第10話 閑話 その一 たまに、コシっ?

文字数 4,964文字

 それは、シノギにしては珍しい失態だった。
 酒の勢いで、女と関係を持った。
 だが、それだけで済む話でもなかった。
「……あの狼の女を、酒の勢いで、ですか」
 話を聞いたカスミは目を見開き、何とか声を出した。
 珍しく落ち込んでいる叔父は、無言で頷く。
「どこぞの花街の女と思って、気軽に酒をふるまわれてその気になり、一夜を共にしたら狼が乗り込んで来た、とそう言う事ですか?」
 その問いにも無言で頷かれ、甥っ子は天井を仰ぐ。
 酒の飲まれてその気になる叔父も、想像が出来ない。
 どんなに飲んでも、酔い乱れるさまを見た事がないのだ。
 カスミは目を細めた。
「それで、あなたは、責を負う覚悟でいたんですね。それなのに、駆け落ちされた」
「一応、殴られては来たが、あれでは済まなかったんだろう。だから、二人して姿を消したんだ」
 胸倉を攫まれ、抗うことなく殴られたが、それだけで済む話ではなかったのだろう。
「近頃、女が身籠ったらしいと知らせて来た。オレに似た子でも、自分の子として育てるから、近づくなと言われた」
「成程……」
 力のない説明を聞き、真面目にカスミが相槌を打つ。
 そして、きっぱりと言った。
「叔父上、化かされましたな」
「ん?」
 顔を上げたシノギに、カスミはあくまでも真面目な顔で言う。
「あなた、女に惚れ薬でも盛られたのではないですか?」
「あ?」
 つい乱暴に尋ねる叔父に、甥っ子は答えた。
「だから、あなたにその気になってもらうために、どこぞで手に入れた惚れ薬を、酒に混ぜて飲ませたんですよ、その女」
 唖然としたシノギに、真面目な声が続ける。
「量が少なかったのか、品が良かったのか。後に残らず、今ここにあなたは座っている。運が良かったですな」
 大概、惚れ薬の作用は、長く続く。
 色んな女に手を出し罰せられていても、不思議ではなかったとカスミは真面目に言う。
「どこぞのマダムに飼われて、二度とお会いできなかったかもしれないですね。本当に、悪運が強くて、良かったです」
 しみじみと言われ、ようやく何となく腑に落ちたが、疑問が浮かぶ。
「何で、ウルの女が、見ず知らずの男相手に……」
「誰彼構わず、惚れ薬で骨抜きにしているという訳でもないでしょう。恐らくは、あなたが目的だったんです」
 何故、という疑問が更に浮かぶ男に、カスミは続けた。
「正しくは、あなたの子種が、欲しかったんですよ。その女は」
「は? 何故だ? ウルがいいと思うのなら、女との子供も望めるはずだろう?」
「それが、出来ないんですよ。遅かったんです」
 知らなかったのかと小さく息をついてから、甥っ子は衝撃な事実を述べた。
「あの狼、すでに、別な女に子供を作らせています」
「は?」
「そろそろ、立って歩き回れる年頃に、なっているはずですよ」
 空気が一気に冷え込んだ。
「いくら、愛しい女の子供が欲しいと思ったとは言え、よりによってあなたを騙し討ちにして、子供を強奪していくとは。想像以上の、命知らずだったのですな」
 顔を伏せて体を震わせる叔父の前で、甥っ子は長閑に感想を述べた。
「取り敢えず、頼まれました事は引き受けます。二人の行き先を……叔父上?」
 呼びかけたカスミは、無言で立ち上がったシノギに、目を丸くした。
「いや、それは、もういい」
 物騒な笑顔で、男は言い切った。
「見つけ次第、二人とも、殺す」
「……出来れば、子が生まれてから……と、聞いてくれないか」
 大きい割に機敏な男は、カスミの前から、すでに消えていた。
 それを座ったまま見送ったカスミは、ウルが愛したと言う女を思い浮かべた。
 調べた時にも思ったが、愛らしい小柄な女だった。
 群れの仲間の孫で、どちらかというと貧しい家で生まれ育ったはずなのだが……。
「惚れ薬なんて、どうやって手に入れたのやら」
 この些細な疑問の答えが、とんでもない所で暴露されることになるのだが、カスミにはどうでもいい話だった。

 それは、深夜の枠で流されるコマーシャルだと言う。
 カ・セキレイは、そのコマーシャルの撮影に当たり、二人の女を採用した。
 
 女だけの食事会で、乾杯する二人。
 ほろ酔い気分で恋の話を促すライラに、マリーが悩まし気に首を振る。
「どうも最近、出会いを楽しみに出来ないのよ」
「ええっ。駄目じゃない。あなた昔から、玉の輿を狙ってるんでしょ? 恋をして、綺麗になって、お金持ちに見初められないと」
「そうなんだけど、私には色気も何もないでしょう?」
 困った顔のマリーに、ライラはしたり顔で頷いて、その品をテーブルに置いた。
「そんなあなたに、これを勧めるわ。その名も、『玉に腰っ』。これはね、ある薬品会社で極秘に作られた、惚れ薬なの」
「惚れ薬?」
 目を見開くマリーに、ライラはつらつらと効用を並べる。
「一口飲むと、あなたが思っている人が頭の中に浮かんできて、体が熱くなる。それ以上飲めば、どんな異性でも魅力的に見えるようになるの。実際、私もこれで、綺麗な男の子供をゲットできたのよ」
「本当っ? じゃあ、その人と、今も?」
 大袈裟に目を輝かせるマリーに、ライラはにっこりとして首を振る。
「私が好きな人とは違うもの。このお薬のすごい所は、どんなに沢山飲んでも、一晩で効力が掻き消える事なのよ。浮気にピッタリ」
「じゃ、じゃあ、玉の輿に乗った後、気に入った男に飲ませて、子供だけ綺麗な子供を持つって事も、夢じゃないのねっ」
「そう言う事っ」
 和気藹々と会話を弾ませる二人を映し、ナレーションが流れる。
『あなたもこれで、自由な恋を。玉に腰っ』

 沈黙が、試写室の中を駆け巡った。
 反応を見る出演女優達とカ・セキレイの目線の先で、感想を求められる面々は、一様に固まっていた。
 やはり、刺激が過ぎたかと後悔するセキレイの隣に、笑い過ぎて机に突っ伏す姉シユウレイがいる。
 この人は、初めに商品名が出た時に吹き出してから、笑いっぱなしである。
「たまに、こしっ。可愛いネーミングに、卑猥な部分が漂って、無茶苦茶いいっっ」
「腰のあとに、小さい『つ』を入れるのが、みそだ」
「言う時の可愛らしさも、もう、良すぎて笑いが止まらないよう」
 窒息しそうになりながらも、シユウレイは笑い続けている。
「……ナレーションは、私がしたんです」
 マリーという芸名で出演したユズが、冷静に鑑賞していた伯父に、静かに説明した。
「日本の、玉の輿狙ってる若い娘を対象に、販売しようと思っている商品だ」
「……受け狙いって訳じゃあ、ねえのか」
 目を細めたまま動かなかった蓮が、続けて説明したセキレイに返す。
 久し振りに会った親子の、久し振りの会話の第一声である。
「効力が、どの位思い通りのものになっているのか、確かめたいと言うのもあるが、いずれは世界を相手に商売したい商品だ」
 だから、定価もそこまでお高い設定ではないと言う父親は、画面を見たまま固まった旦那に、感想を求めるライラを見た。
「実際に使った事のある者が、体験を語ってくれたからな。重みがあると言うものだ」
「あんた、あの人と知り合いだったのか」
 意外な繋がりだと驚く息子に、セキレイもしみじみと頷く。
「あの貧しそうな女が、セイの母親とはな。貧しさで、嫌な男と肌を合わせないといけない程だったとは。可哀そうな話だよな」
 本来、ここに呼ばれてはいなかったのだが、偶々蓮に用事があり、同行する形になった鏡月が、蓮の隣で眉を寄せる。
「そんなに昔の話なのか? この媚薬が出来たのが?」
「ああ。当時は行商で、国々を回って売っていたんだが、作り方は極秘だったんでな、足元を見られて高くは売れなかった」
 だから、ライラも購入できたのだ、二人分も。
「二人? お前、オレの前に、二人もの男とっ?」
 別なショックで青ざめたウルに、ライラは慌てて首を振り、そっと男に寄り添う。
「そんな筈、ないでしょう? あなたも知っている通り、あなたとの初夜が、初めてよ。好いてもいない男とは、顔を近づけるのも苦痛なの」
 ライラは、昔ももてた。
 それこそ、金持ちの坊ちゃんや、村の色男にも言い寄られたが、興味のない男を前に、ときめくはずがない。
「あの辺りの男って、色白すぎるのよね。体格は立派な癖に。惚れたあなただからこそ許せたし、その友人だったあの人にも、そこまで嫌悪はなかったけど、他の男は自分がその気なら女もその気だって、訳の分からない自信を持ってるのが多くて、それを顔に出してるのよ。気持ち悪くて、何度近づく顔の皮を、剥がしとってやりたくなったことかっ」
 女は、苦々しい当時を思い出し、吐き捨てた。
「そ、そうか」
 一応安心したウルだが、別な疑問がわく。
「つまり、オレに使ったって事かっ?」
 愛していたとはいえ、その行為には抵抗があったのかという叫んだ男に、ライラは笑って首を振った。
「違うわ、その後、よ」
「え、つまり、本当に、浮気してたって事か、あんた」
 セキレイが、呆れて言ってしまった。
 旦那持ちで凌叔父の子を産んだ女が、昔、大盤振る舞いで惚れ薬を買ってくれた女だと気づいた時も驚いたが、ここまで尻軽だとは、思わなかった。
 そう考える雇い主に、女は心外そうに言った。
「何か、失礼な事、考えていません?」
「いや、事実だろう? 要は、その男の他に、少なくとも二人は、関係を持ってたって事だ」
 少し中古の映像機器を仕舞いながら、コウヒが割り込む。
 こんな卑猥なコマーシャルに、娘であるユズを出演させるのを、未だに良しとしていないらしく、感想を貰おうと親族とその他を呼び出すように提案したのは、この男だ。
 気持ちは分からなくもないセキレイは、その願いを汲んで放映日時をずらし、今日、試写会を決行した次第だ。
 だが、これは別な修羅場を呼ぶ行為だったかと、少し後悔していた。
 反省している男に構わず、ライラは疑惑を一掃すべく答えた。
「ちゃんと、体験談を話しているのに。あの薬は、確かに一つは男の方に使ったけど、もう一つは、私が使ったの」
「へ?」
 目を剝くウルに、女はうっとりとする笑顔を浮かべた。
「お蔭で、可愛い子供を、育てられたでしょう?」
「……」
 大男の口が、大きく開け放たれた。
 悲鳴を上げそうになる口を己で塞ぎ、必死で飲み込む。
 何とかその作業を成功させると、恐る恐る振り返った。
 その先には、一部始終を見物していた蓮と、その隣に立つ鏡月がいる。
 盲目の若者は、やんわりと笑顔を浮かべ、静かに尋ねた。
「育てた、と言い切れるのか? たった数年だったと聞いたが?」
 頭を抱える狼男の横で、ライラは若者を見た。
「最後まで育て切れなかったくせに、随分、満足しているんだな」
「それは……そうだけど、意外に元気に暮らしているようだから、それを見守れるだけでも、ほっとしているけれど……やっぱり、あの子本人は、私たちを恨んでいるのかしら? 私たちがこの世に戻って来るのを、吉とはしていないのかしら?」
「知るかっ。オレに言わせれば、何でお前らが、今を幸せに生きているのか、疑問だがなっ。……あの旦那を騙し討ちにして、のうのうと幸せになっているだと? あいつの親でなかったら、ここで斬り刻んでいる」
 その意味不明な会話に、シユウレイは何かを察して小さく声を上げた。
「そうか、惚れ薬なら、叔父上を襲えるんだっ」
「姉上っ」
 何でそうなると、セキレイが思わず叫んでから、思い当たった。
「ん? いい男の子供ってのは、まさかあんたっっ」
「相変わらず、鈍いな、あんたは」
 衝撃な事実に思い当たり、大きくよろめく父親を、蓮は冷静に見守っている。
 育ての親ともいえる男を、惚れ薬でその気にさせて子種を貰い、愛しい男と共に逃げた女を、図らずも手助けしていた事実は、倒れて寝込んでしまっても仕方ないレベルの衝撃だ。
 よろめくだけで済んでいる分、少しは心身ともに強くなったなと、息子は感心していた。
 その後そのコマーシャルは、予定通り深夜枠の番組の途中で放映され始めた。
 余りテレビを見る方ではない凌だが、そのコマーシャルは放映日に見た。
 シュウレイに、商品の売り出しの援護を頼まれたためで、決してライラに含みがあったせいではない。
「……流石、元女優だな。まるで本当に体験したかのように語る」
 それが、凌の真面目な感想だった。
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