第11話

文字数 2,306文字

 レムは目をさました。
 まぶしさに顔をしかめると、見慣れたものが目に入った。むきだしの梁に支えられた、傾斜のある天井だ。微細な埃が、梁の下できらきら踊っている。
 いっぱいに陽が射し込む窓の外からは、鳥のさえずりがにぎやかに聞こえていた。
 朝。 
 ここは自分の部屋だ。寝ているのは自分の寝台だった。
 みんな夢だったのかな、とレムは思った。いったい、どこからが夢なのだろう。リューたちが現れた時から? フォーヴァに会った時から? それとも、トルグが死ぬ前から?
 起きて階段を下りて行けば、トルグが台所でにっこりと振り返ってくれるかもしれない。
 身を起こそうとした時、扉がそっと開いた。こちらを見、にっと笑ったのはカーラだった。
「よう、お目覚めだな」
「カーラさん」
 レムはつぶやいた。
「ぼくは?」
 カーラは部屋に入ってきてレムの首筋に手をあてた。ひとつ頷き、もう一方の手でぐりぐりとレムの頭をなでた。
「もう大丈夫のようだな。五日寝てた。腹がへったろう」
「五日?」
 レムは驚いた。
「だって、ぼくは」
 そうだ。あの時レムはフォーヴァにクウの血のことを伝え、そのまま気を失ってしまったらしい。
 それから、五日? 
「リューは?」
 カーラは顔を曇らせた。
「死んだよ」
「死んだ……」
「可哀想に。森に埋めてやった」
「でも、ぼくは生きている」
 カーラは、ゆっくりうなずいた。
「フォーヴァが、頑張った」
「フォーヴァさんの魔法で?」
「クウの血はなくなった。安心していいよ」
「フォーヴァさんは?」
「あいつも眠っている。なかなか起きない」
「力を使いすぎたの?」
「心配するな」
 カーラはレムの肩をたたいた。
「あいつが取り乱すのをはじめて見たよ。どんなことをしてもきみを助けようとしていた。きみがほんとうに大事なんだな」
「フォーヴァさん」
 レムはすすりあげた。
「会えますか?」
「うん。だがまず牛乳粥でも飲もうとしようか。身体を動かす力が必要だ」
 レムは首を振って毛布を払いのけようとした。両手がいやに強ばっていた。
 両手のひらに、大きな十字型の傷がついていることに気がついた。傷のまわりが星のような青いあざになっていた。
「痛みはないだろ?」
 カーラが、傷を見つめているレムに言った。
「動かしづらいのは今に治る。傷もそのうち見えなくなるはずだ」
「これは?」
「フォーヴァがつけた」
 カーラはちょっと息を吐き出し、眉の間をかりかりと掻いた。
「フォーヴァは、君の血と自分の血を入れ替えた。君の中で流れている血は、フォーヴァのものだ」
 レムは、目を見開いてカーラを見つめた。
「じゃあ、フォーヴァさんは?」
「君の血が入っている。自分はきみより大きいから、クウの血も致命的にはならないはずだとフォーヴァは言った。きみを助けるにはそれしか方法がないと」
「致命的……」
 レムは、震える声でささやいた。
「ほんとうに?」
「きみだっていま目ざめた。フォーヴァはもっと時間がかかるかもしれない」
 レムは急いで寝台を降りようとした。ふらつく身体を、カーラがあわてて支えてくれた。
「無理するな、連れてってやる」

 フォーヴァは寝台に目を閉じて横たわっていた。
 明るい陽射しの中で、白く彫り深い顔は、影のきわだつ彫像のようだった。あるかなきかの呼吸、わずかな胸の上下のほかは、ぴくりとも動かない。
 レムは、胸の上に置かれたフォーヴァの手をそっと取った。大きく骨張った手、その掌にレムとそっくり同じ傷がついていた。レムはフォーヴァの手に頬ずりし、すすり泣いた。
「このまま、死んでしまわない?」
「おれも手は尽くしているんだが」
 カーラはレムの頭に手を置いた。
「クウの血は異界のものでやっかいだ。おれたちの魔法では効き目が薄い。はじめは、血の入れ替えなしできみを助けようとしたんだよ。でも、できなかった」
「だからって……」
「フォーヴァは必死だった。おれは従うしかなかった」
 フォーヴァは自分のことを考えもせずにレムを救ってくれたのだ。
「フォーヴァさん」
 レムは、フォーヴァの手を両手で握りしめた。
 トルグを失った部屋で、またフォーヴァを失いたくはなかった。レムにとってフォーヴァは、トルグと同じくらい大切な人間になっていた。ましてフォーヴァは、自分のためにここに横たわっている。
「フォーヴァさん」
 レムは繰り返した。
「起きてよ、フォーヴァさん」
 フォーヴァの手が、ぴくりと動いた。レムは、はっとしてフォーヴァの顔を見た。
 フォーヴァのまつげが震え、うっすらと目が開いて、疲れたようにまた閉じた。
「フォーヴァさん!」
 レムはフォーヴァに取りすがった。フォーヴァは、こんどこそはっきりと目を開けた。
「レム」
 レムはもう何も言えず、フォーヴァの胸に顔を埋めた。フォーヴァはされるがままになっていた。
「よう」
 カーラがレムの頭ごしに声をかけた。
「どんな具合だ? フォーヴァ」
「身体が、動かない」
 フォーヴァはかすれた声で言った。
「クウの血が全身にまわっているようだ」
「おれの力は限界だ。内側からならうまくいくかもしれん。自分で浄化してみろ」
 レムは、はっと顔を上げた。
「自分のために魔法は使えない」
 レムが思ったことをフォーヴァは口にした。
「おまえのためじゃない」
 カーラはふんと鼻をならした。
「おまえがどうにかなってみろ。レムは一生罪悪感に苦しむぞ。それでもいいのか」
 フォーヴァは黙り込み、やがて言った。
「いや」
「なら、やれ。レムのために」
 カーラはにっと笑い、フォーヴァは再び目を閉じた。
「しばらく放っておいてやろう」
 カーラはレムの肩に手をかけた。
「きみには栄養が必要だ」
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