第3話 宇野 大輝 (16)

文字数 3,101文字

 別に俺は運命とかそういう非現実的な事を信じるつもりは微塵も無かった。
そもそも、そんなのを信じた所で俺の人生がどうにかなるもんでもない。

だけどさ。

彼女が俺に笑いかけてくれた時。
「運命」ってあるんだなって実感した。

彼女と共に同じ人生を歩みたい、と願った。


 彼女と出会ったのは、高一の6月14日。
去年のことだし、日付ぐらい覚えててもおかしくないだろ。
俺の隣の部屋は俺が来た時からずっと空室のまんまだったから、五月蠅い奴が越して来たら最悪だってそういえば憂鬱だったわ。

その嫌な予感は的中してしまって、子連れの一家が越してきた。
3歳の男児とか、一番うるせぇ時期の一番うるせぇ性別。

マジでクソじゃね?

初日から、部屋の前の廊下を走り回るんじゃねーよ。
俺は布団にくるまりながら、枕で耳を抑えつけた。

と、ピンポーンとインターホンの音が鳴る。

無視。誰が出るかよ。

しばらくすると、留守にしていると思ったのか諦めたようだ。
時計は11時を指している。

うわ、いつもより早いじゃん。最悪。

俺はゆっくりと学校に行く準備を始めた。

だるっ。


その日の帰り。
マンションの5階の自分の部屋に戻ろうとエレベーターに乗ろうとしていた時だった。

「すみません。ご一緒してもよろしいですか?」
と後方から女性の声が聞こえてきた。
振り向くと、子連れの女性がそこに立っていた。
嫌だとも言えねぇーし、
「ご勝手に」
と返した。
すると、すみませんとニコニコしながら乗ってきた。変な女。


どうやら、この親子が隣室に越してきた人らしいとその時知った。
俺が自分の部屋の前に止まると、
「お隣さんだったんですね! これから仲良くしましょ!」
と握手を求めてきた。

やっぱ変。

無視して部屋に入ろうとすると、
「ご家族の方は? ご挨拶したいのだけれど……」
と言った。

五月蠅い女。

俺は勢いよく扉を閉めた。


部屋で一人になるのが一番落ち着く。俺はスマホの画面を見た。

……やっぱ無視か。

俺は今日もLINEを送る。


次の日、いつも通りの時間にエレベーターを待っているとまたあの女に遭遇。
「こんにちは」
とニコニコ話しかけてきた。きしょい。
俺は、無視してスマホをいじる。ガキはギャアギャアうるせぇ。
持っているジュースを振り回してるし。頭わいてんのか。
ま、このヘラヘラ女の子供だし親が悪いとガキもこうなるわな。
この時点で嫌な予感はしてたんだよな。

バシャっ! と案の定、俺のズボンに向かってジュースのシャワーは撒かれた。
うぜぇ。しね。
女は、血相を変えてガキを叱りつつ俺にペコペコしながら謝ってた。

 その後、もう一度エレベーターで5階まで上がって一家の部屋でズボンを洗濯され、シャワーを浴びた。
俺の部屋、隣なんだけどな……バカなのか?
と思いつつめんどくさいから、されるがままにした。
着替えは女の夫の物を渡された。俺よりちょっとデカい。
「学校行く途中だったでしょうに、うちの子が本当にすみません」
と涙目でまた何度もペコペコ謝ってきた。

……めんどくせぇな。バカだよな本当この女。
いつまで泣きそうな顔してんだよ。

だから仕方なしに、別に行きたいとも思わないしって言った。まぁ本音。
「学校楽しくないの?」
楽しくないっていうか興味あるものがないっていうか。めんどくさい。

という返答をしたのが間違いだった。
女は、学生のうちにしか出来ない事はたっくさんあるから後悔しないように一日一日大切に生きないとダメだよ~!……という事を長々と説教しやがった。
この時間が一番無駄だろ。

でも、っと女は言った。

「嫌な事とか辛い事とか、学生さんだしそういうのもあるよね。そういう時は、うちに来てくれたらいつでも歓迎するからね」
彼女はそう言って俺の頭を優しく撫でた。
ガキ扱いかよ。
彼女はいつも通りのニコニコ顔で俺に笑いかけてくれた。


この人なら、俺を必要としてくれるだろうか。


 夜、自分の部屋のベッドで横になりスマホの画面をぼーっと眺めた。これが俺の日常。
「金も住む場所もやる」「だからもう」「二度と顔を見せるな」
昔の向こうの返信。たった3行だけ。
そして唯一。

あの人達が俺を無視しなかった時。

 今日もいつも通りの時間にエレベーターへ。
けど、彼女はいなかった。
ジュースの件もあるし気を使ったんだろうか。

会いたい。

下に降りると、集団ポストの前で40ぐらいのババア共が井戸端会議をしてた。
これもいつもの風景。どうやら俺が近くにいるのに気付いていないらしい。
通り過ぎようとした時、会話が端々耳に入った。

「ほら…5階の……愛…悪い……の子」
「毎日……昼から………不登………まるで………不良…」
「どうし…一人………なの?」
「確か………………愛人の……噂………………」

五月蠅い。

 学校につくと午後の授業がもう始まっていた。
いつも通りの時間。
そして職員室にいる担任に怒鳴られる。
いつも通りの光景。

「これだから、ちゃんとした親に育てられなかった子供は……」
いつも通りの話。


親を選んだのは俺じゃない。


 その日の帰りは雨が降っていて。傘なんか持ってきてねぇーし。
だからといって走って帰る気力も無い。

突然、暗い影が俺の頭上にさして雨がかからなくなった。
「濡れたら風邪ひいちゃうよ?」
彼女だった。彼女が傘をさしてくれていた。
薄いピンクの、白い花柄の傘。変な傘。ださい。
俺の顔を見て彼女は言った。

「どうしたの? 嫌な事、あった?」
俺は思わず、彼女にもたれかかった。


この人なら俺を愛してくれるだろうか。


 その日から、俺は何度も彼女の家を訪ねるようになった。
憂鬱だった夜も次第にそうではなくなった。LINEの通知を気にするいつも通りの日常も消え去った。
彼女の声が隣の部屋から聞こえる。楽しそうな、あのいつもの笑い声。

そろそろ寝よう。
俺は、耳からイヤホンを外した。


 今日、彼女と彼女の夫が一緒に出かけるのを見た。子供も一緒で。
彼女のお腹は少し膨らんでいた。

いつもの楽しそうな……いや、いつもよりも楽しそうな笑い声。ニコニコした顔。
俺の時よりも……もっと。
幸せそうな家族。
俺もあんな……。

あぁ、だけど。どうして。

隣にいるのは俺じゃないんだろう。


 ずっと人生はこんなもんだろうとどこか諦めていた。何も考えず、何も感じず。何にも無関心で。人を遠ざけて。
そうすればこれ以上傷つかず、これ以上苦しまないですむ。そう思って。
だけど……彼女がこんな俺に手を差し伸べてくれた。絶望のどん底にいる俺に。
俺なんかでも、生きて、何かを望んでもいいと。
幸せも痛みも知ってしまった。
いっそ出会わなければ良かった。
どうして。


本当に欲しいものはいつも手に入らないんだろう。


どうして、他の兄弟は愛されるんだろう。
どうして、母さんは他の人と関係を持ったんだろう。
どうして、父さんの子じゃないんだろう。
どうして、俺だけが責められるんだろう。
どうして、母さんも俺を捨てたんだろう。
どうして、俺意外の家族はまだあの家で暮らしているんだろう。
どうして、彼女が越してきたんだろう。
どうして、俺に優しくしてくれたんだろう。
どうして、あの家族の中に俺はいないんだろう。
どうして、彼女の隣にいるのが俺じゃないんだろう。
どうして、お腹の子が俺との子じゃないんだろう。
どうして。


彼女が愛したのが俺じゃないんだろう。



 ……気付いたら、彼女は動かなくなっていて。
取り返しのつかない事をしたって気付いた時にはもう遅くて。
だけど。
思っちゃいけないって分かってはいるけど。

これでやっと自分のものになったって。

もうどこにも行かない。俺だけの。


やっぱり運命なんてろくでもない。

なぁ、あんた分かる?
こんなことしないと何も手に入らない運命っていうのをさ?
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