第15話

文字数 1,933文字

 あまり特徴のないジャケットだった。それがかえって目についた。最初に気づいたのは書店にいるときだった。少し離れた棚で本を選んでいるようだった。おれがいくつかの棚を移動してみると、その男も近い棚へ移動してきた。

 なるほど、尾行だな。敵を欺くにはまず味方から。だからこの作戦は事前に打ち合わせもしていない。おれは尾行がどんな連中かもしらないし、いつ尾行がつくのかも知らなかった。しかしバッチリだ。おれはちょうど昨夜、袋麹と連絡を取って段取りをしたばかりだ。今日この尾行がついていれば、連中との合流はうまくいくだろう。首謀者の池上をとっ捕まえることもできるはずだ。

 敵の首謀者が池上という女だという情報はどこから得たんだったかな。まあいい。おれは未来から来たエージェントなんだから情報網も優れているはずだ。監視だって見事にかわしたしな。おれはさっき電気屋で調達してきた安物の腕時計で時刻を確認した。

 よし。そろそろ行動開始と行くぞ。尾行班、ちゃんと仕事をしろよ。

 おれは書店の中にあるトイレに入った。個室に入ってドアを締め、便器に腰掛けて時計を見た。ねばるぞここで。個室の中で耳をそばだてているとさまざまな音が聞こえてくる。入ってくる音、出ていく音、隣の個室に入る音、用を足す音、流す音、手を洗う音。聞いていると、入ってきて用を足したのに手を洗わずに出ていくやつが意外と多いということがわかった。水道を使う音、ハンドドライヤーを使う音は他の音に比べて圧倒的に少ない。大半が用を足しても手を洗わないまま出ていっているようだ。

 おれは時計で三十分経過したのを確認してから個室を出た。トイレから出ると例のジャケットの男は見当たらなかった。それでもおれは仲間を信じて行動を続けることにした。おれは何も買わずに書店を出て移動を開始した。駅から電車に乗る。

 いる。ちゃんとついてきている。例の特徴のないジャケットはおれが乗ったのの隣の車両に乗り込んでいた。さすがだ。やはりプロなのだろう。

 おれは尾行に気づき、尾行を捲くべく策を講じて試みているふうを装った。もちろんあからさまにではなくあくまでさりげなくだ。尾行とグルだというのがバレたら元も子もない。おれは二つ目の駅で、急に降りることを思い出したみたいに慌てて発車寸前の電車から駆け下りた。改札を出て方向を確かめるように周囲を見回した。

 いる。ちゃんとついてきている。例の特徴のないジャケットが視界の隅に入った。計画は見事に進行中だ。完璧だ。

 おれは追手を捲くことを諦めてなるべく人通りの多いところを選んだようなふうに商店街へと入っていった。尾行から完全に離れてしまうことなく、かといって不自然に引き寄せることもないように速度を調整しながら歩いた。なるべく後ろを向かないように、それでいて商店街をそぞろ歩きしている程度にはきょろきょろするようにした。並んだ店先に視線を投げたり、スピーカーから流れる酷い音に耳を傾けたりした。

 商店街はその終端のところで国道と交わっている。このまま進んで国道に出たら右だ。右へ行くとそちら側からミサが迎えに来るはずだからだ。そういう手はずになっている。袋麹に連絡して合流する約束を取り付けた。どんな約束だったかよく覚えていないが、この商店街を抜けて右なんだ。そういう詳細を打ち合わせただろうか。わからない。でもなぜかおれはミサのことを知っている。やはり未来から来たからこの先で起こることを知っているということなのか。そうに違いない。

 おれは周りを見回しながら進む。もう国道が見えてきている。あそこまで行ったら右だ。尾行との距離はちょうどいいだろう。尾行はおれがミサの車に乗るのを見てから走っても間に合わない。そういう距離感でおれはミサと合流する必要がある。

 国道に出て右に曲がりながらおれはさっと後ろに目をやった。尾行者の姿は見つけられなかったが一瞬だから仕方あるまい。特に見失うようなこともしていない。ついてきていないはずはないだろう。

 おれはすぐに車に乗り込めるようになるべく車道に近いところを歩いた。ミサの車は目立つからすぐにわかるはずだ。しかし交通量が少なく、全体に速度が速い。この流れでおれのところに停車し、おれを乗せて走り去るということがうまくいくだろうか。

 計画に不安を感じかけたとき、前から見覚えのある赤い四輪駆動車が来るのを見つけた。ミサだ。おれは四輪駆動車にに視線を送り、気づいていることをアピールした。ミサも気づくことを信じておれは車道へ降りた。

 戦車のような赤い四輪駆動車はまっすぐおれの方へ突進してきた。

《了》
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