天下布武金融戦記・光秀の長い四日間1569

文字数 14,613文字

 京都の新春は寒い。独特の底冷えの寒さだ。この年もまた寒かった。
 その黎明、まだ明けやらぬ空。
 その藍色の空を、白い一本の矢が切り裂いた。
 そして、矢が続いて雨あられとその寺に降り注いだ。
 続いて旗指し物が一斉に立てられ、ときの声が上がる。

 その声の軍勢に攻められる寺の中。
「北門は陽動だ。本隊は西門から侵入してくるぞ! 備えよ!」
 大声で指揮をとる武者。しかしその顔つきは武者と言うにはあまりにも繊細で、眼光は怜悧と輝いている。その口は言い終えると、くっとまた引き結ばれた。
「南門に敵の侵入を許しました!」
「東側板塀、破壊され炎上中!」
「火矢がかけられています! 二番炭小屋火災発生!」
「南宿坊応答ありません!」
 次々と彼のもとに連絡が入る。
「女子供は白兵戦に巻き込まれぬよう本堂に退避させろ」
 彼が指示する。
「南宿坊に火がかけられました! 現在消火作業中!」
「くそ、この防御脆弱な寺では、守れない……。公方様の退避は」
「連絡が取れません! 所在不明!」
「なんだと!」
 指揮を取っていた明智光秀は、火縄銃を手にし、臨時にありあわせの家具で作った防御銃座に向かいながら、小さく口にした。
「公方様……これでは殺されますぞ!」

「きゃあ!」
 南宿坊に敵の武者が侵入した。女たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「すぐに退避させろ!」
 そう叫んで彼女たちを守ろうとした兵は、その「させろ!」を言いきらぬうちに敵の槍に貫かれた。槍の穂先が胸をその胴丸という防具ごと突き、心臓が破られたのか噴水のように血が噴き出して向かい側の遣戸に吹き付け、大雨がふるようなドタドタという大きな音を立てる。それでも彼は立っていたのだが、邪魔だとばかりにもう一本の槍がその彼の体を穂先で袈裟懸けに切りつけた。そしてさらに二本の槍がその彼を貫き、無理矢理に倒した。鮮血が糊のように宿坊の床をぬらつかせる。
 その彼を踏みつけ、敵がさらに廊下を宿坊の奥へ侵入する。その途中の脇に向かう廊下で、女が一人、倒れた男を引きずって逃げようとしている。男はすでに絶命していて逃げられるわけがないのだが、それでも引きずっている。それを見つけた敵武者が槍を女に一突きし、その首を貫き跳ね飛ばす。頭が飛ばされた女の首の動脈からまた噴水のように血が吹き上がるが、敵武者はすぐに槍を引いて次の部屋に押し入る。
 別の部屋では子をその母が身体で覆って守ろうとしていたが、敵武者はそれを二人ごと槍で串刺しにした。絶命前に声を上げたその母の首を別の武者が太刀で斬り飛ばす。飛んだ首が点々と転がった下の青畳が鮮血で染められていく。
 そして何人もの子どもたちが震えながら納戸に逃げ込んでいるが、武者は焙烙火矢をそこに投げ込む。爆発音とともに、子供たちの絶命の悲鳴と、吹き飛ばされたまだ小さい手足とその胴の内にあった腸が引き裂かれ激しく飛び散る。
 もはやここの武装した防御側の兵はもう皆殺しとなり、あとは凄惨な女子供の虐殺だけとなった。

「南宿坊の防御壁より先を放棄する!」
 光秀は苦渋の顔でそう命令した。
 その臨時に防御壁を作った渡り廊下では、逃げ込む女たちに「急げ! 早く!」と防御側の兵が声をかけながら弓を射て追撃し侵入する敵武者を阻止しようとする。
 だが、次の瞬間、ひと束の矢が渡り廊下を走った。逃げる女の背と、防御壁の入り口から矢を射ていた兵の眼窩に矢が次々と刺さった。二人は当然絶命した。
「閉ざせ! 無理だ!」
 防御壁をそう閉ざした向こう、南側では、逃げ切れなかった女たちが敵武者に斬殺される悲鳴がいくつも上がった。
「くそ!」
「なんて守りにくい寺なんだ!」
「もともとこういう攻撃から守るための寺じゃなかったからな」
 兵たちが防御壁の狭間、銃眼のような開口から矢と鉄砲を交互に射たり撃ったりしながら言っている。
「もっと引きつけろ。敵兵の白目が見えるところまでこらえるんだ」
 光秀が指示する。
「このままでは弾も矢も足りなくなる。尽きたら終わりだ」
 兵たちが「御意!」と言って、射撃を待ちはじめた。
「越前朝倉家の銃の師範だった私が言うんだ。まちがいはないぞ」
「でも、親方様は美濃から戻ってくるんでしょうか。援軍は?」
 部下の問に、光秀は言葉に詰まった。
 だが、言った。
「親方様、信長様はかならず来る。我らはそれを信じて戦い、生き残るのみだ」
 その光秀の言葉に、皆、他に言う言葉もなかった。
「くそ、正月の料理の片付けも終わりきらぬうちに三好三人衆が攻めてくるとは」
「向こうもこっちがたった二〇日で六角軍を蹴散らして上洛し、この寺で義昭様を将軍にしたことについて、そう思ってたと思うぜ」
 そのとき、臨時に作った銃座から光秀が火縄銃を構えて、何かを狙っている。
 それを見ていた邪弓隊の頭である也助は、すぐにその意図を察した。
「弓、射方待て!」
 弓兵たちが放とうとしていた矢を下ろすが、その意図が理解できない顔だ。
 だが、光秀は自らの意図を一瞬で理解した也助に、軽く頷くと、さらに慎重に狙いを定めた。
 防御の弓矢や銃火がやんだことで、敵武者がここぞとばかりに突入してくる。
 そして、そのなか、光秀が引き金を絞った。
 ズドンという重い銃声とともに、その敵武者の最後列にいた侍大将が鉛弾に額を射抜かれ、血を吹きながら後ろにふっとんだ。光秀の得意の狙撃、侍大将殺しだ!
 部下を突進させる後ろに侍大将が出るのを光秀は待ち、その突進に油断ができるように也助はあえて防御火力を絞ったのだ。光秀は本当に銃の名手であった。そのことを皆は知って、あまりの虐殺の攻勢の前に折れそうな心が救われたのだった。
 そして大将を射殺され混乱する敵武者たちに、防御側から矢と鉄砲が一斉に放たれ、何人かがその策にやられ絶命し倒れた。しかし多くはその突進をやめ、確保した南宿坊に戻っていった。

 寸時の静寂の訪れた南宿坊と本堂の間の防衛線の廊下に、射られた女と武者たちの亡骸がいくつも無残に転がっている。だが、それをどちらもかたづけることが出来ない。なおも散発的に矢が放たれている。
 守るも攻めるもどちらも、相手の突進を待つ、膠着状態となった。
「公方様!」
 義昭も弓を持って現れた。
「余も生き残りとうてな。せっかく征夷大将軍となったのだ。ここで殺されてはたまらぬ」
「御意でありますが、公方さま、その頬は」
「別棟で太刀を振るって防戦しておった。逃げるところですこしやられた。そして余を逃がすための盾となって、何人もやられた。すまないことだ」
「すまないことだからこそ、生き延びましょう。その者たちの犠牲を無駄にせぬよう」
 光秀がそういう。
「ああ。そうだな」
 義昭も頷いた。その背後では、傷ついた兵の手当が行われている。
 深手を負った兵がうめいているのがいくつも聞こえる。これもまた陰惨なものである。
「長い夜になるな」
 光秀はそう覚悟を口にした。

 その間、奪われた南宿坊の奥の廊下で、取り残された防御側の兵が、武器をすべて捨てて命乞いをした。しかし、それに対しての敵武者の答えは、額への容赦ない一太刀だった。頭蓋を割られ脳漿が飛び散る中、敵武者はその太刀の血糊を振るって落とそうとしている。彼らは捕虜を取る気などさらさらないのだった。
 凄惨な殺戮のあった南宿坊で、別の敵武者が折り重なった亡骸の山に槍を再び繰り返し深く突いていた。亡骸に紛れて逃げる隙を待っている者を漏らさず殺すためである。情けを中途半端にかけると思わぬ反撃を受け逆の運命が待っているのは古今東西の戦場で全て同じだ。
 戦場とはそういうものだ。しかもこの本圀寺急襲戦の決着がつかないために、せっかく手にした女を戦利品として陵辱する余裕がなく殺すしかない不満が彼らをより残忍にさせていた。やり場のない不満は殺戮に向かう。そしてその殺戮は重ねるごとにどんどん加速し、より残忍な殺し方になっていく。最初は相手が同じ人間である以上、どうしても殺すことに心に抵抗があるものなのだが、それを乗り越えてしまうと、殺戮はもう殺す相手がいなくなるまで際限なく狂って加速していく。人間の脳は情欲と繋がった神経の回路でそうなってしまうように出来ているのだが、それを経験ではなく脳科学で解明するにはあまりにもこの時代は昔すぎるのである。

「この一夜を守りきれば、きっと援軍は来る。持ちこたえるんだ」
「はい!」
 防御側、光秀と義昭たちは夜中のうちに阻塞物を構築していく。
「公方様まで!」
 義昭が力仕事をしているのに兵が驚く。
「余も生き残るためならなんでもやる。将軍になってまだ二ヶ月ちょっとだ。これからというときに、あの三好なんぞに殺されてたまるか」
「そうですよね」
 しかしそれで皆の意気は持ちこたえることが出来た。義昭が将軍だからと奥座敷で高いびきであっても彼らは平気なはずだった。それが将軍というものだし、それがその家来というものだし、この世というものだ。世の中にはそれぞれに役割がある。高いびきをかいて眠る立場の者がいれば、そのために自らの身を盾として差し出さねばならない立場の者もいる。それをみな普段は理解している。それは世の中がそう出来ているというより、信長の家臣でありながら義昭の家臣として活躍する光秀の統率の力である。そしてその力に、いつのまにか義昭も感銘し、自らもそう行動するようになっていたのだ。
 その光秀の統率力は、明智城落城以来の長く貧しく苦しい諸国流浪の浪人時代に身についたものだった。妻を失い、その次に娶った妻とも側室をよしとせずに仲睦まじいのもそのためだ。もともと明晰な頭脳を持つ光秀はその苦難を糧にすることができた。蹴落とされ踏みにじられる弱きものの気持ちをよく理解し、寄り添うことが出来た。そしてその間に学問や軍略に励むことも出来た。
 それゆえ、信長も光秀を重用し、義昭も重用した。武家と公家の間を、勝者と敗者の間を真に仲立ち出来る希有な人材なのだ。そして鉄砲射撃にも秀でていた。
「引き金は引くのではない。絞るのだ」と実践的に教えたのも光秀であった。

 そして、その光秀の反対側の防御をになっていたのが、女武者の卯月である。彼女については史料は現存しないのだが、光秀より前に織田家にいたという。女でありながら弦を極端に強く張った威力の強い弓を使いこなす強力であり、にもかかわらずその華奢な身体は人目を引く。信長もその華を喜んだのはいうまでもないのだが、出自など一切不明である。
 義昭防御のもう一角が邪弓隊の也助である。狙撃弓の名手である。どんな敵地にも潜入し、弓で敵を仕留める、知られざる信長の懐刀である。
 だが、この三人以下の兵は少なすぎ、攻める三好三人衆の兵は多すぎ、なおかつ戦場となった京・本圀寺はあまりにも防御が弱かった。今回は塀が破られての侵入を許したのだが、こんな短時間に破られてしまう塀では塀の意味がない。
「かといって公方様のためにはこの本圀寺しか場所がなかった」
「生き残ったら、絶対にまともな防御の出来る館を建てることとしよう」
 光秀は建築、とくに城郭建築にも詳しいのだ。
「生き残れたら、ですが」
「生き残るんだよ」
 光秀は微笑んだ。それを見て疲れ切った兵たちも、絶望の寸前で踏みとどまれるのだった。
「親方様はきっと来る。我々を見捨てはしない」
 光秀のその言葉には、計算の裏打ちがあった。せっかく一挙に上洛して征夷大将軍を傀儡とする策が決まったのに、こんなことでそれが白紙になってしまうのはあまりにも手痛いことだからだ。そして三好三人衆は代わりの将軍を立てる準備もしている。それが成功されたら、それを覆すのは容易ではない。ゆえ、必ず救出の策をとるだろう。
 だが、計算は狂うことがある。計算通りに行けば世の中に逆転はない。全てが必然となる。計算を極端に深くすれば世の中の全ては必然である。しかし、人間の出来る計算などたかが知れている。特に遠く離れたところと話が出来るとか、早馬よりも早く遠くへ行ける超絶な道具のないこの時代では、それがある現代から見れば不合理と断じてしまうような誤謬はいくらでもありえる。歴史を断罪することの愚とはそれである。そしていつもこういう争いでは、正解を争うなどという次元ではなく、互いの減点の少なさを競争することになる。見間違え、思い込み、疑心暗鬼。どちらもこういう戦いではそれにまみれる。争う武将もお互いの顔すらろくにわからないのだ。そんな低い次元で減点を減らす努力をするしかないのだ。そこに不思議などと言うものはない。そしてそれは現代の我々のハイテク戦争でも、さらに未来から見られるとしたらそうなる運命にあるのだ。
 だが、もう一つの計算はある。義昭は自身が傀儡だという自覚がある。ゆえ、すでに少しずつ手紙を諸国大名に送りつつある。信長に強くでられたら、その手紙で呼び寄せた大名と組んで信長を亡き者にしようと思いかねない。義昭と信長双方に仕える光秀にとって、どちらも選びたくないし、どちらも失いたくない。しかしその苦しい選択を頻繁に強いられるのが戦国というものである。そこに甘い執着は許されない。親でも子でも兄妹であっても、生き残るためには殺すしかないのだ。
 いつの日かそんな苛烈な競争が終わって欲しい、と光秀は思っていたし、この襲撃され籠城するなかでも思っているのだった。とはいえ、信長のはじめた競争、とくに金融投資を受けて戦うやりかたは人を奮い立たせる力がある。

 いつの世も人は自分だけのためには生きられない。必ず誰かのために生きるのだ。誰かのためなら我慢出来るし努力も出来る。それが真に自分のためだけになれば、人は自分を容易に見失う。自分は自分からは見えないし、評価も出来ない。それゆえに誰かとの比較を始め、嫉妬や傲慢に落ちるしかなくなる。それが社会的動物であり、人間の社会が誕生してからかわらない原理だ。だから人は結婚し子を育て、家を、種を継いでいく。恋人や嫁や子のためなら人はだれでも不思議な力を発揮できるのだ。恋人や嫁や子は、それに尽くすことで大きな存在の承認を与えてくれるのだ。
 そしてその承認を信頼とし、信頼を与えると書いて『与信』で融資する金融は、良くも悪くもその不思議な力をより大きくより早くより遠くまで作用させる。
 信長はその力に気付いた。ものを売って得たカネをさらに生産に投入する拡大再生産が芽吹きつつある日本だったなか、それよりも大きな、カネを証拠金として金主に預け、それで小さな力で大きな作用を生み出すテコを使うように、莫大なカネを動かし作用させてしまう方法を信長と若衆は思いついた。危険性は高いが、出来たときの見返りも莫大なのだ。
 それを信長は使った。
 今川義元の大軍勢は巨大な物流部隊を伴ってぞろぞろと行軍してきた。物流部隊自身も前線の戦闘部隊と同じく飯、兵糧を始め物資を必要とすることを忘れてはならない。となるとどこかで距離と規模の限界が発生する。
 信長は上洛に当たって、それをやめた。かといって行軍先で略奪をするわけではない。そんな略奪で足りるほど兵は小食ではないのだ。ゆえ、それまで略奪は勝利の余録であり、やはり兵糧は用意せねばならない。だが、それを物理的に運ぶのは山を動かすのと同じ大事業である。
 だが、信長は足利義昭を将軍にする上洛の時、比較すればほぼ手ぶらに近い状態で行軍した。そう。兵糧を始め必要な物資を織田軍が運ぶのではなく、神宮衆の融資で得た莫大な金の証文を使って次々と現地の商人たちに用意させ、過ぎ去った後の始末も商人にさせたのだ。正確には商人の雇った人足にやらせた。戦闘部隊は戦闘に専念し、その補給はその進軍先の商人に外注したのである。そうすれば厄介な山を動かすための足並みを整える手間も省ける。野営の準備をし、野営し、その後片付けを次の野営のためにする必要もない。進軍先にはすでに外注した商人が野営地を整えてくれている。そして休んだ後の野営地を放置し、武器とごくわずかな非常用戦闘食のみで身軽に進軍出来る。
 その進軍速度に慌てたのがその上洛の進路上の南近江の大名、六角義賢・義治親子である。現代で言う近江八幡市にあった交通の要衝の山城・観音寺城にこもった彼らは、応仁の乱以前から何度も争奪されていたその城に籠城して信長の上洛を阻止するつもりだった。三好三人衆とも協力して、阻止は成功するはずであった。その上観音寺城だけでなく、それと箕作城と和田山城に武将を配置し、その三つの城の一つを攻めれば別の二つの城から出撃して挟み撃ちにするという万全の作戦だった。それによって長期戦とし、織田軍を疲弊させる算段だったのだ。
 だが、それを破ったのが金融であった。信長は素早く軍を三つに分けて三つの城を同時攻撃することにしたのだ。通常であればそれだけで不利となる策だった。物流部隊を外注していなければそれも三分割せねばならず、荷物の積み直しになる。時間も金も浪費する。だが、織田にはその不安はない。潤沢な金で前もって現地に買って用意してしまえばいいだけなのである。
 それでも箕作城攻めは一度防衛側に追い崩された。昔からの堅城なので簡単には落とせない。だが木下秀吉、後の豊臣秀吉は大量の松明をさらに金で調達し、七時間もの間の戦闘で追い崩されたその日のうちに夜襲を仕掛けた。戦国の常識にありえない電光石火の激戦でそれが成功。箕作は落城した。
 それがまたたくまに波及、六角軍を崩していく。和田山城の城兵はより防備の堅い箕作城の落城で戦意喪失して城を放棄してしまった。その知らせを受けた観音寺城の六角親子もまた戦意喪失し、そこから立ち直るために城を捨てて夜間に隠れながら甲賀へ逃げ、そこでゲリラ戦をすることとしたのだ。
 織田信長の判断も行動も速すぎた。長期戦が短期決戦になってしまったのだ。
 光秀も気付いていた電撃戦であるが、それを実際やった信長以下の織田軍の手腕は凄まじいものであった。光秀はわかっていてもそれが実現出来ないことも考え、年のため上洛に当たっては六角親子に低姿勢で上洛を助けて貰うべきだと信長に勧めたのだ。そして六角親子が信長から尊敬されていると伝えもした。
 だが、六角親子は義昭の兄・13代将軍義輝を殺した三好三人衆のほうをアテにして信長の上洛を阻止することにした。光秀はそれに一瞬、しまった、と思った。だが、織田軍はそれを電撃戦で乗り越えてしまった。できるとすることと、それを実際やることは次元が違う。それを信長はやったのだ。
 その電撃戦で、大和国遠征中の三好三人衆は六角親子の敗北で崩壊状態となった。その後いくつもの信長の上洛路上の大名が次々と城を放棄して落ち延び、残る松永久秀と三好義継は信長に臣従、つまり家来になることを選んだ。抵抗していた池田勝正もすぐに降伏。
 この年の九月七日に始まった上洛の行軍は驚異的な速さで成功、京に到着して足利義昭が征夷大将軍になったのは一〇月一八日。京の人々もあまりの電撃戦の早さに何が起きているのか理解すらできず、信長をただの義昭の家来ぐらいにしか見られなかったという。
 だが、光秀は信長をさらに強く尊敬した。金融を使った電撃戦を実現する力、その使いどころを間違えない機眼。まさに才覚そのものだった。
 その信長が、同じ事を思っていた光秀を年上として尊敬して、光秀に京の足利義昭の政務の補助とその警護を任せると命じたときの喜びは大きなものだった。長かった不遇時代が報われる思いだった。その機会をくれた信長と義昭には感謝しかなかった。そこまで何度自分はこれでもうよくはならない、幸せにはなり得ないと絶望したことか。初めての妻を失い、次に得た妻が病に侵されてしまったがゆえ、光秀は自分を酷く責め、自分を無価値だと思う性向に蝕まれていた。
 銃の射撃を鍛錬してもこれが役に立つことはないと思っていた。文物に親しみ学んでも、これが役に立つことはないと思っていた。それが人生というものだ、と何度も諦めた。妻の他に側室を置かなかったのもそれによる。なにしろ、光秀にとってすでにその境遇は幸せだったのだ。自分の『分相応の幸せ』なのだと自分に言い聞かせる形の幸せだった。それはまさに『幸せのどん底』のような状態だった。そして、そこから抜け出す奇跡は絶対に起きないと思っていた。それを光秀の計算が冷徹に結論していた。
 それが、いい意味で狂ってしまった。そんな状態の光秀が仕える朝倉義景の一乗谷城に義昭が亡命してきた。そして光秀が元いた明智城は美濃にあり、信長と縁がある。それを結びつければ、という計算が浮かんだ。信長の金融のテコの力を使えば、一挙に義昭を上洛させられる。再び室町幕府が復活する可能性すらある! その鮮やかな読み筋に光秀は震えたのだ。そしてそれを信長はあっさりと実現してしまった。光秀が四〇歳になり、戦国の世では人生残り一〇年、もう無名のまま終わると諦めかけたときにその機会が訪れてしまった。嬉しいなどと言うものではなかった。

 だから、こうして本圀寺で陰惨な白兵戦を伴う籠城をしていても、ちっとも悲壮感はなかった。むしろ、嬉しかったのだ。兵も、義昭もみな私を必要としてくれている。私の指揮と射撃の腕を必要としてくれている。こんな戦いはこれまでなかった。初めてのことだった。激闘で重いはずの身体も実は軽かったのだ。そして陰惨な殺戮をしてくる三好三人衆の武者たちも、もう何も怖くなかったのだ。

 光秀はその中で思っていた。なぜ信長があっさり美濃に戻ったか。せっかくの上洛を放り捨てるように戻ってしまったのか。しかもその義昭をこんな防御脆弱な本圀寺に置いたまま。その理由は一つ。
 私を試しているのだ。
 そうとしか光秀には思えなかった。それは二つの意味だった。守り切れればこの光秀の武功を讃え、さらに義昭を使って天下布武をすすめていける。
 しかし守り切れなければ、光秀も義昭も失うが、その責任は三好三人衆にある。時の帝・正親町天皇に対しては伊勢神宮衆から根回しをしてあるので、三人衆が次の将軍を立てようとも異議ありとできる。それどころか、死に体の室町幕府を潰してまっさらなところから好きな世を作ることすら出来る。信長にとって京に残ることに興味のないことなのだ。むしろ窮地に義昭を晒して彼に傀儡の身分を思い知らせても良い、ぐらいなのだろう。
 ゆえ、そう早くは救出はこない。きたとしても部下の武将を差し向けるのがせいぜいだろう。
 光秀は籠城中の本圀寺を見た。冬の支度で食料はある。餅も餅米含めた米もまだある。手勢もかなりやられて減ってしまったが、残るは若狭の国衆山県源内・宇野弥七、池田衆の池田正秀といった精鋭揃い。
 少数精鋭は食料の消費が少ない。しばらくは持ちそうだ。あとは辛抱比べだ。三好三人衆も京の周りは今や信長に恭順した大名がいるために、うかつに長期戦となれば袋だたきに遭う。だから、電撃的に義昭を殺し、一挙に自分たちで次の将軍をたてなければならない。
 時間を引き延ばせば、三好はどんどん不利になる。
 ふんばりどころだ!!
 光秀がそう思っているとき、也助がやってきた。
「外の喇叭の情報です。三好三人衆の背後を突くべく親方様にちかい大名が大勢移動中とのことです」
「そうか。しかし、其方も射撃の才があると聞いていたが、さすがだな」
「明智様こそ。素晴らしい鮮やかな狙撃でした」
「あとはもうちょっと防塁のように固められれば良いのだが。長期は無理でも、短期決戦させなければ十分だ。ゆえ、明日、三好勢は死に物狂いでかかってくるぞ」
「そうでしょうね。でも明智様、お気づきですか?」
「何を?」
「随分楽しそうにしてらっしゃるので。もともと文才を認められた方と伺っていたので、このように戦場で果敢とは、正直驚きました」
「私はね、今、何も怖くないんだよ。唯一怖いと言えば、私の全て出し尽くす前に、あっさり三好が討ち取られてしまことかもしれない」
 光秀は笑った。
「なんと!」
「斬り殺されようが射殺されようが惜しくはない。それは私の才覚が足りなかっただけのこと。才覚が足りないのはしかたがない。だが、才覚を試すことなく無為に過ごす苦しみのほうがずっと恐ろしい。私はそれにあまりにも長い間浸かりすぎていたのだ。だから、こんな陰惨な戦場でも、死んだものにはすまないが、私にとっては幸せなひとときなんだ」
「そうですか……浪人とはそういうものですな」
「ああ。こんな機会をくれた親方様には、感謝しかない。援軍が遅く見殺しになったとしても、すこしも恨むことはない」
「親方様にそれほど惚れていらっしゃるとは」
「惚れているさ。あの才覚には。確かにいささか感情が激しすぎるところはある。やり過ぎるところも多い。でも、それでなければこの陰鬱な世はこじ開けられぬ。ゆえ、私が我慢して、親方様を支えられればそれでいい。親方様が脱ぎ散らかしたら私が拾い片付けるまでのことだ。あの方にはあの自由さで大きな事を成して欲しい。親方様の癇癪(かんしゃく)でどんなことになろうとも、覚悟の上だ。それでもこのことの感謝には足りないと思っている。私は、今、本当の幸せになれているのだから」
 也助は頷いた。
「きっと親方様も、それを見込んで、明智様を京に残したのでしょう」
「そうであって欲しい」
 そこに義昭がやってきた。
「光秀はそれほど信長に入れ込んでおるのか」
 義昭は寂しそうだった。
「そういう家臣を持てる君主になれない我が身が恨めしい。せっかく将軍家に生まれたのに、それを活かすことが出来ない。生まれがあっても、才覚が私にはない」
「そんな……公方様」
「公方様。恐れながら、才覚はあるとかないとか、そういうものではないと思います」
「どういうことだ?」
「才覚は誰にでもあるものではない。恵まれぬものも多い。ほとんどのものがそうでしょう。才覚があると思っている者ほど、実は箸にも棒にもかからない輩であることが多い。才覚がない、と自覚するのは苦しく難しいことです。誰もがそれを認めたくない。しかし、それを素直に認めてしまえば、自ずから自らを活かす道は開けます。それが王道ではないでしょうか」
「王道、か」
 義昭は考え込んだ。
「余にそれは歩めるものなのだろうか」
「もちろんです。将軍、王のための道なのですから」
 義昭はなおも考え込んだ。
「そうかもしれぬな。まだ夜は明けぬのか」
「公方様、防戦は我々に任せ、少しおやすみになってください。偉大で光輝ある足利将軍が、この籠城が成功して救出されるときに憔悴しておっては、京の町衆をがっかりさせてしまいますよ」
 光秀はそう笑った。
「そうだな。笑えるうちは人はまだ戦えると聞く。余は奥で休む」
 義昭は頷いた。
「頼んだぞ」
「お任せを」
 光秀と也助はともに深く礼をした。
「私はただの山狩人崩れの百姓でした」
 也助が言う。
「それが、こうして公方様と一緒にいられるなどとは、想像も付かなかった」
「それが、親方様の力だぞ」
「そうですね」
 光秀は息を吐いた。
「公方様も苦しい立場なのだ。それでもああやって毅然としている。これから先どうなろうとも、公方様は公方様らしかった、と覚えて置いてくれ」
「えっ」
 也助は驚いた。
「公方様も、明智様も、まさか」
「そうなることもありうる。今は、そういう戦国の世だからな」

 そして、籠城二日目になった一月六日。
 三好勢、敵武者たちは作った防塞物を破ろうと、大きな槌をもってやってきた。
 破られてたまるものかと、光秀も也助も奮戦した。
 とくに也助は夜陰に乗じてまた高所に射撃点を作っていた。
 そこから射下ろす矢は、面白いように次々と命中し、敵武者を仕留めていった。とくに也助の矢は山狩人の使う、当たれば首が飛ぶような勢いを持つ強い弓である。
 侍大将が着る鎧兜は正面の視野の他から射られた矢を全て防ぐ防御能力を持っている。通常はほとんど貫通されない。第一層の鎧板で止められ、矢の先端、鏃はその内側の装束に止められ、肌に達しないことになっている。
 だが、也助たちは狙撃専門の弓兵だ。それを貫通するための重く太めの鏃の矢を持っている。

 左の槍大将、二番と三番で。
 そう合図すると、二番弓と三番弓の組が狙う。

 今だ!
 放たれた四本の矢が、鎧武者に突き刺さる。二本が胴を貫通し、一本が太ももを切り飛ばし、もう一本はもっとも防御の厚い兜を打ち抜いた。全射命中!
 そして鉄砲が防塞物の内側から次々と撃たれ、それが槌を持って襲いかかる敵工兵を撃ち抜く。胴に命中した鉛玉は大きさが大きいので、胴の入射口は小さくても内臓をかみ砕き、反対側の背中を完全に粉砕する。顔に当たったら頭がスイカのように破裂してしまう。凄惨な破壊力だが、それに匹敵するむごたらしい殺戮を昨日女子供にしたのも彼らだ。因果応報!
 引き寄せての正確な銃撃と弓の射撃で、なかなか三好勢は攻めきれない。
 その時だった。
「なんだあれは!」
 炎のついた竿筒を持ってくる兵がいる。その後ろには樽を担いだ兵が従っている。よく見ると樽から竿の尻に管がつながっている。
「くそ、なんてもの持ってきやがったんだ! 全射点、あの樽竿兵に集中射撃!」
 一瞬皆が理解出来なかった。理解したのは也助と、またしても光秀だけだった。
 だが、その直後、その管から滝のように吹き出す炎をみて、全員が理解した。
 希臘(ギリシア)の火、火炎放射器だ! なぜこんなところに!!
 必死に銃撃と射撃するが、一番南の防塞物がその炎に捉えられた。なかからこもって射撃していた兵が、身体に火が点いて悲鳴を上げながら飛び出す。まさに火だるまだった。しかもその火だるまとなった兵を敵は火炎放射の樽兵を守るために弓で射殺すのだった。
「くそ! まけるな!」
 弓と鉄砲が集中するのだが、炎に狙われる側からはその火炎を放射する樽兵は狙えない。
 それをいい事にどんどん樽兵を先頭に敵武者が防塞物群の奥に侵攻してくる。まずいぞ!
 だが、その時だった。その背後に槍と刀を持った武者が現れた。隠れていて回り込んだのだ!
「支援しろ! 全力で支援しろ!」
 次々と守ってくれる武者を失い、火炎放射樽の二人が織田方、防御側の兵に囲まれた。運命を悟った彼らは絶叫しながら放射を向けようとするが、その竿を持つ腕が斬られ、竿は燃えながら床に落ちた。
 そのあとは彼らの予想通りの運命だった。火炎放射器担当の兵が捕らえられた後の運命は古今東西決まっている。徹底的に残忍に、死ぬことを許さずに痛めつけられるのだ。腕を切られた二人は、周りを警戒する武者に連れられて防塞物の内側に消え、続いて二人の悲鳴が響いた。
 また凄惨ではあったが、凄惨でない戦場などどこにもないのだ。
 その悲鳴がよく聞こえるようにするのか、防御側は銃撃をやめ、声を潜めた。それに怖じ気づくほど敵も弱くないのだが、かといって歯や爪を抜かれるような陰湿な暴虐をうける彼らを救出するほどの圧倒的な強さではないのだった。

 戦いは三日目、一月七日に入った。実在すら疑われるほどの稀な兵器、希臘の火、火炎放射器まで投入した二日目が切り札だったのだろう。三日目は明らかに敵方は疲弊し、攻撃も明らかに手ぬるくなってきた。
「いけるぞ、は言うなよ。そう言った直後に死んだ奴が大勢いる」
 也助がそう制したとき、すっと影が現れた。喇叭だ。
「光秀様、援軍がすぐそばです! 三好勢を駆逐中!」
 光秀は表情を崩さず、なおも攻撃側を見て指揮を執りながら、手を握って少し上げて答えた。

 そして四日目、一月八日の朝を迎えた。
「敵が……こない」
「守り切ったのか?」
 そのとき、織田の旗指物がこの本圀寺の周りに立った。
「援軍であります! 援軍です!」
 大声で織田の旗指物の兵が駆け込んでくる。
「助かった!」
「明智殿! 明智殿はいずこ!」
「私だ」
 光秀が緊張が抜けた顔で答えた。
「将軍を、お守り出来た……」
 光秀は、緊張がとけて、溜まっていた疲労で倒れそうになった。
「光秀様、それより表へ!」

 疲れ切った光秀が肩を貸されて表に出ると、
「光秀! この金柑頭め! 生きてやがったか!」
「……親方様!!」
 その息を切らして疲れ切った馬の上には、あの信長の姿があった。
「親方様は、早馬で急を聞いて、三日かかる美濃からここまでの道のりを、大雪を突いて手勢も連れずに二日で駆け続けたのだ。親方様を単騎で向かわせるわけには行かぬから、我らも必死で追ってやってきた。何人かついてこられずに倒れてしもうたが」
 信長の側近がそう説明する。
「なぜ、そんな無理を?」
 光秀が聞くと、年老いた側近は言った。
「決まっておるだろう。親方様に心底惚れておった、其方のためだ」
 光秀は、涙を浮かべた。
「決まっておることを言わせるでない!」
 側近はそういって、ふうと息を吐いて、座りこんだ。「ああ、酷い目に遭った」
 そして、信長と也助の目が合った。
 その目が強く言っていた。

 見捨てるわけがなかろう。あの吉法師時代からの其方を。

 也助は、それに深く礼をして答えた。

 この四日間の戦いは、本圀寺の変として歴史に記されるものとなった。
 この痕三好三人衆は当然衰退の一途となり、それを応援していた堺の町衆は徹底的に立場が弱くなり信長の天下布武に従うしかなくなった。
 また、防御施設としてはあまりにも脆弱であったこの本圀寺はその後、その解決のために解体され、信長を普請総奉行とした指揮体制のもと、二条城という二重の壕と三重の天守を備える城郭作りの邸宅に再組み立てされた。光秀もその防御設計について多くの知恵を出したとされる。
 だが、義昭はこの二条城には長くいることがなかった。義昭はその後、自らを将軍にした信長の追討令を多く各国大名に出し、この本圀寺の変のわずか四年後には武田信玄の上洛への行軍に合わせて、この二条城で信長に対し挙兵してしまう。だが、信玄は京に着く前に倒れ、義昭は織田軍に孤立包囲される。それを正親町天皇が勅命で和議させたが、義昭はその直後にこの二条城を出て宇治で再び挙兵、二条城を義昭の側近が守備して呼応するはずだったのだがまたしても織田軍に包囲されると一戦も交えることなく降伏した。室町幕府はほぼ滅亡となったが、この二条城の天守や門はさらに解体運搬され、安土城に転用された。



 この二条城は、今に残る二条城とは別であるために、旧二条城と呼ばれ、その位置は平安女学院や烏丸通となるとされ、地下鉄烏丸線の工事の時に発掘調査で位置が確認され、その発掘された石垣の石仏が京都文化博物館に展示されている。
 ちなみに今に残る二条城は関ヶ原の戦いの後に家康の上洛時の宿として作られたもので、家康が将軍になった直後の祝賀の儀に使われたものの、そのあと幕末まで老朽化と火事による損失を繰り返しながら230年間、歴史の表舞台から消えた。
 その後、幕末に14代将軍徳川家茂の上洛のために改修が行われ、15代将軍徳川慶喜がここで将軍職を拝命し、わずか一年後の慶応三年に大政奉還がここで行われて徳川幕府もここでなくなった。
 そして今、二つの幕府の最後を迎えた二つの二条城のうち、旧二条城は前述の通り平安女学院、後者の二条城は世界文化遺産として登録され、2004年に築城400年記念館を携えた姿となっている。
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