蜂谷の場合 ②
文字数 1,645文字
「蜂谷 、今日、飲みに行こうぜ」
昼に一緒に弁当を買いに行ったばかりである。
誘ってきた中司 に視線を向けると、蜂谷はすげなく断る。
「昼に食べた弁当がまだ消化していないので、しばらく飲み食いは遠慮します」
「いや、せめてもうちょっとためらうような素振 りとかないのかよ」
「人選ミスでは?」
「可愛くねぇな、おい」
可愛いなどといわれても困る、と蜂谷は思う。
「おれ、今夜はひとりなんだよ。奥さん、なんか友だちと飯食いに行くとかでさ」
「そうですか」
「飯食わなくてもいいからさ、なんかつまむだけでもいいから、ちょっと付き合ってくれよ」
「いや、二人で店に入ってひとりだけしか料理を注文しないのは、店に迷惑じゃないかと」
「おれがそのぶん食べるから大丈夫」
昼に特大とんかつ弁当をペロリと平らげたばかりなのに、まだそんなに食べられるのか、と蜂谷は呆気 にとられる。
だが、そうまでいわれると、これ以上無下 にするのもなにやら気が咎 める。
「少しだけなら」
「よし、そうこなくちゃな」
終業後、夕方とは思えない明るさのなかを駅に向かって歩いていく。日が沈みきるまでは陽射しの名残 が地上に留 まり熱気を放つ。道行く人びとのマスク着用率は、ざっと見たところ3割程度。蜂谷と中司はその3割のうちに入っている。
弁当屋の前に差しかかる。窓ガラス越しにちらりと恵庭 の姿が見えた。
「あ、そうだ、一葉 ちゃんにも声かけてみよう」
突然そういうと、中司はつかつかと弁当屋へと向かい、換気のためかちょうど開いていた入口から顔を突っ込み恵庭の名前を呼んだ。
止める間もなかった。
「一葉ちゃん、おれたちこれから駅前で飲むんだけど、一緒にどう? 仕事、何時まで?」
「えっ、あの、おれたち、というのは」
「蜂谷とおれ」
「えっと、どうしよう」
困惑したような恵庭の声が微かに聞こえてくる。
それは困るだろう。仕事中に、しかも大して親しくもない、ただの客から飲みに誘われるなんて、と蜂谷は思わずてのひらで額を押さえる。
「中司さん、迷惑ですよ、いきなり」
「あ、いえ、迷惑なんかじゃないですけど」
中司の肩越しに、マスクをしていても焦っているのが見て取れる恵庭の顔が覗 いた。
「すみません、気にしないでください」と蜂谷。
「先に行ってるから、気が向いたらおいでよ」と中司。
駅前に居酒屋は一軒しかないので、どこの店なのかはわかるだろうが、この誘い方で恵庭が合流してくるとは思えない。それどころか、馴れ馴れしい客に絡まれて閉口 したに違いない。
弁当屋をあとにしながら蜂谷はため息をつく。
「やめてくださいよ、店の人に絡むのは」
「人聞きの悪いこというなよ」
当の本人はケロッとしている。
「蜂谷が飯食えないなら、そのぶん一葉ちゃんに食べてもらえばいいんじゃないかって思ったんだよ。おれひとりで一葉ちゃんを誘うのは問題あるけど、おまえがいれば大丈夫だろ」
「……それはどういう理屈なんですか」
「おれは既婚者だけど、おまえは独身。しかも彼女とか、べつにいないんだろ?」
「余計なお世話です」
「いや、他意はないんだよ。おれが女の子と二人きりになるのは誤解を招くっていうだけで」
蜂谷はふたたびため息をついた。
「それがわかっているなら安易に女性に声をかけないでください」
「なんだよ、やけに突っかかるな。一葉ちゃんを呼んだらなにかマズいことでもあるのか」
「ありません」
「それならべつにいいじゃないか」
よくはない、と蜂谷は内心思う。
「客に誘われたら断りにくいでしょう」
「嫌なら適当にあしらうだろ」
「困っているように見えましたが」
中司はふいに足を止めると蜂谷の顔をまじまじと見つめて「ははーん」と意味ありげにつぶやく。
「なるほどね、そういうことか」
「なんですか」
「いやいや、いいんじゃないの」
そういって中司は蜂谷の背中をバシバシと叩く。
「痛いですよ、なんなんですか」
「これでもし一葉ちゃんが来たら少しは脈アリと思っていいんじゃないか」
「…………は?」
「いやー、来るといいな、一葉ちゃん」
昼に一緒に弁当を買いに行ったばかりである。
誘ってきた
「昼に食べた弁当がまだ消化していないので、しばらく飲み食いは遠慮します」
「いや、せめてもうちょっとためらうような
「人選ミスでは?」
「可愛くねぇな、おい」
可愛いなどといわれても困る、と蜂谷は思う。
「おれ、今夜はひとりなんだよ。奥さん、なんか友だちと飯食いに行くとかでさ」
「そうですか」
「飯食わなくてもいいからさ、なんかつまむだけでもいいから、ちょっと付き合ってくれよ」
「いや、二人で店に入ってひとりだけしか料理を注文しないのは、店に迷惑じゃないかと」
「おれがそのぶん食べるから大丈夫」
昼に特大とんかつ弁当をペロリと平らげたばかりなのに、まだそんなに食べられるのか、と蜂谷は
だが、そうまでいわれると、これ以上
「少しだけなら」
「よし、そうこなくちゃな」
終業後、夕方とは思えない明るさのなかを駅に向かって歩いていく。日が沈みきるまでは陽射しの
弁当屋の前に差しかかる。窓ガラス越しにちらりと
「あ、そうだ、
突然そういうと、中司はつかつかと弁当屋へと向かい、換気のためかちょうど開いていた入口から顔を突っ込み恵庭の名前を呼んだ。
止める間もなかった。
「一葉ちゃん、おれたちこれから駅前で飲むんだけど、一緒にどう? 仕事、何時まで?」
「えっ、あの、おれたち、というのは」
「蜂谷とおれ」
「えっと、どうしよう」
困惑したような恵庭の声が微かに聞こえてくる。
それは困るだろう。仕事中に、しかも大して親しくもない、ただの客から飲みに誘われるなんて、と蜂谷は思わずてのひらで額を押さえる。
「中司さん、迷惑ですよ、いきなり」
「あ、いえ、迷惑なんかじゃないですけど」
中司の肩越しに、マスクをしていても焦っているのが見て取れる恵庭の顔が
「すみません、気にしないでください」と蜂谷。
「先に行ってるから、気が向いたらおいでよ」と中司。
駅前に居酒屋は一軒しかないので、どこの店なのかはわかるだろうが、この誘い方で恵庭が合流してくるとは思えない。それどころか、馴れ馴れしい客に絡まれて
弁当屋をあとにしながら蜂谷はため息をつく。
「やめてくださいよ、店の人に絡むのは」
「人聞きの悪いこというなよ」
当の本人はケロッとしている。
「蜂谷が飯食えないなら、そのぶん一葉ちゃんに食べてもらえばいいんじゃないかって思ったんだよ。おれひとりで一葉ちゃんを誘うのは問題あるけど、おまえがいれば大丈夫だろ」
「……それはどういう理屈なんですか」
「おれは既婚者だけど、おまえは独身。しかも彼女とか、べつにいないんだろ?」
「余計なお世話です」
「いや、他意はないんだよ。おれが女の子と二人きりになるのは誤解を招くっていうだけで」
蜂谷はふたたびため息をついた。
「それがわかっているなら安易に女性に声をかけないでください」
「なんだよ、やけに突っかかるな。一葉ちゃんを呼んだらなにかマズいことでもあるのか」
「ありません」
「それならべつにいいじゃないか」
よくはない、と蜂谷は内心思う。
「客に誘われたら断りにくいでしょう」
「嫌なら適当にあしらうだろ」
「困っているように見えましたが」
中司はふいに足を止めると蜂谷の顔をまじまじと見つめて「ははーん」と意味ありげにつぶやく。
「なるほどね、そういうことか」
「なんですか」
「いやいや、いいんじゃないの」
そういって中司は蜂谷の背中をバシバシと叩く。
「痛いですよ、なんなんですか」
「これでもし一葉ちゃんが来たら少しは脈アリと思っていいんじゃないか」
「…………は?」
「いやー、来るといいな、一葉ちゃん」
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