危機
文字数 6,394文字
あたしは、デイジーに手を振り返して送り出してから、落ち着いて少し考えを纏めることにした。
デイジーは、自分がここに居てもいいのか、半信半疑だ。それはデイジーの支配 の能力が、あまり強力ではないことに起因しているが、一方で、それはクリスの気持ちを刺激しにくい状態ではある。一番大事なのは、あの傷ついた小さな子どもの気持ちを、あたしとクリスが守ってやらなきゃいけないってことだ。
あたしは、考えが纏まったと思ったので、そのままクリスの部屋へ行った。
「クリス? 入るぜ」
あたしがクリスの部屋へ入ると、クリスはソファーに座って酒を飲んでいた。
「空きっ腹に酒はよくないぜ。酔いがまわりすぎる」
あたしがそう言うと、クリスはくすりと笑って言った。
「ベティね……、余計なことを……」
「ベティはクリスが心配なのさ。わかってるくせに」
あたしは、ため息をついて言った。なんだかいつもと立場が逆だ。
あたしは思いついて、ベティに頼んだ。
「ベティ? 悪いんだけど、簡単に食べれるものを二人分、持ってきてくれないか?」
「了解です! こういう時は、サンドイッチがいいですね」
やっぱりベティは頼りになる。あたしは、クリスの横に座った。
「デイジーと話をしたんだ」
あたしは、デイジーの境遇について聞いたこと、支配 の能力のこと、そして、クリスの故郷に起こったことについて、デイジーに話したことをクリスに伝えて言った。
「今日は、あの子とは別々にごはんを食べる。でも、今日だけだ。明日からは、三人一緒に食堂でベティの作ってくれたごはんを食べるんだ。できるか? クリス」
クリスは、またくすりと笑って言った。
「ほんと……、敵いませんわね、あなたには……。白状してしまいますけれど、私は、故郷にいるとき、ずっと"風"になれる変化 のイマジナリーズに憧れていたのですわ……」
あたしは、意外に思って聞いた。
「変化 に? 意外だな。創造 の方がずっとすごい能力じゃないか」
クリスは、首を振って言った。
「創造 の能力を低く見たことは一度もありませんけれど、私は、ずっと自然現象そのものになって、空を飛びまわることのできる変化 の能力に憧れていたのですわ。とても自由な感じがして……」
あたしはクリスが、クリス自身のことを話してくれることが嬉しくて、黙って聞いていた。
「さっき、支配 の能力は、相手のことを感じるところから始まるようなお話がありましたけれど、創造 の能力者の場合は、まず作り出す物体の想像力 を得るために、対象に触れる必要があるのです……。そして、その物体を構成する物質の組成や構造が頭に流れ込んできたとき、その物体を生成する感覚を掴むのですわ」
あたしは、クリスが拳銃を生成するためにセズティリアで拳銃を手に入れたという話を思い出した。そうか、物体を生成するには、まずその物体を構成する物質の組成や構造を把握する必要があるということか。意外に大変なんだな……。
「子どもの頃、空を飛ぶための翼が欲しくて、集落のそばにあった泉に来ていた、大きな白い鳥の翼に触れたことがありましたの……。そうしたら、ものすごく複雑な生体組織の組成や構造が頭に流れ込んできて、気を失ってしまいましたわ……。両親から犬を飼ってはいけないと言われたのは、そのせいでしたの……」
今度は、あたしがくすりと笑って言った。
「クリスでも、そんな無茶をしたことがあるんだな。いつもクールにしてるイメージがあった」
「私が普段冷静でいられるのは、ひとえにベティのお陰ですわ。ベティがいてくれなかったら、どうなっていたことか……」
クリスが少し遠い目をして言った。あたしも同意する。
「そうだな、頼りがいのある、あたしらの妹分のお陰だな!」
ちょうど、ポーターロボットがサンドイッチを持ってクリスの部屋へ入ってきた。
「おいしいサンドイッチができましたから、お二人とも食べてください!」
ベティが少しぎこちない口調で口を挟んだ。照れてるのかな? あたしはデイジーのことを聞いた。
「デイジーは、ちゃんとごはんを食べたのかい?」
「はい、デイジーとキィは、ちゃんとご飯を食べて、もうお風呂に向かっています」
「OK、よかった。あたしは、デイジーの風呂には間に合わなさそうだね」
あたしは、自分の前に置かれたサンドイッチを頬張りながら言った。クリスが驚いたように言う。
「あの子、男の子だって言ってましたわよ?」
「ああ、それがどうかしたか?」
あたしは、クリスが何のことを言っているのかわからないので聞き返した。クリスが、ぷっ、と吹き出して言う。
「本当、あなたには敵いませんわ」
翌朝、あたしが食堂に入った時、もうクリスがテーブルの席についていた。少なくとも、ぐっすり眠った様には見えない。
「あんまり眠れなかったのかい?」
クリスは答えなかった。ベティが、ファナのニュースをモニタに映していた。あたしは言った。
「デイジーのことは、ニュースになってないんだな」
「しっ」
クリスが小さい声で言う。デイジーが食堂に入ってきたのだ。
「おはようございます」
行儀のいい挨拶だ。もっとざっくばらんな挨拶の方が安心できるんだが、贅沢を言うのはよそう。
「おう! おはよう、よく眠れたかい?」
「ええ、まあ」
デイジーは、ぎこちない笑顔で答えて、そのまま、あたしとクリスとはテーブルの反対側に座った。
「今日の朝ごはんは、ベーコンエッグとサラダに厚切りトースト、それにオレンジジュースですよー! トーストは、お好みでハチミツを付けて召し上がってください。デイジーは、ハチミツはお好きですか?」
ベティが、いつもより1.3倍くらい明るい声で話しかけてきた。あたしらの妹分は、今日も健気 だ。
「ありがとうベティ、ハチミツ大好きです。いただきますね」
デイジーが、自分の前に置かれたトーストに、テーブルの上にあった瓶からハチミツをのせてかぶりついた。
「おいしいです、すごく」
努めて明るくしている、という風にデイジーが言う。この子も健気 だ。何だか泣けてくるぞ。
「ベティの作るごはんは、いつもおいしいよな!」
あたしも普段より1.5倍くらい明るく言った。
「私も、ハチミツをいただこうかしら」
クリスがテーブルの上のハチミツの瓶に手を伸ばした。
「あ、僕が取ります!」
デイジーが、ハチミツの瓶を持ってクリスに渡そうとした、その時だ。
デイジーの手が、クリスの手に触れた次の瞬間、クリスは反射的にデイジーの手を払いのけた。ハチミツの瓶が弾かれてテーブルの上に転がり、ハチミツがこぼれてしまった。
「……!」
三人が三人とも、凍り付いたように動けなくなった。とっさにベティが声をあげる。
「大丈夫です! ハチミツは、まだまだありますから!」
しかし、デイジーはバタバタと席を立って言った。
「ごめんなさい!」
そのまま、食堂を出て行ってしまう。
クリスは、デイジーの手を払いのけた自分の手を、そのまま額にあてて考え込んでしまった。
「私ったら……!」
あたしは、慌てて言った。
「いや、多分、あたしが悪かったんだ。少し急ぎすぎたみたいだな。気にすんな、クリス!」
あたしは、そのままデイジーの部屋へ行った。
「デイジー? 入ってもいいかい?」
デイジーの部屋の前で声を掛けたんだが、返事はなかった。
「ベティ? デイジーはどうしてる?」
「キィを抱いてベッドに突っ伏しています。泣いているのかもしれません……」
おずおずとベティが答える。デイジーの様子を伺っていてよいものか、迷っているらしい。
あたしは、故郷の母さんから言われていたことが頭を巡った。あんたはいっつも、どっか抜けてるって奴だ。あたしは、どうすりゃよかったんだ? 母さん……。
あたしは、デイジーのことは、少しそっとしておくことにして、食堂のクリスのところに戻った。クリスは、あたしが出て行った時と同じ姿勢で座ったままだった。
あたしは、クリスになんて言っていいかわからなかったが、まずは謝ることにした。間違ったことをしたと思ったら、まずは誠意をみせないとな……。
「あー……、本当にすまない、クリス……。さっきのことは、あたしが悪かったんだ。どうか気にしないでくれ。クリスの気持ちをちゃんとわかってなかったんだ。それなのに、あたしが強引にまとめちまおうとしたんだよ。もっと時間をかけるべきだったんだ、きっと」
あたしは、一生懸命言ったのだが、クリスはゆっくり首を振った。
「いいえ、あなたは間違っていませんわ。あたしが、いつまでも昔のことを気にしすぎているんですわ、多分……。でもどうしても、あの子に直接触れるのは……、まだ恐ろしくて……」
「いや、クリスの故郷で起こったことを考えたら、そうなるもの当然なんだよ。クリスに無理がないように、もっとゆっくりやろう」
あたしは言ったが、クリスは何も言わなかった。
あたしは、このタイミングで話すのは正しくないだろうと思ったが、クリスにデイジーのことをもっとわかって欲しいとも思って、あたしがずっと腑に落ちなかったことをクリスに話すことにした。
「あのさ、クリス……。あたしは、デイジーのことで腑に落ちないことがあったんだ」
クリスが、不思議そうな顔をこちらに向けて言った。
「腑に落ちないこと?」
「あたしがデイジーを始めてみたとき、三人いた男のうち、一人はまだ気を失っていなくて、立った姿勢で棒を振り上げてたんだ。その直後、あたしはその棒を掴んで、その男を気絶させた。でもその時はもう、デイジーの背中はアザだらけだったんだと思う」
あたしが言っていることを、クリスは理解しかねているようだった。
「それがどうかしましたの? でもそのうちの二人は、既に気を失っていたのでしょう? ……!」
クリスは疑問を口にした瞬間、あたしの言ったことを理解したようだった。
「そうさ、デイジーが自分の身を守るために支配 の能力を発動していたのなら、あんなにたくさんのアザはできなかったんじゃないか。デイジーは、自分が殴られている間は能力を発動しなかったけど、抱いていた猫が危なくなると感じたから支配 の能力を使ったんだ」
クリスは、俯 いたまま何か考えているようだった。そして改めて顔をあげて、あたしに言った。
「そうですわね、私は愚かでしたわ。あの子はきっと、とてもやさしい男の子なんですわね」
まだ時間はかかるかもしれない。でも二人はいい関係を築けるはずだ。あたしはそう思った。
しかし、現実はそう甘くはなかった。ベティがおずおずと口を挟む。
「あの……デイジーが……、出て行っちゃいました。お二人に伝言があります」
「真剣 か……、で、伝言って?」
あたしが言うと、ベティはおずおずとしたまま言った。
「キィのことをよろしくお願いしますと……」
あたしとクリスが、急いでデイジーの部屋まで行くと、既にデイジーの姿はなく、ベッドの上にキィが残されていて、鳴き声を上げていた。あたしは、ハッとして言った。
「キィのことも、支配 の能力で一緒にいたんじゃないんだな……」
クリスは、唇を噛んで言った。
「連れ戻さないと……、このままじゃ、あんまりですわ」
ベティが声をあげる
「大変です! デイジーが、ラスタマラ家の人たちに見つかってしまったようです!」
「なんだって! 場所は?!」
あたしは、反射的にベティに聞いたが、クリスはもうデイジーの部屋から飛び出していた。
「最初にデイジーを見つけた場所の近くです。でも、デイジーの支配 の能力を警戒してか、まだデイジーとは距離を置いています。あ……、ビースト・ハンターに出動要請が……」
あたしは、そのまま車に乗り込んだが、クリスはバイクで飛び出して行ってしまった。
「待てよ、クリス! 一人じゃ危ねぇって!」
しかし、クリスはとっくにジャンヌ・ダルク号の外だった。
「ベティ? クリスを追ってくれ!」
「デイジーのことは、どうするんです?!」
ベティが動揺したように声をあげる。
「クリスはデイジーを追って行ったんだ、クリスの先にデイジーもいるって!」
車はあたしを乗せ、クリスを追ってジャンヌ・ダルク号から飛び出して行った。
「ベティ? クリスはインカムを付けてるのか?」
「はい、会話は可能です」
さすがクリス、慌てているようでも、ちゃんと気を回すことができている。
「クリス? 聞こえてるか、今どのあたりだ?」
「もう貧民街 の近くまで来ておりますわ! そちらはどのくらいで着きそうですの?」
もうそんなところまで……、伊達に飛び出して行っていなかった。クリスなりの計算だったらしい。
「ラスタマラ家の車の近くに、デイジーがいるはずです!」
そう言ったベティが、急に驚いたように付け加えた。
「まずいです! ビースト・ハンターが、もうすぐ現場に到着するそうです!」
くそ、I -ジャマーを持ってこられるとまずい……。
「スピード勝負ですわね……」
クリスのセリフに応えて、あたしも変化 の能力を発動して、車から飛び出した。
「ベティは、後からついてきてくれ!」
ベティが、インカムを付けていないあたしに向かって叫んだ。
「もう! 気を付けてくださいね!」
「見えましたわ! デイジー!」
あたしからは、手前にクリス、その奥にラスタマラ家の連中に追われているデイジー、さらにその奥にデイジーを追ってきているラスタマラ家の連中が見えた。そして、それらの向こうから、もう一台車が近づいてきている。あれがビースト・ハンターの乗っている車か?
「デイジー! こちらへ!」
クリスが、バイクごとデイジーとラスタマラ家の連中の間に割って入る。
「リボルバー!弾丸六発 !」
ダァン! ダァン! ダァン!
クリスは、ラスタマラ家の連中に牽制射撃を始める。けが人を出さないように気を付けているようだ。ラスタマラ家の連中が撃ち返してくる。デイジーに当たったらどうするつもりなんだ?!
「大楯 !」
クリスが大きな金属製の盾を生成する。
ギィン! ギギィン! ギィン!
ラスタマラ家の連中が撃った銃弾が、クリスの生成した大楯に弾かれて鈍い音を立てる。
「まさか、創造 のイマジナリーズか……」
後から来た車から降りた男が、そんなことを言った。手には、見慣れない機械のようなものを持っている。まずい、あれがI -ジャマーか?!
あたしは、突風になって飛び出して言った。
「カマイタチ!」
I -ジャマーらしい機械は、粉々に砕け散った。
「何だ?!」
驚いたその男の脇に、あたしは降り立って言った。
「よう、ミスター! 悪いね、壊しちまって」
「まさか!変化 のイマジナリーズか?!」
あたしは、その男に手刀を食らわせた。男は倒れた。その時、ベティの車がデイジーのそばまで辿り着いた。あたしは、デイジーのそばまで"風"で移動した後、能力を解除してからデイジーを抱えて車に乗り込んだ。
「クリス! 逃げるぞ!」
「了解ですわ!」
ラスタマラ家の連中は、男を助け起こすのに忙しくなった。クリスは大楯の影から出ないように気を付けながら、スピンターンでバイクの向きを変えて走り出した。
あたしがラスタマラ家の連中の方を振り返ると、ビースト・ハンターらしい男が起き上がっていた。くそ、手刀が浅かったか!
「逃がさない」
遠目に、ビースト・ハンターらしい男がそう言ったように見えた。その途端、あたしとクリスは気を失ったらしい。後から聞いた話だが、クリスのバイクは転倒したそうだ。
後から気が付いたんだ、間抜けな話さ。そのビースト・ハンターは、漆黒の瞳と髪をしていた。そう、クリスの故郷を滅亡させたっていう支配 のイマジナリーズと、ぴったり同じ容姿だったんだ。
to be continued...
デイジーは、自分がここに居てもいいのか、半信半疑だ。それはデイジーの
あたしは、考えが纏まったと思ったので、そのままクリスの部屋へ行った。
「クリス? 入るぜ」
あたしがクリスの部屋へ入ると、クリスはソファーに座って酒を飲んでいた。
「空きっ腹に酒はよくないぜ。酔いがまわりすぎる」
あたしがそう言うと、クリスはくすりと笑って言った。
「ベティね……、余計なことを……」
「ベティはクリスが心配なのさ。わかってるくせに」
あたしは、ため息をついて言った。なんだかいつもと立場が逆だ。
あたしは思いついて、ベティに頼んだ。
「ベティ? 悪いんだけど、簡単に食べれるものを二人分、持ってきてくれないか?」
「了解です! こういう時は、サンドイッチがいいですね」
やっぱりベティは頼りになる。あたしは、クリスの横に座った。
「デイジーと話をしたんだ」
あたしは、デイジーの境遇について聞いたこと、
「今日は、あの子とは別々にごはんを食べる。でも、今日だけだ。明日からは、三人一緒に食堂でベティの作ってくれたごはんを食べるんだ。できるか? クリス」
クリスは、またくすりと笑って言った。
「ほんと……、敵いませんわね、あなたには……。白状してしまいますけれど、私は、故郷にいるとき、ずっと"風"になれる
あたしは、意外に思って聞いた。
「
クリスは、首を振って言った。
「
あたしはクリスが、クリス自身のことを話してくれることが嬉しくて、黙って聞いていた。
「さっき、
あたしは、クリスが拳銃を生成するためにセズティリアで拳銃を手に入れたという話を思い出した。そうか、物体を生成するには、まずその物体を構成する物質の組成や構造を把握する必要があるということか。意外に大変なんだな……。
「子どもの頃、空を飛ぶための翼が欲しくて、集落のそばにあった泉に来ていた、大きな白い鳥の翼に触れたことがありましたの……。そうしたら、ものすごく複雑な生体組織の組成や構造が頭に流れ込んできて、気を失ってしまいましたわ……。両親から犬を飼ってはいけないと言われたのは、そのせいでしたの……」
今度は、あたしがくすりと笑って言った。
「クリスでも、そんな無茶をしたことがあるんだな。いつもクールにしてるイメージがあった」
「私が普段冷静でいられるのは、ひとえにベティのお陰ですわ。ベティがいてくれなかったら、どうなっていたことか……」
クリスが少し遠い目をして言った。あたしも同意する。
「そうだな、頼りがいのある、あたしらの妹分のお陰だな!」
ちょうど、ポーターロボットがサンドイッチを持ってクリスの部屋へ入ってきた。
「おいしいサンドイッチができましたから、お二人とも食べてください!」
ベティが少しぎこちない口調で口を挟んだ。照れてるのかな? あたしはデイジーのことを聞いた。
「デイジーは、ちゃんとごはんを食べたのかい?」
「はい、デイジーとキィは、ちゃんとご飯を食べて、もうお風呂に向かっています」
「OK、よかった。あたしは、デイジーの風呂には間に合わなさそうだね」
あたしは、自分の前に置かれたサンドイッチを頬張りながら言った。クリスが驚いたように言う。
「あの子、男の子だって言ってましたわよ?」
「ああ、それがどうかしたか?」
あたしは、クリスが何のことを言っているのかわからないので聞き返した。クリスが、ぷっ、と吹き出して言う。
「本当、あなたには敵いませんわ」
翌朝、あたしが食堂に入った時、もうクリスがテーブルの席についていた。少なくとも、ぐっすり眠った様には見えない。
「あんまり眠れなかったのかい?」
クリスは答えなかった。ベティが、ファナのニュースをモニタに映していた。あたしは言った。
「デイジーのことは、ニュースになってないんだな」
「しっ」
クリスが小さい声で言う。デイジーが食堂に入ってきたのだ。
「おはようございます」
行儀のいい挨拶だ。もっとざっくばらんな挨拶の方が安心できるんだが、贅沢を言うのはよそう。
「おう! おはよう、よく眠れたかい?」
「ええ、まあ」
デイジーは、ぎこちない笑顔で答えて、そのまま、あたしとクリスとはテーブルの反対側に座った。
「今日の朝ごはんは、ベーコンエッグとサラダに厚切りトースト、それにオレンジジュースですよー! トーストは、お好みでハチミツを付けて召し上がってください。デイジーは、ハチミツはお好きですか?」
ベティが、いつもより1.3倍くらい明るい声で話しかけてきた。あたしらの妹分は、今日も
「ありがとうベティ、ハチミツ大好きです。いただきますね」
デイジーが、自分の前に置かれたトーストに、テーブルの上にあった瓶からハチミツをのせてかぶりついた。
「おいしいです、すごく」
努めて明るくしている、という風にデイジーが言う。この子も
「ベティの作るごはんは、いつもおいしいよな!」
あたしも普段より1.5倍くらい明るく言った。
「私も、ハチミツをいただこうかしら」
クリスがテーブルの上のハチミツの瓶に手を伸ばした。
「あ、僕が取ります!」
デイジーが、ハチミツの瓶を持ってクリスに渡そうとした、その時だ。
デイジーの手が、クリスの手に触れた次の瞬間、クリスは反射的にデイジーの手を払いのけた。ハチミツの瓶が弾かれてテーブルの上に転がり、ハチミツがこぼれてしまった。
「……!」
三人が三人とも、凍り付いたように動けなくなった。とっさにベティが声をあげる。
「大丈夫です! ハチミツは、まだまだありますから!」
しかし、デイジーはバタバタと席を立って言った。
「ごめんなさい!」
そのまま、食堂を出て行ってしまう。
クリスは、デイジーの手を払いのけた自分の手を、そのまま額にあてて考え込んでしまった。
「私ったら……!」
あたしは、慌てて言った。
「いや、多分、あたしが悪かったんだ。少し急ぎすぎたみたいだな。気にすんな、クリス!」
あたしは、そのままデイジーの部屋へ行った。
「デイジー? 入ってもいいかい?」
デイジーの部屋の前で声を掛けたんだが、返事はなかった。
「ベティ? デイジーはどうしてる?」
「キィを抱いてベッドに突っ伏しています。泣いているのかもしれません……」
おずおずとベティが答える。デイジーの様子を伺っていてよいものか、迷っているらしい。
あたしは、故郷の母さんから言われていたことが頭を巡った。あんたはいっつも、どっか抜けてるって奴だ。あたしは、どうすりゃよかったんだ? 母さん……。
あたしは、デイジーのことは、少しそっとしておくことにして、食堂のクリスのところに戻った。クリスは、あたしが出て行った時と同じ姿勢で座ったままだった。
あたしは、クリスになんて言っていいかわからなかったが、まずは謝ることにした。間違ったことをしたと思ったら、まずは誠意をみせないとな……。
「あー……、本当にすまない、クリス……。さっきのことは、あたしが悪かったんだ。どうか気にしないでくれ。クリスの気持ちをちゃんとわかってなかったんだ。それなのに、あたしが強引にまとめちまおうとしたんだよ。もっと時間をかけるべきだったんだ、きっと」
あたしは、一生懸命言ったのだが、クリスはゆっくり首を振った。
「いいえ、あなたは間違っていませんわ。あたしが、いつまでも昔のことを気にしすぎているんですわ、多分……。でもどうしても、あの子に直接触れるのは……、まだ恐ろしくて……」
「いや、クリスの故郷で起こったことを考えたら、そうなるもの当然なんだよ。クリスに無理がないように、もっとゆっくりやろう」
あたしは言ったが、クリスは何も言わなかった。
あたしは、このタイミングで話すのは正しくないだろうと思ったが、クリスにデイジーのことをもっとわかって欲しいとも思って、あたしがずっと腑に落ちなかったことをクリスに話すことにした。
「あのさ、クリス……。あたしは、デイジーのことで腑に落ちないことがあったんだ」
クリスが、不思議そうな顔をこちらに向けて言った。
「腑に落ちないこと?」
「あたしがデイジーを始めてみたとき、三人いた男のうち、一人はまだ気を失っていなくて、立った姿勢で棒を振り上げてたんだ。その直後、あたしはその棒を掴んで、その男を気絶させた。でもその時はもう、デイジーの背中はアザだらけだったんだと思う」
あたしが言っていることを、クリスは理解しかねているようだった。
「それがどうかしましたの? でもそのうちの二人は、既に気を失っていたのでしょう? ……!」
クリスは疑問を口にした瞬間、あたしの言ったことを理解したようだった。
「そうさ、デイジーが自分の身を守るために
クリスは、
「そうですわね、私は愚かでしたわ。あの子はきっと、とてもやさしい男の子なんですわね」
まだ時間はかかるかもしれない。でも二人はいい関係を築けるはずだ。あたしはそう思った。
しかし、現実はそう甘くはなかった。ベティがおずおずと口を挟む。
「あの……デイジーが……、出て行っちゃいました。お二人に伝言があります」
「
あたしが言うと、ベティはおずおずとしたまま言った。
「キィのことをよろしくお願いしますと……」
あたしとクリスが、急いでデイジーの部屋まで行くと、既にデイジーの姿はなく、ベッドの上にキィが残されていて、鳴き声を上げていた。あたしは、ハッとして言った。
「キィのことも、
クリスは、唇を噛んで言った。
「連れ戻さないと……、このままじゃ、あんまりですわ」
ベティが声をあげる
「大変です! デイジーが、ラスタマラ家の人たちに見つかってしまったようです!」
「なんだって! 場所は?!」
あたしは、反射的にベティに聞いたが、クリスはもうデイジーの部屋から飛び出していた。
「最初にデイジーを見つけた場所の近くです。でも、デイジーの
あたしは、そのまま車に乗り込んだが、クリスはバイクで飛び出して行ってしまった。
「待てよ、クリス! 一人じゃ危ねぇって!」
しかし、クリスはとっくにジャンヌ・ダルク号の外だった。
「ベティ? クリスを追ってくれ!」
「デイジーのことは、どうするんです?!」
ベティが動揺したように声をあげる。
「クリスはデイジーを追って行ったんだ、クリスの先にデイジーもいるって!」
車はあたしを乗せ、クリスを追ってジャンヌ・ダルク号から飛び出して行った。
「ベティ? クリスはインカムを付けてるのか?」
「はい、会話は可能です」
さすがクリス、慌てているようでも、ちゃんと気を回すことができている。
「クリス? 聞こえてるか、今どのあたりだ?」
「もう
もうそんなところまで……、伊達に飛び出して行っていなかった。クリスなりの計算だったらしい。
「ラスタマラ家の車の近くに、デイジーがいるはずです!」
そう言ったベティが、急に驚いたように付け加えた。
「まずいです! ビースト・ハンターが、もうすぐ現場に到着するそうです!」
くそ、
「スピード勝負ですわね……」
クリスのセリフに応えて、あたしも
「ベティは、後からついてきてくれ!」
ベティが、インカムを付けていないあたしに向かって叫んだ。
「もう! 気を付けてくださいね!」
「見えましたわ! デイジー!」
あたしからは、手前にクリス、その奥にラスタマラ家の連中に追われているデイジー、さらにその奥にデイジーを追ってきているラスタマラ家の連中が見えた。そして、それらの向こうから、もう一台車が近づいてきている。あれがビースト・ハンターの乗っている車か?
「デイジー! こちらへ!」
クリスが、バイクごとデイジーとラスタマラ家の連中の間に割って入る。
「リボルバー!
ダァン! ダァン! ダァン!
クリスは、ラスタマラ家の連中に牽制射撃を始める。けが人を出さないように気を付けているようだ。ラスタマラ家の連中が撃ち返してくる。デイジーに当たったらどうするつもりなんだ?!
「
クリスが大きな金属製の盾を生成する。
ギィン! ギギィン! ギィン!
ラスタマラ家の連中が撃った銃弾が、クリスの生成した大楯に弾かれて鈍い音を立てる。
「まさか、
後から来た車から降りた男が、そんなことを言った。手には、見慣れない機械のようなものを持っている。まずい、あれが
あたしは、突風になって飛び出して言った。
「カマイタチ!」
「何だ?!」
驚いたその男の脇に、あたしは降り立って言った。
「よう、ミスター! 悪いね、壊しちまって」
「まさか!
あたしは、その男に手刀を食らわせた。男は倒れた。その時、ベティの車がデイジーのそばまで辿り着いた。あたしは、デイジーのそばまで"風"で移動した後、能力を解除してからデイジーを抱えて車に乗り込んだ。
「クリス! 逃げるぞ!」
「了解ですわ!」
ラスタマラ家の連中は、男を助け起こすのに忙しくなった。クリスは大楯の影から出ないように気を付けながら、スピンターンでバイクの向きを変えて走り出した。
あたしがラスタマラ家の連中の方を振り返ると、ビースト・ハンターらしい男が起き上がっていた。くそ、手刀が浅かったか!
「逃がさない」
遠目に、ビースト・ハンターらしい男がそう言ったように見えた。その途端、あたしとクリスは気を失ったらしい。後から聞いた話だが、クリスのバイクは転倒したそうだ。
後から気が付いたんだ、間抜けな話さ。そのビースト・ハンターは、漆黒の瞳と髪をしていた。そう、クリスの故郷を滅亡させたっていう
to be continued...