第2話 私の名前は

文字数 3,552文字

「はよーっす!璃夢(りむ)」
ばしん、と背中をひっぱたたかれ ぼんやり歩いていた私はつんのめりそうになった。
「きゃ …っ?! いったぁ!」
「陽子(ひなこ)ー!」
ヒリヒリする背中を撫でさすりながら非難の声を上げる。
「あはは、ぼんやり歩いてるからよ」
日に焼けた肌。明るい笑顔。見るからに活発そうなショートヘアが良く似合う。
「ゴリラ女」
「か弱い乙女に向かって酷くない?」
何処がか弱いのよ、とやり返す。
猛スピードで走って来たトラックが黒い煙を撒き散らし 強引に仲裁に入って来たので二人して咳き込んだ。
空が霞んで景色が灰色に染まる。
「ゲホゲホ。ひっどー!轢き殺す気満々じゃん!」
陽子は憤って拳を振り回した。
「あ、そうだ。璃夢、オーディションどうだった?」
つい今し方の怒りは何処へやら ぱっと明るい笑顔を向ける。
「…」
返事も憚られる様な煌めく笑顔に向かって 私は力無く首を振って返した。
「そっか。まぁ、焦るなって」
陽子は布団でも叩くみたいにばしばしと私の背中を叩く。ほんと馬鹿力なんだから。でも
いつも此れで力が沸いてくるんだ。
「あんたなら絶対大丈夫!私が保証する」
胸を張ってふん取り返る。慰めだとしても 陽子の自信に満ち溢れた笑顔と言葉につられて私も笑顔になる。
「諦めたら其れで終わりなんだからさ、根性見せなよ」
大丈夫。私 頑張るよ。負けないから。
「私があんたの一番のファンだって事、忘れないでよね」
陽子はにっと歯を見せて笑った。
「ふーん?」
「忘れたことなんか一度も無いし?」
私はにまっと笑い返すとチケットを手にして 札束よろしくぱたぱたと振って見せる。
「言うねぇ」
二人して笑う。
「今日は何処で歌うの?」
「スタシオンよ。ほら、三番街のビルの地下にさ、めっちゃレトロなバーあるじゃん?
「彼処のマスターがね、土曜だけライブハウスとして提供してくれるんだけど
「それがさー
陽子は何時もの様にニコニコと笑って私の話を聞いていた。
陽子の心の中の翳りに 気付きもしなかった。

「ねぇ? … 私さ。璃夢の歌好き」
「あんたの歌聞いてるだけで、めっちゃ幸せになれるんだー」
「だからさ」
「今度は絶対上手くいくって!あんたにはこの私がついてるんだからね!」
「陽子の名前は伊達じゃないよ?私がスポットライトになって あんたにめっちゃ光当てたげる!」
陽子は 薄れてきた煙の中を突抜けて、差し込んで来た光を体全体で受け止めるように両腕を大きく広げた。
「ねぇ、璃夢?」
「何があっても、絶対に諦めないでよ?」
「へへぇ、御代官様~」
陽子が真っ直ぐな目で見て来るから 照れくさくてついおちゃらけてしまった。
「時代劇か!
「日焼けサロン並にガンガン当てて、トーストにしてやるわ!」
何よ、それ 怒る私から笑いながら逃げる陽子を追いかけて 二人して通学路を駆けた。

ねぇ
何で急にそんな事言い出したの?
ねぇ
何で 来てくれなかったの?
陽子の嘘つき。私の歌が好きだって言ったじゃ無い。

   ねぇ、聞いた?
   陽子の父親の会社、倒産したんだって?
   何か夜逃げしたらしいとかってウチの親が話してるの聞こえちゃったんだけど!
   マジな話?
   げー、ヤッバ!
   借金めっちゃあったらしいじゃん
   それでかなー。陽子ン家の近く通ったらさ、朝からめっちゃケーサツ来ててさ
   何かブルーシートまで広げ出してさー! 此れって絶対 …
   えー?一家心中?
   違う違う。父親は愛人と逃げたらしいよ!
   うそぉ!マジか!
   だからさ、若しかしたら 殺
   あ!しー!!しー!!

聞こえてるよ ばーか。

私の一番のファンが居なくなってどうすんのよ
あんたが居なくなったら 誰が私を応援してくれるの?
誰が スポットライトを当ててくれるの?
黙って行かないでよ、陽子のばか

一言くらい 何かあるでしょ ばか

私があんたの一番の友達だってこと 忘れたの?

ネフィ ―

それ何かのウサギキャラっぽくない?

ネフェルティム ―

禰屋川 璃夢(ねやがわ りむ)だってば

起きて ―

「… んん、 ふ、
「ふわーーーーーっくしょん!!!」

全身をぶるるっと震わせる。
「ううう!寒!」
漆黒の空に星が冷たく瞬いて 青白い月から冷気が降りている。
  何よ まだ夜じゃない
自分の体に温もりを求めて縮こまろうと体を引き寄せると
「ひゃ!?」
ひんやりとしたゼリー状の物を顎の下でぎゅっと押し潰して飛び上がった。
弾みながら地面に転がり落ちた青いスライムがぼよんぼよんと揺れている。
「吃驚したー!もう!いつから其処に居たの」
「君が其の可憐な口を開けた時からさ」
低音でとろけるような甘い声は キザな言い回しも含めてアル・ルーエンに違いなかったが 何だか言葉まで波打っている。度重なるアクシデントにどうやら目を回してしまった様だ。
起こされた事に対する不満を言葉にする前に、臭気がつんと鼻を付いたと思ったら 悪臭が一気に雪崩れ込んで来て 瞬く間に鼻腔内を占拠された。
「くっさ!え何?何か焦げ臭くない?」
鼻を押さえ ― たかったが 指先にある剃刀の様に鋭利な爪の事を思い出し 顰めっ面をするだけにした。
何と表現したら良いのか 兎に角生臭い物を焼いた様な嫌な匂いだ。
「ああ … 其れは、その
いつもは饒舌な癖に 如何した訳か珍しく言い淀んでいる。まだ脳が泳いでいるのか。
「君の為に火をおこそうと思ってね」
やっとの事でそう言った。
「火事になったの?」
見れば前方が焼け野原になっている。深い森の中は姿を隠すには最適だが 反面、見通しが悪く 良からぬ者達が潜むのにも最適であり 旅人が寝込みを襲われるのがこんな場所だと男が言うので 開けた場所で休んでいたのだが ― 大分開けた様だ。
「ん?何あれ」
ぶすぶすと黒い煙をあげる焦げた物体が目に入り 首を伸ばして見ようとすると
「ネフィ!可憐な君。此処は寒いだろう?暖かい場所に移動しよう」
スライムがびよーんと体を長く伸ばして視界を遮ろうとする。
「向こうに君の好きなバゲの木を見つけたんだ」
「起こすのは忍びなかったけど 何よりも愛しい君にいち早く伝えたくてね」
「僕が君の喜ぶ顔がどんなに好きかって事 もう知ってるだろう?」
煌めく歯はなかったが ゼリーの上部ににょーんと口らしき物が横に伸びて、其れが微笑んでいる様に見えた。
バゲの木。瓢箪みたいな茶色の実が成る木で 外はかりっとして中はふわふわで白く アーモンドの様な種が入っている。そう 香ばしいナッツ入りのパンみたいな味なのだ。
「ほんと?行く行く!」
其れを聞いた途端お腹がぐう~っと鳴った。バターをたっぷりぬってトーストにしたい位だが そう言った物資には生憎と恵まれていない。
其れでも行く先々には緑しかなく パンらしきものでもあるだけまだマシだ。
起き上がると 焦げた物体が嫌でも目を惹いた。焼却炉の中身をぶちまけたかの様に黒い塊が地面の彼方此方に散らばっていたが 其の中に頭蓋骨らしきものが見えた。
   焦げた ― 人? 真逆、ね。
「ねぇ?あれってさ
最後まで言わさせまいとばかりに アル・ルーエンが即答してきた。
「沼ネズミだよ」
「炙り肉にして携帯食料にしようと思ってたんだ」
「君に食べさせてあげられなくて申し訳ない」
其の後の台詞はもう聞いていなかった。インパクトのある言葉に頭が埋め尽くされたからだ。
沼に棲んでるネズミ?そんなの食べるの?マジな話?
キモ。無理無理。
焦げた物体を改めて見ると胸が悪くなって来た。一刻も早く此処から脱したい。
パンを求めて起き上がると 回れ右をし、のたのたと(此れでも全速力だったが)歩き出す。

ふぅ。やれやれ。
あれが何かって?
親愛なるマダム・シャーロの差し向けた殺し屋共さ。
大した事じゃない。一寸した行き違いから僕は彼女のお尋ね者になってるんだ。
其れに 殺し屋、と言ったって奴等は人間じゃないし。元・人間さ。
暗黒の女王マダム・シャーロのご機嫌取りに失敗して魔物に姿を変えられた憐れな連中だ。
気の毒に。
彼女にあれが何なのかを説明するなんて残酷な事 僕には出来ないね。
そんな事をして 心優しい彼女が打ち拉がれる姿なんて見たくないだろう?
僕は愛しい彼女を悲しませるような真似はしたくないんだ。
僕を殺しに来た魔物が たまたま炎のくしゃみの導火線上に居て黒焦げにされたからって 其れは僕の所為じゃない。彼等はよっぽど不運に恵まれていたんだろう。
ま 少しばかり僕が不運の後押しをしたからって悪く思わないで欲しいね。
僕だって 彼女のくしゃみには炎がつきものだ、なんて今日知ったところなんだし。
其れに
此の旅の真実を話す事に因って 彼女に黒焦げにされる、と言う不運が起こる確率なら僕にだって平等にある。

ドラゴンの彼女を持つ者なら 誰だってそうだろうさ。




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登場人物紹介

歌手志望女子高生・禰屋川璃夢(ねやがわりむ)ことドラゴン娘ネフェルティム

昼は優男、夜はスライム アル・ルーエン

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