監督・サハシの場合

文字数 3,690文字

 サハシはサルタ中学校の野球部顧問である。
 彼が教師になりたての十五年ほど前、野球未経験者が顧問となるのは珍しかった。
 当時はまだ公立の中学校には当たり前のように野球部があり、そこではかつての野球少年が監督として采配を振るっていた。サハシの赴任した中学校にもそのような経歴の先輩教員はいたのだが、練習中も試合中も怒号をあげる指導に対して方々からクレームが来るようになり、モラルの無い指導者として退くことになったのだ。
 新しい監督は、生徒と年齢が近くてきょうだいのような関係を、という方針からサハシに白羽の矢が立てられたのだった。
 担当の授業でさえも不安な状態であるにもかかわらず、未経験の競技の監督までやらなければならないという事態になったのだ。想定外の事態に困惑は隠せず、その日の夜はほとんど眠ることは出来なかった。
 しかし、その状況が逆に「上手く出来なくても当たり前」という開き直りに繋がった。同時に「上手くなるために必要なのは指導者ではなく本人の目的意識」を是とすることにした。
 そうして迎えた部結成の日、サハシは部員たちにこう切り出した。
「私は野球のルールが分からない。だから逆に君たちを指導しなければならないという発想は持っていない。どんなチームにしたいのかみんなで話し合って方向性を決めてほしい。そして、その方針をもとにして、君たち自身が練習メニューを作るんだ」
 サハシはそう言って部員たちを見回した。次の言葉をサハシ自身が発するべきなのか、しかし出来れば生徒たちに口を開いてほしい、そんな思いを巡らせている時間が長く感じた。
「僕たち自身が考えると練習の効率が上がらないと思うのですがいいのでしょうか?」
「逆だ。自分たちで考えていることが練習の一部だし、意味も分からずやるだけよりもずっと身に付くはずだから」
 サハシは本当に練習メニューの作成にはタッチせず、練習や試合に向けてのモチベーションのコントロールに気を遣った。その方針は今でも変わっていない。

 それからいくつかの学校を転任したが、サハシはずっと野球部の顧問を担当してきた。選手たちに恵まれて、地区優勝も経験した。
 一方で、この間に野球を取り巻く状況は様変わりした。しかも変化のスピードは年々加速度を増している。
 生徒数の減少に伴い、チームを組める部員数を確保することが難しくなり、休部となる学校が増えた。サハシが顧問を担当しているサルタ中学校は、数年前に学区の統合によって地区で最大規模の生徒数を抱えることになったが、それでも三学年合わせて二十人である。そういった状況はクラブチームも例外ではなく、紅白戦が出来る人数を確保できているチームは恵まれていると言える。今やこの地区の中学校野球大会の参加チーム数は八校である。
 もう一つの大きな変化は、システム化による省人化が進んだことだ。
 審判は、センサーを埋め込んだボールやベース、カメラを使ったシステムの登場によって人間が不要になった。プロ野球仕様のグラウンドのみならず、各自治体が管理運営している球場を中心に整備が進み、より手軽にプレー出来るように変わった。
 審判員システムよりも先行して各地の球場に整備されていたのがトラッキングシステムである。国産システムが競って開発を進め、海外製品を凌いでいった結果、低価格で年代を問わずチームや個人データの解析が出来るようになった。このトラッキングシステムが有能なのは、異なる製造メーカー間でのデータの相互利用が可能であることだ。色々な球場でプレーをして蓄積していったデータは、年齢別・シチュエーション別に確認することが出来、さらには短所と長所を教えてくれる。
 ここまでシステムの機能が増えると、選手の指導をシステムに担わせるという考えが出るのも自然である。
 この大会が始まる前日、トラッキングシステムを製造している各スポーツシステム会社が、トラッキングシステムのデータを基にした、練習メニュー作成機能を実装したシステムを販売すると発表した。この発表は、同日同時刻に各社一斉に行われた。
 サハシはそのニュースをメールで知った。生徒たちのトラッキングデータを参照するために監督権限のアカウントを持っていたが、そこにメールでプレスリリースが届いたのである。
《目標設定と数値化の徹底によって指導を省力化し、低コストで最大限の成長を引き出します》
 技術向上だけを目的としていないサハシにとって、それは厄介な売り文句であった。

 大会二日目の準決勝当日、対戦相手のイヌモリ中学校が応援スタンドで新しい応援システムを稼働させるという連絡がサハシにあった。
 応援とシステムという言葉から連想されるのは、人間ではなく機械が応援する光景である。イヌモリ中学校は勉強にも力を入れていて、そのような生徒や保護者の一部からは、運動部の応援に応援に生徒が駆り出されることに不満の声もあがっているという。そんな話はサハシの耳にも届いていた。
 応援に傾けた熱量の分だけ自分のモチベーションも上がると信じているサハシは、応援はされるばかりではいけない、応援することにも積極的になるべきだ、と生徒たちには伝えている。だからイヌモリ中学校の話は寂しさを感じるし、そういう考えなら寧ろ見て感じて欲しいところであった。
 地区の中学校の総合体育大会であるから、野球だけが実施されているわけではない。サルタ中学校では、運動部以外の生徒と前日までに敗退した部員が、競技のある部の応援を行うことになっている。どの競技の応援に行くかは生徒の自由としているが、部員による応援の勧誘が行われている。
 応援の生徒がどの程度集まるか、サハシも毎度興味があるところである。
 応援をプレッシャーに感じる選手は、ミスをした後の気持ちのリカバリーが上手ではないことが多い。トラッキングシステムのデータには、試合の観客数が出てこないので、これはあくまでもサハシの見立てであるが、データに出ないだけに気を遣う部分である。
 それこそが人の仕事だとサハシは信じている。

 試合前のシートノックを終えて、生徒たちによる円陣が組まれている。ミスの起きないスポーツなど無いが、サハシは自分の出番が少ない試合展開になることを願いながら、彼らの姿を見つめている。
 その時、相手側のスタンドが眩しく光り、「Loding...」の立体文字が踊った。その時間が長くなる分だけ、グラウンドにいる人たちの期待感が増していった。しかし、ついに現れた光景は中学生たちにとっては少々残酷だったかもしれない。
 映し出された見知らぬ部屋が教室であることに気付くまでに少し時間が掛ったが、事前にされていた説明から、それが応援用の教室だと認識した時、現れた生徒の少なさに多くの大人が気まずさを感じたのであった。
 一方で、サルタ中学校の選手たちの中には、明らかに配慮に欠けるように表情で笑い合う様子もあった。試合に対する姿勢以前の様子を感じたサハシは大声で叫んだ。
「集中!」

 初回の攻撃で三点を先制し、試合のペースを握ったかに見えたサルタ中学校だったが、選手たちの気は緩んでいたのだろう。一転して反撃に合うことになった。
 きっかけは、応援支援システムであった。
 サルタ中学校の初回の攻撃が終わった直後から、イヌモリ中学校のスタンドから吹奏楽の大きな音が聞こえだした。さらには多くの生徒たちが教室に集まっている様子が映し出された。宙に浮くように映し出された生徒たちは皆メガホンを持っていて、その数は五十人は下らない。イヌモリ中学校ナインがこれに気を良くし、サルタ中学校ナインはつい数分前までとの変わりように驚いて気圧された。
 失点を重ねていくチームをよそに、サハシの視線は相手スタンドに向けられていた。
 イヌモリ中学校の吹奏楽は目立った成績を残していないはずだが、バッターボックスの選手が入れ替わるたびに異なる曲が演奏された。そんなことがあるのかと疑い始めると、時々映し出される演奏の様子も同じ映像の繰り返しに見えてきた。教室に映る生徒の姿もよくよく見ると、生徒によって映像の濃淡が違っていて、濃く見えるのは実際にそこにいるのだろうと想像できた。ダミーと見られる生徒は、陽当りのせいなのか一部が透けて見えている。そして違和感のある生徒に限ってリアクションが一拍遅れているように感じる。
 サハシはタイムを取ってマウンドに向かうと、あえて相手スタンドを指差して言った。
「あの応援どう思う?」
「ちょっとびっくりです」
 生徒たちの表情に余裕など無かったが、サハシは嬉々として言った。
「しっかり見てみよう。あれは人じゃなくてダミーの立体映像だよ。応援システムっていうのは、無いものをあることにするシステムなんだろうな。大方、最初の映像で応援が足りなかったから足したんだろう。いいか、機械なんかに騙されるな」
 サハシは語尾に力を込めた。
「応援に騙されんなよ!」
 タイムが解けて守備位置に散った選手たちの声が響いた後、サハシはしばし爽快感に浸った。
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