2. 重なり合う事故

文字数 2,174文字

 そもそも、秋月が此処に来たのは、単なる事故が発端であった。
 急用で鬼怒川と不知火の元へ遣いに出された折、廊下で聞いてしまったからに過ぎないのだ。
 白山国(キタ)工作員(エス)工作活動(テロリズム)に失敗した話を。

 それは表沙汰にはされていない。
 東和国及び大西洋合衆国の同盟国を敵国として“本番さながらの軍事訓練”を繰り返し、東和国に“本番さながらの避難訓練”を強いる独裁的社会主義国家・白山国から、工作活動(テロリズム)の為に二人の工作員(エス)が密入国し、工作活動(テロリズム)に失敗した挙句、自分達は亡命を希望する人民だと主張した事件など。
 そして、工作活動(テロリズム)未遂など無かった事にして、二人の工作員(エス)を、かつては白山国(キタ)と同じ国だった雪山国(ミナミ)へ亡命させる事を政府が決定した事も、亡命の手配を整える世話役(エージェント)に選ばれた公安警察官の一人が、旧共産党系国家・黄竜国の密偵(エス)であり、二人の亡命者を黄竜国へ向かわせる事で、白山国と東和国の情報を黄竜国へ流そうとしている事も。
 全て、表沙汰にはされていなかった。

 しかし、秋月は鬼怒川と不知火の会話を聞いてしまったが為に、その事実を知り、口封じの為に連れ出されてしまった。
 そして今、秋月の先を行く二人は、申し訳程度とはいえ、偽装された作業服の下に防弾ベストを着用し、形状こそ工事用とはいえヘルメットを着用している。
 船を使った水面下での亡命作戦ゆえ、武装を邪魔する要素など無い。
 そんな人間を相手に、彼等はその任務を遂行すべく歩いている。
 まるで無防備な秋月を連れて。



 倉庫の一角に、壮年の女性と、その娘とも見える若い女性が居た。
『あまり待っていられない、船の中では駄目なのか』
『海保に見つかれば全速力で巡視船を撒く必要があるわ、安全性など無視してね。出来る限り排他的経済水域からは脱出しなきゃいけないし、そこから雪山海軍と合流する時、安全の保証はない。連合国の連中に見つかったら最悪殺される。それに、今は近くの海域で漁船が多く動いて、漁師の目が多すぎる』
 ワゴンの上にあるのは、二皿のパスタ。
 二人の女性が工作活動(テロリズム)の為に歩いた街で、ガラス窓越しに見た麺料理だ。

『殺されるかもしれないと言うのに、最後の晩餐もないのは死刑囚以下でしょ?』
 黒い髪を後ろでひとつに束ねたスーツ姿の女、公安警察から世話係(エージェント)として派遣された警察官の鈴木は、二人の亡命者(テロリスト)本国(ミナミ)へ連れ帰る世話係(エージェント)のキムを睨んだ。
 キムは苦々しい表情を浮かべ、二人の女性と時計を交互に見る。
『考えてみて。彼女達は此処に派遣されるまで、その日食べるトウモロコシやジャガイモさえ手に入るかどうか分からなかったの……東和国(こちら)に来てからも、殺された白山国(あちら)の監視役に縛られて、まともな食事なんて出来て居なかったのよ?』

 二人の亡命者(テロリスト)は、古い船で密航させられ、在東和雪山人の角田(すみだ)(はじめ)ことチェ・ナムの手配で潜伏先の工場跡地に匿われていた。だが、密入国者の情報を受けた警察が動き、捜索に踏み込んだ警察官と銃撃戦を繰り広げた末、チェ・ナムは間接的ながら死んだ。
 チェ・ナムを失い、自由になったがゆくあてを失った二人の女は途方にくれ、同胞を殺した東和国への復讐の為にも自爆テロを実行しようとした。
 だが、東和国では田舎扱いのさえも彼女等にとっては大都会に等しく、食品サンプルを看板代わりにしたレストランの光景に、死ぬ事を躊躇った。

 鈴木は初めて食べるパスタに感激する二人を眺めながら、その行く末に胸を締め付けられていた。
 陸地を離れた後、排他的経済水域を出るか出ないかの場所で、彼女らを乗せた船は襲撃される予定である。
 一行は黄竜国から派遣される予定の“公船”と“合流”し、黄竜国へ向かう事になるのだ。
 既に漁港には漁船に偽装した監視船が停泊しており、一行が出向するのを待っている。
 キムの殺害に関しては暗黙の了解でもあったが、状況によっては二人が殺される可能性もある。
 そして、二人が黄竜国に渡った後、どう扱われるのかも分からない。強制送還となれば、死刑は免れないだろう。
 鈴木は白山国(キタ)の情報を黄竜国に流すとともに、自分が伝えた東和国の情報を黄竜国に渡す役目を担っている。
 ただ、周辺諸国に比べ穏やかな国の、人の情という物が軽んじられない風土に身を置く中で、工作員(エス)としての心が、揺らいでいた。
 そんな時、不意に倉庫の扉が開く。
「此処のエアコンが、どうもおかしくて」
 管理者らしき作業着の男が、設備業者らしき男達を倉庫に招き入れる。
(まずい)
「そうですね、少しおかしな音がしていますね。では、空調を止めて内部を点検します」
「よろしくお願いします」
 鈴木はキムを見た。
『急ぎましょう』
 キムは二人の女性の腕を掴む。
 だが、二人の女性は皿を離そうとしない。
『持ってきていいわ。とにかく、此処を出るのよ』
 鈴木は少し離れた別の出口から外を目指す。
 しかし、その行動は読まれていた。
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