第1話

文字数 940文字

「ボツだな」翔太はそう呟いて一眼レフのカメラをテーブルに置いた。日勤の退職者が忘れていった花束だった。「朝陽と花束」その時は悪くない着想だと思ったものの、実際に家のアパートのテーブルで撮ってみると、ありきたりな静物の写真がカメラのモニターに映っているだけだった。
 大げさにため息をつき、花束を掴んでアパートの共有のゴミ捨て場に向かう。今日が燃えるゴミの日で丁度良かった。緑色のネットを持ち上げて放り込もうとした時、ゴミ袋を持った小さな女の子がこちらを見ているのに気づいた。正確に言うと花束を見つめている。
「これ?欲しいの?」そう聞くと女の子はこくんと頷いた。「いいよ、はいどうぞ」そう言って花束を渡すと、女の子は今どきの子供らしく、お礼も言わずに花束を抱えて走り去っていった。
 部屋に戻ってトーストを焼き、コーヒーを淹れる。それからシャワーを浴びて、ゆっくり寝よう。その後は数時間でまた出勤だ。工場の夜勤のシフトにもすっかり慣れた。今更広告カメラマンのアシスタントに戻る気はさらさらない。体は若干きついが給料はそこそこいいし、休みも取れる。師匠の機嫌で怒鳴り散らされることも無い。ただ、コンクール用の写真はいまだにダラダラと撮り続けている。

 それから数日後の午後、翔太はまたあの少女と顔を合わせた。こんどは向こうから「こんにちは」と挨拶してきたので、こちらも「こんにちは」と挨拶を返した。すると少女は「今日はお花持ってないの?」と尋ねてきた。
「今日は、お花持ってないな」と答えると少女はくるりと背を向けてその場を去り、雑草の生い茂るフェンス沿いをうろうろと歩き回っている。
 その姿が気になり、「お花、探してるの?」と翔太は声を掛けるとまた少女は無言でこくんと頷いた。
「お花、好きなんだ」と翔太が言うと少女は「レナじゃなくて、お母さんが」と答えた。
「へえ、お母さんがお花好きなんだ」と翔太が言うと、「うん、病院に持ってくと喜ぶの」と少女は答えた。
「病院にいるんだ、お母さん」
「うん」
 会話はそこで途切れた。それ以上深入りするのも躊躇われて、翔太は「じゃあ、気を付けてね」と言い残してその場を離れた。レナ、と名乗った少女は翔太の方を振り返ることも無く、母親のための花を探し続けていた。
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