第3話 脅迫

文字数 7,147文字

 高校生活が始まってから半年が経ち、季節は秋になった。
 幸い、あれ以来おかしな事件に巻き込まれることはなく、国内の治安もさほど悪化していない。
 その間、わたしと紗月は剣道の練習に打ち込み、自分で言うのもなんだが、メキメキと上達した。
 初心者なのだから伸びしろが大きいのは当たり前で、特別才能があるわけではない。試合形式で戦えば紗月以外には一度も勝てない。それでも、今まで全く知らなかった人間同士の戦い方というものを覚え、多少は自信が持てるくらいになっていた。
 今なら、素手の相手と一対一でなら男の人でも負ける気がしない。竹刀を持っている状態で紗月と二人でいれば、そうそう(おく)れをとることはないと思う。
「コテェ!」
 技を当てた後、しっかり残心(ざんしん)をとる。
 同時に審判の旗が上がった。
「はい、それまで!」
 ここで試合終了。二対一でわたしの勝ちだ。
 部内の練習試合、しかも相手は紗月だからそれほど嬉しくはない。
 紗月はちょっと悔しそうな顔をしている。けっこう負けず嫌いなのだ。
「二人とも、なかなか良い小手が打てるようになってきたね」
 声をかけてくれたのは審判役を務めていた新部長さん。前の部長さんの妹で雰囲気も背格好もよく似ている。
 そして彼女の言うとおり、初心者にとって比較的使いやすい技である小手なら、わたしたちでも一本が取れるようになってきた。お互いが相手の時だけでなく、上級生相手でも時々決まるくらいだ。
「その調子なら、今度の練習試合をデビュー戦にしても良さそうだね。まだ勝つのは難しいと思うけど、最低限恥ずかしくない試合はできるはずだよ」
「はい」
 そう返事はしたものの、わたしたちは試合にはあまり興味がない。
 それよりも、たった一つとはいえ使える技を身に付けたことが自信につながった。
 小手とは相手の手首の付け根辺りを狙う技だ。つまり、構えている状態で自分の身体から一番近い箇所を狙う。同じ長さの竹刀を持っている以上、小手ならリーチの短さがそれほどハンデにはならない。ましてや、相手が武器を持っていなければ遠間から一方的に打ち込むことができる。
 試合と違い、防具を付けていない状態なら、どこを打たれても激痛で必ず一瞬は怯むはず。
 だから、まずは一番近い小手を打つ。その隙にとどめの一撃を見舞うのが、わたしたちの考えた戦法だった。
 確実ではないにしても大抵はこれで切り抜けられる。
 その自信はあった。


「そういえば聞いた? 昨日、体育館裏でタバコの吸殻が大量に見つかったんだって」
 練習後、着替えを終えて更衣室をあとにしたところで紗月が話かけてきた。
「へえ、そうなんだ」
 初耳だった。興味はないが、もし同じ学年の人だったら把握しておいた方が良いので、聞いておく。
「吸殻だけ? 犯人は見つかってないの?」
「まだらしいね。噂を聞いただけだから詳しくは知らないけど、捨ててあった量から考えて常習犯なのは間違いないみたいだよ」
「ふーん、タバコねぇ。学校で隠れて喫煙大会って、まだそんなことやってる人たちいるんだ。前時代的というかなんというか。わたしの中では、そういうの二十年以上前のイメージなんだけどな」
「二十年前って、あんたまだ生まれてないじゃない」
「だからイメージだよ。そんな感じしない? 絶滅危惧種っていうのかな」
「それは知らないけど……。とにかく、あの辺りはそういう人たちの溜まり場になってるみたいだから近付かないようにね」
 言われるまでもない。そんな場所へは一度も行ったことがないし、これからも行くつもりはない。
「でもさ、そういう人たちって、どうやってタバコを入手してるんだろうね。カードか身分証がないと買えないのに」
「さあね。親から掠めたか、成人の不良からもらったか。よくわかんないけど、どこかに入手経路はあるんでしょうね」
 わたしの疑問に、紗月はため息混じりで答えた。
 それにしても不思議だ。
 昔は自販機で買い放題だったなんて話を聞いたこともあるが、今はそうもいかない。親にしても喫煙者自体減っているし、値段も昔よりだいぶ高くなった。もはや高校生にとってタバコはかなり入手困難なアイテムはずなのに、それでも不良たちは過去の伝統(?)を律儀に守ろうとする。
 いったい何が彼らを駆り立てるのか。その行為によって何を得られるのか。わたしには一生理解できそうもない。理解したくもないけど。
「あ、そうだ」
 わたしは、ふと大事な用を思い出して立ち止まった。
「どうしたの?」
「本返すの忘れてたよ。ごめん、紗月。ちょっと行ってくるから、玄関のところで待っててくれる?」
「わかった。廊下は走らないように急いでね」
「うん」
 わたしは踵を返し、図書室に向かった。


 さっき絶滅危惧種と言ったが、実はわたしもそれに近い。
 今時、図書室に本を借りに行く人間は少ないからだ。今の主流は電子書籍であり、紙の本で発売されるのは一部の人気作のみ。もはや図書室に新しい本が入ることはなく、ただ捨てるのがもったいないという理由で、部屋だけが残っている学校が多いという。それもいつまで続くことか……。
 多くの人はデータによる貸出を利用している。データなら図書室に行かなくてもIDさえ入力すればどこでもダウンロードできる。そして、期限がくれば自動的に消去されるから返却の手間もない。
 それでも、わたしは紙の本が好きで古い本を借りに図書室に通っている。重いし、色褪せるし、破れていたり折れ曲がっていたりすることもあるけれど、不思議とその方が物語に没頭できるのだ。
 データにはない暖かみが紙の本にはある気がする。理由は上手く説明できない。なんとなくだ。人のこと言えないな。
 だいぶ日が傾いてきた。
 暗くなるまでには帰りたいので早足で廊下を歩く。
 普段、本の貸し借りに行くのはお昼休みだから、この時間この辺りに来るのは初めてだ。
 廊下も階段も薄暗く静まりかえっている。時々、遠くから運動部の声が聞こえてくる以外まるで人の気配がない。
 同じ校舎内とは思えないくらい別世界――と思いきや。
 近くから、男子生徒らしき笑い声が聞こえてきた。
 同時に、この場ではあり得ないはずの刺激臭が鼻につく。
 この臭い……タバコ? どうして、こんなところで?
 わたしは反射的に足を止め、手で口を覆いながら辺りを見回す。
 ――いない。
 でもこれだけ臭うってことは、絶対近くにいるはず……。
「お前、なにしてんだ?」
 背後から低い声がした。
 慌てて振り向くと、柄の悪い男子生徒が三人、こちらに迫ってきた。
 正面と左右、背後には壁。わたしは言葉どおり「あっ」という間に囲まれてしまった。
 逃げ場がないどころか、ほとんど身動きがとれない。
 ど、どうしよう……? そうだ、竹刀! でも、こんなに近付かれたら袋から竹刀が出せない。出しても振れない。こういう場合は……こういう場合は……。
 ほんのわずかな間にあれこれと考えているうちに、正面の茶髪男子が勢いよく壁に手をついて、顔を近付けてきた。
「お前、剣道部か? なんでこんなとこにいるんだ?」
 息がヤニ臭い。やはりさっきまでタバコを吸っていたようだ。
「と、図書室に本を返しに……」
「あっそ」
 興味なさそうな態度。
 むしろ、その質問はこっちがしたかった。
 おそらく、そこの屋上に行く階段にでも座ってタバコを吸っていたのはわかる。
 でも、どうしてよりにもよって校舎の中で? 体育館裏じゃなかったの?
 そんなわたしの疑問を余所に、正面の茶髪男子が威圧するような声を浴びせてくる。
「お前さ、このこと誰にも言うなよ? もうお前の顔覚えたから、言ったらどうなるかわかるよな?」
「は、はい、言わないです」
 わたしは震える唇を動かした。悔しいが今はそう答えるしかない。
「いやいや、信用できねぇし」
 ふざけた口調で無慈悲な言葉が返ってきた。
 左右の不良男子もニヤニヤと笑っている。最初からタダで逃がす気はないようだ。
「じゃあ、どうすれば?」
 尋ねると、茶髪男子はそれを待っていたかのように薄気味悪い笑みを浮かべた。
「そりゃあ、信用してもらおうと思ったら担保がいるだろ。それが社会ってもんだろ。だからさ、今から恥ずかしい写真でも撮らせてもらおうかな」
「は……?」
 思考が凍り付いた。逆に震えが止まった。
「で、約束破ったら写真をバラまくってのは言うまでもないよな?」
 胸の奥から、何か苦いものが込み上げてくる。
「いや待て、バラまくより売った方がいいだろ」
 右の不良が言った。
「はぁ? こんなチビのが売れるのかよ?」
 左の不良がひどいことを言う。
「売れるよ。知らねえのか? 今こういうちっこいのが好きな奴、多いんだぜ」
 まずい、こいつらメチャクチャだ。言葉は通じない。なんとか自力で脱出しないと!
 でもどうやって? 
 竹刀を袋から出せなくても、このまま(つか)で顎を突き上げる?
 いや、それだと一人は倒せても他の二人にすぐ捕まる。
 第一、仮に脱出できたとしても、もう顔を覚えられているのだから後で絶対仕返しに来る。
 ここは路上とは違うのだ。あの時とは違う。
「それじゃあ、ちょっと奥に来てもらおうかな」
 茶髪男子が肩をつかんでくる。
 そう、肩だ。口は塞がれていない!
「あ……ああああああああああああああああああ!」
 わたしは力いっぱい叫んだ。
 なぜ「あ」なのかなんてわからない。どうでもいい。
 誰でもいいから気付いて!
「てめっ、うるせーぞ!」
 茶髪男子はわたしの肩から手を離し、口を塞ごうとしてきた。
 わたしは、とっさにその場にしゃがむことでそれを回避する。
 そして、とにかく叫び続けた。
「黙れっつってんだろ!」
 髪をつかまれ、顔を上げさせられる。
痛い……! 
それでも、声が続く限り叫び続ける。
茶髪男子の表情は明らかに焦っていた。やはり叫ばれるのは都合が悪いらしい。
 やがて声が枯れる。こうなると、もう手立てがない。
 このままじゃ――
「そこのあなたたち!」
 甲高い声が廊下に響いた。
 誰か来てくれた!
「ああ?」
 茶髪男子が獣のように尖った目で声の方を見た。
 そこにいたのは、どこか高貴な雰囲気が漂うロングヘアの女子生徒だった。
「いったい何をしているの? その手を離しなさい」
「誰だよ、お前は?」
 現れたのが教師でなかったことに安堵したのか、茶髪男子は冷静さ取り戻していた。
 期待と不安がない交ぜになる。来てくれたとはいえ、女の子一人じゃ……。 
 しかし、三人の男と対峙しながらも女子生徒に怯む様子はなかった。
「わたしのこと知らないの? 今期の生徒会長だけど」
「んなもん知るか」
「わたしはあなたのこと知っているわ。確かA組の紀藤(きとう)君よね? いいの? こんなところを見られたらタダでは済まないと思うのだけど」
 いかにもお金持ちのお嬢様といった感じの口調と態度だ。その堂々とした佇まいからは威圧感すら覚える。
 紀藤と呼ばれた三人組のリーダー格らしき茶髪男子は、わたしの髪から手を離した。
 ようやく痛みから解放されたものの、髪が何本も抜け落ちたのを見て胸がズキッとした。
 しかも、左右の男子が肩に手を置いてきたので逃げることができない。
 紀藤は女子生徒と正面から向き合い、ドスの効いた声を出す。
「だったら、お前の恥ずかしい写真を撮ってやろうか?」
「それは無理ね。たった今、助けを呼んだから。この場所なら一分もすれば救援が駆け付けるでしょう」
 どうやら、会話をしながら後ろ手でどこかへメッセージを送っていたらしい。
 すごい手際だ。
「じゃあ、お前をぶちのめして、とっととずらかるだけだ。一分あれば余裕だよ」
「そうかしら?」
 女子生徒は不敵な表情で、胸のポケットからボールペンを取り出した。そして、柔らかな動作で半身になりながら、尖ったペン先を紀藤の顔に向ける。
「はぁ? なんだそりゃ?」
 紀藤は馬鹿にするような声を上げた。
 無理もない。どんな秘策があるのかと思いきや、出てきたのはただのボールペンなのだから。
 しかし、女子生徒に近付こうとする途中で、彼の足は不自然に止まった。
「どうしたの?」
 女子生徒が問う。
 紀藤は答えなかったが、明らかに攻めあぐねていた。ボールペン一本相手に。
 よく考えてみれば、金属製のペン先が顔にでも突き刺されば痛いどころでは済まない。
 しかも、女子生徒の素人とは思えない板に付いた構え。彼女も何か武道をやっているのかもしれない。
 紀藤が横に動けば、ペン先も横に動く。照準は常に顔の中心。
 わたしだって剣道家の端くれだからわかる。あれはやりづらい。
 そうして二人がにらみ合っているうちに、遠くから複数の足音が聞こえてきた。
「時間切れね」
 女子生徒が言う。
「ちっ……」
 紀藤は踵を返し、仲間たちと逃げていった。
 た、助かった……。
 わたしは脱力して、その場にへたり込んだ。
「大丈夫?」
 女子生徒――生徒会長さんが手を差し伸べてくれる。
「あ、ありがとう、ございました」
 わたしは会長さんの手を取り、ふらつきながらも何とか立ち上がった。
 

 その後、わたしは職員室で事情聴取を受けた。紗月には先に帰ってもらった。
 話が終わる頃、外はすっかり暗くなっていた。
 家に電話して迎えにきてもらおう。
 職員室から出ると、そこに生徒会長さんが待っていた。
「あ……」
「やっと終わったみたいね。外で迎えを待たせてあるから、家まで送るわ」
「す、すみません。お世話になります」 
 わたしはお言葉に甘えて、会長さんの家の車に乗せてもらうことにした。
 お迎えに来ていた車は、会長さんの気品にふさわしい高級車だった。
 水素エンジン搭載型の最新車種らしく、騒音がほとんど聞こえてこない。
 シートはうちのソファより座り心地が良い。
「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったわね」
 後部座席の隣に座る会長さんが、こちらに顔を向けてくる。
「わたしは二年の福冨(ふくとみ)京香(きょうか)。さっき聞いたかもしれないけれど、生徒会の会長を務めているわ」
「一年の新條小鞘です。このたびは、本当にありがとうございました。なんてお礼を言っていいか」
 わたしは膝に手を置いて軽くお辞儀をした。
「お礼なんていいわよ。それよりも、確かあなたのおじいさんは元国会議員ではなかったかしら? それにお父さんも……」
「はい、そうです。父は県会議員です」
「やっぱり。新條と聞いて、もしやと思ったの」
 たいして有名でもない祖父と父を知っているということは、身内に政治家がいるか、お金持ち繋がりか。そういう人とは今まで何度か会ったことがあるので、驚くほどのことではない。
 でも、福冨先輩の次の言葉には驚いた。
「ねえ、新條さん。もし良かったら、あなたも生徒会に入ってみない?」
「え、わたしがですか?」
「そうよ。最初は役員ではなく、お手伝いという形になるけどね。でもそうすれば、半年間生徒会の仕事を学んだ上で、来期の役員選挙に立候補することができるわ。もしあなたが将来政治に関わる仕事をするつもりなら、生徒会での経験はきっと役に立つと思うの」
「ええと……」
 突然のことで、どう返事をすればいいのかわからない。身内に議員がいるからといって自分も政治家になろうだなんて考えたことがなかった。
 わたしは少しの間あたふたした後、返事をする。
「わたし、剣道部に入ってますので、ちょっと時間が……」
 福冨先輩は涼しい表情を変えなかった。
「やめるという選択肢はないのかしら? 厳しいことを言うけれど、あなたの体格ではいくら練習をしても上位は目指せないわ」
「それはわかってます。でも、わたしが剣道をするのは試合で勝つためじゃなくて、護身のためだから……」
「護身ね。さっきの様子だと、まるで役に立っていなかったみたいだけど?」
「ぅ……」
 違いない。
 だからといって、紗月や部員の仲間に相談もせずに一人で決めることはできない。
「ご、ごめんなさい。すぐにはお返事できません。しばらく考えさせてください」
「ええ、もちろんよ。慌てずじっくり考えてね」
 福冨先輩は快く言ってくれた。


 後日、廊下に落ちていた吸殻と福富先輩の証言によって、あの不良三人組は停学処分となった。わたしは一日だけ休んだ後、いつもどおり紗月と二人で登校した。
「それじゃあ、無理しないでね」
「うん」
 紗月と別れ、自分の教室に入ったわたしは、席に着くなり机に顔を突っ伏した。
 とりあえず今はいい。
 でも、停学期間が終わればあの三人は戻ってくる。そうなったら逆恨みして仕返しに来るかもしれない。
 もう学校の中でさえ安全とは言えなくなってしまった。
 彼らが仕返しを目論んでいるかどうかはわからない。仮に諦めてくれたとしても、同じ学校の生徒である以上、一度も顔を合わせないなんてことはないだろう。
 そう思うと気が重たい。
 どうして、わたしばっかりこんな目に?
 いくら考えても、運が悪かったという答えしか浮かばなかった。
 あんなところでタバコを吸う人がいるなんて誰が予想できる? 校舎内だよ? 先生が来るかもしれないんだよ? 正気とは思えない。
「新條さん、大丈夫?」
 クラスメートが優しく声をかけてくれる。普段はあまり話さない男子も、心配して声をかけてくれた。
 みんな優しい。
 それなのに、中にはあんなメチャクチャな人たちがいる。
 ……そう、いるのだ。
 思い起こせば、中学校の時も小学校の時もいた。街中でも時々見かけた。テレビやネットでも毎日のようにおかしな事件が報道されている。ああいうメチャクチャな人間は、どこにでも一定数いる。学校の中だからという考えが、そもそも甘かったのだ。
 危険は、どこにでも潜んでいるのだ。
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