開幕 比翼

文字数 1,169文字

 全ての役者は物語の奴隷である、と峰宮彼方(みねみや かなた)は言った。
 峰宮彼方は劇作家だ。
 傲岸不遜にして唯我独尊の道を往く天涯孤独な劇作家である。
「でも、シェイクスピア曰く、『この世は舞台であり、全ての人間は役者である』じゃないですか。じゃあ、神様が僕らの物語を描いているんですかね」
 しかし、彼女はきょとんとした顔で小首を傾げて艶のある唇を開いた。
「私が君たちの物語を描いた覚えはないけど?」
 峰宮彼方とは、こんな人物だ。

 劇団バブル。
『現代のシェイクスピア』と皆が大真面目に褒め称えている、超売れっ子作家・峰宮彼方を筆頭に五人のメンバーで結成した劇団である。
 そんな人気劇団に所属する峰宮彼方が月明かりに照らされた薄暗い部屋の中、ベッドのシーツに身をくるまって、こちらを見つめている。
「大根かよ」
 彼女がシーツ越しにごそごそと動いた。もしかしたら、寒いのかもしれない。神無月に入り、窓も開け放たれている。
 どんな因果か、駆け出しの小説家として活動していた僕が峰宮彼方脚本の公演に出演することになったのだ。もちろん、生まれてこのかた役者などやったことがない。
「いや、ゴボウだな」
 華奢な身体と端正な顔から出ているとは思えないほど響く声と辛辣な言葉が飛んでくる。
「身もない、味もない、栄養もない。これでは栄養がある分、ゴボウの方がまだ映える」
 僕はまだしもゴボウが理不尽になじられている。彼女はゴボウが嫌いなんだろうか。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「ゴボウを持って、舞台に立てば? そうすれば、私は万雷の喝采を君に送ろう。百のバラを送り、両手が痛くなるほどの拍手を届けるよ」
「僕がさっきどんな質問をしたのか、思い出せないんですけど」
「へえ、君のセンスのない質問に真面目に答えるやつがいるのか。それは驚きだな」
 なるほど。峰宮彼方は素晴らしく人望があり、最高に優しい女性らしい。
 しかし、どうして彼女が僕を役者に引き入れたのか、いまとなっても謎である。
 そもそもの発端は知り合いの伝手で紹介された峰宮彼方がその日のうちに役者の依頼を持ちかけてきたことだった。
 だが、やはり僕も欲を持つ人間だった。提示された契約書の約款項目に書かれた、丸がたくさん並べられた数字を見た瞬間、いつの間にか峰宮彼方と固い握手を交わしていた。
「どうして、僕なんですか?」
 僕はいまさらながら言葉にできなかった問いを投げかけた。
 シーツから覗く素足や首筋、澄んだ双眸が峰宮彼方の静謐さを際立たせる。だが、華奢で懐柔的な峰宮彼方は、その醸し出している情緒のように強い人間ではない。
 いまとなってはベッドの上でしか活動することができない。
 それでも峰宮彼方は尊大で不敵に笑うことを止めなかった。
「人生の最期に、神様の描いた物語通りに生きるなんて癪だろう?」
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