2 青春の坂道

文字数 3,029文字

2 青春の坂道
 中村光夫が青春を問う以上、二葉亭四迷を論じるのは自然です。この偉大な小説家が青春期の近代日本が経験した父殺しの父を生み出したからです。日本近代文学の書き言葉の原型は二葉亭によるロシア語から日本語への翻訳です。日露戦争による軍事的勝利は文化的父殺しへと変容して意識されると同時に、日本近代文学は二葉亭という父を殺して、私小説へと成長していくのです。

 丹羽文雄が中村光夫の二葉亭四迷論を批判し、それに反論して、風俗小説論争が起きています。中村光夫は、1950年、『風俗小説論』を刊行し、そこで近代リアリズムの発生・展開・変質・崩壊の過程を語っています。近代リアリズムが二葉亭四迷によって成立し、島崎藤村により発展して、田山花袋において変質したというわけです。「『蒲団』を読んで見ても、また右に引いた彼の言葉からも、まず第一に明らかなのは、花袋が感動し、模倣したのは、戯曲に書かれたヨハンネスであり、この戯曲を書いたハウプトマンではない、ということです。(略)その結果、彼が自らをフォケラァトに擬し、フォケラァトの立場からフォケラァトを描いた『蒲団』は、ちょうど立体を平面に投影したように、奥行きも構成も失った平板な独白になり、しかもその独白は作者の『主体的感慨』で主人公だけでなく、作中人物すべて塗りつぶしてしまったのです」(中村光夫『風俗小説論』)。

 竹田青嗣は,『日本近代文学という発想』で、『風俗小説論』を次のように要約します。

 藤村の『破戒』(明治三十九年)から花袋の『蒲団』(明治四十年)にかけての時期が日本近代文学における”青春期”であったが、この二つの小説は日本の近代リアリズムの可能性の両極のように現われていた。西欧のリアリズムを技法としてとり入れた日本の自然主義は、しかし、『破戒』における「近代的な孤独」の発見の可能性を放棄し、「蒲団」における近代的観念の統帥に閉じこもった。それは西欧の作家が批評的視線において描いた主人公たちの苦悩を、日本の文学者たちが自ら実演するに等しかった。つまり、鴎外や漱石などを少数の例外とする日本の大部分の作家たちは、人間の「苦悩」を冷徹に見つめる西欧近代文学の「思想」に対してではなく、そこに描かれた「苦悩」そのものに共感したのである。表現に値するのは「思想」ではなく「苦悩」であると信じられた。この道は日本の近代小説が自己批判力を放棄し、私小説から風俗小説へという崩壊に導かれる道にほかならなかった。『破戒』と『蒲団』は、いわば日本近代文学の”青春期”における可能性の両極だったが、それが『蒲団』から『破戒』へというコースをたどらず『破戒』から『蒲団』へという「滅びにいたる大道」へ動いたところに大きな不幸があった……。

 中村光夫は、『川端康成論』の中で、日本の近代文学史における特徴が「何より強力な詩の運動を欠いていた」点にあり、その結果、小説家が詩人も兼ねねばならず、「いわば当時の小説家は詩人であつた」ため、小説の主流が私小説となり、「強力な社会理論を背景とするプロレタリア派の散文精神」もその現状を打破できなかったと指摘しています。日本近代文学は花袋以来、「散文精神」とも言うべき「自己批判力」を放棄したせいで、「不幸」の歴史です。「私小説にあっては、作者と作中の主人公とが同一の人物だという了解が作者と読者のあいだにあり、それを前提としてすべての小説が鑑賞されますが、その結果、作中人物の行動にかんする批評がそのまま作者にたいする批評に通ずることになり、作品批評がいつも芸術批評より、倫理的批評の性格をおびることになります。これは私小説の全盛期であった大正文壇の特色でもあるので、ここではふれませんが、小説にまず作者の『生き方』の報告書を見、それを俗物にたいするのとまったく違った見地から、厳しく倫理的に批判するという文壇の気風は、自然主義によって土台をつくられました。国木田独歩が龍土会の席上で、ある人の『蒲団』評に答えて、『だって、甘いたって仕方がないさ。花袋君の恋はああいう恋なんだから、とにかく甘くっても何でも、徹底だけはしているさ』といったと、花袋自身が書いていますが、作中人物の行為がそのまま作者の責任になる点では、私小説批評の典型がすでにここにあるといえます」(中村光夫『風俗小説論』)。

 さらに、中村光夫は膨張した自我に閉じこもる自我中心主義を批判し、50年代から60年代にかけて、永井荷風や谷崎潤一郎、志賀直哉、佐藤春夫を扱っていますが、これは正統的な文学史に対する批判的な文学史です。

 中村光夫は、『志賀直哉論』において、「小説の神様」と崇拝される志賀直哉を極めて妥当に次のように激しく糾弾します。

 かういふ極端に男性を中心にしか感受性の働かない作家が男女間の倫理の問題を扱ふのは、それ自身無意味なことです。彼がエゴイストだからといつても事態は同じことです。なぜならエゴイストにとつて倫理的思索の第一歩は相手の人間のエゴをみとめることにあるのですが、志賀直哉には──そして時任謙作にも──男女間の問題を生活に即して考へる限り、この一番大切な前提が欠けてゐるのです。

 「小林秀雄は志賀直哉を、明瞭な『作家の顔』を浮かばせうる稀有な文学者として評価したが、中村光夫は、マルクス主義への観念批判をそのまま移して、志賀における『他者』の不在を批判している。つまり、中村光夫の批評の視座は、つねに、日本近代における〈自我〉の社会的未成熟といった”構造”を浮かび上がらせるようなものだったと言える」(竹田青嗣『〈制度〉という悪夢』)。中村光夫は結果の必然性を構築してその正統性を保障する文学史ではありません。自明性へ異議を申し立てるのです。

 青春は自由で平等、自立した個人によって成り立つ社会という近代の理念の産物です。異動や職業選択など選択の自由が許されているからこそ、その岐路に立つ青春期において人生をいかに生きるべきかと問うのです。近代的革命の担い手として「青年トルコ党」や「新青年」のように青年が躍り出るのもそのためです。もちろん、義務教育後に大半の人々が社会で働かざるを得ないのが実情です。青春を経験できるのはエリートに限定されています。戦後、中村光夫が青春を一般大衆に向けて語り始めるのはそうした状況からの変化によります。

 戦前の「青春」に欠けているのは他にもあります。それは共学です。当時、中等教育以上は男女別々に教育を受けなければなりません。男女が入り混じり、社交を楽しむようなサロンはありません。戦前の「青春」は、旧制高校の比喩で語られることが多いように、均質的かつ集中的なクラブなのです。このクラブ的な認識に基づいた青春を経験したエリートが国民国家=産業資本主義=帝国主義を推進し、戦後の復興でも、この染みついたものが問題であったにもかかわらず、それを自明視して、議員や政財界、言論人が示している通り、ある意味で、同じことを繰り返しています。近代的な自意識への閉じこもりはクラブ的な発想の産物です。戦後生まれの作家が描く青春文学は、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のように、共学の雰囲気がありますが、「アプレ・ゲール」と呼ばれていても、石原慎太郎の世代にはそれがありません。今日の青春はサロン的であり、クラブ的な青春はアナクロニズムでしかありません。
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