一塁コーチャー・ノリユキの場合

文字数 3,696文字

 朝もやが消えかかったグラウンドでは、準決勝を戦うイヌモリ中学校とサルタ中学校の選手たちがウォーミングアップを進めている。
 この世代になってから一度も勝てなかったシード校を撃破して勢いに乗るイヌモリ中学校野球部は、創立して十年も経たない私立校である。この学校法人は以前から高校を運営していたが、中等部を設けることで少子化による生徒数減少に歯止めをかけようとしている。中高一貫の進学校を謳いつつ、野球やサッカー、陸上の長距離部門など、高校や大学でメディアの注目を集めるスポーツにも力を入れている。
 野球部は、昨今の競技人口の減少には逆らえず、背番号が余るほど小規模な編成だが、地域のリトルリーグと連携して集めた選手たちである。
 準決勝に進出したことで選手の士気は高く、グラウンドには威勢のいい声が響く。
 中でもひと際大きな声を張り上げているのがノリユキで、背番号は二桁だからレギュラーではないものの、攻撃時はコーチャーとして存在感を示す、チームに欠かせない存在であった。この試合で大会二試合目だが、既に声が掠れている。
「今日は全校応援だし気合いれてくぞ、オラぁ」
 それは誰にリアクションを求めるわけもなく、自身に対する気合注入の叫びである。
「ノリユキ、たぶん今日も出番無いよ」
 傍にいた同じくベンチウォーマーのヒカルが、シニカルに言った。
「そういうことじゃねーし」
「全校応援と言っても球場に来ないし。学校から皆の立体映像をあそこに映すだけなんだって。皆って言っても応援は自由参加らしい」
「何をしたいか分からんけど、吹奏楽部のみんなは応援してくれるんでしょ?」
「うちの吹奏楽って上手くないらしいじゃん。あと、システムトラブル起きたら応援無しだよ。なんで今日なのかね?」
「満を持して投入ってやつだよ。あ、ほら、あれ、業者の人じゃない?」
 ノリユキの視線の先には、両手に荷物を抱えた大人の姿があった。

 イヌモリ中学校のスタンドに現れたのは応援支援システムを提供するシホンマツ道具店のスタッフである。五名のうち四名は、各々事前にフォーメーションでも決まっていたかのように脇目も触れずに目的の場所へと進んだ。
 残った一名は現場のリーダーなのであろう。四名が持ち場についたのを確認すると、保護者が集まっている一角へと向かった。
「イヌモリ中学校の保護者の皆さまで間違い無いでしょうか?私、シライシと申します。学校から依頼されていた応援支援システムを扱っているシホンマツ道具店の者です。あの辺りにドローンを飛ばしますので、これから試合終了までは立ち入らないように周知しておいていただけますでしょうか、よろしくお願いします」
 シライシは丁寧に言ったが、相手の返事も待たずに軽く会釈をして戻って行った。
 それからものの十分もしないうちに、応援スタンドからドローンが浮き上がり、「オーケー」という声が響いた。するとスタッフたちは、保護者たちには一瞥もせずに球場の外に停めてある車両へと戻っていった。
 ドローンは、朝もやを掃除するように流れる風にも負けず、同じ場所に居続けようと位置を補正して浮き続けていた。
 いつまで経っても現れない応援団が気になるイヌモリ中学校ナインは、ベンチ前で素振りをしながらただ浮いているだけのドローンに目をやっていた。するとようやく、浮遊していた四台のドローンが同時に光り、大きさにして塁間程度の幅とスタンドの階段にして五段分の高さの空間が形作られたかと思うと「Loding...」の立体文字が踊った。
 何が映し出されるのかと、イヌモリ中学校の面々のみならず、グラウンドにいたサルタ中学校の選手たちも円陣を組んだまま、顔だけをイヌモリ中学校側に向けて見入っていた。三十秒程経過して「Loding...」の文字がフェードアウトして映し出されたのは、四、五名の生徒が教室の後ろで手持ちぶさたに立っている立体映像だった。
「想像以上に少ないし、なんか・・・」
 ヒカルは静かに言った。ノリユキは何も言わずに視線を外した。
 サルタ中学校の面々は、少し安堵した表情を浮かべておしゃべりを始めた。すると少し間を置いてから、サルタ中学校の監督がまるでグラウンドにいる全てに言い聞かすように大きな声で「集中!」と叫んだ。

 両チームの選手たちがホームベースに集まった。試合開始である。挨拶の声の大きさはどちらも譲らず、イヌモリ中学校ナインは各々の守備位置へと散って行った。
 ノリユキはベンチに戻る時に自チームのスタンドに広がる大きなスクリーンを見た。何度見ても、そこには事前に想像していたものとは違う光景があった。怖くてそこにいる生徒の数は数えられないが、それどころか誰も動いていないように見える。本当にシステムトラブルかもしれないという囁きが聞こえる。
 業者のスタッフが映像のそばで手にした端末を操作しながら、ヘッドセットを通じて誰かと話をしていた。
「このタイミングで故障なんてさ!」
 せっかくここまで勝ち上がってきたのにと、ノリユキは高揚感に水を差された気分になっていた。

 イヌモリ中学校は守備からリズムを作りたいチームである。キャプテンは試合前のジャンケンで勝った時には、必ず後攻を選択する。この試合も後攻である。
 しかし、この試合での入り方は良くなかった。これまで堅守を誇ってきた守備陣が乱れ、引きずられるようにピッチャーの制球も定まらず、初回に三点を失った。出鼻をくじかれたことでチームの雰囲気も沈んでいる。ノリユキの自慢の声も選手たちには届かなかった形である。
 ベンチ前で円陣を組むと監督のゲキが飛んだ。まだ始まったばかりだと、選手のミスを責めることなく前を向かせる。
「逆転するぞっ!オーッスッ!」
 ノリユキは円陣には加わらずに一塁のコーチャーボックスにいた。いやでもスタンドに映し出される立体映像には視線がいく。守備から戻った選手が、立体映像が固まっていると言っていたがその通りだった。しかし、自軍の円陣が解けたのとほぼ同時に「Loading...」の文字が再び踊り、すぐに消えた。するとスピーカーがオンになったのか喧騒が聞こえてきた。それと同時に映し出されたのは、教室にところ狭しと集まっている生徒の姿だった。どこで準備したのか、最前列には野球部員がお揃いで持っているタオルを高く掲げている生徒まで確認できた。
「なんかすげーぞ、このシステム」
「でも誰なのか分からんな」
 勉強重視の勉強部門とノリユキたちスポーツ部門では校舎が分かれているため、彼にはタオルを掲げる生徒に見覚えがなかった。それでも、交流の少ない生徒が応援してくれるのは嬉しくて、野球部のいいところを見せたいという気持ちが沸々としてくる。
 そうこう考えているとバッターが打席に入った。スピーカーからは吹奏楽の演奏が流れてきた。立体映像は瞬時に切り替わり、音楽室で演奏している部の様子が流れた。
「一丁、かましてこーぜ!」
 ノリユキの声がグラウンドに響いた。
 応援に押されたのか、皆積極的にファーストストライクからスイングしていった。一様に表情は明るく、立体映像も音楽室と応援している教室が定期的に切り替わる。「Loading...」がその度に表示されるのは拍子抜けだが、それも含めてノリユキはコーチャーボックスからその光景を楽しんだ。そこは立体映像を真正面から見られる一等席に違いなかった。
 吹奏楽部の演奏は、バッター毎に異なる曲が流れた。この日のためにたくさんの曲を練習してくれていたのかとノリユキは嬉しかった。
 
 イヌモリ中学校は応援を力に変えたのか、初回にお返しとばかりに三点を奪い返して同点とした。まだ塁上にはランナーが溜まっていて、相手のサルタ中学校の選手たちの表情はまだ硬い。
 するとサルタ中学校の監督はタイムを取って自らマウンドに行った。何やらイヌモリ中学校のスタンドに映る立体映像を指差して、選手たちに深呼吸を促している。それまで凍り付いていた顔が柔らかくなるのがノリユキにも伝わる。
「応援に騙されんなよ!」
 キャッチャーが叫んだ。相手チームの監督は笑顔で腕組みをし直した。「騙される」じゃなくて「惑わされる」の間違いだろう、そうノリユキは思った。
「押せ押せだぞ!次が大事だ!」
 ノリユキはそう言ってバッターを鼓舞すると、また違う応援歌が始まった。今日ほど、コーチャーボックスにいることが歯痒く感じたことはなかった。自分がバッターボックスに立ったらどんな曲を演奏してもらえるだろうか。
 最後の大会だし、負けている展開で最終回になれば、思い出作りで代打で出られるかもしれない。ノリユキは自分が打席に立っている姿を妄想した。今まで頑張って応援してきたのだから、応援してもらえる権利はあるだろう。
 学校の仲間の視線が自分に注がれた中でプレーするのはどういった気分だろうか。結果次第では、一度も話をしたことがない同級生たちの間で自分が話題になるかもしれない。
 その妄想が一気に膨らむと、ノリユキの表情は知らぬ間にほころんでいた。
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