第36話

文字数 3,939文字

 先に立って夫人は一同を導いて行く。両手はしっかりと息子たちの手を握っていた。
 日時計の丘を囲むランブラーローズの木立を抜け、石段を下りて東屋を過ぎる。池を背に、柱廊から向かった先は食堂だった。
「ここは……?」
 思わずつぶやいたエドガーにヒューが低い声で答える。
「うん、俺たちが初めて入った部屋だ」
「奔放で怖い物がない、世間知らずだった若い私でしたが敬愛する舅――先代当主ヘンリー・グッドヴィルが守り抜こうとした宝の隠し場所、それを示す暗号は継承しました」
 中へ入り、貴婦人のステップで部屋の中央まで進んで立ち止まる。ゆっくりと振り返った。
「ご覧ください、あれが私の選んだDeathwatch……死の時計です」
 少女の声に戻ってイザベルはちょっと悪戯っぽく微笑む。
「ああ、告白するのが今の季節で良かった!」
 だが、夫人が指し示した方向を見て一同は首を傾げるばかり。
 幼い次男が全員の声を代弁するかのように叫んだ。
「時計なんか、どこにもないじゃないか、母上!」
「そう? よく見て、ジョイス」
 母の背後、窓枠いっぱいに揺れているのは――
 リチャードが息をのむ。
「パッションフラワー……あ!」
 ちょうど外のボーダー花壇に植えられたその花、パッションフラワーはキリスト受難の象徴とされる。
「16世紀、イエズス会の宣教師がこの花の中に十字架を発見し、これこそ聖フランチェスコが夢に見た〈十字架の上に咲く花〉だとしてこの名が付けられたんですよね?」
「そうよ、家庭教師の教えをよく憶えていてくれて嬉しいわ。西洋では殉教者の死を意味する受難の花(パッションフラワー)ですが東洋ではそのもの時計の花(トケイソウ)と呼ぶ国もあるそうです」
 イザベル・グッドヴィルの白い指がゆっくりと宙を過ぎる。
「この花が縁取る窓の枠を十字架に仮託して……その中央に時計を重ねて……3時2分の方向……」
 壁全面に掛けられている絵の中でぴったり延長線上に飾られている一枚。
 さほど大きくない、15号(52×65cm)くらいか。
「絵の(タイトル)は〈アニエールで/セーヌ川を渡る鉄橋〉。あそこに描かれている場所が、私が宝を隠した場所です」
 両手を白いエプロンの前で組んで一人一人を見回しながらイザベルは言った。
「15年前の里帰り中、私は最適な場所を探し、ここに決めました。パリの近郊、アニエールの鉄橋――絵では画面左、石積みの橋桁(はしげた)に隙間を発見して、そこに皮袋に入れた宝を落とし込んで小石で塞ぎました。無事隠し終えた時、若い画家が声をかけて来てこの絵を見せてくれました。『マドモアゼル、あなたの姿がとても印象的だったので描かせてもらいました』
 私は吃驚しました。見ると風景の中に私がいるではありませんか。アニエールの橋はルノワールやシスレーも描いていますが、名も無い画家のこの絵も中々素敵でしょう? 気に入って即座に買い取りました。里帰り後、お土産としてずっとあそこに飾っています。場所を忘れないためにもね」 
「ほんとだ! 僕、全然気づかなかったけど……わーい、あの赤いドレスの人、あれが母上なんだね?」
「しかも、あのドレスは、母上――」
 息子たちのそれぞれの問いに答える夫人。
「ええ、ジョイス、あれが私よ。リチャード、あなたが石棺で見た、幽霊に化けた私が着たあれです。私もあなた方のお父様もとても気に入っていたドレスなの。二人が出合った時、私、あれを着ていたのよ」
 しかし、ロマンチックな恋物語で一件落着ではない。ニュー・スコットランドヤードの警部は姿勢を正して最も重要な質問をした。
「あなたが隠した、その宝とは何なんです?」
 生真面目に、更に詳細な言葉を加えて繰り返す。
「ビクター・ホールがグッドヴィル家の当主を二代に渡り脅し続け、殺人を重ねてまで欲した宝とは何なのですか? この世にその行為に値する宝が存在するとは、幽霊の存在同様、僕には信じられないのですが」
「黒太子のルビーです」
 長い長い沈黙。
 その果てしない静寂を破って、警部が呻き声とともに口を開く。
「今おっしゃったのは、つまり、アレですか? えーと、14世紀のイギリス王エドワード三世の長男で(いくさ)には必ず黒い甲冑を纏っていた黒太子ことエドワード皇太子が所有していたルビーのこと?」
 ゴホゴホと急き込んだ後でニュー・スコットランドヤードの俊英は質問を続行した。
「僕は、歴史は苦手なので間違っていたら訂正してください。1367年、ナバレーテの戦いでエンリケ純潔王を撃破してペドロ残酷王を助けた御礼に、黒太子が譲り受けたというルビーのことでしょうか? 重さ170カラット、長さにして5cm……鶏の卵ほどの大きさの赤色ルビー……」
「まあ、よくご存知で、警部様」
「当たり前だ! 僕も学童時代、教師に引率されて見学しましたよ。だって我が国第一の公式王冠(・・・・)、その正面中央に、世界有数のダイヤモンド、カリナンⅡの上に付けられている、まさにイギリス王室の至宝だ! 今現在も本物がロンドン塔に展示されていますよね?」
「我が家のものが本物です。その証拠に、ウチのは正真正銘のルビー(・・・・・・・・)、アチラに飾ってあるのは埋め合わせの代用品で、ルビーではなくレッドスピネルなのよ」
「信じられない! いや、失礼、それが真実なら、何故、あなた方が本物の方をお持ちなんですか?」
「1484年、国王エドワード4世が亡くなった時、王位継承問題を優位に導く目的で我が一族はロンドン塔を占拠しました。その際、塔内の宝物庫を略奪し、持ち出したからです」
 警部は女主人を見つめモルガンとケネスは床を見つめている。兄弟は母親を、メッセンジャーボーイたちは絵を見つめていた。
「この略奪自体は秘密でも何でもなくてちゃんと歴史書に記されています。ホール医師に強請られ続けたのは〈略奪行為〉のことではなく、略奪品の中で最も価値ある品が我がグッドヴィル家に伝わっている〈理由〉なんです。この宝こそグッドヴィル家の存在を証明するレガリアだからですわ」
「だ、だから、その理由とは?」
それこそ(・・・・)が、冊子にエドワード氏が記したWatch Deathwatch……その言葉に込められた本当の意味なんですよね」
 この部屋に入って初めて響くヒューの声だった。
 イザベル・グッドヴィルは瞬きをした。
「では、ヒュー、あなたは読み解いたんですね? あの言葉の持つもう一つの意味を」
「僕もついさっきです。書斎に籠っていた時、気づいたんです」
 戸惑った様子でリチャードが訊いてきた。
「なんのことさ、ヒュー?」
「すぐに君に伝えようと思ったけど、宝の隠し場所を解いた君がエドとやって来て、俺は日時計に引っ張って行かれたので話す機会がなかった――」
 ヒューは上着を捲って冊子を取り出した。
「リチャード、ジョイス、ここに書かれたWatch Deathwatchは真実の宝の隠し場所のみならず、君たちのお父上が君たちに残した〈真実のメッセージ〉……それへ導く鍵……二重の暗号なんだ」
 屋敷の嫡男の顔をじっと見つめてヒューは続ける。
「僕はモルガンさんのお父さんが執事時代に記した、日時計に付けていたカードで気づいたんだ」
「武具庫の鎧櫃の中にあったあのカードのことだね?」
「そう。鎧櫃はあんなに虫喰いだらけだったのに40年以上前に入れたカードは綺麗なままだった――」
 ヒューは問題のカードもポケットから取り出す。
「ほらね? 虫に喰われた痕ひとつない。それなのに、この冊子――元々鎧櫃を再利用して装丁したこちらの最後の頁には虫食いの痕がある。変だと思わないか? 僕は違和感を覚えた。それで、改めてブリタニカ百科事典で死番虫について調べたんだ。それも同じ書棚にあったよ。それに因ると」
 スラスラと重要部分を暗唱する。
「英国を含む欧州にすむ死番虫はマダラシバンムシである。英国の19世紀以前の古い住居はほとんど死番虫の被害を受けている。但しマダラシバンムシは木材、主に樫とクリしか食べない――」
 話し終え顔を上げるヒュー・バード。黒髪の影で瞳が狼の星(シリウス)のように煌めいた。
「いいかい、リチャード、死番虫は紙は食べない。従って、君のお父上が記した最後の頁の、死番虫が喰い荒らした痕跡は偽造なんだ。この喰い痕のある箇所の言葉を拾って読んでみるといい。それこそがお父上からの君たちへの一番大切なメッセージだ」
 ヒューは冊子をリチャード・グッドヴィルへ差し出した。
「お父上は万が一自分が脅迫者に倒された場合を思ってこれを残したのだろう。宝の隠し場所だけでなく、どのように生きて行ってほしいか、Deathwatchは告げている」

 

〈 赤いドレスを纏って妻がやって来た。

  "私たちは"語り合った。

  妻は言った。私を愛していると。
  そしてこどもたち、リチャードとジョージを愛していると。

  私は答えた。妻を愛していると。
  リチャードとジョージを愛していると。永久に。

  妻は明かした。
  妻の祖先のシェルル・ド・ブロワは9年間〝ロンドン塔に幽閉されていた〟と。

  私は明かした。私たち一族は王や王太子、その〝兄弟の〟傍で戦い続けた〝子孫だ〟と。

  〝我が家の宝は〟血で勝ち取った〝その証し〟。〝だが〟、

  我々の先祖の宝物略奪は〝真実の〟話だとしても〝宝は命〟をかけて守り

  命よりも〝これこそを大切に受け継いでいけ〟。

  〝唯、光の中をどこまでも〟

   WATCH DEATHWATCH   



    〈 私たちは
      ロンドン塔に幽閉されていた兄弟の子孫だ
      我が家の宝はその証し
      だが 真実の宝は 命
      これこそを大切に 受け継いでいけ
      唯 光の中をどこまでも 〉



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