第5話

文字数 2,322文字

 着いたところは古びた中古車屋だった。店先には1980年代ぐらいのアメ車が何台かあり、事務所のある建物はゾンビ映画に出てくる廃墟みたいに朽ちかけている。整備工場は半分シャッターが閉まっていて、ミサはそのど派手に目立つ車をシャッターの裏に隠すようにして停めた。

「安心して。仲間ばかりだから」

 ミサは後部座席のオレにそう言うと扉を開けて車から降りた。おれも後に続いた。

「この車は尾行から逃れるには派手すぎやしないかね。そうそう走ってる車でもないし、あっという間に見つかるんじゃないか」

「でも敵が強硬手段に出てきたときにはこれは心強いのよ」

「強硬手段、ね」

「ちょっと待ってて。店長と話してくる」

 ミサはそう言うと事務所の建物へと歩いて行った。

 整備工場に残されたおれは周りを見回した。シャッターの開いている部分には古いコルベット・スティングレイのTバールーフのやつが入っていた。つなぎの作業着を着て軽薄な頭をした若い整備士の兄ちゃんが木槌でルーフをコンコンやっている。兄ちゃんはおれの視線に気づいて言い訳するように言った。

「これね。飛んでったんスよ。いや、ルーフがね。オーバースピードで交差点を左に曲がったらフレームがゆがんで、曲がりながらTバーの右側がすっ飛んでったんスよ。アホでしょ。そんで飛んでったやつ回収してきたけど入らねぇってって持ち込まれてきたんス。ほんとアホでしょ。入んねえスよ。ルーフまわりがもうひずんじまってんだから」

 兄ちゃんはおどけた身振りを交えながら屋根の部品が飛んでいく様を表現した。

「それで走るのに支障はないのかい」

 おれは聞いた。

「ないわきゃないんスけどね。誰もこの時代のコルベットに剛性なんか求めないスよ。こんなもんルーフねじ込んだってぜってえ雨漏りするスよ。だけどこんなバカ長い車体でルーフこれっぽっちしかねえからこの屋根入ってなくてもたいしたことねえスよ。雨なんか降ったらここに傘でもさして乗りゃいいんだ。マッスルなんだから」

 そうだなと言っておれは笑っておいたが、兄ちゃんの感覚はよくわからなかった。

 おれが振り向くと向こうから戻ってきたミサが「こっち」とだけ言って整備工場の隅の方へ進んでいった。おれはその背中を追った。工場の壁際は雑然としていた。タイヤやホイールキャップ、工具の入ったコンテナ、ケーブル類、オイルフィルタの山、廃油を回収するタンク、ナット、サビたブレーキディスクなど、部品なのか廃棄物なのかわからないようなものがごったがえしている。その隙間を縫うように奥へ入っていくミサについていくと、建物の奥の壁に扉があった。ミサは扉をあけて入っていく。おれはそのあとに続いた。

 扉の中は整備士たちの控室のようで、壁際にはロッカーと自動販売機が並び、へたりきったソファと応接テーブル、冬場に使うのであろう年季の入った石油ストーブなどが置いてあった。窓はホコリとヤニに包まれ、すでにそれと一体化してしまっていてもはや汚れているというよりはもともとそういうもののように見える。壁もヤニ塗りで変色していてもともとはどういう色だったのか想像することも難しかった。

「カーット」

 扉の外から工場の隅々まで響き渡るような井戸橋の声が聞こえた。

 振り返った白川実春がおれを見て微笑む。おれは白川実春を先に通してそのあとから部屋を出た。白川実春の女マネージャとおかま社長が駆け寄ってきて、その後ろから明石がやってくる。おれは明石からスポーツドリンクを受け取る。

「あの整備士役、いいな」

 井戸橋たちのいる方へ向かいながらおれは明石に言った。

「ああ。彼は小さい劇団で芝居やってるみたいで、映画は今回初めてらしいですよ」

 井戸橋は今撮ったカットをモニタでチェックしているところだった。おれは近づいて声をかけた。

「どうだい」

「いいッスね。整備士と話すとこの、わかってないけど話し合わせとく、みたいな顔が特にいいッス」

「それはよかった」

 わかってないのは事実であって芝居ではないからな。あの男のセリフはおれにはほとんどわからんし、ああいう感じの男のこともわからん。あれがアメ車の整備工としてリアルなのかどうかもおれにはさっぱりだ。ただ、カタカナのスをちりばめて話すのは井戸橋がやると腹が立つのに、あの整備士のは気にならなかった。それがキャラクタのリアリティによるのか、あの役者の力量によるのか、井戸橋が軽薄なことによるのかはわからない。

 今のカットの続きはまた別の日に別のところで撮影することになっている。あの扉の向こうには整備士の控室じゃなくてミサたちの隠れ家があるという設定だ。扉を開けるところでカットをつないで、まったく別の場所で撮影する部屋の中の映像に切り替える。するとあたかもこの整備工場にその隠れ家がくっついているという具合に見えるというわけだ。映画なんかを見ていると扉を抜けたとたんに急に天井が高いとか低いとか、そこにそんな広さの部屋がどうやって収まってるんだとか、それはいったいどういう建築なんだと思うようなことがあるけれど、そういうのはたいてい別のところで撮った映像をつないでいるのだ。

 今日はこのあと、ストーリーの時系列には関係なく、このアメ車屋のシーンをどんどん撮っていくことになる。それぞれぜんぜん違うシーンだからおれはその都度着替えたりメイクを直したりする。もちろん整備工場に入っている車や外に並んでいる車を入れ替えたりもする。派手なシーンはないものの、それなりに大掛かりな撮影になるだろう。
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