王子様スキル発動後

　九月になっても、夏は色濃く残る。ただ、例年と比べて、雨に付き纏われていた。
　綾瀬さんと会う日は、いつも天気がよろしくない。私の母に負けず劣らず、雨男なのだろうか。
　本日も、お決まりの曇天模様。雨が降らないだけ、マシな方だ。
　今月から開催している人気漫画の原画展へ行った後、ドーナツショップでお茶をする。私はコーヒーカップに口をつけながら、綾瀬さんを観察した。
　原画展では楽しそうに展示品を見ていたし、今は私の学校生活について興味深そうに尋ねてくる。にこやかではあるけど、新島さんとの別れによって生じた痛みは、まだ熱を持っているのだろうか。


　トイレに行きたくなったので、綾瀬さんに断って席を立つ。入口脇に通路があり、男性用トイレの向かいに女性用と男女兼用のトイレが並んでいた。最近は兼用トイレが増えて、とても助かる。
　用を済ませると、通路の突き当りにある手洗い場へ向かった。手を洗う間、後ろの様子が気になる。鏡越しに確認すると、私と同じ年頃の男女がいた。
　男の子は退路を塞ぐように、女の子を壁に追い詰めている。友達が待っているからごめんなさいと断っても、男の子は構わずに言い寄っていた。
　強引だな。振り返ると、女の子の目は明らかに助けを求めていた。
　私は女の子の腕を取って、背後に庇う。先程まではニヤニヤしていたのに、男の子はみるみる怒りに染まった。
「何だよ、邪魔しないでくれる？」
「意気投合しているようには見えなかったから」
「ハア？　女の前で格好つけんなよ」
「その気がない相手をしつこく口説くのは格好悪いよ」
「るせえ、ボケ」
　男の子が殴り掛かってきて、左頬に痛みが走った。ガタンと、肩を壁に打ちつける。
　女の子が悲鳴をあげた直後、店員さんが駆け付けてきた。これ以上、殴られなくて済む。ホッとして、私は床にへたり込んだ。
「どうしました、大丈夫ですか？」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
　店員さんや女の子に返事をしなくては。左頬を押さえながら顔を上げると、綾瀬さんが覗き込んでいたのでビックリする。
「トイレの方で悲鳴がしたから、心配になって来たんだ。何があったの？」
　女の子は友達に支えられながら泣きじゃくっている。男の子の姿はないけど、逃げたのだろうか。騒ぎを起こして消えるなんて、情けない人。
　私は、綾瀬さんと後から来た店長さんに状況説明をする。殴られたと言えば、綾瀬さんは焦った様子になった。
　綾瀬さんは、頬を覆う私の手を外す。肌がジンジンするけど、骨までは痛くないし、口の中も切れていない。殴られた時、流れに逆らわなかったからダメージが軽減されたようだ。
「赤くなっているね、冷やさないと」
　綾瀬さんは店長さんにお願いして、冷やすものを持ってきてもらう。店長さんが警察を呼ぶと言ったので、酷い怪我ではないからと遠慮した。何度も謝る女の子に大した事ないよとポーズを取って、綾瀬さんと席に戻る。
　店内のお客さん達から一斉に注目を浴びる中、私達はトレイを片付けて外に出た。氷が詰まったビニール袋をハンカチの上から当てて歩く。腫れた頬がヒンヤリして気持ち良い。
「座って冷やした方がいいね。あそこで休もう」
　丁度、ビルの合間に作られた広場を通ったので、ベンチに腰掛ける。綾瀬さんと初めて会った頃とは違い、他のベンチに休んでいる人がいた。
「今日は騒ぎに巻き込んで、すみませんでした」
「守永さんは悪くないよ」
「あの女の子、大丈夫かな」
「間近で暴力シーンを見て、ショックを受けただろうね。守永さんも怖かったでしょう？」
「うん。でも、思い返せば煽るようなことを言ったから、自業自得かも」
「それは軽はずみだったね。とはいえ、殴っていい理由にはならない。もう一度、頬を見せて」
　大人しく氷袋を外すと、綾瀬さんの視線が頬に注がれる。はあ、と、溜息をつかれた。
「まだ赤いね。ガタンって音がしたけど、他に痛いところはないの？」
「勢いあまって、壁にぶつかりました」
「肩、平気？」
「はい」
「本当に警察を呼ばなくて良かったの？　今からでも間に合うよ」
「大事にしたくないし、二度とあの人に関わりたくありません。それより、言い寄られていた子がトラウマにならないか心配」
「優しいね、守永さんは。僕は自分のことで精一杯なのに」
「自己満足しているだけです」
「それでも、僕は君に救われている」
　綾瀬さんは複雑そうに笑う。ううん、本当に綾瀬さんを救えるのは、未来の恋人だけだ。