぎやかだ。母親は子供が乳離れしたころに死んでしまうから、残された子供はひとつところに集められてクウたちが育てている。寄生するのにちょうどいい年頃になるまで。
 ころころとじゃれあう人間の子供たちは可愛いらしい。クウもそろそろ自分の子供が欲しくなっていた。クウの島には好みの雄がいないから、船を漕ぎ出し、別の島に渡って行くつもりだった。
 ああ、帰れさえすれば。
 故郷への思いが、クウの中でいっぱいになっていた。
 甘やかな花々の蜜のにおい、木の間からふりそそぐ幾条もの陽の光、澄んだ薄紫の湖に浮かぶ麗しい島々。
 レムでさえ、胸が締めつけられるほどだった。
 帰りたい、帰りたい、帰り──。
 唐突にクウの思考が離れた。
 レムははっと目をみはった。
 フォーヴァがその手に高々とクウをかざしていた。首を摑み、地面にたたきつけた。
 クウの身体が青白い閃光を放った。
 じゅっと肉の焦げる臭いがし、クウは一瞬で燃え尽きた。
 地面の小さな焼け跡には、骨ひとつ残らなかった。
「容赦ないな、フォーヴァ」
 カーラがつぶやいた。
「しかたがない」
 フォーヴァは肩で息をしていた。
「早く息の根を止めなければ、レムが危険だった」
 フォーヴァはクウにガウシャイイのことを考えさせ、クウの思考がレムから離れた隙を突いたのだ。クウを引きはがす瞬間に、カーラがレムを守ってくれた。
 レムは、へたへたとその場に座り込んだ。
「大丈夫だ。もう心配ない」
 カーラが優しく背中をさすってくれた。
「魔法使いは、力を合わせないって……」
 やっとそれだけレムは言った。
「力を合わせたわけじゃない。役割分担だ」
 カーラは明るく言ってのけた。
 フォーヴァとカーラは〈穴〉に来る前に、心語でなすべきことを決めていたのだ。ガウシャイイに帰ることができると、クウを信じこませて。
 レムはなんとか笑い返した。
 ぼんやりと考える。
 どうせ死が待っているなら、クウの奴隷でいるよりも、自由を得ている方がずっといい。
「ありがとう、フォーヴァさん」
 レムは、自分の前に屈み込んだフォーヴァにささやいた。
「でも、ぼく、もうだめみたいだ。クウの血がないと生きられないらしいよ」
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