第2話
文字数 15,278文字
ファヴュレス
賽は投げられた
光が多いところでは、影も強くなる。
ゲーテ
第二青【賽は投げられた】
「ったく。なんなんだい、あいつは」
「おかしな奴ですよね」
「ていうか、船長が乗せたんじゃないですか。どうにかしてくださいよ」
「んなこと言ったって、財宝が手に入るっていってんだ。もう少し様子を見ようじゃないか」
「船長の悪い癖ですよ」
「五月蠅いよ!」
未だ人魚を逃がしたことを悔しがっているナターシャのもとに、ニコニコとした笑みを崩さないサニーがやってきた。
「提案があるんですけど」
「なんだい?」
「餌で釣るというのはどうでしょう?」
「はあ?餌?」
いきなり何を言っているのかと思っていると、サニーはナターシャの方にぐいっと顔を近づけてきた。
「餌といっても、とても食べられたものじゃありませんがね」
「はあ?」
「ロミオさん、ただいま戻りました」
「おー、ジュラシ、お疲れお疲れ」
大きく綺麗な姿をした鯨が、ぱっと人間の姿になった。
黒の短髪で、耳には菱形のピアスをつけており、何やら服装はどこぞやの騎士のような格好をしている。
ライバルはイルカだと言っているこの男に理由を聞くと、奴らは可愛い感じで売っているが、肉食だから、鯨の方が可愛いと言うだろう。
「どうだった?何か異変はあったか?」
「特にはありませんでしたが、やはり北極に限らず海水温度は上がっていますね。あちこちで人間にも被害が出ているようです」
「そうか。最近暑いもんな。俺も北極にでも行って涼んできてえなぁ」
呑気にそんなことを言っていたロミオだが、ジュラシが次に口にしたことに、その表情を曇らせた。
「三叉の矛を盗んだ人間が、この海域にいるという噂がありましたが、詳細は掴めておりません」
「・・・・・・」
「いかがいたします?」
「・・・・・・まあ、しばらく放っておくしかねえだろ。誰が盗んだかも分からねぇこの状況で、むやみやたらと動き回るのは危険を伴う」
「わかりました」
すると、再び鯨へと姿を変えたジュラシは、広い海原へと泳いで行く。
しかし、またすぐにジュラシが戻ってきた。
「ロミオさん!大変です!」
「あ?」
ジュラシがロミオを背に乗せて、海の中を泳いで行くと、明らかに海の中の様子がおかしいことに気付く。
光もいつもより届いていないし、なによりも呼吸が苦しい。
「なんだこりゃ」
ジュラシに連れて来られた場所を見上げてみると、海面には何か汚れたような何かが漂っているのが見えた。
「油ですね」
「なんでこんなものが・・・。とにかく危険だな。ジュラシ、お前はすぐに仲間にここへは近づかないように連絡しろ」
「はい」
「俺は他の奴らにこのことを報せる」
そう言ってジュラシの背中から下りると、ロミオはすぐにジンたちへもこのことを教えにいった。
その頃、パッピ―の背中でのんびり過ごしていた篝は、また海賊船が見えたため、身を潜めていた。
だが、海賊船の他にももう一隻船があるのが見え、何だろと観察する。
そして良く海面を見てみると、油がこちらにまで来ているのが分かった。
「うわっ」
すると、普段ならそれほど大きくゆれたりはしないパッピ―の背中が、急にぐらぐらとぐらついた。
バランスを崩した篝だったが、何とかしがみついていた。
「あいつらまた何かしたのか?」
なんとかこの油を少しでも取り除けないかと、篝はパッピ―の背中に生えている沢山の樹木の中から、葉が大きいものを選ぶと、それで掬ってはバケツに入れ、また掬ってはを繰り返していた。
途方もない作業だったが、大型の機械でも無い限り、すぐに撤去は無理だろう。
そして海の中でも、生物たちや植物たちに警告を促し、移動できるものはすぐにここから離れるようにと伝えていた。
「三叉の矛さえあれば、こんなもの簡単に消せるんだけどな・・・」
「ロミオさん、パッピ―が鳴いてます」
酸素が入って来ない海中にて、パッピ―は苦しくて海面に顔を出そうとしていた。
しかし、顔を出してしまったら、それこそ海賊たちの的になりかねないし、世に存在を知られることになる。
「あと、この前きた人間が、葉っぱでなんか油掬ってましたよ。あんまり効率良いとは思えませんでしたけど」
「アンソン、こういうのはな、気持ちなんだよ」
海面でばしゃばしゃと頑張っていた篝には、魚が釣れなくなるという死活問題でもあった。
だからといって、こんな油ぎった海の中に潜ることは拒まれた。
「パッピ―大丈夫かな?それにあの人たちも・・・」
こう言う時、海の中にいない自分のような立場は、どうしても他人事になってしまうのだが、海の中で済んでいる人たちにとっては困ったことだ。
「はー・・・どうすりゃいいんだ」
「本当にこれでいいのかい?」
「ええ、きっと大物が釣れると思いますよ。こんなことをされて、平気でいられるはずありませんからね」
「どうかねぇ」
ナターシャ率いる海賊船は、サニーの提案通りに動いていた。
というのも、この油まみれの海面の原因は、この船にあるからだ。
海の中にある何かを誘き寄せるために、それが何かまではナターシャは聞いていないが、通りかかった油を運んでいる船を狙って襲撃したのだ。
何の恨みもない、一般船を狙ったことに対しては、どうも思っていないだろう。
ただ運が悪かったと、それだけだ。
このタイミングで、自分達の船の視界に入る場所を通ってしまったことによって、狙われた、ただそれだけのことだ。
「船員たちはどうしたんです?」
「ああ?どうって、私らは海賊だよ?抵抗すれば殺すに決まってるだろ」
「可哀そうに。もっと平和的なやり方があると思うんですけどね」
「あんたには言われたくないね」
最初は捕えておくだけだったはずだが、緊急信号を送ろうとしたり、逃げようとしたり、しまいにはナターシャたちに喧嘩を吹っ掛けてきた船員までいたため、いた仕方なく、という感じらしい。
だからといって殺されてしまったら何とも言えないが。
「こんなことで財宝が手に入るなら安いもんだよ」
「ご安心を。私の予想では、そろそろ餌に食いついてくれるはずです」
「あんたねぇ、一体何が来るってんだい?人魚でも釣れるのかい?」
「人魚が釣れるかは分かりませんが、きっともっと良いものが釣れると思いますよ」
「もっと良いものぉ?」
「さて、ではそろそろ」
サニーの言葉を合図に、ナターシャの船に乗っていた奴隷たちが一斉に並んだ。
手足を縛られた状態で、一人ずつ蹴飛ばされて海へと落とされていく。
手足を縛られているため、泳いで逃げることも出来ずにいる奴隷たちがどんどん海へと落ちてきて、驚いたのはロミオたちだった。
なんだなんだと思っていると、次々に人間が降ってくるのだ。
「ロミオさん、これは」
「・・・ジュラシ、助けてやれ」
「ロミオさん!ダメです!これは絶対に罠ですよ!!俺達を誘き寄せようとしてるんです!!」
ジュラシはすぐに鯨へとなったのだが、ルアナが誘拐されたこともあり、ジンはロミオに対して声を荒げる。
海に油をまかれただけではなく、そこから自分達を誘き寄せているのだと、見え見えの罠だった。
そしてそれはロミオも分かってはいたが、このまま放っておくことも出来なかった。
「ロミオさん、俺達はロミオさんの命令なら聞きますけど、本当に罠だったらどうするんです?」
「あー、なんか息苦しいよー。アンソン、吸盤食べさせて」
「ポム、お前は黙って浮かんでろ」
「えー、酷いよー」
「ジュラシ、頼む」
鯨独特の鳴き声を発しながら、ジュラシは海に落ちてきた人間たちを背中に乗せていく。
ジンは納得いかないようにロミオを見ていると、ロミオはただゆっくりと目を閉じて、また開けた。
真っ直ぐにロミオに見られると、幾らジンと言っても、やはり大人しくなってしまう。
「確かに、罠かもしれないな」
「・・・!なら」
「だがな、あいつらは俺達に何をした?危害を加えてきたか?」
「それは・・・。でも、人間なんてみんな似たようなもんです!あいつらだって、今は何もしてこなくても、きっといつか俺達を無駄に殺して愉しんでるんです!助ける必要なんてありません!!」
ポムは溺れている奴隷たちを見て、毒のある触手では触れないように、上の部分だけをぽよんぽよんと使って、深くへと落ちて行かないようにする。
それだけならまだ奴隷たちもなんとかなったのだが、アンソンが巨大なタコ、いわゆるクラ―ケンの姿になると、さすがに気絶してしまう者もいた。
「人間は強さの意味を履き違え、これまで動物界の頂点に君臨してきた。しかしそれはあくまで、人間が勝手に思っていることだ。奴らは本来、底辺にいるというのに、その技術や武器を手にし、自らが強くなったと錯覚したばかりに、このようなことになった。秩序は乱れ、規律は破られ、自然さえも手に入れようと欲張った人間は、その脅威や警告さえ無視し、また同じ過ちを繰り返す」
「ロミオさん・・・?」
「全ては海から生まれたと言われるほど、海は神聖な場所だ。その海で誇りを持って生きている以上、理由もなしに人間を襲ったり、見殺しにすることは俺が許さん」
「・・・ですが、人間は自分たちの興味だけで、仲間を連れて行き、身体を切り刻まれると聞きました。それはあまりにも理不尽ではありませんか!!幾ら俺達が人間を助けようと、人間は俺達を殺すことしか考えていません!自分達の力を誇示することしか脳裏にないんです!!」
ジンだけに限らず、海の中にいる以上、人間に釣られていく仲間がいる。
食事として斬られるならまだしも、実験をするためだけに、それも人間の健康や長生きといった、自分勝手な理由だけで連れていかれてしまう仲間たち。
利用するだけ利用する人間は、自分たちが利用されることは嫌う。
あまりに身勝手で我儘な行動は、これまでにも何度も見てきた。
「ジン・・・」
静かに呟かれたロミオの声は、思っていたそれよりも優しかった。
「人間が俺達にどんな仕打ちをしようとも、俺達が同じことをやり返しちゃならねえ。負の連鎖はいつの時代も不幸しか呼ばねえからな。俺達は人間を恨むことを止めないと、人間も俺達のことをずっと恨み続けるだろうよ」
「・・・弱いくせに、海も山も空も、全てを手に入れようとするからです」
ジンの言葉に、ロミオは小さく笑いながら答えた。
「そうだな。人間は弱い。見ていてとても哀れだ。だが、人間によって守られてきた景色もある」
「・・・・・・」
「よし。わかったならこの話は終わりだ」
ぱん、と手を叩くと、ロミオはにこっと笑った。
その頃、奴隷たちを助けて海面へと背中を出していたジュラシは、何度目かの浮上をしていた。
そのとき、ひゅんっ、と鋭い音が聞こえてきたかと思うと、ジュラシの背中に向かって槍が飛んできた。
そう簡単には肌を貫けないだろうと思っていたジュラシだったが、その飛んできた槍は、いとも簡単に身体にささった。
「・・・!!!」
ジュラシの鳴き声が海の中に響き渡る。
さらに、その槍には紐がついていて、どうやらこのままジュラシを引いて行こうとしているようだ。
「こいつを生け捕りにするのかい?でかくて邪魔だね」
「まさかこんな大物が釣れるとは思っていませんでしたけどね。まあ、上々、というところでしょうか」
「それにしても元気だねぇ。暴れてるよ。どうするんだい?」
「そこは船員さんに頑張って引いてもらうしかありませんね」
「まったく。確かにあいつらは体力馬鹿だけどね、鯨となると話は別だよ」
そうは言いながらも、ナターシャはもっとしっかり捕まえておくようにと叫ぶ。
ジュラシは何度も何度も必死に暴れるが、身体にささった槍はなかなか取れない。
ずっと暴れているジュラシというか鯨を見て、サニーはにいっと笑う。
「ちょっと私は挨拶に行ってくるので、ここで待っていてください」
「挨拶?」
ひょいっと鯨の背へと向かってジャンプすると、すたっと着地した。
サニーは顔の方に近づいて歩いて行くと、ジュラシだけに聞こえるように、そっと耳打ちをする。
「三叉の矛を盗んだのは、俺だよ」
「・・・!?」
暴れるのを止めたジュラシの目に、サニーの手にぽわん、と何かが浮かび上がってきたのが見えた。
それは先が三つに分かれており、さらに複雑に交差してある矛だった。
声を出そうとしたが、サニーは躊躇なく、そんなジュラシの背中に、輝くばかりのその矛を突き刺した。
「痛いか?普通の矛よりも強力だろ?お前等みたいな怪物には、こういう武器じゃないと勝てないからな」
一度突き刺した矛を一度抜くと、そこからは赤い血が滲んでくる。
徐々に海水とまじっていくと、その匂いにジンが気付いた。
「次はどこがいいかなー・・・。出来れば大人しくしててほしいけど、無理だよね?」
そう言うと、またしてもサニーは矛を手に持ち、思い切り突きあげる。
そしてまたジュラシの身体を貫こうとした。
しかし、急に船がぐらついたため、紐で繋がっていたジュラシも揺れ、その上に乗っていたサニーは、バランスを取る為に一旦その場にしゃがみ込んだ。
「また邪魔が入ったな」
アンソンが手足を使って、ナターシャの海賊船を揺らしていると、ジュラシにささっている槍が若干出たり入ったりして痛む。
それを利用して、勢いよく槍を引っ張ってしまえば、もう後はジュラシは海の中へと潜って行くだけだ。
背中に乗っていたサニーは、深くへと潜って行く前に避難していた。
「逃がした魚はでかいな」
そう呟いていたが、誰にも聞こえてはいない。
ジュラシが逃げたのを見ると、アンソンも船を襲うのを止めて、再び海の中へと姿を消した。
「ちょいとサニー!どうなってんだい!鯨が逃げちまったよ!」
「ええ、そうですね」
「そうですねじゃないよ!まったく、あんたも役に立たないねぇ!!」
「そう言わずに。もしかしたら、向こうから来てくれるかもしれませんよ?」
「ふん。そんなに楽なことがあるなら、誰も苦労なんてしないよ」
不機嫌になってしまったナターシャは、イライラした様子で、酒樽に腰かけた。
海の中では、怪我をしたジュラシの手当てを施すと、ロミオはある場所へと向かっていた。
巨大なリュウグウノツカイが泳いでいる海底火山の中へ。
近づいてくるロミオを見て、リュウグウノツカイは大きな目でロミオを見たあと、敵ではないと判断すると、入口を開く。
海底火山の中には、広々とした空間が広がっており、色鮮やかだと思っていたが、家具は白で統一されていた。
何匹もの魚たちが楽しそうに泳いでいて、その中央には一人の女性がいた。
「ロミオさん、お久しぶりです」
「お。久しぶり。ちょっと相談があってきたんだが、いいか?」
「ええ。どうぞ」
ロミオを迎えてくれたのは、左わけの前髪だけは黒で、あとの長い髪は白、そして着物を着ている男だ。
その男は女性のもとへと向かうと、ロミオが来ていることを報せた。
女性は水色の髪をしているが、長く、そして額には装飾品が施されていた。
頭の上の髪は割っかが二つあり、そこにも真珠の飾りがついていて、やはり着物を着ている。
「ロミオ、久しぶりね」
「乙姫様、お久しぶりです」
そう言うと、ロミオは片膝をついて、乙姫と呼ばれたその女性の手を握り、手の甲に唇をふれる。
「して、どうしました?」
「実はこの度、ご協力をしていただけないかと思いまして」
「協力?」
ルアナが誘拐されたことを始めとし、海に油がまかれたことや、それによってジュラシが怪我をしたことを話した。
「ジュラシの話によると、その船に乗っていた男が、三叉の矛は自分が盗んだ、と言っていたようでして」
「なに?」
「その矛も持っていたのを、ジュラシが確認しています。そこで、乙姫様とサミュにも協力していただけないかと」
「それは構わないけど、私たちは何をすれば?」
にっと笑うと、ロミオに言われた通りに、サミュは海を漂っていた。
サミュは海亀の姿で、ナターシャの海賊船まで近づくと、船の周りをぐるぐると泳いでいた。
しばらく泳ぎ続けていると、それに気付いたサニーが、ナターシャを呼んで海亀を指さした。
「なんだい?亀じゃないか」
「どうやら私達に用があるみたいですよ。どうします?」
「どうするって、竜宮城にでも連れて行ってくれるってのかい?」
はん、と鼻で笑ってそういったナターシャだったが、サニーがまんざらでもないような表情を浮かべたため、飛び着く。
「本当かい?となると、そこに財宝があるってことかい!?」
「それは分かりませんが、まあ、歳を取る箱だけは受け取りたくないものですね」
ナターシャは船員たちに大人しく待っているように伝えると、サニーと一緒に、その大きな亀の背中に乗っかった。
そして海の中を進んで行くと、そこに見えたのは竜宮城ではなかったが、少し空間がある場所だった。
そこで亀から下りるが、そこには乙姫のような格好をした女性と、数人の男たちがいた。
「なんだいなんだい。こんな汚いところに連れてきて」
「こちらへどうぞ」
乙姫に誘われ、もっと奥へと進んで行くと、そこは少しは綺麗な場所だった。
ふと後ろを見たナターシャは、ゆっくりと歩いて進んできていたはずの海亀が、綺麗な顔立ちの男になっていたことに驚いていた。
それをサニーに言うと、知っていたかのように「みんなそうだ」とだけ言われた。
「で、あんたら、一体ここへ連れてきて、私らをどうしようってんだい?まさか喰おうなんて考えてんじゃないだろうね?」
「食べませんよ」
ナターシャに笑いながら答えた乙姫は、そう否定したあとに、ぼそっと「不味いだろ」と言っていた。
乙姫が薄いカーテンを開けると、その中からはロミオが出てきて、ナターシャとサニーに自己紹介をした。
その時、ひゅん、と素早い動きでサニーに飛びかかろうとした影だ。
それをアンソンが止めると、ルアナを見て、ナターシャは歓喜の声をあげた。
「なんだい!あんたか!あのときは逃がしちまったけど、今度は逃がしゃしないよ!」
「あんたたちなんか殺してやるわ!どうせ海の中では息さえ出来ない下等な生き物のくせに!!」
「なんだって!?」
「はい、そこまで。ルアナは向こうで頭冷やして来い。客人も冷静に話をしていただけるかな」
「なにさ、偉そうに」
岩に腰かけると、ナターシャは足を組んで髪の毛をガシガシとかき乱す。
乙姫を始め、ジュラシ達もロミオたちを囲むようにして立っている。
「まず、何の為にルアナを誘拐したのかお聞かせ願えますか?それから、なぜ船を襲撃してまで海を汚したのかも」
「私は知らないよ。こいつが財宝があるっていうから、言う通りにしてきただけさね。私は財宝が欲しいだけで、海が汚れようが、人魚の一人や二人死のうが生きようが、そんなものに興味はないんだよ」
そう言って、ナターシャは欠伸をしながらサニーの方を示した。
にっこりと笑ったままのサニーは、ジュラシと目が合うと、更に深い笑みをする。
組んでいた足を下ろしながら、ナターシャはロミオに聞いてきた。
「あんたら、財宝の在り処知ってるなら、教えておくれよ。素直に教えてくれるってんなら、私たちだってこれ以上何もしないよ」
「・・・残念ながら、私達は財宝のことなど何も知りません」
「はっ。そんな嘘、通用するとでも思ってるのかい?」
「嘘ではありません。そもそも、私たちが嘘をつく理由などありませんから」
「そうかねぇ?あんたら一人占めしようってんじゃないのかい?」
また足を組み直すと、貧乏ゆすりを始めたナターシャは、にっちもさっちも行かない状況にいらついているようだ。
文句を言っている間も、辺りを見渡して何かないかと探している。
「海の中では、財宝などあっても役には立ちません。宝の持ち腐れというやつです。地上とは違い、価値などありませんから」
人間にとって価値のある財宝など、ここに住んでいる限り不要なものだ。
持っているからといって、お腹が満たされるわけではない。
趣味として持っている者たちはいるかもしれないが、それが財宝かと聞かれると、そうとは言えない。
「だったらなんでこんなところ連れてきたんだい!さっさと帰らせておくれ!」
「帰りたいのであれば、何もしないとお約束ください。そうでなければ、危害を及ぼしかねない貴方を、このまま帰すわけにはいきません」
「なんだいそりゃ!ふざけんじゃないよ!勝手に連れてきておいて、言う事を聞かなきゃ帰さないってのかい!とんだイカサマ野郎だね!!」
そう叫んで、ナターシャは立ちあがると、腰にぶら下げていた銃を取り出し、ロミオに向けた。
「殺される前に殺してやるってんだよ!」
ジュラシたちは一斉に身構えるが、ロミオが手を軽くあげて制止する。
ナターシャに銃口を向けられたままのロミオは、ふう、と息を吐いた。
「財宝を渡しな。それで全て丸く収まるんだ。安いもんだろ?」
「ですから、財宝など存じないと申し上げたはずです」
呆れたような口調で言うロミオに、ナターシャは舌打ちをしながら、威嚇とばかりにロミオの足下に銃弾を撃ち込んだ。
海の中では聞くことのない銃声に、乙姫は軽く耳を押さえ、ジュラシたちもビクリと身体を震わせた。
「女だからって甘くみるんじゃないよ?私は男共を従え、人を殺すことにだって慣れてるんだ。あんたら魚になんか、感情も持っていないからねぇ。ここにいる全員、殺したって誰も文句言わないだろうしねぇ」
もう一度引き金に指をかけると、ナターシャはそれでも顔を歪めないロミオを見て、再び引き金を引こうとする。
興奮したナターシャを止めたのは、横で大人しく座っていたサニーだった。
岩に座ったままの状態で、声だけをナターシャに向ける。
「ここは落ち着きましょう。正直、海の中で戦っても勝算はありません」
「・・・ちっ」
しばらく硬直していたナターシャだが、銃をくるっと回すと、腰へと戻した。
そしてまた岩に座ると、またしても落ち着きなく足を小刻みに動かす。
そして煙草を吸おうとしたのか、ポケットの中から取り出して一本口に咥えたのだが、どうやらライターもマッチもないようだ。
一度は口に咥えたそれを、乱暴にケースけと戻すと、まだ中身があるにも関わらず、くしゃりと握りつぶした。
「私としましては、価値の分からないものを持っているなら、それを渡していただきたいという考えなのですが」
「・・・あくまで、我々がその財宝とやらの在り処を知っていると思っているのですね」
ロミオがそう尋ねると、サニーは口元だけを動かして微笑む。
「ないという事実もありませんからね。とても興味があるんですよ。ですから、探すと言う行為を止めることはできません」
微笑みながらもきっぱりと断ってきたサニーに、ロミオは心の中でため息を吐いていた。
「交渉決裂、ということですね」
「そうなりますね。残念です」
とても残念そうには見えないが、ロミオは乙姫にアイコンタクトを取ると、乙姫は頷いて奥の部屋へと入って行った。
「では、お送りします」
そう言って出口の方まで案内すると、サミュがまた海亀の姿になり、その背に二人は跨った。
「浦島太郎になった気分だよ」
「浦島太郎?」
「いや、こっちの話さ」
サニーに問いかけられたが、ナターシャは肩を上下に動かすと亀に跨る。
意外と安定していて乗り心地が良いが、海の中では息が出来ないため、空気の塊のようなものを頭にかぶる。
来る時もつけていたが、それは酸素の大量にある場所、つまりは海面に出ると消えてしまう仕組みのようだ。
折角ならこういうもので金儲けをしたいと考えていたナターシャだが、金儲けで働くよりも、金が直接手に入った方が良い。
そのとき、乙姫がやってきた。
その手にはなにやら箱があり、乙姫はそれをナターシャに手渡した。
「なんだい?」
「玉手箱にございます。地上へ帰ったら、どうぞお開けください」
「まさか、婆さんになっちまうんじゃないだろうね」
受け取ったその玉手箱を、怪訝そうな表情で、箱の裏側を覗いたりと確認していた。
「そんなものはおとぎ話の中だけにございます」
フフフ、と着物の裾で口元を覆いながら笑うと、乙姫はサミュに二人を送って行くように伝える。
すいすいと泳いで行くサミュの背中を見届けたあと、乙姫は海底火山にある住居へと戻るため、ポムが送って行った。
「乙姫様、随分と太っ腹―」
「私は太っ腹ではない。それなりに凹んでいると自負している」
「・・・乙姫様ってちょっとおつむが足りないのかな?」
「失礼ね」
サミュも無事にナターシャとサニーと船まで送り届けると、頭を下げてまた海へと潜って行った。
「船長!御無事で!」
「いちいち五月蠅いんだよ、お前等は」
戻って早速、ナターシャは乙姫に渡された玉手箱を開けようと思ったが、これがもし本当に婆さんになるものだったらどうしようと考えていた。
しかし、サニーがひょいっと箱を奪うと、躊躇なく箱を開けてしまった。
「ちょいと!何すんだい!!」
「ほー。これはこれは」
どうぞ、と言ってナターシャに玉手箱を見せれば、そこには綺麗で美しいサンゴや真珠が沢山入っていた。
「なんだいなんだい!!財宝はやっぱりあったんじゃないか!!」
嬉しそうに喜ぶナターシャは、サニーの手から玉手箱を奪うと、その中に入っている宝石を抱きしめた。
幾らになるかと計算していると、サニーはあざ笑うかのようにしてため息を吐いた。
それに気付いたナターシャは、またすぐに不機嫌そうな顔をする。
「なんだい?小馬鹿にしたように笑ってくれてさ」
「いえいえ。こんなもので喜んでいてはいけませんよ」
「?」
「財宝とはこんなものではありません。もっとすごいものが眠っているんです。しかし、あなたがそれで満足だと言うのなら、私はここで下ろさせていただきます」
そう言われると、ムッとしたように頬を膨らませるナターシャは、貰って来た玉手箱を床に投げつける。
それを船員たちはもったいないと拾って行くが、ナターシャはサニーに詰め寄って行く。
「もっとすごいお宝があるってのかい?」
「ええ」
「本当だろうね?」
「もちろん」
貰った宝石たちでも充分な金にはなるのだろうが、もし一生遊んで暮らせるほどの財宝があるというなら、そっちの方が欲しくなるのが性というやつだろう。
ナターシャは宝石を集める趣味はなく、ただただ金に変えるために手に入れているだけなのだから。
「・・・あんた、何を企んでるのか知らないけど、もしも私を裏切るような真似したら、どうなるか分かってるんだろうね」
「それはもちろん。あなたを怒らせると怖いので、裏切ったりはしませんよ」
ナターシャの影になって隠れているため、周りからは見えないが、サニーはナターシャに銃口を向けられている。
それにも係わらず、銃を向けているナターシャよりも余裕そうに笑っているのだ。
「・・・今度は何を仕掛けようってんだい?」
「そうですねぇ」
こちらが幾ら睨みをきかせても、平然と笑って流されてしまうため、ナターシャは銃を腰に戻した。
後ろでは、これは幾らくらいするんじゃないかとか、全部売ったらしばらくは何もしなくて済むとか、そんな話をしていた。
サニーは顎に手を当てて何かを考える素振りを見せているが、きっともう次に何をするかは考え着いているのだろう。
ニイッと口角をあげて笑うと、サニーは船首の方に向かって歩き出した。
「まだこの世に生き続けるあの生物を、ちょっと攻めてみますか」
「あの生物って、なんだい?」
「そのうち分かりますよ」
またはぐらかされたと思いながらも、ナターシャはサニーの言う通りに船を進めさせるのだった。
「今日も良い天気だなー」
パッピ―の背中で一人、のんびりと寛いでいた篝は、数日魚は食べてはいなかった。
それでも水分は確保していたし、木の実を取ってそれを口にしていた。
もうすでに食べられる実なのか、それとも毒なのか、それさえ分からないが、とにかく口にして数日生きているのだから大丈夫なのだろうと、そんな感じだった。
魚にしても、毒があるものがいるらしく、そんなこと知らない篝は、一度だけ死にかけたことがある。
そのときはたまたま近くを通りかかった船の船医によって助けられた。
「けど腹は減るんだよなー」
しかし、さすがに数日間ずっと木の実ばかりでは、腹の足しにはならない。
「潜って魚でも取るか」
泳ぐのが得意な篝は、久しぶりに海に潜って魚でも取ろうと考えた。
そんなとき、こちらに向かって海賊船が近づいてくるのが見えた。
しかも、見たことのある旗を掲げて。
「げっ。なんで?」
とにかく隠れようとした篝は、沢山生えている木に身を隠す。
こそっと様子を見ていると、海賊船は止まろうともせずに勢いよくこちらに向かって突っ込んでくる。
「おいおい」
このままでは島というより、パッピ―に当たってしまう。
きっと今頃、パッピ―は海の中で海藻などを美味しく食べている最中だ。
だからといって、身体も大きい上に首も長いパッピーの顔まで泳いで行くとなると、時間もかかってしまう。
今まで普通に生活出来ていたのだから、きっと背中を強く叩いたところで気付きもしないだろう。
そんなことを考えているうちに、海賊船はどんどん近づいてくる。
そして、パッピ―に激突したかと思うと、篝はそのあまりにも大きな揺れに耐えきれず、海へと落ちてしまった。
「!!!」
着ている洋服が水分を吸収して重くなるが、泳ぎの得意な篝はなんとか一度水面に顔を出すことが出来た。
しかし、パッピ―の背中に生えていた木がメリメリと篝の頭上に落ちてきた。
木の重みに勝てるはずもなく、篝はそのまま海の奥へと沈んで行く。
「・・・!!」
まだ酸素が残っているうちは良かったが、口に含ませておいた酸素ではそれほどもたず、ついには全部吐き出してしまった。
「(やばい・・・!!)」
遠のく意識の中、篝は夢を見ていた。
それは遥か昔の記憶だろうか、はたまた自分とは関係のないものなのか。
息が出来なくて苦しいはずなのに、呼吸をしている感覚。
ああ、このまま死んでいくのかと思えるような気持ち良さ。
誰もいない真っ暗な深海へと、ただ静かに落ちて行く身体の周りには、見たこともないような巨大な魚たち。
名前さえ知らないその魚たちは、水の抵抗さえ感じさせない身体が落ちて行くのを、ただじっと見つめている。
溺れて死ぬなんて考えたこともなかった。
海って良いなぁ、空って良いなぁ、とか、今まで思ってきたけれど、よくよく考えてみれば、魚は目を瞑って寝られないから、気付いたら目の前に口を開けた魚が、なんてこともあるんだろうなぁとか。
鳥だって羽根を動かさないと飛べないわけで、それにはとても体力がいるのだろう。
それに、いつ鷹やワシに狙われるか分からないし、地面に落ちたときの衝撃は半端ないものだろうとか。
色々考えると、やっぱり人間て良いのかなぁとか。
けど、戦争なんてするのは人間くらいだし、人間はお金がないと生きていけないし、生きているだけでお金はかかるし。
一番不便なのかもしれないなぁとか。
身体はどんどん沈んでいくのに、思考は意外とはっきりしていて。
篝は、自分でもどうしてこんなに余裕なのかと思うほどだ。
死ぬ時って、こんなに心地良いものなのか、走馬灯ってこういうものか。
パッピ―は無事だろうか、これから先、誰かがパッピ―の背中の島を見つけて住むのだろうか。
いや、不便な場所にはなかなか人は寄り着かないだろう。
すうっと目を開けると、海に入った時に見える独特の光がもう見えない。
残っている力で腕を伸ばすと、思っていたよりもまだしっかりと指先が動く。
ここで死ぬだったら、もうちょっと魚食べておけば良かったな、と思っていた篝だったが、ふと、気付いた。
「(あれ?苦しくない)」
すでにある一定の深さまで来てしまっているし、酸素も全て吐き出したはずなのに、篝は息苦しさを全く感じていなかった。
どういうことだろうと思いながらも、手足を動かしてみると、やはりいつも通りすいすいと動かすことが出来た。
「(あれ?どうなってんだ?)」
不思議に思っていた篝のところに、一つの影が現れた。
「あれー?確か・・・篝とかいう・・・」
「あ。クラゲ」
「やだなー。ポムだってば。なんか可愛い響きでしょ?」
当たり前のようにポムと話していると、ポムは少ししてから篝の今の状況に気付く。
「あれ?ここって海だよね?」
「多分な。俺もびっくりだよ」
「なんで息してるの?なんで話せるの?あれ?おかしいな」
首を傾げながら、篝の周りをぐるぐると泳いでいたポムは、いきなり篝の腕を引っ張って泳ぎ出した。
急な出来事に対処出来ないでいると、ポムはロミオがいるであろうドロシー号まで向かった。
「ロミオさんー、ちょっといい?」
「あー?なんだ」
すぐに篝がいることに気付いたロミオに、ポムは簡単に事情を説明する。
篝自身も、こうしていても平気なままの自分の身体に驚いていた。
「・・・ポム、あいつら呼んで来い」
「はーい」
ぽよんぽよんと泳いで行くポムを見ていると、ロミオが篝の前までやってきた。
「着いてこい」
「?」
そう言われ、篝はロミオの後を着いて行くと、そこは人魚たちが大勢いるキィヴェリエ都市だった。
人魚たちは急にロミオが来たことに驚きながらも、挨拶をしていた。
世間話をしている間に、ジュラシやジン、アンソンの他にも、乙姫やサミュ、そして大勢の魚たちにウツボ、海蛇たちを連れたリマタも現れた。
これから何が始まるんだろうと思っていると、急にロミオが篝の前に立つ。
反射的に身構えてしまった篝だが、ロミオは思いがけない行動を取る。
「え?」
ロミオを筆頭に、全員が片膝をつき、胸に手を当てて頭を下げたのだ。
この状況を一向に飲みこめない篝は、慌てながらもロミオに頭をあげてくれと頼む。
「わけが分からないけど、とにかく頭あげて。俺偉い人じゃないからさ」
「いえ。あなたをずっとお待ちしておりました」
「え?」
ゆっくりと顔をあげると、ロミオはこう続けた。
「我が主君」
「しゅ、主君・・・?」
何がなんだか理解できていない篝に、ロミオは笑いながら立ちあがる。
「篝様、あなたはこの海に生まれた人間の血を受け継いでいるのです」
「海に生まれた人間・・・?いや、人間は海で生まれないだろ?ああ、あれか?人類みな母なる海から生まれた的な?そんな感じだろ?」
「いえ」
きっぱりと否定され、篝は頭を抱えて唸っていた。
「大変不躾をいたしまして」
「今もだいぶ失礼だけどな」
「このキィヴェリエ都市は、地上に造られ、何かをきっかけに海に沈んだと言われています」
「聞いた聞いた」
「しかし一説には、もとから海の中に造られたのではないかと言われていました」
「もとから?」
というか、篝がさっきから気になっているのは、リマタが紐で繋いでいるウツボが、こちらをじーっと見ていることだ。
いや、みんな見ているのだが、ウツボからは殺気のようなものさえ感じる。
しかし、犬の散歩のように紐を引っ張っているリマタが「食べたら蒲焼にする」と言うと、大人しく目を逸らした。
「キィヴェリエ都市にはかつて、人間が住んでいたとされています。始めは人魚と見間違えたのではと言われていましたが、それは確かに人間でした」
地上の生活が嫌になったからなのか、争いが嫌になったのか、人間から身を守るためなのか、それは分からない。
しかし、確かにキィヴェリエ都市は今海底にあって、そこには文明があった。
「我々の先祖は、海に人間がいることに抵抗を感じてはいましたが、攻撃はしませんでした。なぜなら、彼らは共に生きて行くことを望んでいたからです」
キィヴェリエ都市の住人は穏やかな性格で、地上の食物を食すことが多かった。
もとから海の中で呼吸が出来たのか、それとも進化によって息が出来るようになったのか、それさえ分からない。
時には一緒に食事をし、もしもキィヴェリエ都市の住人が襲われそうになれば助ける、ということもあった。
地上と海と繋ぐ種族として、彼らは海の者から信頼されていた。
そしていつしか、地上では生きて行くことが困難な海の住人たちは、キィヴェリエ都市の住人を崇めるようになった。
「数百年眠り続けていた三叉の矛が、力を取り戻したのをきっかけに、キィヴェリエ都市の住人は神からの贈り物だと言われました」
海の覇者とも言われるポセイドンでさえ、キィヴェリエ都市の住人には敬意を払っていたそうだ。
「海底火山が噴火した頃からぱったり姿が見えなくなり、みな地上へ避難したか、それとも全滅したと思っておりました。カモメからも何の情報もなかったので、後者であろうと」
はっきり言って、篝自身、自分が肺呼吸をしているのかエラ呼吸をしているのか、分かっていない。
「しかし、こうして血を引く者に出会えました。三叉の矛は、きっとまた我々をお守りくださることでしょう」
「・・・ロミオ」
「はい」
「・・・とりあえず、腹減ってるんだけど」
そう言うと、篝は空腹のあまり、意識を手放してしまった。