解題

文字数 1,078文字

 解題
 (名前は記述なし)

 前提として、作品年代、作者の経歴等ははっきりしなかった。そのためストーリーにのみ触れることとする。
 この作品を読むにあたって最も注視しなければならないこと、それはこの作品が勧善懲悪の物語ではなく、言わば知能至上主義を讃えた作品であるということである。この作品を読んで、他人を貶した者がその報いを受けるという勧善懲悪の物語だと感じた者は国語の読解をよくできる人間だと思うが、私にはどうもこの作者の意図はそこにないと感じてしかたがないのだ。
 まず私が注目したいのが、これを恋愛小説として説明するには、恋愛対象となるジミーの人物像が薄い、言い換えれば二人の恋愛にそこまで焦点が合っていないということである。特にジミーとグッドウィルがきっかけの描写が少ないまま交際を始めている。一見物足りないようにも感じるこの場面で私が主張したいのは、作者の中ではしかしながらに説明は完了されているというものである。回りくどい言い方をせずに言うと、作者は「知識」と「愛」を得たことこそが二人の関係発展の理由として十分であり、それ以上恋愛描写を増やしてしまうと恋愛小説になってしまうことを意図的に避けたのはないだろうか。
 またグッドウィルの最後のセリフでは「僕の人生で実ったものなど何一つなかった」と述べ、自殺を示す終わり方をしているが、ここもミスリードあるいは作者からのアンチテーゼがあると捉えられる。先に述べたようにこの物語は知識が何ももたらさなかったし、ましてや人の知識を奪ったことで主人公が罰を受けたというような読み方もできる。しかし、ここで私が述べたいのは、知識が向上して「普通に」死ねたという知識至上主義である。グッドウィルは知識を得て、「普通」の人間へとなった。これは知識の賜物である。知識のおかげで、恋愛を経験し、大学へと進学し、最後こそ厭い人になったものの、知識を得る前では考えられないような人生を謳歌できたのだ。知識人とはしばしば世を嫌うものだ。ここで主張したいのは、この作品は知識こそが絶対であり、人間を豊かにするものだという知識至上主義であると同時に、その成功を掴むことができなかった人間の厭世小説であるということだ。ここにこそ作者の核心があると私は思う。
 私が思うにこの作品は駄作以外の何物でもないだろう。しかし、だからこそこの作品は光り輝いており、それに付随して私のこの駄文にも価値が生まれてくるのではないかと思う。これは文学論であると同時に芸術論であるが、「無駄の芸術」にこそ真の価値が宿ると主張して、この文を締め括りたい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み