第3話 初めての出会いは

文字数 4,695文字

「ねぇ、ちょっと。聞いてるの?」
波の様に寄せては返す此の問答が 男の心を疲弊させてゆく。
こう聞くからには 男がもう自分の言葉に関心をもっていない、と気付いているのだろう?其れに対して執拗に返事を要求するのは行き過ぎたエゴと言うものだ。
其れでも 天から与えられた此の顔は 魂が果てても笑顔を絶やさずにいられる。
「聞いてるさ」
声は空々しさを露骨に表していたが女は気にもしない。
「私はね 十年も勤め上げたの」
「どれだけ嫌な仕事を押し付けられても文句一つ言わなかったし いつだって率先して人一倍仕事をこなしたわ。其れに比べて 今時の若い子なんて、口ばっかりで気遣いの一つも出来やしない」
「ちょっと叱ったらパワハラだの何だのって。泣きつく時だけは素早いのよ」
「こう言うのも何だけど 私が居なきゃあんな会社、疾うに潰れてるわよ」
「何奴も此奴も直ぐに音を上げて 何でもかんでも私に回して来る!」
「なのに、私が困ってたって誰も助けてやくれない」
「出来の悪い新人がちょっとまごついたぐらいで馬鹿みたいに群がちゃってさ!」
「あの女がトイレに入って、罅割れてきた顔を左官屋みたいに塗りたくってる姿を見りゃ良いのよ」
「吐き気するくらいのブスが!アイドル気取りで、キモいったらありゃしない」
過剰な演技で激しく身震いして見せる女の真横から投げつけられた紅い実が、地面で派手に砕け散った。
「さっきから黙って聞いてたら、マジうっざいんですけど?!」
「誰の所為でこんな目に遭ってると思ってんの?」
「死ぬなら一人で死ねってのよ」
「こんな姿になってもまだ男の気惹こうとか、アンタの方がマジキモいし?」
流線型の幹を揺らして女が笑うと 瑞々しい緑色の葉が嘲笑するかの様に軽々しい音を立ててさざめいた。
「はぁ!?何言ってんの?抑もアンタが男の気を惹く為に余計な事するからでしょうが!」
地面から太い根が飛び出すと 鉄槌の如くどすんと振り下ろされ 辺りを震撼させた。
「はぁ?アンタが勝手に足を踏み外して人を巻き添えにしたんですけど?」
「私が助けようとしてたとでも思ってんの?陰キャ局が!」
「許さないのはこっちの方よ!こうなったからには一生アンタに付きまとって嫌がらせしてやるって決めたんだから!」
「ねぇ?其処のお兄さん。こんな陰気なオバサンよりあたしの方が美味しいわよ?」
艶めかしく幹をくねらせると たわわに実った紅い果実を揺さぶって見せる。
紅い果実は見事な大きさと熟した色合いで食べ頃を示し 実に旨そうであったのに 近寄ってもぎ取ろうとした男の足に根を絡みつかせ、食虫植物の様に捕縛したのだ。
食される事は無かったが、木は口も無いのに何処かから不機嫌な声を張り上げて、べらべらとのべつ無くまくしたてる女で 其処になった実等、もう食欲も沸かない。
「ほら、見たでしょ!此れが此の女の本性よ!」
最初の木がヒステリックに喚いた。
「作り物の実なんか食べる気になる奴居る?」
全世界のあらゆる聴衆に向かって演説するかの如く声高にこき下ろすと
「自分が萎びてるからって 僻むことないでしょ。あー、御免御免。実の事よ?」
相手も相応に返して来た。
「… !!
女同士の諍いに口を出すべきでは無い。仲裁に入れば「どっちの味方をするの?」そう問われて窮地に立たされる。其の問いに対してどう答えたところで末路は寸分も違わない。両者が納得する答えなど無いのだ。今、男はベルトに差したナイフで根を切るのは適切か、と言う問いに真剣に向き合っている最中であった。と言うのも 喋る女の木は 根や幹、葉も自在に動かせる。切ったら赤い血が噴き出すのでは、と思わせる程に。
だが 此の儘埒があかなければ血を噴くのは自分になりそうでは無いか。

「ちょっと!黙ってないで何とか言いなさいよ!如何なの?どっちの実を食べたいの?」

以前立ち寄った街で「叫びの森」の噂を聞いた事がある。
人食いの化け物が出るのか、奥深く迷い込んで絶望の果てに死ぬのか。入り込んでしまえば二度と生きては戻れない。良く有る話だが、嘸かし恐怖に満ちた死を迎えるのだろう。出口の見付からない森の中に取り残された旅人の断末魔が響き渡る ― そんな森を想像していた。
だが 実際はきっとこう叫ぶに違いない。

― もう、いい加減黙ってくれ!

「君たち聞いてくれないか。僕には ―
心労を負った男の弱々しい言葉は濁音に塗れた轟音にかき消され 濛々たる土埃が視界をも奪った。
硬直した男の直ぐ真横には 鋸宛らにぎっしりと牙が並んだ白い鼻面があり 瑠璃色の大きな眸が男の姿を映すと 口が裂けそうな程にんまりとして男を脅かせた。
― 餌、見―っけ! と言う言葉が実体化して、華々しく登場した闖入者の頭上に浮かんでいるかの様だった。
「見た?見た?スゴくない?」
青ざめた顔で茫然とする男の精神状態などお構いなしに
「私、自分に羽根ついてるって気付いてさ。あれ?これ飛べる?って思ったら飛べたよねー」
白い羽根を羽ばたかせて 上半身をふわりと持ち上げて見せる。
「ね?めっちゃヤバいっしょ?此れって歩くより絶対楽じゃん!」
周りの状況を知る気は無い様で きゃらきゃらと如何にも少女らしい声で嬉しそうに話す。
「何?如何かした?アル・ルーエン、何か固まっちゃってない?」
一緒に盛り上がってくれるものと思っていたのに 何の同意も返してこないなんて理解出来ない、と言わんばかりに首を傾げ
「あー!其れって林檎?林檎じゃん!やったぁ!お腹すいてたんだよねー」
男の背後にある赤い果実に目がいくや 木ごと頬張りそうな程口をがばっと大きく開いた。
「 … ネフィ!待ってくれ、愛しの君」
瞬時に我に返ってぞっとした男が慌てて間に飛び込んだ。
「彼女はサユリさんって言うんだ」
「隣はカナさん」
仰々しい手振りで紹介すると 今度は向き直って
「君たち 彼女は僕の恋人でネフェルティム」
自信に満ちあふれた声も高々と返す。
林檎の木を恭しく紹介されて ぽかんとしている白いドラゴンの心境などお構いなしに。
「… うん」
「あー、はいはい」
決しておかしい事では無い。
だって此処は異世界なんだから。
何でもありなのだ。 ― 多分。
此の木がサユリとカナだとしても全然おかしくなんか ― てか、めっちゃ日本名じゃん。
其の辺は聞いてみたかったが 「日本人ですか?」と木に問いかける行為は些か憚られる。
林檎に対する食欲はすっかり失せて
「成程成程。うん。…何か 私、邪魔しちゃった?」
おまけに居心地まで悪くなって来た。
「いや、良いんだ。来てくれて嬉しいよ」
寧ろ助かった。さしもの此の果樹女の凶暴さもドラゴンには敵うまい。其れが証拠に 足に絡まっていた根は地面に戻り もう葉の一枚すらも動かない。すっかり静まり返っている。
まるで ― 魂が抜けたかの様に。
「楽しい会話を有り難う。名残惜しいけど 僕たちはまだ旅の途中なんだ。すまないが失礼させて貰うよ」
にこやかな笑顔を木に向けている男を 白いドラゴンの少女は憐憫の中にも珍奇な生き物を見る様な目で眺めていた。
   大丈夫。
   此の位じゃ引いたりしないし。だって
   彼氏がスライムって時点で もうヤバいんだからさ。
   でしょ?

「何よ その女」

不意に 射貫く様な鋭い声がして テレビでも観ているかの様な感覚で倒木の上に立つ女を見た。
余りにも全てが唐突過ぎて現実が追い付いてこない。
倒木を虐げているのか、と思わせる様なボンテージコスチュームに身を包んだ、燃える様な赤髪の女が威丈高に立っている。
「相変わらずね。アル・ルーエン」
少しハスキーな所のある妖艶な声音でいて 其の中に、鋭く尖った切っ先が見え隠れしている。
「マダム・シャーロに魔法をかけられたって聞いたから 嘸かし面白い事になってるかと期待してたんだけど あんたは何処に行っても、どんな姿になっても何にも変わらないのね」
「あんたには心底呆れたわ。話次第では魔法を解いてあげなくもなかったけど どうやら反省する気も無いようだし」
元々ハイキング気分に浸れる様なウキウキとした森でもなかったが 今は重苦しい空気が蜷局を撒く様に立ち籠め、呼応した空が上空にどろどろと黒雲を流し込んで来る。
「… えーと。誰?」
重々しさに耐えられなくなったドラゴンが一声発しただけで 女はビームでも出して来そうな鋭い視線をくれた。
「教えてあげたら?アル・ルーエン」
「あんたのオツムのネジが幾ら緩んでるからって 私との約束まで忘れた訳じゃないでしょ?」
艶のある真紅の唇の端だけを持ち上げて 薄らと嗤った顔も恐ろしい。
此の優男が耐えられる筈が無い。土下座でもしそうだ、そう思っていたが
「さぁ?覚えてないな。約束なら星の数ほどしたし」
「お前は ― 何千番目の星だったかな?」
別人の様な冷たい笑顔と冷淡な声で 何時ものアル・ルーエンからは想像も付かない冷酷な台詞を吐いている。
「… そう。残念だわ」
暗い影が落ち 落胆も露わに、其の声音は諦めて去って行くのかと思わせたが
「記憶が無いって言うなら 思い出させてやるわよ!」
女の目が忿怒に燃え立つや 怒気に塗れた声が大気をびりびりと震わせた。
手にした歪な黒いステッキを振り上げ ― 誰でも 良からぬ事になる、と言う想像はつくだろう。
「ええーーー?!ちょっと待って待って!!」
エレクトリカルパレード、大曲の花火 光と音の祭典 ― 等と、楽しめる様な要素は何処にもなく 目が回るほど色取り取りの光が走っては弾け 鼓膜を破壊する爆音が轟いた。

「ぎゃああああーー!いやーーー!!」



― 何これ どーなってんの?
ボンテージ女の姿が脳裏に浮かぶと 悔しさに歯を食い縛り
― 誰よ、あの女! アル・ルーエンの馬鹿あー!!
泣き出しそうだ。いや、もう既に泣いている。
ずず、と鼻を啜ると 意識が一つにまとまった。大粒の涙が転がり落ちると ぼやけた視界が少し開け 辺りの様子が窺えた。
そよ、との風も吹かず 草木の一つも無く 視界に入るのは黒か焦げ茶色しかない。広大な焼け野原に 長い体を丸めてぽつんと座っている。
恐る恐る首を起こして頭を巡らせ あのボンテージ女がもう何処にも居ないと分かると、やっと安堵した。
はー、怖かったぁ。安堵すると今度は向かっ腹が立って来る。
何なのよ、もう! 迷惑なんですけどー!ふしゅーっと荒々しく鼻息を噴き出す。
「わ …っ!
直ぐ傍らで短い悲鳴が上がり 声のした方に首をぐるりと向けると
「わーー!!」
小学生くらいの子供が絶叫した。腰を抜かしたのか立ち上がれないらしく 四つん這いになっている。
栗色の緩く巻いた髪。玉虫の様に幾つもの色が混じりあった、宝石の様に綺麗な眸。病弱そうな白い肌 ―
   え 何? アル・ルーエン ?
見慣れない子供、とは到底思えない。面影は全てアル・ルーエンを指している。
   は?何で? 子供になっちゃってるじゃん!
あの女の魔法だろうか。「魔法」等と言う言葉が 不自然さもなくすんなりと出て来る程に あのボンテージ女は如何にもゲームに出て来そうな魔女キャラだった。
「ど  ど、ど、
震えているのが丸わかりだ。と言うか此れは デジャブ。あの時も 此の男は
「ど、 どうだ、お前! 俺の女にならないか?」
―  どうかな 結婚を前提に僕と付き合ってくれないか
   うん。何かちょっと違うけど、まぁいっか。
ドラゴンって言いたかったんでしょ。ほんと、かっこつけなんだから。
やっぱり アル・ルーエンじゃん。 どんな姿になっても ―
だから私はこう返す。

「ふーん? 其処まで言うなら付き合ってあげなくもないけど?」



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

歌手志望女子高生・禰屋川璃夢(ねやがわりむ)ことドラゴン娘ネフェルティム

昼は優男、夜はスライム アル・ルーエン

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み