4 青春の歌

文字数 1,815文字

4 青春の歌
 中村光夫の作家論は彼らの青春を扱っています。その目的は二つあります。一つはその作家を彼にさせた青春を分析し、その通説を再検討する試みです。もう一つは、その青春の時代的・社会的背景を明らかにする企てです。作家が自明ではないように、「青春」も自明ではないのです。「青春がおのおの個人にとって、悔恨と哀惜の対象になるのは、そこで実現の機を見出せなかった幾多の生への可能性によるのであるとすれば、僕等はすでに人間の生涯に近い時間を経過した我国の近代文学史の残るモメントに対して、真剣な悔恨の上を抱くべきではないでしょうか」(中村光夫『風俗小説論』)。

 中村光夫は、『知識階級』において、「わが国の知識階級にはじめ人材を供給したのは、武士階級でした。というより明治維新は在来の武士階級を知識階級に変質させて行った過程と見てもよいでしょう」と言っています。知識階級が聖職者や商人、農民、ブルジョアジーから生まれなかったため、彼らは階級闘争を経験していないのです。

 明治維新は革命ではなく、クーデターです。「まずそれは、わが国を幕末維新のころおかれていた『半開』の状態から、急激に『文明』にすすむという、国家的必要をみたすことを使命としていました。したがって彼等の身につけたのは、西洋の学問であり、その人的な素材は、主として旧武士階級(とくに下級の武士の間)から供給されました。彼等は『四民の平等』を標榜した社会で、従来武士の間でもきびしく守られていた上下の身分家族の差別から解放され、これまでにない出世の機会を保証されて、その使命にいそしむことができました。この洋学で装われた武士の子弟たちが、僕等の先祖であり、それがいろいろに変質しながら、根本の性格は変らずに現代まできています」。

 近代化が定着するに従い、「知識階級が、特権的な指導者の地位から、支配者たちに使われる技術者に変って行ったので、彼等の知識の向上と逆に、その社会における位置は下ってしまったのです」。二葉亭四迷の『浮雲』は、森鴎外の『舞姫』と違い、こうした「書生」の姿を描いています。中村光夫は、二葉亭や永井荷風など対象を変えながら、「青春」の社会による変容と反復を論じています。文学者は近代における知識階級ですから、彼らの青春は近代の変質に対応します。

 『浮雲』は知識階級がリーダーからテクノクラートとして扱われ始めた時期の作品です。「しかし彼と社会とのあいだには、後の知識階級が例外なく味わった間隙がすでに存在します。まず彼が勤先で与えられる仕事は、『身の油に根気の心を浸し、眠い眼を睡ずして得た学力を、斯様な果敢ない馬鹿気た事に使ふのかと、思へば悲しく情けなく』なるようなものであり、学校で考えたような思想や条理は、実世間の行動の規準としてはまったく無価値になります」(中村光夫『知識階級』)。

 その後、若者はテクノクラートからサラリーマンや兵士のモラトリアムになっていくのです。それに伴い、作家が描く青春も変化していきます。志賀直哉や佐藤春夫の青春は二葉亭の青春とは別物にさえ映ります。知識階級ははるかに小さな存在になってしまっています。もはや政治家や官僚に期待されながら、苦悶しつつ、意を決して作家になる時代ではありません。作家は、親の世代からどう見られるかは別として、一つの職業です。戦中には、死の身近さによって、青春が将来の成長に結びつきません。三島由紀夫は、作家になってから、青春をやり直すように生きていきます。さらに、戦後になると、知識階級という呼称を使うことさえ躊躇われるほどです。1950年代以降、若者は、東西冷戦と消費社会を背景に、消費者として最先端の文化の担い手に躍り出ます。戦前以上に、青春小説が時代の文化を表象していると見なされるようになります。無名の新人による青春小説は文学界を最も活性化させると期待され、数多くの一発屋が登場し、消えていきます。

 中村光夫は、こうした論考を通じて、青春と言うよりも、青春の変容を検討しています。それぞれの作家の青春ではなく、彼が青春をどう位置づけているかを論じています。中村光夫が批判するのは風俗小説などに見られる青春に対する倒錯した意識です。彼の青春概念は青年期に限定されているわけではありません。近代的自我やアイデンティティの問題とは無縁です。鋳型に押しこめることができないゆらぐものです、

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