第11話 閑話 その二 黒い過去

文字数 4,360文字

 返り血を浴びないように女の首を刎ねるのは、蓮にとっては造作もない事だった。
 だが、流石にこれは、別な衝撃が大きかった。
 一時期情を交わし、いずれは一緒に暮らそうとまで考えた仲の女を、相手の望みとは言え手にかけた。
 そんな事をあっさりと行える自分に衝撃を受けてしまい、蓮は暫く動けなかった。
 自然の気まぐれの強風が、小さなあばら家を大きくゆすり、ようやく我に返る。
 そうだ、こんな事をしている場合ではない。
 今刈り取った首を、「奴ら」から守らなくては。
 冷静な気持ちを奮い起こしながら、ある事実を思い出す。
 そう言えば、凪沙にはすでに一人子供がいた。
 今は姿が見えないが、時が経てば戻って来る。
「……」
 自分でも、酷い事を思いついたと思う。
 だが、今更善人ぶる気は、もうなかった。
 一旦首だけ持ってその場を去り、見つかりにくい場所に隠すと、蓮は村に下りた。
 思い思いの鈍器を携えて、丁度村に戻って来たらしき村の男衆に、誰とも分からぬ声音で言う。
「張り合いがなさすぎ、じゃなかったか?」
 それは、山狩りに向かった全員が思っていた事らしく、戸惑い気味に頷く者がいた。
「あの女、全然こっちを襲う気がなかった」
「もし、あれが鬼じゃなかったら、オレら単に、女を嬲り殺しただけになる」
 ざわつく男たちに、蓮はやんわりと、しかし、思い出したように言った。
「そういや、あの山から時々、でっかい男が下りて来るよなあ。もしや、あの女、鬼に誑かされただけなのかも……」
 言い終える前に、男衆の空気が変わった。
 驚きよりも、恐怖で、だ。
「ま、まさか」
「そういや、あの女、鬼にしちゃあ、別嬪じゃなかったかっ? 鬼の女を、手にかけちまったって事かっ?」
 混乱した男衆が、男の鬼を退治しに再び山に向かうのを、蓮は冷ややかに見守った。
 これで、女の首を守れる。
 「奴ら」が子供の首に気を取られている間に、自分は女の首を慎重に隠しておこう。
 そう思っていたのだが……予想外の事態になった。
 凪沙の子供が怒り狂い、村の男衆を返り討ちにしてしまった。
 これなら、この山に隠していれば、凪沙の首も守れるのではと考え、ついついその前に立った蓮を見て、子供はこれまた予想外に、あっさりと正気に戻ってしまった。
 度重なる予想外の事態に、蓮は混乱しつつ、困ってしまった。
 凪沙の子供も無事で、自分も無事だ。
 この平穏を保つためには、凪沙の首を隠して置かなければならないが、どこに隠せばいい?
 凪沙の子、葵が落ち着くまでの間、蓮はそんな事ばかり考えていたのだが、ある時、ふと、とんでもない案が浮かんだのだった。

 その甥っ子は、ここに来ようとして迷ってしまい、諦めたのだと言った。
「……で、諦めて帰ろうとしたら、更に迷ってここに来てしまった、と」
 久し振りに来る客に、珊瑚は納得して茶を差し出す。
「結果的には、良かったじゃないか。しかし……」
 来れた事の安堵より、突然現れた事の申し訳なさで身を縮める甥っ子に、叔父はしみじみと問いかけた。
「何で、一人で動こうとする? 奥方にでも一緒に来てもらえばいいだろう? あの子もここを知っているんだからな」
「今回は、あいつに聞かせられない気まずい話をするので、こうして一人で……」
 市原葵の言い分に、珊瑚は小さく唸った。
 事情を知る者を、付き添いにつれて来ればよかったと言うのは、今更だ。
 無事辿り着けたのだから、結果良ければと言う奴だ。
「まあ、いいか。で、どんな気不味い話があるんだ?」
 大柄ではあるが、純潔の鬼にしては穏やかな風貌の男は、半分人間の血が混ざる、鬼らしい風貌の男に、静かに尋ねた。
 咳払いし、葵が切り出す。
「瑠璃叔母の事です。それから、昔滅ぼし損ねた、一族の事も」
「ああ……楓姉から、多少は聞いた。本来、オレや姉貴がしなければならない事だった。礼を言う」
「オレに言わないでくださいよ。奴らをやったのは、オレじゃなく、蓮です」
「そうか」
 受けながらも、珊瑚は何とも言えない気分で甥っ子を見た。
 その蓮が、もう一人の姉の首を刎ねた事も、楓経由で知った。
 それを葵も知っているらしいのに、その若者を恨む様子がない。
 それだけ、慕っていると言う事だろう。
「一族を滅ぼしたって事は、分からず仕舞いか? 凪沙姉の、首の行方は?」
 尋ねると、しょんぼりと肩を落とし、甥っ子は頷いた。
「しかも、最近思い当たったんですが、瑠璃叔母の首も、どこかに消えてたんですよ」
「ん? それは……大事じゃないかっ」
「そうなんです。あの頃は、別な事に気を取られていて、気にならなかったんですが……」
 気になって最近、こっそりと掘り返して見たのだと言う。
 時々、大胆な動きをする葵は、まだ形の残る叔母の体から、頭が消えているのを知った。
「もしかしたら、蓮が隠してるのかもしれないです」
「今でも、か?」
 もう、あの一族の脅威は、消えているはずだ。
 不思議に思う珊瑚に、葵は昔の話をした。
「……だから、お袋の首も、瑠璃叔母の首も、蓮が大事に保管してくれている筈なんですけど、どこに保管しているのか、訊いてもはぐらかされるだけで、教えてくれねえんです」
「それは、困ったな。その子が、懇ろに弔ってくれているのは嬉しいが、その場所が知れないのでは、血縁としては何とも落ち着かない」
 真顔で言う叔父に、甥っ子も真顔で頷く。
「どうにかして聞き出したいんですが、何か手はないですか?」
「そうだなあ……」
 どちらかというと、暴れて物事を解決するタイプの二人には、知恵比べは向かない。
 唸るだけでいい案が思いつかないまま、葵は帰路につき、その帰路を心配しながらも、珊瑚はその場で見送った。

 答えは、意外な所に落ちているものだ。
 珊瑚に気まぐれに会いに来た女は、気楽にそう言った。
 女は、堤の今の当主の友人を送って来て、帰るまでここにとどまるとのことで、ついでに珊瑚の顔を見に来ただけだ。
「何だか、のっぴきならない問題が、堤で起きているみたいだけど、あなたは関わらなくてもいいの?」
「関わって何か変わるなら、そうするが。あの一族は、頭が固いからな」
「ふうん」
 気のない相槌を打つ女に、珊瑚はついつい葵の話と、二人の女の首の行方を聞き出す手立てを尋ねていた。
 曖昧な事を言われてはぐらかされると思っていたのだが、女は予想に反して楽しそうに言ったのだ。
「答えは、意外な所にありそうね」
「ん?」
「だって、今じゃあるまいし、昔は隠す場所なんか、そうないわよ。一時的に隠しておくならまだしも、根を詰めて探しても見つからないような隠し場所なんか、そうそうないわ」
 あっても、そこは先に使われているだろうと、女は笑う。
「今は、人が入れない場所は潰されていってて、自然の中で隠せる場所が減ってる。別な隠し場所、というか、盗まれない道具なんかは進歩してるけど、そんなものが鬼に役に立つ?」
 逆に今なら、唯一残った自然の中の隠し場所を使うかもしれないが、それも鬼に見つかる可能性は高い。
「なら、どこに、隠されてるんだ?」
「隠すより、存在を消してしまった方が、後々、都合がいいと考えたのかも知れないわよ、その子」
「?」
 存在を消すとは、首の存在を、という事だろうか?
 心境云々は置いておくとして、跡形もなくそれが出来る方法が、あるだろうか?
 しかも、周りに気付かれる事なく?
 珊瑚は目を瞬いて女に説明を求めるが、女は小さく笑って意味不明な言葉を続けた。
「でも、それを実行するなんて、相当の気力がいるわよ。蓮って子、そのあなたのお姉さんと良い仲だったんでしょ? 思い切ったわよね」
 言ってから、鬼が話についていけていないのに気づいたが、女は笑って話を強引に変えた。
 知らぬが仏、そんな言葉がある。
 まさに今の話には、その言葉がぴったりだった。

 答えは、案外身近に落ちていた。
 葵は地元に帰り、いつものように仕事に戻り、ある非番の日に母親と叔母の墓参りをした。
 送り迎えしてくれるエンに連れられて小屋に戻ると、昼飯を食べながら最近の悩みに小さく唸る。
 どうしたのかと問うエンに尋ねられるまま、葵は蓮が隠しているはずの二つの首のありかを聞き出す方法を相談した。
「……」
 エンは、その話を聞いた後、永い間沈黙した。
 葵が昼飯を腹いっぱいに詰め込み、食後のお茶を啜る頃まで、全く喋らずに何か考えているようだったが、不意に穏やかに尋ねた。
「葵さんはここで、母上と死に別れてからも、住んでいたんですよね?」
「ああ。時々真下の村じゃねえ村に下りて、物々交換してもらいはしたが、それ以外では、山を下りてねえ」
「蓮と、一緒に暮らしていたんですか?」
「いや。あいつ、その頃はまだ、主持ちだったからな。時々来てはいたが、日帰りが常だったな」
 天井を仰いだまま、エンは更に尋ねた。
「その間に、蓮が手ずから、何か作って、あなたに食べさせたことは?」
「おう、何度があるぜ。大概、何かの肉を煮込んで、汁物にした奴だった」
「……それは、いつもですか?」
 何でそんな質問が飛ぶのか分からず、葵はきょとんとしながらも、正直に答える。
「初めて会ってしばらく経った頃は、大体それだったぜ。戦が終わって落ち着いてからは、そこまで凝ったもんじゃなくなったが」
「……成程」
 微笑んだエンは、葵を見つめて再び穏やかに尋ねた。
「時々、蓮が狩って来る物を、蓮の要望通り捌いて潰して、骨まで完全に料理して出していたんですけど……」
「おう、それは、前もって言ってくれる奴だな。新作の料理だから、残さず食べろって言う」
「今の所、不味いと言われた事がないですけど、本当の所は、どうでしたか?」
 何でそんな事を、今更聞くのか。
 葵はきょとんとして、それでも答えた。
「全部、旨かったぜ」
「その、瑠璃さんとやらが亡くなった頃のものも、ですか?」
「あ、ああ。オレの心情的には、喉を通りにくかったが、不味くはなかった筈だぜ」
 その答えを聞き、男は妙な顔になったが、すぐに笑顔を戻した。
「そうですか。それは、良かった」
 そんな珍しい表情の変化を見てしまい、葵は今までの会話を反芻した。
「……」
「……まあ、何と言いますか、知らない方が、ましな場合も、あるんじゃないですか? 改めて訊いて、その想像が当たっていても、嫌でしょう?」
 思い当たって顔を引き攣らせた葵に、エンは穏やかに言った。
 まあ、どう探しても見つからないのなら、この想像通りだろうなとは思うが、尋ねて答えられない限りは、どこかにあると思い込むことも出来るだろう。
 もう、無理だろうけど。
 葵が吐き戻しそうだが、すでに消化されている物では吐けないと、悶々としているのを見守りながら、エンはそう思うだけだった。
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