蜂谷の場合 ①

文字数 1,625文字

 蜂谷(はちや)は自分のことをつまらない人間だと思っている。
 取り立てて秀でたところもなく、これといった趣味もない、大して面白みのない男。卑下(ひげ)しているわけではなく、ただの事実だと認識している。

 ***

「蜂谷、今日は水曜日だから弁当買いに行くんだろ? おれも行くわ」

 昼休憩に入る直前、先輩の中司(なかつか)がそう声をかけてきた。連れ立ってエレベーターに乗り込み、職場のあるビルを出る。途端に耳に飛び込んでくる、けたたましい蝉の声。

「朝晩は涼しくなってきたけど、昼間はまだ夏だよな」
 日差しに顔をしかめてネクタイを緩めながら中司がいう。
「そうですね」
「そうですねって、おまえ、マスクつけてるのに全然汗かいてないけど。ていうか、暑そうな姿、見たことないよな」
「いや、暑いですよ」
「それなら少しは暑そうな顔をしろよ。いつもしれっと涼しげな顔しやがって」

 悪態をつく中司と肩を並べて目的地へと向かう。
 職場から徒歩10分ほどの場所に、その店はある。見た目は至って庶民的な弁当屋だが、いつ来ても繁盛している。理由は明白で、弁当の量がどれも普通ではないのだ。漫画雑誌のようなサイズの弁当容器にみっちりと白米とおかずが詰められたものが店頭に並べられており、それらは飛ぶように売れていく。食べ盛りの学生や勤め人たちがこぞって買っていくのだ。ボリューム満点なうえに価格も良心的とくれば、繁盛しないはずがない。

 蜂谷は、その年代の男性にしては少食なほうらしい。身近に比較対象がいないので自分ではわからないが、中司にそういわれて、そうなのかと思う。
 昼食はいつも市販の栄養補助食品ですませていた。蜂谷は食事にさほど関心がない。空腹を満たせるならなんでもかまわないと思っている。
 それを見かねたらしい中司が、ある日、蜂谷に声をかけてきて連れ出したのが、この弁当屋だった。

 ただでさえ少食な蜂谷が、大盛りの弁当など食べきれるはずがない。どういうつもりなのかと怪訝(けげん)に思ったが、謎はすぐに解けた。
 店内の隅に、少しではあるが、普通サイズの弁当も売られているのだ。しかもそれは、蜂谷がいつも購入する栄養補助食品とほとんど値段が変わらない。

「同じ値段なら、たまにはまともな(めし)でも食ったらどうだ」

 中司にそういわれて、なるほど、それもそうだと素直にうなずいてみせた。べつにこだわりなどはなく、食べられるならなんでもかまわないのだ。
 それ以来、週に一度の割合でこの弁当屋を利用するようになり、現在に(いた)る。

 そして、中司はおそらく知らないはずだが、蜂谷がこの店を訪れるのにはもうひとつ理由があった。

「あっ、いらっしゃいませ」

 昼時なので店内は混雑しているが、それぞれ好みの弁当を選んで会計をすませて出ていくだけなので回転は速い。
 レジで客を(さば)きながら、彼女が蜂谷たちに気づいて声をかけてくる。

「こんにちはー」
 明るく挨拶をして弁当を物色し始める中司のあとに続きながら、蜂谷は無言で会釈をする。デニムのエプロン姿の彼女、恵庭(えにわ)は、マスク越しに笑顔を見せた。

 中司はボリューム満点のチキンカツ弁当を、蜂谷は普通サイズの海苔弁当を手に取りレジに向かう。

一葉(かずは)ちゃん、ひさしぶり」
「中司さん、毎週いらっしゃっているじゃないですか」
「つれないなー」
「はい、500円のお返しです」
「ありがと。また来るね」
「はい、お待ちしています」

 ぽんぽんと軽口を叩く中司と恵庭を眺めていた蜂谷は、自分の順番が来たことに気づいて弁当を差し出す。中司のように、気の利いた台詞などは口にできない。

「蜂谷さん、今日は袋はどうされますか?」
「結構です。ありますので」
「ありがとうございます。お預かりしますね」
 恵庭はにっこりと笑うと蜂谷の手からそれを受け取り、手際よく詰める。
「ちょうどいただきます。こちらレシートです」
「「ありがとうございます」」
 蜂谷と恵庭の声がきれいにハモる。
 黒目がちの恵庭の瞳を直視できなくて、蜂谷はさりげなく目を()らした。
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