第3話

文字数 1,054文字

 吾輩はキジトラの猫である。名前はハルトラ。
 吾輩の食事の世話をする飯女は吾輩のことをキジトラであってサバトラではないのだと別の人間に説明していたが、はたしてどう違うのか。猫なのになぜ虎なのか。キジとハルとサバはそれほどまでに違うのか。
 まるでよくわからない。
 わからないが飯をくれるのでよしとする。
 そもそも人間のことなどさっぱりわからんのだ。いや、本当は多少はわかる。吾輩は人間として生活する夢を見るからだ。
 夢の中で吾輩はうら若き人間のメスであった。
 その人間は猫を見ると頬を緩めていた。人間が猫を敬うのは当然のことだ。
 人間は学校とかいう場所に行こうとする最中、美猫を見つけて手を伸ばしては引っ掻かれていた。なんという愚かさの極みであろう。あれでは制裁を受けて当たり前ではないか、あんな無作法がまかり通るわけがない。
 吾輩は猫であるのに、なぜ人間となった吾輩にはそれがわからぬのか。甚だ疑問である。
 だいたい人間というものは、我らにとって敵である。
 吾輩が小さき毛玉であった頃、連れ去られ、耳に傷をつけられた。同時に不能にもなった。
 吾輩は憤った。人間どもに粛清を与えねばと思った。個人主義を貫く我ら猫であるが、今こそは仲間を募り、容赦のない一撃を与えてやるべきだと思った。
 しかし耳かけどもには覇気がなく、人間に捕まらなかったものたちは他人事である。吾輩いっぴきで向かっていったところで人間どもはさしたる痛手を与えることはできぬだろう。
 そうこうしているうちに吾輩自身の復讐の情熱も下火となってきた。今では餌を人間の手から施されることも受け入れている。
 しかし吾輩はこれを堕落の結果とは思わない。
 生き抜くためのものなのだ。処世術といって然るべきものなのだ。
 期を伺い、いつかかならず本懐を遂げるのだ。
 今日もまた歩を進めれば、妙に甘ったるい声を出す人間の女に呼び込まれる。その先にはすでに数匹ほどの耳かけどもが皿に顔をつっこみ、カリカリと無作法なる音を立てつつ食している。
 吾輩がゆけば、さらに皿の中にへとカリカリは増やされることであろう。
 喜び勇んで動こうとする我がいとけなき前足を見下ろす。ピンと持ち上がった素直なる尾に背すじが震える。
 ちがう。
 ちがうのだ。
 これは大事の前の小事である。瑣末なことなのである。
 腹が減っては戦はできぬと言うではないか。
 吾輩は、いつか復讐の期が満ちるのを待っているのだ。
 その時分には、自らを顧みてなおくんば千万匹といえども、吾輩は往く心づもりなのである。
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