第19話

文字数 3,006文字

「来て良かった! 物凄くたくさんの収穫があったな!」
 満足げに歩き出すヒューにエドガーが尋ねた。
「〝洗礼をしていない片手〟ってどういう意味? 僕にはまだ全然わからないよ」
「船乗りは過酷な仕事だ。時に厭うべきこともしなければならない。だから故郷から船出する前に片手だけわざと洗礼をしない風習が一部地域――例えばスコットランドの低地地帯(ローランド)辺りでは残っているのさ。今回の、水死人を回収するのも穢れた行いだから元船乗りのケネスはしきたり通り片手を使ったんだ」
「ほんとに君の博学には驚くよ。なんでも知ってるんだなぁ!」
「ゲール語圏で文化を共有してると言ってたアイルランド出身の薬屋も知ってたろ。そしてケネスとは同郷のリジーも。だが生粋のロンドンっ子の君やキース・ビー警部は知らなかった。知らなくて当然だ。同一性の拠り所(アイデンティティ)――生まれ育った地域で共有する文化とはそう云うものさ。だが」
 ヒューが首を捻る。
「奇妙なのはエメットだ。エメットは片手しか使わなかったケネスのことを驚いていた」
 一呼吸置いてから、
「変だと思わないか?」
「変て? 何が?」
「リジーはエメットを『同郷の縁者』だと言っているのに、リジーが知ってた片手だけの洗礼の風習をエメットは知らなかったんだぜ」
「たまたま知らなかったんじゃないのか?」
「今回だけじゃない。彼女は、同じくスコットランド出の家政婦長のおまじないや毛糸玉で妖精を釣る伝承も知らなかった」
「何が言いたいのさ、ヒュー? まさかエメットさんを〈怪しい人物〉として疑っているのか? あんないい人を?」
「謎めいているって思っただけさ。尤も、屋敷に居る人たちは全員、謎めいているけどな。皆、何か秘密を隠しているようで」
 畳みかけるようにヒューは続けた。
「それに、おまえも気づいてるだろう、エド? あれほど俺たちメッセンジャーボーイを戦慄させた怪異の数々がこの処パッタリ止まってることを」
 エドガーが言い返す。
「怪異よりもっと恐ろしい実際の殺人事件や変死が頻発してるから、きっと幽霊の方が恐れをなして逃げ出したのさ」
「フン、上手いことを言うじゃないか。だが、俺に言わせれば怪異現象は誰かが意図的に演出(やって)いたんだ。それも、屋敷内の人物がな――あ、あれを見ろ!」
 いきなり腕を掴まれてエドガーは吃驚した。ヒューは少し先の道に立つ人物を凝視している。トップハットを被り、黒檀の(ステッキ)を持った白い頬髯の紳士だ。一昔(ひとむかし)前に流行った、ため息が出るほどお洒落なエムノッチのコートに足元は優雅なボタンブーツときた……
「誰? 君の知り合いかい?」
「何言ってる、おまえも知ってるだろ。執事のモルガンじゃないか」
「えー、グッドヴィル屋敷の?」
 エドガーは目を(しばたた)いた。そう言われれば、確かに執事のモルガンだ。
「でも、言われないと気づかなかったよ。だって、いつも黒服に半ズボン、パンプスっていう古風な執事の恰好の彼しか見たことがないんだもの」
「馬鹿だな、俺たちだって」
 ヒューは笑った。
「この制服を着てるからロイター卿のメッセンジャーボーイと思われるけど、脱いだら、ただの悪童(ノーティボーイズ)だぜ」
 自分たちが悪童かどうかはともかく――エドガーは思った。あの眼前の人物がモルガンに見えなかったのは、執事の装束を着ていないというだけじゃなく、背景がグッドヴィル屋敷の壁でなかったせいもあるのではないだろうか?
「あの人でも19世紀末のロンドンの通りを歩くことがあるんだな! 僕、お屋敷の玄関ドアを開けたら必ずそこにいるって思ってた。それ以外の場所に立っているのなんて想像できないよ」
 目を細めて眺めながら、
「何処へ行くんだろう?」
「帰って来たところさ。訪れた場所はブルックウッド墓地」
「君は千里眼か? どうしてそう言い切れるんだ?」
「あれを見れば誰でもわかる――」
 ヒューはエドガーの頭を両手で挟んでそちらへ向ける。
 モルガンの背後の鋼鉄の門の上、そこに掲げられた文字は〈墓地駅〉。更にその上の建物の壁に大きく〈ネクロポリス〉とある。
 エドガーも即座に納得した。
「そうか、ネクロポリス鉄道の葬送列車だな! 今の時間なら、会葬者たちが降りたところか!」
 世界に誇る鉄道王国のイギリスでは19世紀、死者を乗せる列車を運行していた――
 ネクロポリス&モーソリアム社は1854年、ロンドン南西約37キロのサリー州ウォキングに緑の樹々と小川に縁どられた広大な墓地を完成させた。これに合わせてウォーター・ルー駅からロンドン・ネクロポリス鉄道が棺専用列車を毎朝墓地まで運行、午後に葬儀を終えた人たちを乗せて戻って来るのである。ロンドンっ子はこの列車を葬送列車と呼んでいた。一言いい添えれば、この列車の終着駅がどんなに陰鬱で物悲しいかと言うと、そこは英国人、ちゃんとパブがあって葬儀の参列者でにぎわっていたそうだ。葬儀屋がパブで飲み過ぎると言う苦情も記録されている。

「モルガンさん!」
 葬儀列車のアーチ形の門の下、名を呼ばれたモルガンは駆け寄って来た少年たちをまじまじと見つめた。
「おや、君たちは、テレグラフ・エージェンシー社の――」
「ヒュー・バードとエドガー・タッカーです。モルガンさんはアンソニー・グッドヴィル氏の葬儀を終えられたんですね?」
「そうです。私が代表してお見送りしてまいりました」
 メッセンジャーボーイ相手でもモルガンの口調は厳格で慇懃、屋敷に居る時となんら変わる所がなかった。
「ご身内と申しましてもリチャード様もジョージ様もお小さいですし。本来ならご遺骸はアンソニー様のご実家があるヨークシャーの地へお送りすべきなのですが諸事情でそれも叶わず、困っていたところネクロポリス&モーソリアム社が迅速に対応してくださると言うので、こうして無事葬儀を終えることができました。では、私はこれで」
 グッドヴィル屋敷の忠実な執事は辻馬車を呼び留めて去って行った。
 その場に佇んで暫くヒューはネクロポリス鉄道の壁に掲げられた社章を見上げていた。
 髑髏と交差した骨の下に砂時計が描かれているデザイン。その周りを取り巻く宣伝文句(キャッチフレーズ)は『安らかな死 素晴らしい人生』……
「墓地帰りの執事と会ったのは象徴的にして暗示的だ」
 エドガーを振り返ってヒューは片目をつぶってみせる。
「なぁ、もうそろそろこっちから打って出るべき頃合いじゃないか?」
 エドガーは一応、警告した。
「ヒュー、キース・ビー警部は僕たちに『危険な真似はするな』と言わなかったっけ?」
 ここでブルッと身震いをする。これまた同じくキース・ビー警部が言っていた、あれ、『恐怖ではない、武者震い』って奴。エドガーもどうしても謎を解きたくてたまらないのだ。
 DEATHWATCHとは何なのか? 書斎で死んだ男は泥棒だとしても、4人ものグッドヴィル一族が池で亡くなったのは何故か? そこにどのような因縁が潜んでいるのか?
「で、一体何をやろうっていうのさ、ヒュー?」
「うん、今回は〝危険〟というより〝恐ろしい〟行為だ」
 エドガーの瞳を覗き込む。
「俺とつきあう気はあるかい、エド?」
「忘れたのか? いつも僕は君と一緒に走って来た。そして、地上の天使に誓ってもいる。常に君の一番近くに立っていると。だから――今回もそうするよ!」
 友の即答に満足げにうなづくと、ヒューは牧師の息子らしからぬことを言ってのけた。
それが墓暴きでも(・・・・・・・・)?」


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