第11話 『〈サイレント・スプリング〉』の行くえ

文字数 1,103文字

SINCE SILENT SPRING
©1970 フランク・グレアム・ジュニア
訳/田村三郎・上遠恵子(かみとお けいこ)
同文書院
1971年1月15日 第3刷 発行

『サイレント・スプリング(沈黙の春)』は1962年にレイチェル・カーソンが出版した。アメリカ合衆国から農薬(殺虫剤や除草剤など)の危険を訴えて、世界中の言語に翻訳され、世界中の人が警鐘を鳴らされた。レイチェル・カーソンは1964年に亡くなったが、世界が農薬についての態度を変えるのは平坦な道のりではなかった。

作者のフランク・グレアム・ジュニアは、全米オーデュボン協会(米国の野鳥保護の会)に関わっている。

『サイレント・スプリング(沈黙の春)』という題名は、殺虫剤や除草剤などの農薬によって鳥たちが死に、春に庭先や窓辺に歌を届ける小鳥たちがいなくなって「サイレント」になったという事実から来ている。

レイチェル・カーソンが亡くなってからも、化学品会社や農薬メーカーはなかなか殺虫剤や除草剤などの害を認めなかったし、米国の政府機関も農家や牧場主を喜ばせることを第一に考えて、良心的な科学者が企業におもねることなく農薬被害の証拠を研究し、それを民衆に知らせるまでに時間がかかった。

今やDDTなどの毒性の強い農薬は禁止されたものの、飛行機などによる空中散布は相変わらず行われているし、農薬の代替となる捕食生物による害虫の駆除、ホルモンなどでターゲットの生殖機能を壊すなどいくつかの方法があるが、これらも科学的な精緻な調査が必要とされ、費用も時間もかかる。

それでもレイチェル・カーソンの『サイレント・スプリング(沈黙の春)』の告白によって、今まで環境中に好きなだけ農薬を撒いていくという態度は、米国でも世界でも修正されつつある。

翻訳者の二人は農業化学の専門家である。レイチェルが投じた一石を広めていくため、どのような困難があるかを巻末に詳述してくれた。

レイチェルはそもそも海洋や海洋生物の研究者だったが、春に小鳥たちが死んだという手紙をある女性からもらって、政府機関や製薬会社を敵に回してでも、どうしても『サイレント・スプリング』を書かなければならないと決意した。彼女はそのとき乳がんなどの病気にかかっており、それを押してこの著作を著し、間もなく亡くなった。

レイチェルが生命をかけて世に問うた『サイレント・スプリング(沈黙の春)』をたくさんの人に読んでもらいたいし、英語が読める人は原書にも当たって欲しい。動植物の名前や化学物質の名称が多数出現するが、抗議の書であってもレイチェルの海の著作のように美しい文章で書かれていて、私は感動したのでおすすめする。 




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